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祈禱抄 6 第5章 真言による祈禱の結果
第5章 真言による祈禱の結果【かゝるなげきの庭にても、法華経の敵をば舌をきるべきよし、】
このような嘆きの中にあっても、法華経の敵については、舌を切るべきである、
【座につら〔列〕なりし人々のゝし〔罵〕り侍〔はべ〕りき。】
一座に列なるべきではないと声を上げて非難したのです。
【迦葉〔かしょう〕童子菩薩は法華経の敵の国には】
迦葉〔かしょう〕童子菩薩は、法華経の敵〔かたき〕の国には、
【霜雹〔そうはく〕となるべしと誓ひ給ひき。】
霜〔しも〕や雹〔ひょう〕を降らすと誓ったのです。
【爾〔そ〕の時仏は臥〔ふしど〕よりをきてよろこばせ給ひて、】
そのときに仏は、寝床より起きて喜ばれ、
【善哉善哉と讃〔ほ〕め給ひき。】
素晴らしい、素晴らしいと讃嘆されたのです。
【諸菩薩は仏の御心を推〔すい〕して法華経の敵をうたんと申さば、】
諸菩薩は、仏の御心を推し量って、法華経の敵〔かたき〕を討とうと言えば、
【しばらくも、い〔生〕き給ひなんと思ひて一々の誓ひはな〔為〕せしなり。】
仏が少しでも長く生きられるであろうと思って、ひとりひとり誓いを立てたのです。
【されば諸菩薩・諸天人等は法華経の敵の出来せよかし、】
それゆえ、諸菩薩、諸天人などは、法華経の敵よ出で来たれ、
【仏前の御誓ひはたして、釈迦尊並びに多宝仏・諸仏如来にも、】
仏前の誓いを果たして、釈尊ならびに多宝仏、諸仏、如来に、
【げに仏前にして誓ひしが如く、法華経の御ためには】
実に仏前において誓ったように、法華経の御ためには
【名をも身命をも惜しまざりけりと思はれまいらせんとこそおぼすらめ。】
名も身命も惜しまないと思われようとされたのでしょう。
【いかに申す事はをそきやらん。】
それで、どうして現証が顕〔あら〕われるのが遅いことがあるでしょうか。
【大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、】
たとえ大地を指して外れることがあっても、虚空をつないで結ぶ者がいたとしても、
【潮のみ〔満〕ちひ〔干〕ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、】
また、潮の満ち干ぬことがあっても、日が西から出るようなことがあったとしても、
【法華経の行者の祈りのかな〔叶〕はぬ事はあるべからず。】
法華経の行者の祈りが、かなわないことは、絶対にないのです。
【法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、】
法華経の行者を、諸菩薩、人、天、八部衆、二聖、二天、十羅刹女などが来て、
【千に一も来たりてまぼ〔守〕り給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り、】
千にひとつも守護しないことがあるならば、上は、釈尊など諸仏を侮〔あなづ〕り、
【下は九界をたぼらかす失〔とが〕あり。】
下は、九界を騙〔だま〕す罪となるので、そんなことは絶対にないのです。
【行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも】
また、法華経の行者が正直でなく、智慧が愚かであっても、
【身は不浄なりとも戒徳は備へずとも】
また、身は不浄であっても、威徳〔いとく〕を備えていなくても、
【南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。】
ただ、南無妙法蓮華経と唱え奉るならば、必ず守護されるのです。
【袋きたなしとて金〔こがね〕を捨つる事なかれ、】
外見の袋が汚いからと言って、中の黄金を捨てては、ならないからなのです。
【伊蘭〔いらん〕をにくまば栴檀〔せんだん〕あるべからず。】
悪臭の伊蘭〔いらん〕の臭いを嫌っていては、栴檀の香りは、得られないのです。
【谷の池を不浄なりと嫌はゞ蓮を取るべからず。】
谷の池を汚いと嫌っていては、蓮華を取ることは、出来ないのです。
【行者を嫌ひ給はゞ誓ひを破り給ひなん。】
行者を嫌い守護しなければ、仏前での誓いを破られることになるでしょう。
【正像既に過ぎぬれば持戒は】
正像は、既に過ぎ去っているので、持戒の僧侶は、
【市〔いち〕の中の虎の如し、智者は】
市場で虎を求めるようなものであり、また、智者を求めることは、
【麟角〔りんかく〕よりも希〔まれ〕ならん。】
麒麟〔きりん〕の角〔つの〕を求めるよりも困難なのです。
【月を待つまでは灯を憑〔たの〕むべし。宝珠のなき処には金銀も宝なり。】
月が出るまでは、灯がたよりです。宝珠のないところでは、金や銀も宝なのです。
【白烏〔はくう〕の恩をば黒烏〔こくう〕に報ずべし。】
黒鴉〔からす〕に食を施さざれば、豈〔あ〕に白鴉〔からす〕の恩を報ぜんやと
【聖僧の恩をば凡僧に報ずべし。】
天台の観心論にあるように、聖僧の恩を凡僧に報ずべきなのです。
【とくとく利生をさづけ給へと強盛に申すならば、】
速やかにきたって利益を授け給えと強盛に申し上げるならば、
【いかでか祈りのかな〔叶〕はざるべき。】
どうして祈りがかなわないことがあるでしょうか。
【問うて云はく、上にかゝせ給ふ道理文証を拝見するに、】
それでは、御尋ねしますが、上に書かれた道理、文証を拝見すると、
【まことに日月の天におはしますならば、大地に草木のお〔生〕ふるならば、】
本当に日月が天におられるならば、また大地に草木が生い茂るならば、
【昼夜の国土にあるならば、大地だにも反覆せずば、】
国土に昼夜があるならば、大地が、ひっくり返ることがないならば、
【大海のしほ〔潮〕だにもみ〔満〕ちひ〔干〕るならば、】
また、大海の潮が満〔み〕ち干〔ひ〕くならば、
【法華経を信ぜん人現世のいのり後生の善処は疑ひなかるべし。】
法華経を信ずる人の現世の祈りは、必ず成就し、後生善処は、疑いないことなのです。
【然りと雖も此の二十余年が間の天台・真言等の名匠、】
しかしならば、この二十余年の間、天台宗、真言宗などの名僧、学匠たちが、
【多く大事のいのりをなすに、】
多くの大事な祈りをしているのに、
【はかばかしくいみじきいの〔祈〕りありともみえず。】
その祈りに正しい結果がともなっているとも思えず、
【尚外典の者どもよりも、つたな〔拙〕きやうにうちおぼへて見ゆるなり。】
かえって外典を持つ者よりも、祈りが通じていないように思われますが、
【恐らくは経文のそらごとなるか、】
これは一体、法華経の経文が虚妄であるためでしょうか、
【行者のをこ〔行〕なひのをろかなるか、時機のかなはざるかと、うたがはれて】
もしくは、行者の祈り方に問題があるのでしょうか、また、時機が悪いのでしょうか、
【後生もいかんとをぼう。】
このことからも、後生も疑わしく思われるのです。
【それはさてをきぬ。御房は山僧の御弟子とうけ給はる。】
それは、さておき、あなたは、比叡山で学問を修められたと言われていますが、
【父の罪は子にかゝり、師の罪は弟子にかゝるとうけ給はる。】
父の罪が、その子にかかり、師匠の罪は、弟子にかかると言いますから、
【叡山の僧徒の園城〔おんじょう〕山門の堂塔・仏像・経巻数千万を】
比叡山の僧徒が園城〔おんじょう〕寺や山門の堂や塔、仏像や経巻など数千万を
【やきはらはせ給ふが、ことにおそろしく、世間の人々もさわ〔騒〕ぎ】
焼き払ったことは、実に恐ろしいことで、世間の人々も、そのことで騒ぎ、
【うと〔疎〕みあへるはいかに。】
比叡山の僧侶らを疎〔うと〕むようになりました。これを、どう思われますか。
【前にも少々うけ給はり候ひぬれども、今度くわしくき〔聞〕ゝひらき候はん。】
前にも少々、うかがいましたが、今度は、より詳しく聞きたいと思います。
【但し不審なることは、かゝる悪僧どもなれば、】
ただし、自分も不審に思うことは、このような悪僧どもゆえに、
【三宝の御意にもかなはず、天地にもうけられ給はずして、】
仏法僧の三宝の意志にもかなわず、天地の神にも受け入れられないなら、
【祈りも叶はざるやらんとをぼへ候はいかに。】
祈りもかなわないのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
【答へて云はく、せんぜん〔先先〕も少々申しぬれども、】
それに答えると、先にも少々申し上げたことでありますが、
【今度又あらあら申すべし。日本国にをいては此の事大切なり。】
今回、再度、申し上げましょう。日本国において、これは、実に重大なことであり、
【これをしらざる故に多くの人、口に罪業をつくる。】
これを知らないために多くの人が、口に多くの罪業を作っているのです。
【先づ山門はじまりし事は此の国に仏法渡りて二百余年、】
まず比叡山延暦寺の創立は、我が国に仏法が渡来して二百余年、
【桓武〔かんむ〕天皇の御〔ぎょ〕宇〔う〕に伝教大師立て始め給ひしなり。】
桓武〔かんむ〕天皇の時代に伝教大師によって初めてなされたのです。
【当時の京都は昔聖徳太子、王気ありと相し給ひしかども、】
当時の京都は、昔、聖徳太子が王の都にしようと考えられましたが、
【天台宗の渡らん時を待ち給ひし間、都をたて給はず。】
天台宗が日本に渡るのを待って、その間は、都を立てられなかったのです。
【又上宮〔じょうぐう〕太子の記に云はく】
また聖徳太子の記録にも
【「我が滅後二百余年に仏法日本に弘まるべし」云云。】
「我が滅後二百余年に、仏法が日本に弘まるであろう」とありますが、
【伝教大師、延暦〔えんりゃく〕年中に叡山を立て給ふ。】
伝教大師が延暦〔えんりゃく〕年中に比叡山に延暦寺を建立し、
【桓武天皇は平〔たいら〕の京都〔みやこ〕をたて給ひき。】
桓武〔かんむ〕天皇は、平安の都を立てられ、
【太子の記文たがはざる故なり。】
聖徳太子の記録の文章が見事に的中したのです。
【されば山門と王家とは松と柏〔かしわ〕とのごとし、蘭と芝とにに〔似〕たり。】
それゆえに比叡山と朝廷とは、あたかも松と柏〔かしわ〕、蘭と芝との関係に似て、
【松か〔枯〕るれば必ず柏かれ、らん〔蘭〕しぼ〔萎〕めば又しば〔芝〕しぼむ。】
松が枯れれば柏〔かしわ〕が枯れ、蘭がしぼめば芝もしぼむ関係になったのです。
【王法の栄へは山の悦び、王位の衰へは山の歎きと見えしに、】
王法の繁栄は、叡山の喜びであり、朝廷の衰退は、叡山の嘆きであると言うように、
【既に世関東に移りし事なにとか思〔おぼ〕し食〔め〕しけん。】
深い関係でしたが、世が、すでに関東に移り、王法が衰えてしまったことについて、
【秘法四十一人の行者、承久三年辛〔かのと〕巳〔み〕四月十九日】
秘法を修する41人の行者が、承久3年辛巳〔かのとみ〕の4月19日、
【京夷〔きょうい〕乱れし時、関東調伏〔じょうぶく〕の為、】
承久の乱で京都と関東とに争いが起きた時に、関東を調伏する目的で、
【隠岐〔おきの〕法皇〔ほうおう〕の宣旨〔せんじ〕に依って】
隠岐法皇〔おきのほうおう〕の命令によって、
【始めて行なはれし御修法十五壇の秘法】
初めて修法十五壇の秘法を行ったのです。