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祈禱抄 8 第7章 真言の邪教たる理由
第7章 真言の邪教たる理由【問うて云はく、】
それでは、御尋ねしますが、
【真言の教を強〔あなが〕ちに邪教と云ふ心如何。】
真言の教えを強〔し〕いて邪教と言うのは、なぜなのでしょうか。
【答へて云はく、弘法大師云はく、第一大日経・第二華厳経・第三法華経と、】
それに答えると、弘法大師は「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」と
【能〔よ〕く能く此の次第を案ずべし。】
述べていますが、このことをよくよく考えてみるべきです。
【仏は何〔いか〕なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給へるや。】
仏は、どの経文に、この三部の経々の優劣を説いているのでしょうか。
【若し第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給へる経あるならば】
もし「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」と説かれている経文があれば、
【尤〔もっと〕も然〔しか〕るべし。】
その言い分も、もっともなことですが、
【其の義なくんば甚だ以て依用し難し。】
それがなければ、それを信用するわけにはいきません。
【法華経に云はく「薬王今汝に告ぐ、】
法華経には「薬王よ、今、汝〔なんじ〕に告ぐ。
【我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり」云云。】
我が所説の諸経中、しかも此の経の中において、法華が最も第一なり」とあり、
【仏正しく諸経を挙げて其の中に於て】
仏は、まさしく諸教を挙げて、その中において
【法華第一と説き給ふ。】
法華が最第一であると説かれているのです。
【仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり。】
このように仏の説法と弘法大師の筆には、水と火ほどの相違があるのです。
【尋〔たず〕ね究〔きわ〕むべき事なり。】
そうであるならば、いずれが真実かを尋ね究めなければなりません。
【此の筆を数百年が間、凡僧・高僧是を学し、】
弘法大師の、この筆を数百年もの間、凡僧も高僧も、皆、これを学び、
【貴賎・上下是を信じて、大日経は一切経の中に】
貴賎、上下も一様にこれを信じて、大日経は、一切経の中で
【第一とあがめける事、仏意に叶はず。】
第一であると崇〔あが〕めて来たことは、仏の本意にかなわないことなのです。
【心あらん人は能く能く思ひ定むべきなり。】
心ある人は、このことをよくよく思案すべきです。
【若し仏意に相叶はぬ筆ならば、信ずとも豈〔あに〕成仏すべきや。】
もし仏の本意でない筆であれば、それを信じて、どうして成仏できるでしょうか。
【又是を以て国土を祈らんに、】
また、この筆によって、国家を祈れば、
【当〔まさ〕に不祥を起こさざるべきや。】
きっと、とんでもない災いが国土に起こることでしょう。
【又云はく「震旦〔しんだん〕の人師等諍〔あらそ〕って】
また弘法は「中国の人師らが争って
【醍醐〔だいご〕を盗む」云云。】
醍醐を盗んだ」などと言っていますが、
【文の意は天台大師等真言教の醍醐を盗みて】
この文章の意味するところは、中国の天台大師などが真言宗の醍醐の法門を盗んで
【法華経の醍醐と名づけ給へる事は、此の筆最第一の勝事なり。】
法華経を醍醐の法門と名づけたと言うものですが、このことが最も大事なのです。
【法華経を醍醐と名づけ給へる事は、天台大師涅槃経の文を勘〔かんが〕へて、】
法華経を醍醐の法門であると名づけられたのは、天台大師が涅槃経の文章を考えて、
【一切経の中には法華経を醍醐と名づくと判じ給へり。】
すべての経文の中で法華経を醍醐の法門と名づけると判断されたからなのです。
【真言教の天竺より唐土へ渡る事は、】
真言宗がインドから中国へ渡ったのは、
【天台出世の以後二百余年なり。】
天台大師が出世されてから二百余年後のことなのです。
【されば二百余年の後に渡るべき真言の醍醐を盗みて、】
そうであれば、二百余年後に渡って来る真言の醍醐の法門を盗んで、
【法華経の醍醐と名づけ給ひけるか。此の事不審なり、不審なり。】
法華経を醍醐の法門と名づけられたのでしょうか、本当におかしなことです。
【真言未だ渡らざる以前の二百余年の人々を盗人とかき給へる事】
真言宗が、まだ、渡来しない二百余年も前の人々を盗人〔ぬすっと〕だとする
【証拠何〔いず〕れぞや。弘法大師の筆をや信ずべき、】
証拠は、どこにあるのでしょうか。弘法大師の筆を信ずるべきでしょうか、
【涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき。】
それとも涅槃経に仏が法華経を醍醐と説かれていることを信ずるべきでしょうか。
【若し天台大師盗人ならば、】
もし天台大師が盗人〔ぬすっと〕であるならば、
【涅槃経の文をば云何〔いかん〕がこゝろうべき。】
涅槃経の文章を、どのように心得るべきでしょうか。
【さては涅槃経の文真実にして、弘法の筆邪義ならば、】
もし涅槃経の文章が真実であれば、弘法の筆が邪義となり、
【邪義の教を信ぜん人々は云何。】
その邪義の教を信ずる人々は、どうするつもりなのでしょうか。
【只弘法大師の筆と仏の説法と勘へ合はせて、】
ただ、弘法の筆と仏の説法とを考え合わせて、
【正義を信じ侍〔はべ〕るべしと申す計りなり。】
正義を信じられるよう申し上げるしかありません。
【疑って云はく、大日経は大日如来の説法なり。】
しかしながら、それを疑って反論すると、大日経は、大日如来の説法です。
【若し爾〔しか〕らば釈尊の説法を以て】
もし、そうであれば、釈尊の説法をもってしても、
【大日如来の教法を打ちたる事、都〔すべ〕て道理に相叶はず如何。】
大日如来の教法を打ち破ることは、道理に合わないのではないでしょうか。
【答へて云はく、大日如来は何〔いか〕なる人を父母として、】
それに答えると、その大日如来は、いかなる人を父母として、
【何なる国に出で、大日経を説き給ひけるやらん。】
いかなる国に出現して、大日経を説かれたのでしょうか。
【もし父母なくして出世し給ふならば、釈尊入滅以後、】
もし、過去に父母がいなくて、出世されたと言うのであるならば、釈尊の入滅以後、
【慈尊〔じそん〕出世以前、】
弥勒菩薩が都率天の内院において成仏し、慈尊として出世される以前の
【五十六億七千万歳が中間に、】
五十六億七千万歳の中間に、
【仏出でて説法すべしと云ふ事何なる経文ぞや。】
仏が出世して説法すると言うことが、どの経文に出ているのでしょうか。
【若し証拠なくんば誰の人か信ずべきや。】
もし、その証拠がなければ、誰が信ずることができるでしょうか。
【かゝる僻事〔ひがごと〕をのみ構へ申す間、邪教とは申すなり。】
このように、道理に合わないことばかりを述べるから、邪教と言うのです。
【其の迷謬〔めいびゅう〕尽くしがたし。】
その事実認識の誤〔あやま〕りは、はなはだ多く、まだまだ、尽きませんが、
【纔〔わず〕か一二を出だすなり。】
今は、その一、二を出したに過ぎません。
【加之〔しかのみならず〕並びに禅宗・念仏等を是を用ひる。】
真言の邪教のみならず、更に禅宗、念仏宗などを用いていますが、
【此等の法は皆未顕真実の権教、不成仏の法、無間地獄の業なり。】
これらの法は、いずれも未顕真実の権教であり、無間地獄に堕ちる所業なのです。
【彼の行人又謗法の者なり。】
また彼の行者は、いずれも正法を謗〔そし〕る者達であり、
【争〔いか〕でか御祈禱〔きとう〕叶ふべきや。】
どうして彼らの祈禱がかなうことがあるでしょうか。
【然るに国主と成り給ふ事は、過去に正法を持ち仏に仕ふるに依って、】
しかるに国主となることは、過去に正法をたもち、仏に仕えた功徳によるのであり、
【大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計らひとして】
大小の王たちは、大梵天王、帝釈天王、日天、月天、四天王などの計らいで
【郡郷を領し給へり。】
郡や郷を領有されているのです。
【所謂〔いわゆる〕経に云はく「我今五眼をもって明らかに三世を見るに、】
このことは、経文に「我、今、五眼をもって明らかに三世を見るに、
【一切の国王皆過去世に五百の仏に侍するに由って】
一切の国王は、皆、過去世に五百の仏に仕えた功徳によって
【帝王の主と為ることを得たり」等云云。】
帝王や国主となることができたのである」と説かれています。
【然るに法華経を背〔そむ〕きて、真言・禅・念仏等の邪師に付いて、】
それを法華経に背いて、真言、禅、念仏宗などの邪師について、
【諸の善根を修せらるゝとも敢〔あ〕へて仏意に叶はず、】
多くの善政を施したとしても、決して仏意にかなわないし、
【神慮〔しんりょ〕にも違する者なり。能〔よ〕く能く案あるべきなり。】
神の心にも違背しているのです。これを、よくよく考えなければなりません。
【人間に生を得る事、都〔すべ〕て希〔まれ〕なり。適〔たまたま〕生を受けて、】
人間に生まれることは、極めて稀であり、たまたま人間に生を受けながら、
【法の邪正を極めて未来の成仏を期〔ご〕せざらん事、】
法の正邪を極めて未来の成仏を願い求めようとしないのは、
【返す返す本意に非ざる者なり。】
まったく意味のない人生を歩む者なのです。
【又慈覚大師御入唐〔にっとう〕以後、本師伝教大師に背かせ給ひて、】
また、第三代天台座主の慈覚大師が唐から帰朝して後、本師の伝教大師に背いて、
【叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに、】
比叡山に真言を弘めようと祈った時に、
【日を射〔い〕るに日輪動転すと云ふ夢想を御覧じて、】
日輪を射たところ、矢が刺さって日輪が堕ちた夢を見たと言います。
【四百余年の間、諸人是を吉夢と思へり。】
これを四百年の間、これを皆が良い夢だと思って来たのです。
【日本国には殊〔こと〕に忌〔い〕むべき夢なり。】
しかし、これは、日本国では、とくに怖ろしい悪い夢なのです。
【殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕、日輪を的にして射るに依って身亡びたり。】
殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕は、日輪を的に弓を射て、その身が滅びたのです。
【此の御夢想は権化〔ごんけ〕の事なりとも能く能く思惟〔しゆい〕あるべきか。】
そのゆえ、この夢は、現実ではないと言っても、よくよく思案すべきなのです。
【仍〔よ〕って九牛の一毛〔いちもう〕註する所件〔くだん〕の如し。】
以上は、御尋ねによって、数多くの中の極一部を述べさせて頂いたものです。