日蓮正宗法華講開信寺支部より

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最蓮房御消息文 04 最蓮房御返事(祈禱経送状)


【最蓮房御返事(祈禱経送状) 文永一〇年一月二八日 五二歳】
最蓮房御返事(祈禱経送状) 文永10年1月28日 52歳御作

【御札〔ぎょさつ〕の旨委細〔いさい〕承り候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
御手紙の趣旨は、詳しく承〔うけたまわ〕りました。

【兼ねては又末法に入りて法華経を持ち候者は、】
前々から、末法に入って法華経を持〔たも〕つ者は、

【三類の強敵〔ごうてき〕を蒙〔こうむ〕り候はん事は、】
三類の強敵の迫害を受けると、

【面拝〔めんぱい〕の時大概〔おおむね〕申し候ひ畢んぬ。】
御会いしたときに申し上げました。

【仏の金言にて候上は不審を致すべからず候か。】
これが仏の金言である以上は、不審を持つべきではないでしょう。

【然〔しか〕らば則ち日蓮も此の法華経を信じ奉り候ひて後は、】
それゆえ日蓮も、この法華経を信じてからは、

【或は頭に疵〔きず〕を蒙り、或は打たれ、或は追はれ、】
あるいは、頭に傷を受け、あるいは、打たれ、あるいは、ところを追われ、

【或は頸〔くび〕の座に臨み、或は流罪せられ候ひし程に、】
あるいは、頸〔くび〕の座に臨〔のぞ〕み、あるいは、流罪され、

【結句〔けっく〕は此の島まで遠流〔おんる〕せられ候ひぬ。】
結局は、この佐渡の島まで、流されて来たのです。

【何〔いか〕なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ、】
どんな重罪の者でも、現在だけ、罪に処せられるものであるのに、

【日蓮は三世の大難に値ひ候ひぬと存じ候。】
日蓮は、三世にわたる大難にあったように思われます。

【其の故は現在の大難は今の如し。】
その理由は、現在の大難は、次の通りなのです。

【過去の難は当世の諸人等が申す如くば、】
過去世の難は、現在の人々が言うところによれば、

【如来在世の善星〔ぜんしょう〕・倶伽利〔くがり〕等の大悪人が、】
釈尊在世の善星〔ぜんしょう〕や倶伽利〔くがり〕などの大悪人が、

【重罪の余習を失せずして如来の滅後に生まれて】
重罪の残りを消すことが出来ずに仏滅後に生まれて、

【是〔か〕くの如く仏法に敵をなすと申し候是なり。】
このように仏法に敵対しているのだと言うのです。

【次に未来の難を申し候はゞ、当世の諸人の部類等謗じ候はん様は、】
次に未来世の難を言うならば、現在の人々が誹謗して言うのには、

【此の日蓮房は存生の時は種々の大難にあひ、死門に趣くの時は】
この日蓮房は、生存中は、種々の大難にあい、死に臨むときは、

【自身を自ら食して死ぬる上は、定めて大阿鼻〔あび〕地獄に堕在して】
自〔みずか〕ら自分自身を食し、死んだならば、必ず大阿鼻地獄に堕ちて

【無辺の苦を受くるらんと申し候はんずるなり。】
際限のない苦しみを受けるであろうと言うことでした。

【古〔いにしえ〕より已来世間・出世の罪科の人、】
過去から現在に至るまで、世間、または、出世間で、罪を受けた人は、

【貴賎・上下・持戒毀戒・凡聖に付けて多く候へども、】
貴賎、上下、持戒の者と破戒の者、凡夫と聖人と多くいますが、

【但其れは現在計りにてこそ候に、日蓮は現在は申すに及ばず、】
ただ、それは、現在だけであったのに、日蓮は、現在は、言うまでもなく、

【過去未来に至るまで三世の大難を蒙り候はん事は、】
過去、未来に至るまでの三世の大難を受けているのです。

【只偏〔ひとえ〕に法華経の故にて候なり。】
これは、ただ、偏〔ひとえ〕に法華経の故なのです。

【日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を】
日蓮の三世にわたる大難をもって、法華経の三世にわたる利益を

【覚〔おぼ〕し食〔め〕され候へ。過去久遠劫より已来未来永劫まで、】
理解してください。過去、久遠の昔から、未来、永遠にわたって

【妙法蓮華経の三世の御利益尽くべからず候なり。】
妙法蓮華経の三世の利益は、極〔きわ〕め尽〔つ〕くす事ができないのです。

【日蓮が法華経の方人〔かたうど〕を少分仕〔つかまつ〕り候だにも】
日蓮が法華経の味方を少ししただけでも、

【加様〔かよう〕の大難に遇〔あ〕ひ候。】
このような大難にあっているのです。

【まして釈尊の世々番々の法華経の御方人を思ひ遣〔や〕りまいらせ候に、】
まして釈尊が出世のたびに、法華経の味方をされて来たことを考えると、

【道理申す計りなくこそ候へ。】
道理をもって、言い尽くせないくらいなのです。

【されば勧持品の説相は】
そうであれば、法華経勧持品で説かれている内容は、

【暫時〔ざんじ〕も廃せず、殊更〔ことさら〕殊更貴く覚え候。】
少しも変わっておらず、非常に貴〔とおと〕く思われるのです。

【一、御山籠〔おんやまごも〕りの御志の事。】
一、隠遁〔いんとん〕の志〔こころざし)について。

【凡〔およ〕そ末法折伏の行に背くと雖も】
隠遁〔いんとん〕生活が末法の折伏行に背〔そむ〕くとは、言っても、

【病者にて御座〔ござ〕候上、】
あなたは、病人であり、それも仕方がない事と思われます。

【天下の災・国土の難強盛に候はん時、我が身につみ知り候はざらんより外は、】
天下の災害や国土の災難が非常に盛んな時には、我が身に変えて知らせなければ、

【いかに申し候とも国主信ぜられまじく候へば】
どのように申し上げても、国主は、信じられないので、

【日蓮尚籠居〔ろうきょ〕の志候。】
日蓮でさえ、隠居しようと思っているくらいなのです。

【まして御分の御事はさこそ候はんずらめ。】
まして、あなたの状況であれば、そう思うのも無理からぬ話です。

【仮使〔たとい〕山谷に籠居候とも、御病も平癒〔へいゆ〕して】
たとえ、今、山谷に籠〔こも〕ったとしても、御病気が治って

【便宜〔びんぎ〕も吉く候はゞ身命を捨て弘通せしめ給ふべし。】
よい機会が訪れれば、身命を捨てて弘通されるがよいでしょう。

【一、仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈禱〔きとう〕の事。】
一、御依頼を受けた末法の行者の息災延命の祈禱のことについて。

【別紙に一巻註し進〔まい〕らせ候。】
別紙に一巻を記して御送りいたします。

【毎日一返欠如無く読誦〔どくじゅ〕せらるべく候。】
毎日、一遍、欠かすことなく読誦されるようにしてください。

【日蓮も信じ始め候ひし日より毎日此等の勘文を誦し候ひて、】
日蓮も信じ始めた日より、毎日これらの勘文を誦〔じゅ〕して、

【仏天に祈誓〔きせい〕し候によりて、】
仏や天に誓願し祈願してきたことによって、

【種々の大難に遇ふと雖も法華経の功力〔くりき〕、】
種々の大難にあったけれども、法華経の功力と

【釈尊の金言深重なる故に今まで相違無く候なり。】
釈尊の金言が深く重いが故に今まで無事であったのです。

【其れに付けても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親〔さしん〕無く、】
それにつけても法華経の行者は、信心に退転なく、身に偽り親しむことなく、

【一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、】
一切を法華経に、その身を任せて金言のとおりに修行すれば、

【慥〔たし〕かに後生は申すに及ばず、】
確かに後生は、言うまでもなく、

【今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、】
今生においても、息災延命で立派な大果報を得て、

【広宣流布の大願をも成就すべきなり。】
広宣流布の大願をも成就することが出来る事でしょう。

【一、御状に十七出家の後は妻子を帯せず】
一、御手紙に17歳で出家した後は、妻子を持たず、

【肉を食せず等云云。】
肉も食べていないなどと書かれていたことについて。

【権教を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申し候とも、】
権教を信じていた大謗法のときは、どんな持戒の修行者であっても、

【法華経に背く謗法罪の故に正法の破戒の大俗よりも】
法華経に背く謗法の罪の為に、正法を持〔たも〕つ破戒の俗世間の人よりも

【百千万倍劣り候なり。彼の謗法の比丘〔びく〕は持戒なりと雖も】
百千万倍劣っているのです。謗法の僧侶は、持戒であっても、

【無間に堕〔だ〕す。正法の大俗は】
無間地獄に墜ち、正法を持〔たも〕った俗世間の人は、

【破戒なりと雖も成仏疑ひ無き故なり。】
たとえ、戒を破ったとしても、成仏は、疑いないのです。

【但今の御身は念仏等の権教を捨て】
ただいまの、あなたの身は、念仏などの権教を捨てて、

【正法に帰し給ふ故に誠に持戒の中の清浄の聖人なり。】
正法に帰依された故に、まことの戒を持〔たも〕つ清浄な聖人であるのです。

【尤〔もっと〕も比丘と成りては権宗の人すら尚然るべし。】
もっとも僧侶となったからには、権宗の人であっても、そうであるべきで、

【況んや正法の行人をや。】
ましてや、正法の修行者は、なおさらなのです。

【仮使権宗の時の妻子なりとも、かゝる大難に遇はん時は、】
たとえ、権宗の時に持った妻子であっても、このような大難に会う時は、

【振り捨てゝ正法を弘通すべきの処に、】
それを振り捨てて、正法を弘通するべきところ、

【地体よりの聖人尤も吉し尤も吉し。】
最初から、持戒の人であると言う事は、大変に素晴らしいことです。

【相構へ相構へ向後〔こうご〕も】
よくよく、今後も用心して

【夫妻等の寄〔よ〕り来〔く〕とも遠離して一身に障礙〔しょうげ〕無く、】
夫を持つ婦人などが近寄って来ても遠ざけ、疑われる事などないようにして、

【国中の謗法をせめて釈尊の化儀を資〔たす〕け奉るべき者なり。】
国中の謗法を責めて、釈尊の化儀を助けられるべきです。

【猶〔なお〕々向後は此の一巻の書を誦して】
なお、今後は、この一巻の書を誦して

【仏天に祈誓し御弘通有るべく候。】
仏や天に誓願し、祈願して、法華経の弘通に励まれてください。

【但し此の書は弘通の志有らん人に取りての事なり。】
ただし、この書は、法華経の弘通の志がある人にとって意味があるのです。

【此の経の行者なればとて器用に能〔あた〕はざる者には】
この経の行者であるからと言って、その能力がない者には

【左右〔さう〕無〔な〕く之を授与すべからず候か。】
これを簡単に授与することは、ないのです。

【穴賢〔あなかしこ〕穴賢。恐々謹言。】
恐れながら、恐れながら、謹んで申し上げます。

【文永十年(癸酉)正月二十八日    日蓮花押】
文永10年1月28日    日蓮花押

【最蓮房御返事】
最蓮房御返事


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