日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


顕仏未来記 1 背景と大意


顕仏未来記(御書675頁)

本抄は、如説修行抄とほとんど同じ時期の文永10年(西暦1273年)5月11日、日蓮大聖人が52歳の御時に、佐渡の一谷〔いちのさわ〕において著わされた御書で、宛名がないので門下一同に対して与えられたと考えられます。
御真筆の所在については、不明です。
この御書の題号である顕仏未来記は、日蓮大聖人によって名付けられましたが「仏の未来記を顕〔あらわ〕す」と読みます。
本書に、もし、大聖人が現われなければ、釈尊の未来記は、すべて虚妄となり、さらには、本門の本尊、妙法蓮華経の五字を閻浮提に広宣流布せしめるとの末法の御本仏の御立場より、大聖人御自身の未来記が顕わされているゆえに、この御書の題号に顕仏未来記と名付けられたと思われます。
このように未来記の題号が示す通り、日蓮大聖人の三大秘法弘通の予言書として重大な意義があり、御本仏としての絶対の確信に満ちた御書であるのです。
この御書を著わされた前年においては、人本尊開顕の書である開目抄を著わされ、ひと月ほど前には、法本尊開顕の書である観心本尊抄を著わされており、この両抄で明らかにされた人本尊と法本尊によって、大御本尊建立の御意志がわかるのです。その上で本書を拝読することが重要でしょう。
本抄の大意として、まず、釈尊の未来記である法華経の薬王菩薩本事品〔やくおうぼさつほんじほん〕の「我が滅度の後、後五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」の経文を挙げられ、末法に生まれあわせ、末法の法華経の行者となられた幸運を喜ばれています。
次に、同じく釈尊の未来記である法華経法師品〔ほっしほん〕の 「如来の現在にすら猶〔なお〕怨嫉多し、況んや滅度の後をや」の経文を引き、この未来記どおりの人生を身を以て読まれているからこそ、他ならぬ大聖人御自身が、自らを末法の法華経の行者であると確信されたことを明らかにされています。
続いて、正法時代、像法時代と末法を「教行証」の三事をもって比較検討されています。
「教行証」とは、「教」は、仏道の根本となる教法、「行」は、教法によって立てられた修行法、「証」は、教行によって得られる仏果、利益をいいます。
日寛上人は、当体義抄文段において、先に著わされた開目抄は、五重相対をもって一代諸経の勝劣浅深を判じ、寿量文底に事の一念三千の妙法が存することを説かれた「教行証」の「教」であり、同じく観心本尊抄は、本因下種の妙法本尊を受持する一行が即、末法の事の一念三千の観心修行に当たることを示された「教行証」の「行」であり、本抄を正直な受持信行により、末法の本未有善〔ほんみうぜん〕の衆生が、本有無作の妙法の当体蓮華を証得し、自在の功徳力用を活現することを説かれた「教行証」の「証」にあたるとされ、さらに、こうした末法の「教行証」を説かれる一方で、教行証御書では、末法に「行証」の利益がないとも説かれていますが、この顕仏未来記においても同様に末法の衆生が釈尊の仏法とまったく関係がないことを論じられています。
末法に入って釈尊の仏法が隠没し、仏法が混乱した時にこそ、必ず本眷属たる地湧の菩薩が末法の法華経の行者として出現し、諸天の加護を受け、本門の本尊、妙法蓮華経の五字が広宣流布することを不軽菩薩の例をあげて述べられています。
日寛上人も、また、当体義抄文段において、この点につき、種脱相対の上から明解な会通をされました。
すなわち、熟脱の教主釈尊の化導から見れば、末法は、法滅の時であり、釈尊の法華経ですら「行証」の益をなさないとされましたが、本因下種の本仏の化導から見れば、末法は、即久遠元初であり、本因下種の大白法が建立し弘通される時であるから、「教」のみならず「行証」の利益も厳然として存するとされました。
その釈尊の未来記に説かれている末法の法華経の行者とは、いったい誰なのかとの疑問に対して、法華経の勧持品にあるように末法の法華経の行者に対して多くの無智の人が悪口を言い罵詈雑言〔ばりぞうごん〕を浴びせ、さらに刀や杖で斬ったり、叩いたりし、さらには、たびたび所を追われ、また、安楽行品に、すべての世間の人の怨〔あだ〕が多く、信じ難しとあるように世間の人から、憎まれ、信じてもらえずに、また不軽品には、杖や木で打たれ、瓦や石を投げつけられ、さらに薬王品には、悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、鳩槃荼〔くはんだ〕などの悪鬼、魔神がつけこみ、災いをなすであろうと末法の法華経の行者に数々の難あることを示され、「日蓮無くんば仏語は虚妄〔こもう〕と成らん。」と述べられ、日蓮大聖人御一人こそ、この末法において、この難を受けられている末法の法華経の行者であると大確信をもって断言されています。
そして、その大聖人に、これらの難をあたえ、また、それに呼応して非難する無知の者に対して「汝〔なんじ〕日蓮を蔑如〔べつじょ〕するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢〔むく〕論師にも超えたり。」「日本国中に日蓮を除き去っては誰人を取り出だして法華経の行者と為さん。汝〔なんじ〕日蓮を謗〔そし〕らんとして仏記を虚妄にす、豈〔あに〕大悪人に非ずや。」と末法の御本仏である日蓮大聖人をないがしろにすることが、いかに重罪であるかを御指摘されています。
このように末法において、釈迦牟尼仏以上の大難を受けながらも、本門の本尊、妙法蓮華経の五字を広宣流布される日蓮大聖人こそ、末法の御本仏であり、その日蓮大聖人によって三大秘法の大御本尊が未来において広宣流布されることを大聖人御自身の未来記として御教示されているのです。
さらに正法時代、像法時代に釈尊の仏法がインドから中国を経て日本に渡ってきたのに対し、末法では、日本から中国、インドに向かって日蓮大聖人の仏法が流布していくことを述べられ、その前兆として、これまで日本において天変〔てんぺん〕地夭〔ちよう〕が起こっていることを説明され、このように前代未聞の大難が日蓮大聖人に起こっていることをもって、本門戒壇の大御本尊が建立されることが間違いないことを示されています。
最後に、末法において法華経を弘通していくことが、いかに困難であるかを述べられ、法華経を流布されたインドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師に現在の大聖人御自身を加えて、三国四師と名付けられ、日蓮大聖人こそ末法の法華経の行者であり、本門戒壇の大御本尊を顕される末法の御本仏であることを示されて本抄を結ばれています。

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