日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


顕仏未来記 2 釈尊の未来記


第一章 釈尊の未来記

【顕仏未来記 文永一〇年閏五月一一日 五二歳】
顕仏未来記 文永10年5月11日 52歳

【沙門日蓮之を勘〔かんが〕ふ】
出家僧日蓮、これを考える

【法華経の第七に云はく】
法華経の第七の巻、薬王品には、

【「我が滅度の後、後五百歳の中に閻浮提に】
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、この閻浮提(世界)において、

【広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云。】
広宣流布して断絶することがない」と述べられています。

【予一たびは歎いて云はく、】
私〔わたくし〕は、ひとたびは、それを歎いております。

【仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ。】
現在は、仏滅後すでに二千二百二十余年も経っているのです。

【何なる罪業に依って仏の在世に生まれず、】
私〔わたくし〕は、いかなる罪業があって仏の在世に生まれなかったのでしょうか。

【正法の四依、】
せめて、正法時代に生まれて四依と呼ばれる迦葉、阿難、竜樹、天親や

【像法の中の天台・伝教等にも値〔あ〕はざるやと。】
像法時代の天台、伝教にも巡り会えなかったのであろうかと嘆いているのです。

【亦一たびは喜んで云はく、何なる幸ひあって】
また、ひとたびは、喜んでいるのです。一体、いかなる福運があって

【後五百歳に生まれて】
後の五百歳である現在の末法に生まれて、

【此の真文を拝見することぞや。】
この薬王品の正しい文章を見ることが出来たのであろうかと。

【在世も無益なり、】
もし釈尊在世に生まれたとしても、この文章に出会わなければ無意味なのです。

【前四味の人は】
なぜならば、華厳、阿含、方等、般若の前四味の説法を受けた者は、

【未だ法華経を聞かず。】
いまだ法華経を聞いていないからです。

【正像も又由〔よし〕無し、】
また正法、像法時代に生まれたとしても、少しも意義がないのです。

【南三北七並びに】
なぜなら法華経は、すでに説かれていましたが、南三北七ならびに

【華厳・真言等の学者は法華経を信ぜず。】
華厳、真言の学者は、法華経を信じなかったからです。

【天台大師云はく「後五百歳】
天台大師は、法華文句巻第一に「後の五百歳の末法の始めから、

【遠く妙道に沾〔うるお〕はん」等云云。】
遠く未来にいたるまで妙法が流布しその功徳に沾おうであろう」と述べていますが、

【広宣流布の時を指すか。】
これは、広宣流布の時を指していると思われます。

【伝教大師云はく「正像梢〔やや〕過ぎ已〔お〕はって】
また同じく伝教大師は「正像二千年は、ほとんど過ぎおわって、

【末法太〔はなは〕だ近きに有り」等云云。】
妙法が流布する末法が近づいている」と延べていますが、

【末法の始めを願楽〔がんぎょう〕するの言なり。】
これは、末法の始めに生まれてくることを願っている言葉なのです。

【時代を以て果報を論ずれば、】
ゆえに、時代の比較によって、身に備えた果報の優劣を論ずるならば、

【竜樹・天親に超過し】
私〔わたくし〕は、正法時代の竜樹、天親を超えているばかりでなく、

【天台・伝教にも勝るゝなり。】
像法時代の天台や伝教より優れているのです。

ページのトップへ戻る