日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


顕仏未来記 3 未来の留難


第二章 未来の留難

【問うて云はく、後五百歳は】
それでは、後の五百歳の文章は、

【汝一人に限らず、】
あなた一人を対象として説いているものではないのに、

【何ぞ殊に之を喜悦せしむるや。】
どうして、そのことを最上の喜びとしているのですか。

【答へて云はく、法華経の第四に云はく】
それは、法華経第四の巻、法師品に

【「如来の現在にすら猶〔なお〕怨嫉多し、況んや】
「仏の在世さえ、なお怨嫉が多い。ましてや

【滅度の後をや」文。】
仏の入滅の後には、さらに大きい怨嫉が競い起こる」と説かれています。

【天台大師云はく】
天台大師も法華文句に、この法師品の文を

【「何に況んや未来をや、】
「仏の在世においても、なお怨嫉が多い。まして末法においては、なおさらである。

【理化〔け〕し難きに在り」文。】
その理由は、なかなか衆生を教化し難いところにある」と記しています。

【妙楽大師云はく「理化し難きに在りとは、此の理を明かすことは意〔こころ〕】
妙楽大師は、さらに法華文句記に「理在難化と、この理由を明かす意味は、

【衆生の化し難きを知らしむるに在り」文。】
末法の衆生が教化し難いことを知らしめることにある」と釈しています。

【智度法師云はく「俗に良薬口に苦しと言ふが如く、】
智度法師は、天台法華疏義讃に「俗世間のことわざに良薬口に苦しと言うように、

【此の経は五乗の】
この法華経は、人、天、声聞、縁覚、菩薩の五乗の幸福が

【異執〔いしゅう〕を廃して】
人生の目的であるという偏見に執着することを打ち破って、

【一極〔いちごく〕の玄宗〔げんしゅう〕を立つ。】
人生の目的は、ただ一つ、成仏することであると、即身成仏の根本の宗旨を立て、

【故に凡を斥〔しりぞ〕け聖を呵〔か〕し】
故に人においては、爾前の凡位の者をしりぞけて、聖位の者を訶責し、

【大を排し小を破る。】
法においては、多くの大乗を排し、小乗を破折する。

【乃至此くの如きの徒】
そのために、このように破折をうけた五乗、凡聖の徒輩が、

【悉く留難〔るなん〕を為す」等云云。】
皆、身命に害を加えて正法流布を妨げるのである」と述べています。

【伝教大師云はく】
伝教大師は、法華秀句下に

【「代を語れば則ち像の終はり末の始め、】
「妙法が流布するのは、その時を論ずれば、像法の終わり末法の始めである。

【地を尋ぬれば唐の東、羯〔かつ〕の西、】
その出現する国土は、中国の東、摩羯国の西、すなわち日本国にほかならない。

【人を原〔たず〕ぬれば則ち五濁の生、】
教えをうける衆生を尋ねれば五濁悪世の末法に生をうけた本未有善の衆生であり、

【闘諍の時なり。経に云はく、】
闘諍堅固の時代の人である。故に、法華経法師品に

【猶多怨嫉況滅度後と。】
如来の現在にすら、なお怨嫉が多い、いわんや滅度の後をやと予言しているが、

【此の言良〔まこと〕に以〔ゆえ〕有るなり」等云云。】
これは、まことに深い理由のある言葉である」と言っています。

【此の伝教大師の筆跡は】
この伝教大師の秀句の文は、

【其の時に当たるに似たれども、】
一見これを著わした大師の時代に該当するようにみえますが、

【意は当時を指すなり。】
本意は、末法の始めである現在を指しているのです。

【正像梢〔やや〕過ぎ已はって末法太〔はなは〕だ】
「正法千年、像法千年も大体過ぎおわって、末法がはなはだ

【近きに有りの釈は心有るかな。】
近くになった」との解説は、実に深い意味があるのではないでしょうか。

【経に云はく「悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃茶〔くはんだ〕等】
また薬王品には「悪魔、魔民、諸天竜、夜叉、鳩槃茶等の

【其の便りを得ん」云云。】
悪鬼、魔神がつけこんで、さまざまな災いをなすであろう」と説かれています。

【言ふ所の等とは、此の経に又云はく「若しは夜叉、若しは羅刹〔らせつ〕、】
この中の「等」とは、この陀羅尼品にある「あるいは、夜叉、あるいは、羅刹、

【若しは餓鬼、若しは富単那〔ふたんな〕、若しは吉遮〔きっしゃ〕、】
あるいは、餓鬼、あるいは、富単那、あるいは、吉遮、

【若しは毘陀羅〔びだら〕、若しは犍駄〔けんだ〕、】
あるいは毘陀羅、あるいは、犍駄、

【若しは烏摩勒伽〔うまろくきゃ〕、若しは阿跋摩羅〔あばつまら〕、】
あるいは、烏摩勒伽、あるいは、阿跋摩羅、

【若しは夜叉〔やしゃ〕吉遮〔きっしゃ〕、】
あるいは、夜叉吉遮、

【若しは人吉遮〔にんきっしゃ〕」等云云。】
あるいは、人吉遮」などを言うのです。

【此の文の如くんば先生に四味三教】
この文章は、先の世において爾前、権教である四味三教、

【乃至外道・人天等の法を持得して、】
ないし外道・人天等の法を持得して、

【今生に悪魔・諸天・諸人等の身を受けたる者が】
その結果、今生には悪魔や諸天、竜、諸人などの身を受けた者が、

【円実の行者を見聞して、】
円教であり、実教である法華経の行者を見〔み〕聞〔き〕きして、

【留難〔るなん〕を至すべき由を説くなり。】
その行者に種々の難を加えるであろうと云うことを説いているのです。

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