日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


顕謗法抄 03 第2章 無間地獄


第2章 無間地獄

【第八に大阿鼻〔だいあび〕地獄とは、又は無間〔むけん〕地獄と申すなり。】
第八の大阿鼻〔だいあび〕地獄とは、または、無間地獄とも言います。

【欲界の最底大焦熱〔だいしょうねつ〕地獄の下にあり。】
欲界の最も底で、大焦熱〔だいしょうねつ〕地獄の下にあります。

【此の地獄は縦広〔じゅうこう〕八万由旬〔ゆじゅん〕なり、】
この地獄の縦横の広さは、八万由旬〔ゆじゅん〕であり、

【外に七重の鉄の城あり。】
外には、七重の鉄の城があります。

【地獄の極苦は且〔しばら〕く之を略す。】
この地獄の極苦については、しばらく、これを省略しますが、

【前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、】
前の七大地獄と、その中の別の場所にある地獄の、すべての苦悩を一とすると、

【大阿鼻地獄の苦、一千倍勝れたり。】
大阿鼻〔だいあび〕地獄の苦しみは、その千倍も大きいのです。

【此の地獄の罪人は大焦熱地獄の罪人を見る事、】
この地獄の罪人は、大焦熱〔だいしょうねつ〕地獄の罪人を見ると、

【他化自在天〔たけじざいてん〕の楽しみの如し。】
他化自在天〔たけじざいてん〕が楽しんでいるように見えます。

【此の地獄の香〔か〕のくさゝを人か〔嗅〕ぐならば、】
この地獄の臭気〔しゅうき〕の臭〔くさ〕さを、かぐと、

【四天下〔してんげ〕・欲界・六天の天人皆し〔死〕ゝなん。】
四天下〔してんげ〕、欲界、六欲天の天人は、皆、死んでしまうのです。

【されども出山〔しゅっせん〕・没山〔もっせん〕と申す山、】
しかしながら、出山〔しゅっせん〕と没山〔もっせん〕と言う名前の山があり、

【此の地獄の臭き気〔いき〕ををさえて、人間へ来たらせざる故に、】
この地獄の臭気〔しゅうき〕を、さえぎっているので人間世界へ来ないのです。

【此の世界の者死せずと見へぬ。】
それ故に、この世界の者は、死なないで済んでいると思われます。

【若し仏此の地獄の苦を具〔つぶさ〕に説かせ給はゞ、】
また、もし仏が、この地獄の苦しみを詳細に説かれたならば、

【人聴きて血をはいて死すべき故に、】
人は、これを聞いて血を吐いて死ぬので、

【くわしく仏説き給はずとみへたり。】
仏は、詳しく説かれなかったと思われます。

【此の無間地獄の寿命の長短は一中劫〔いっちゅうこう〕なり。】
この無間地獄の寿命の長さは、一中劫です。

【一中劫と申すは、此の人寿〔にんじゅ〕無量歳なりしが】
一中劫と言うのは、この人間の寿命が無量歳でしたが、

【百年に一寿を減じ、又百年に一寿を減ずるほどに、】
百年に一歳づつ、減〔へ〕らしていき、

【人寿十歳の時に減ずるを一減と申す。】
その人間の寿命が十歳になる時までを一減と言います。

【又十歳より百年に一寿を増し、又百年に一寿を増する程に、】
さらに十歳から百年に一歳づつを増〔ま〕していき、

【八万歳に増するを一増と申す。此の一増一減の程を小劫〔しょうこう〕として、】
八万歳になるまでを一増と言います。この一増一減の時間を一小劫として、

【二十の増減を一中劫とは申すなり。此の地獄に堕〔お〕ちたる者、】
二十の増減を一中劫と言うのです。この地獄に堕ちた者は、

【これ程久しく無間地獄に住して大苦をうくるなり。】
これほどの長い時間、無間地獄に住んで、大苦を受けるのです。

【業因を云はゞ、五逆罪〔ごぎゃくざい〕を造る人此の地獄に堕つべし。】
大阿鼻〔だいあび〕地獄の業因を言えば、五逆罪の人が、この地獄に堕ちるのです。

【五逆罪と申すは一に殺父〔しぶ〕、二に殺母〔しも〕、】
五逆罪と言うのは、一に父を殺し、二に母を殺し、

【三に殺阿羅漢〔しあらかん〕、四に出仏身血〔すいぶっしんけつ〕、】
三に阿羅漢を殺し、四に仏身を傷つけ出血させる行為であり、

【五に破和合僧〔はわごうそう〕なり。】
五に和合僧〔わごうそう〕を壊す行為ですが、

【今の世には仏ましまさず。しかれば出仏身血あるべからず。】
今の世には、仏がいないので、仏の身から血を出すと言う罪は、ありません。

【和合僧なければ破和合僧なし。阿羅漢なければ】
和合僧がないから、破和合僧の罪もありません。阿羅漢もいないので
 
【殺阿羅漢これなし。但殺父殺母の罪のみありぬべし。】
阿羅漢を殺すこともなく、ただ、父母を殺す罪だけがあるのです。

【しかれども王法のいましめきびしくあるゆへに、此の罪をか〔犯〕しがたし。】
しかし、王による法律が厳〔きび〕しいので、この罪も犯し難いのです。

【若〔も〕し爾〔しか〕らば、当世には阿鼻地獄に】
もし、そうであれば、今の世には、阿鼻〔あび〕地獄に堕ちる人は、

【堕つべき人すくなし。但し相似〔そうじ〕の五逆罪これあり。】
少ないはずなのですが、五逆罪と同様のよく似た罪があります。

【木画〔もくえ〕の仏像・堂塔〔どうとう〕等をやき、】
それは、木画の仏像や堂塔などを焼き、

【かの仏像等の寄進の所をうばいとり、】
その仏像などに寄進したものを奪い取り、

【率兜婆〔そとば〕等をきりやき、智人を殺しなんどするもの多し。】
率兜婆〔そとば〕などを焼き、智者を殺す者が多いのです。

【此等は大阿鼻地獄の】
これらの者は、大阿鼻〔だいあび〕地獄の中にある

【十六の別処に堕つべし。】
別の十六ヶ所の地獄に堕ちるのです。

【されば当世の衆生十六の別処に堕つるもの多きか。】
それ故に今の世の衆生は、この別の十六ヶ所の地獄に堕ちる者が多いのです。

【又謗法〔ほうぼう〕の者この地獄に堕つべし。】
また、謗法の者は、この無間地獄に堕ちるのです。

【第二に無間地獄の因果の軽重を明かさば、】
第二に無間地獄の因果に軽重のあることを明らかにします。

【問うて云はく、五逆罪より外〔ほか〕の罪によりて】
それでは、実際に五逆罪以外の罪によって、

【無間地獄に堕ちんことあるべしや。】
無間地獄に堕ちるなどと言う事がほんとうにあるのでしょうか。

【答へて云はく、誹謗〔ひぼう〕正法〔しょうぼう〕の重罪なり。】
それは、誹謗〔ひぼう〕正法〔しょうぼう〕の重罪です。

【問うて云はく、証文如何。】
それでは、その文証は、あるのでしょうか。

【答へて云はく、法華経第二に云はく】
それは、法華経、第二巻の譬喩品に説かれています。

【「若〔も〕し人信ぜずして此の経を毀謗〔きぼう〕せば乃至〔ないし〕】
「もし人が信ぜずして、この経を誹謗〔ひぼう〕せば(中略)

【其の人命終〔みょうじゅう〕して阿鼻獄に入らん」等云云。】
その人、命終して阿鼻〔あび〕地獄に堕ちる」などと説かれているのです。

【此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見へたり。】
この文章にある謗法とは、阿鼻〔あび〕地獄に堕ちる業因と言う事です。

【問うて云はく、五逆〔ごぎゃく〕と謗法と罪の軽重如何。】
それでは、五逆罪と謗法との罪では、その軽重は、どうなのでしょうか。

【答へて云はく、大品〔たいぼん〕経に云はく】
それは、大品〔たいぼん〕般若経に

【「舎利弗〔しゃりほつ〕仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、】
「舎利弗が仏に言うのには、

【世尊〔せそん〕五逆罪と破法罪〔はほうざい〕と相似〔そうじ〕するや。】
五逆罪と破法罪〔はほうざい〕とは、同じかどうかを尋ねた。

【仏舎利弗に告げたまはく、応〔まさ〕に相似と言ふべからず。】
仏が舎利弗に告げられるのには、同じとは言えない。

【所以〔ゆえん〕は何〔いか〕ん、】
それは、なぜかと言うならば、

【若し般若〔はんにゃ〕波羅蜜〔はらみつ〕を破れば則〔すなわ〕ち十方諸仏の】
もし、般若〔はんにゃ〕波羅蜜〔はらみつ〕を謗〔そし〕れば、十方諸仏の

【一切智〔いっさいち〕一切種智〔いっさいしゅち〕を破るに為〔な〕んぬ。】
一切智、一切種智〔しゅち〕を謗〔そし〕ることになるからである。

【仏宝を破るが故に、】
そうなれば、仏宝を謗〔そし〕るが故に、法宝を謗〔そし〕り、

【法宝を破るが故に、】
法宝を謗〔そし〕るが故に、僧宝を謗〔そし〕り、

【僧宝を破るが故に。三宝を破るが故に】
僧宝を謗〔そし〕るが故に、仏宝を謗〔そし〕り、三宝を謗〔そし〕るが故に、

【則ち世間の正見〔しょうけん〕を破す。世間の正見を破れば○】
世間の正見を謗〔そし〕ることになるのである。世間の正見を謗〔そし〕れば○

【則ち無量〔むりょう〕無辺〔むへん〕阿僧祇〔あそうぎ〕の罪を得るなり。】
無量無辺阿僧祇の罪を得るのである。

【無量無辺阿僧祇の罪を得已〔お〕はって】
無量無辺阿僧祇の罪を得終わったならば、

【則ち無量無辺阿僧祇の憂苦〔うく〕を受くるなり」文。】
無量無辺阿僧祇の苦悩を受ける」と説かれています。

【又云はく「破法の業の因縁集むるが故に無量百千万億歳大地獄の中に堕つ。】
また「破法の業の因縁が集まる故に、無量百千万億の間、大地獄の中に堕ちる。

【此の破法人の輩〔やから〕は一大地獄より一大地獄に至り、】
この破法の人達は、一大地獄から一大地獄へと移り住むのである。

【若し劫火起こる時は他方の大地獄の中に至る。】
もし、その間に劫火が起こり、その地獄がなくなれば、他の大地獄に移るのである。

【是くの如く十方に遍くして彼の間に劫火起こるが故に、】
このように十方世界の大地獄を巡〔めぐ〕っている間に、劫火が、起こるので、

【彼より死するも破法の業の因縁未だ尽きざるが故に、】
その地で死んでも、破法の業因が、未だに尽きず、

【還〔かえ〕って是の間の大地獄の中に来たる」等云云。】
また、この大地獄に帰って来るのである」と説かれています。

【法華経第七に云はく】
法華経、第七巻の常不軽菩薩品には

【「四衆の中に瞋恚〔しんに〕を生じ心不浄なる者有り。】
「僧、尼僧、男女の信者の中に怒りの心を生じ、そのような不浄な心によって、

【悪口〔あっく〕罵詈〔めり〕して言はく、是の無智の比丘〔びく〕と。】
不軽菩薩を悪口〔あっく〕罵詈〔めり〕して、無智の比丘と罵〔ののし〕り、

【或は杖木〔じょうもく〕瓦石〔がしゃく〕を以て之を打擲〔ちょうちゃく〕す。】
あるいは、杖〔つえ〕、木、瓦〔かわら〕、石で叩いたりする。

【乃至〔ないし〕千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」等云云。】
これらの者は、千劫、阿鼻〔あび〕地獄において大苦悩を受く」と説かれています。

【此の経文の心は、法華経の行者を悪口し、】
この経文の意味は、法華経の行者を悪口〔あっく〕罵詈〔めり〕し、

【及び杖を以て打擲せるもの、其の後に懺悔〔さんげ〕せりといへども、】
杖でもって叩いたりした者は、その後に後悔〔こうかい〕したとしても、

【罪いまだ減せずして千劫阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ。】
罪は、未だ消滅せず、千劫の間、阿鼻〔あび〕地獄に堕ちると言うことなのです。

【懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。】
後悔した謗法の罪ですら、五逆罪に千倍する重さなのです。

【況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし。】
まして後悔しないならば、永遠に阿鼻〔あび〕地獄から出る事はないでしょう。

【故に法華経第二に云はく】
それ故に法華経第二巻の譬喩品には

【「経を読誦〔どくじゅ〕し書持〔しょじ〕すること有らん者を見て】
「この法華経を読誦し、書写し、受持する者を見て、

【軽賎〔きょうせん〕憎嫉〔ぞうしつ〕して結恨〔けっこん〕を懐〔いだ〕かん。】
軽〔かろ〕んじ、賎〔いや〕しみ、憎み、妬〔ねた〕んで、恨みを懐くならば、

【乃至其の人命終〔みょうじゅう〕して阿鼻獄に入り、】
その人は、命終して阿鼻〔あび〕地獄に堕ち、

【一劫を具足して劫尽きなば更〔また〕生まれん。】
一劫が尽きて、また、阿鼻〔あび〕地獄に生まれ、

【是くの如く展転〔てんでん〕して無数劫〔むしゅこう〕に至らん」等云云。】
このように繰り返して、無数劫に至る」と説かれています。



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