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顕謗法抄 05 第4章 悪知識を恐るべし
第4章 悪知識を恐るべし
【問うて云はく、衆生謗ずべきゆへに】
第13問、それでは、衆生が法華経を謗〔そし〕るので、
【仏最初に法華経をとき給はずして、四十余年の後に】
仏は、最初に法華経を説かずに、四十余年の間、権経を説いて
【法華経をとき給はゞ、】
衆生の理解力を整えてから、その後に法華経を説かれたのであれば、
【汝なんぞ当世に権経〔ごんきょう〕をばとかずして、】
あなたは、どうして現在では、同じように権経を説かないで、
【左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕〔だ〕すや。】
ためらうことなく法華経を説いて、人々に誹謗させ、悪道に堕とすのでしょうか。
【答へて云はく、】
第13答、それに答えると
【仏在世には仏菩提樹〔ぼだいじゅ〕の下に坐し給ひて機をかゞみ給ふに、】
仏の在世には、仏が菩提樹の下に端座されて、衆生の機根を考えられましたが、
【当時法華経を説くならば、衆生謗じて悪道に堕ちぬべし。】
その時、法華経を説くならば、衆生は、法華経を誹謗して、悪道に堕ち、
【四十余年すぎて後にとかば、謗ぜずして初住〔しょじゅう〕不退〔ふたい〕】
四十余年、権教を教え、その後に説くならば、法華経を誹謗せずに、初住不退の位、
【乃至〔ないし〕妙覚にのぼりぬべしと知見〔ちけん〕しましましき。】
また、妙覚の位に至る事が出来ると理解されたのです。
【末代濁世〔じょくせ〕には当機にして初住の位に入るべき人は】
しかし、末代濁世には、その理解力が備わり、初住位に入ることが可能な人は、
【万に一人もありがたかるべし。又能化〔のうけ〕の人も仏にあらざれば、】
万人に一人もいないのです。また、それを教える人も、仏ではないので、
【機をかゞみん事もこれかたし。】
衆生の理解力を正しく知ることすら、非常に難しいのです。
【されば逆縁順縁のために、】
それ故に、逆縁、順縁、いずれの人の為にも、
【先づ法華経を説くべしと仏ゆるし給へり。】
まず、法華経を説くべきであると、仏は、許されたのです。
【但し又滅後なりとも、当機衆になりぬべきものには、】
ただし、また仏の滅後であっても、まさに、その理解力に相当する者には、
【先づ権経をとく事もあるべし。又悲を先とする人は】
まず、権経を説くこともあります。また、慈悲のうち、悲を先とする人は、
【先づ権経をとく、釈迦仏のごとし。】
まず、権経を説くのです。釈迦牟尼仏が、その実例なのです。
【慈を先とする人は先づ実経〔じっきょう〕をとくべし、不軽菩薩のごとし。】
慈を先とする人は、まず、実経を説くべきなのです。不軽菩薩の例がそれです。
【又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし。】
また、末法の凡夫は、何につけても悪道を免〔まぬが〕れることが難しいのです。
【同じく悪道に堕つるならば、法華経を謗ぜさせて堕すならば、】
同じ悪道に堕ちるのであれば、法華経を誹謗して、堕ちるならば、
【世間の罪をもて堕ちたるにはにるべからず。】
世間の罪によって堕ちる事とは違い、意味があるのです。
【「聞法〔もんぽう〕生謗堕於〔しょうぼうだお〕地獄〔じごく〕】
「法を聞いて誹謗を生じ、地獄に堕ちるとも、
【勝於〔しょうお〕供養〔くよう〕恒沙仏者〔ごうじゃぶっしゃ〕」等の】
恒沙の仏を供養するより優れている」などの
【文のごとし。】
摩訶止観輔行伝弘決第一巻の五にある善住天子経の文章の通りなのです。
【此の文の心は、法華経をばう〔謗〕じて地獄に堕ちたるは、】
この文章の意味は、法華経を誹謗して地獄に堕ちることは、
【釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙〔ごうがしゃ〕の仏を供養し、】
釈迦牟尼仏や阿弥陀仏などの大河の砂の数のような多くの仏に供養し、
【帰依〔きえ〕渇仰〔かつごう〕する功徳には百千万倍すぎたりととかれたり。】
帰依、渇仰する功徳よりも、百千万倍、優れていると説かれているのです。
【問うて云はく、上の義のごとくならば、華厳・法相・三論・真言・】
第14問、それでは、前述の義の通りであれば、華厳宗、法相宗、三論宗、真言宗、
【浄土等の祖師はみな謗法に堕すべきか。】
浄土宗などの祖師は、皆、謗法に堕ちてしまうのでしょうか。
【華厳宗には華厳経は法華経には雲泥〔うんでい〕超過〔ちょうか〕せり。】
華厳宗では、華厳経は、法華経に比べ大きな差があり、はるかに優れていると言い、
【法相・三論もてかくのごとし。】
法相宗、三論宗も、このように言っています。
【真言宗には日本国に二の流あり。】
真言宗は、日本に二つの流派があり、
【東寺の真言は法華経は華厳経にをとれり。】
東寺の真言では、法華経は、華厳経より劣っており、
【何に況んや大日経にをいてをや。】
まして大日経に劣るのは、当然であるとしています。
【天台の真言には大日経と法華経とは理は斉等なり。】
また天台の真言では、大日経と法華経とは、理は、同じであるが、
【印〔いん〕・真言等は超過せりと云云。】
印と真言については、大日経が、はるかに優れていると言っています。
【此等は皆悪道に堕つべしや。】
これらは、皆、悪道に堕ちるのでしょうか。
【答へて云はく、宗をたて、経々の勝劣を判ずるに二の義あり。】
第14答、それは、一宗を立て経々の優劣を判断するのには、二つの義があります。
【一は似破〔じは〕、二は能破〔のうは〕なり。】
一つは、似破〔じは〕であり、二つは、能破〔のうは〕です。
【一に似破とは、他の義は吉〔よ〕しとおもへども】
一に似破〔じは〕とは、他人の義が優れているとわかっていても、
【此をは〔破〕す。かの正義を分明〔ふんみょう〕にあらはさんがためか。】
あえて、これを謗〔そし〕ることで、その正義を明確に顕わすことなのです。
【二に能破とは、実に他人の義の勝れたるをば弁〔わきま〕へずして、迷って】
二に能破〔のうは〕とは、実際に他人の義が優れていることが理解できずに、
【我が義すぐれたりとをもひて、心中よりこれを破するをば能破という。】
自宗が優れていると思い込み、本心から、これを謗〔そし〕る事を言います。
【されば彼の宗々の祖師に似破・能破の】
それ故に、これらの諸宗派の祖師に似破〔じは〕、能破〔のうは〕の
【二の義あるべし。心中には法華経は諸経に勝れたりと思えども、】
二義があるのです。心の中では、法華経が諸経に優れていると思っていても、
【且く違して法華経の義を顕はさんとをもひて、】
しばらく、それに反論する事によって、法華経の意義を顕〔あら〕わそうと思い、
【これをは〔破〕する事あり。】
これを謗〔そし〕ることがあります。
【提婆達多〔だいばだった〕・阿闍世王〔あじゃせおう〕・諸の外道が】
提婆達多〔だいばだった〕、阿闍世王〔あじゃせおう〕、数々の外道が
【仏のかたきとなりて仏徳を顕はし、後には仏に帰せしがごとし。】
仏の敵〔かたき〕となって、返って仏徳を顕わし、後には、仏に帰依した例です。
【又実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し。】
また、実際に凡夫が、仏の敵〔かたき〕となって、悪道に堕ちる事が多いのです。
【されば諸宗の祖師の中に回心〔えしん〕の筆をかゝずば、】
その為に諸宗派の祖師の中で、悔い改め、それを筆で書いて残さない者は、
【謗法の者悪道に堕ちたりとしるべし。】
ほんとうの意味での謗法の者であり、現実に悪道に堕ちると知るべきなのです。
【三論の嘉祥〔かじょう〕・華厳の澄観〔ちょうかん〕・】
三論宗の嘉祥〔かじょう〕、華厳宗の澄観〔ちょうかん〕、
【法相の慈恩〔じおん〕・東寺の弘法〔こうぼう〕等は】
法相宗の慈恩〔じおん〕、東寺の弘法〔こうぼう〕などに、
【回心の筆これあるか。よくよく尋ねならうべし。】
その筆があるかどうか、よくよく調べてみるべきです。
【問うて云はく、まことに今度生死をはなれんとをも〔思〕はんに、】
第15問、それでは、本当に現世に於いて、生死を離れようと思うのであれば、
【なにものをかいと〔厭〕ひ、なにものをか願ふべきや。】
何ものを肯定し、何ものを否定し、何ものを願うべきなのでしょうか。
【答ふ、諸の経文には女人等をいとふべしとみへたれども、】
第15答、それは、諸の経文には、女性などに注意すべきと説かれていますが、
【双林〔そうりん〕最後の涅槃経に云はく】
釈尊が沙羅双樹〔さらそうじゅ〕で最後に説いた涅槃経には
【「菩薩是の身に無量の過患〔かげん〕具足〔ぐそく〕充満〔じゅうまん〕すと】
「菩薩よ、この身に無量の過ちや悩みが、備わって充満するとも
【見ると雖〔いえど〕も、涅槃経を受持せんと欲するを為〔もっ〕ての故に】
涅槃経を受持しようと思うのならば、
【猶〔なお〕好〔よ〕く将護〔しょうご〕して乏少〔ぼうしょう〕ならしめず。】
なお、この身を、よく救護して、けっして粗末に扱っては、ならない。
【菩薩悪象等に於ては心に恐怖〔くふ〕することなかれ。】
菩薩よ、悪象などに対しては、心に恐怖を抱くこと、なかれ。
【悪知識に於ては怖畏〔ふい〕の心を生ぜよ。何を以ての故に。】
しかし、悪知識に対しては、恐怖の心を生ぜよ。なぜならば、
【是悪象等は唯能〔よ〕く身を壊〔やぶ〕りて心を壊ること能〔あた〕はず。】
悪象などは、ただ身を破〔やぶ〕るだけで、心を破〔やぶ〕ることは、できないが、
【悪知識は二倶に壊るが故に。】
悪知識は、身心ともに破〔やぶ〕るからである。
【悪象の若〔ごと〕きは唯一身を壊る。悪知識は】
悪象のごときものは、ただ一身を破〔やぶ〕るだけであるが、悪知識は、
【無量の身無量の善心を壊る。】
無量の身、無量の善心を破〔やぶ〕るのである。
【悪象の為に殺されては三趣〔しゅ〕に至らず。】
悪象の為に殺されても三悪道に堕ちないが、
【悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」等云云。】
悪友の為に殺されたならば、三悪道に堕ちるのである」などと説かれています。
【此の経文の心は、後世を願はん人は一切の悪縁を恐るべし。】
この経文の意味は、後世を願う人は、一切の悪縁を恐れるべきであり、
【一切の悪縁よりは悪知識ををそ〔恐〕るべしとみえたり。】
また、一切の悪縁の中でも、特に悪知識を恐れるべきであると説かれているのです。
【されば大荘厳仏〔だいしょうごんぶつ〕の】
それ故に仏蔵経には、大荘厳仏〔だいしょうごんぶつ〕の滅後、
【末の四の比丘は、】
末法において、苦岸〔くがん〕など四人の比丘は、正法の普事〔ふじ〕比丘を怨み、
【自ら悪法を行じて十方の大阿鼻〔だいあび〕地獄を経るのみならず、】
自ら悪法を行じて、十方の大阿鼻〔だいあび〕地獄を経るだけでなく、
【六百億人の檀那等をも十方の地獄に堕としぬ。】
悪知識となって、六百億人の信者なども、十方の地獄に堕としてしまったのです。
【鴦掘摩羅〔おうくつまら〕は】
鴦堀摩羅〔おうくつまら〕は、悪知識である外道の
【摩尼跋陀〔まにばつだ〕が教へに随って九百九十九人の指をきり、】
摩尼跋陀〔まにばつだ〕の教えに随って、999人の指を切り、
【結句〔けっく〕、母並びに仏をがい〔害〕せんとぎ〔擬〕す。】
最後には、母と釈尊を殺害しようとしたのです。
【善星〔ぜんしょう〕比丘〔びく〕は仏の御子、】
涅槃経三十三巻には、善星〔ぜんしょう〕比丘は、釈尊の子であり、
【十二部経を受持し、四禅定をえ〔得〕、欲界の結を断じたりしかども、】
十二部経を受持して、四禅定を得て、欲界の煩悩を断じ尽くしたのですが、
【苦得〔くとく〕外道〔げどう〕の法を習ふて生身に阿鼻地獄に堕ちぬ。】
悪知識の苦得〔くとく〕外道の法を習って、生身のまま、阿鼻地獄に堕ちました。
【提婆〔だいば〕が六万蔵・八万蔵を暗〔そら〕んじたりしかども、】
悪知識である提婆達多は、外道の六万蔵、仏法の八万蔵を暗唱していましたが、
【外道の五法を行じて現に無間に堕ちにき。】
外道の五法を行じて、現身のまま無間地獄に堕ちました。
【阿闍世王〔あじゃせおう〕の父を殺し母を害せんと擬〔ぎ〕せし、大象を放って】
なぜなら、阿闍世王が父を殺し、母を傷つけようとし、大象を放って
【仏をうしないたてまつらんとせしも悪師提婆が教へなり。】
仏を殺そうとしたのも、悪師である提婆提婆の教えによるからなのです。
【倶伽利〔くがり〕比丘〔びく〕が舎利弗・目連〔もくれん〕をそしりて】
俱伽利〔くがり〕比丘は、舎利弗と目連を謗〔そし〕って、
【生身に阿鼻に堕せし、】
生身のまま、阿鼻地獄に堕ちました。大唐西域記第4巻によると、
【大族王の五竺〔ごじく〕の仏法僧をほろぼせし、】
磔迦〔たっか〕国の大族〔だいぞく〕王は、全インドの仏法僧を滅ぼしました。
【大族王の舎弟〔しゃてい〕は加湿弥羅国〔かしゅみらこく〕の王となりて、】
大族王の弟は、加湿弥羅〔かしゅみら〕国の王となって、
【健駄羅国〔けんだらこく〕の率塔婆〔そとば〕・寺塔一千六百所をうしなひし、】
健駄羅国〔けんだらこく〕の率都婆や寺塔など一千六百か所を破壊しました。
【金耳国王〔こんにこくおう〕の仏法をほろぼせし、】
金耳国〔こんにこく〕王は、仏法を滅ぼし、
【波瑠璃王〔はるりおう〕の九千九十万人の人をころして血ながれて池をなせし、】
波瑠璃〔はるり〕王は、9090万人の人を殺し、その血によって池となりました。
【設賞迦王〔せっしょうかおう〕の仏法を滅し】
設賞迦〔せっしょうか〕王は、仏法を滅ぼし、
【菩提樹〔ぼだいじゅ〕をきり根をほりし、】
菩提樹を切り、根を掘り起こしました。
【周の宇文王〔うぶんのう〕の四千六百余所の寺院を失ひ、】
後周の宇文王〔うぶんのう〕は、4600余か所の寺院を破壊し、
【二十六万六百余の僧尼を還俗〔げんぞく〕せしめし、】
26万600余人の僧尼を還俗させました。
【此等は皆悪師を信じ悪鬼其の身に入りし故なり。】
これらは、皆、悪知識である悪師を信じ、悪鬼が、その身に入った故なのです。
【問うて云はく、天竺〔てんじく〕・震旦〔しんだん〕は外道が仏法をほろぼし、】
第16問、それでは、インド、中国では、外道が仏法を滅ぼし、
【小乗が大乗をやぶるとみえたり。】
小乗が大乗を謗〔そし〕っているように見えます。
【此の日本国もしかるべきか、】
この日本でも、そうなのでしょうか。
【答へて云はく、月支〔がっし〕・尸那〔しな〕には外道あり、小乗あり。】
第16答、それに答えると、インド、中国には、外道もあり、小乗もありましたが、
【此の日本国には外道なし、小乗の者なし。】
この日本には、外道もなく、小乗の者もいません。
【紀典博士〔きてんはかせ〕等これあれども、】
平安時代、官僚の育成機関である大学寮で、儒教を教授した学者などは、いますが、
【仏法の敵となるものこれなし。】
これらは、単なる道徳で有り、仏敵となるものでは、ありませんでした。
【小乗の三宗これあれども、彼の宗を用ひて】
また、小乗の三宗派が、ありますが、それらの宗派によって、
【生死をはなれんとをもはず。但大乗を心うる才覚とをもえり。】
生死を離れようとは、思わず、ただ大乗を修得する上の鍛錬と思っているのです。
【但し此の国には大乗の五宗のみこれあり。】
その為、この日本には、法相、三論、華厳、真言、天台の大乗の五宗派だけが残り、
【人々皆をもえらく、彼の宗々にして生死をはなるべしとをもう故に、】
人々が、皆、それらの宗派によって、生死を離れようと思っている故に、
【あらそ〔争〕いも多くいできたり。】
宗派同士の争いも多く起こってきたのです。
【又檀那の帰依〔きえ〕も多くあるゆへに利養〔りよう〕の心もふかし。】
また、信者の帰依も多い為、自宗派を存続させようとする心も深いのです。