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法蓮抄 02 第1章 法華経を誹謗する罪
第1章 法華経を誹謗する罪
【法蓮抄 建治元年四月 五四歳】
法蓮抄 建治1年4月 54歳御作
【夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば法華経第四の法師品に云はく】
法華経第四巻の法師品には、
【「若し悪人有って不善の心を以て一劫〔いっこう〕の中に於て】
「もし悪人があって、不善の心で一劫という長い間、
【現に仏前に於て常に仏を毀罵〔きめ〕せん、其の罪尚軽し。】
仏の面前で常に仏を罵〔ののし〕っても、その罪は、まだ軽い。
【若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を】
もし、人が、ただの一言でも、在家、出家の法華経を読誦する者を
【毀訾〔きし〕せん、其の罪甚だ重し」等云云。】
謗〔そし〕るならば、その罪は、非常に重い」と説かれています。
【妙楽大師云はく「然〔しか〕も此の経の功高く理絶えたるに約して】
妙楽大師は「この法華経の功力は、高く、教理は、優れているから、
【此の説を作すことを得。余経は然らず」等云云。】
このように言う事ができる。余経は、このようには、言えない」と解釈しています。
【此の経文の心は、一劫とは人寿八万歳ありしより】
この経文の心について話すならば、一劫とは、人の寿命が八万歳であった時から、
【百年に一歳をすて千年に十歳をすつ。】
百年に一歳ずつ短くなり、千年間に十歳、短くなるのです。
【此〔か〕くの如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ。】
このように次第に減っていき、人の寿命が十歳になります。
【此の十歳の時は当時の八十の翁〔おきな〕のごとし。】
この十歳の時は、現在の八十歳の翁〔おきな〕に当たるのです。
【又人寿十歳より百年ありて十一歳となり、又百年ありて十二歳となり、】
また人の寿命が十歳の時から、百年経ち十一歳となり、また百年経ち十二歳となり、
【乃至一千年あらば二十歳となるべし、乃至八万歳となる。】
そうやって一千年たてば、二十歳となるのであり、こうして八万歳となります。
【此の一減一増を一劫とは申すなり。又種々の劫ありといへども】
この一減一増の期間を一劫と言うのです。この他に色々な劫の考え方がありますが、
【且〔しばら〕く此の劫を以て申すべし。】
今は、この劫の考え方によって述べることにしましょう。
【此の一劫が間、身口意の三業より事おこりて仏をにくみたてまつる者あるべし。】
この一劫の間、身口意の三業によって事が起こって、仏を憎む者が出て来ます。
【例せば提婆達多〔だいばだった〕がごとし。】
例えば提婆達多のような者のことです。
【仏は浄飯王〔じょうぼんのう〕の太子、】
仏は、浄飯王〔じょうぼんのう〕の太子であり、
【提婆達多は斛飯王〔こくぼんのう〕の子なり。】
提婆達多は、斛飯王〔こくぼんのう〕の子供です。
【兄弟の子息同じく仏の御いとこ〔従弟〕にてをはせしかども、】
親が兄弟の子息であるから、仏にとって従兄弟〔いとこ〕でしたが、
【今も昔も聖人も凡夫も人の中をたが〔違〕へること女人よりして起こりたる】
今も昔も、聖人も凡夫も人の仲を違えるのは、女性の事から起こるのが通例であり、
【第一のあだにてはんべるなり。】
それが第一の怨〔あだ〕となるのです。
【釈迦如来は悉達〔しった〕太子としてをはしゝ時、提婆達多も同じ太子なり。】
釈迦如来が悉達〔しった〕太子であった時に、提婆達多も同じ太子でした。
【耶輸〔やしゅ〕大臣に女〔むすめ〕あり、】
耶輸〔やしゅ〕大臣に娘があり、
【耶輸多羅女〔やしゅだらにょ〕となづく。】
耶輸多羅女〔やしゅだらにょ〕と言いました。
【五天竺第一の美女、四海名誉の天女なり。】
全インド第一の美女で、その名は、四海に聞こえた天女でした。
【悉達と提婆と共に后〔きさき〕にせん事をあらそひ給ひし故に】
悉達太子と提婆達多は、ともに后〔きさき〕にしようと争って、
【中あ〔悪〕しくならせ給ひぬ。後に悉達は出家して仏とならせ給ひ、】
仲が悪くなったのです。後に悉達太子は、出家して仏になり、
【提婆達多又須陀〔しゅだ〕比丘〔びく〕を師として出家し給ひぬ。】
提婆達多も、また須陀〔しゅだ〕比丘〔びく〕を師として出家したのです。
【仏は二百五十戒を持ち、三千の威儀をとゝのへ給ひしかば、】
仏は、二百五十戒を持ち、三千の威儀を整えられていましたから、
【諸の天人これを渇仰〔かつごう〕し、】
諸々の天人は、これを渇仰〔かつごう〕し、
【四衆これを恭敬〔くぎょう〕す。】
僧侶、信者の男女は、これに恭敬〔くぎょう〕しました。
【提婆達多を人たと〔貴〕まざりしかば、】
しかし、提婆達多を人が貴〔とうと〕ばなかったので、
【いかにしてか世間の名誉仏にすぎんとはげみしほどに、】
どうすれば世間の名誉が、仏よりも得られるかを考えましたが、
【とかう〔左右〕案じいだして仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり。】
思案の末に仏以上に世間から貴〔とうと〕ばれることが五つあると思いつきました。
【四分律に云はく、一には糞掃衣〔ふんぞうえ〕、】
四分律には、これを「一には糞掃衣〔ふんぞうえ〕、
【二には常乞食〔じょうこつじき〕、三には一座食〔ざじき〕、】
二には、常乞食〔じょうこつじき〕、三には、一座食〔ざじき〕、
【四には常露座〔じょうろざ〕、五には塩及び五味を受けず等云云。】
四には、常露座〔じょうろざ〕、五には、塩及び五味を食べない」とされています。
【仏は人の施す衣をうけさせ給ふ、】
仏は、人が施す衣を受け取り、着ましたが、
【提婆達多は糞掃衣〔ふんぞうえ〕。】
提婆達多は、糞掃衣〔ふんぞうえ〕を着ました。
【仏は人の施す食をうけ給ふ、】
仏は、人の施す食を受け取り、食べましたが、
【提婆は只常乞食〔じょうこつじき〕。】
提婆達多は、ただ常に乞食を行じました。
【仏は一日に一二三反も食せさせ給ふ、】
仏は、一日に一、二、三度、食事をされましたが、
【提婆は只一座食。】
提婆達多は、ただ、一度だけしか食事をしなかったのです。
【仏は塚間〔ちょうかん〕樹下〔じゅげ〕にも処し給ふ、】
仏は、小屋や樹の下でも休まれますが、
【提婆は日中常露座なり。】
提婆達多は、日中は、常に露天に座っていました。
【仏は便宜にはしを〔塩〕復〔また〕は五味を服し給ふ、】
仏は、ときには、塩や五味を食べられましたが、
【提婆はしを〔塩〕等を服せず。かうありしかば世間、】
提婆達多は、まったく塩などを食べませんでした。このようであったので世間では、
【提婆の仏にすぐれたる事雲泥なり。】
提婆達多が釈迦牟尼仏より優れている事は、雲泥の差であると考え始めたのです。
【かくのごとくして仏を失ひたてまつらんとうかゞ〔覗〕ひし程に、】
このようにして、仏への報恩を失わせようと狙っていたところに、
【頻婆舍羅〔びんばしゃら〕王は仏の檀那なり。日々に五百輌の車を】
仏の檀那である頻婆舎羅〔びんばしゃら〕王が、一日に五百両の車を、
【数年が間一度もかゝさずおくりて、仏並びに御弟子等を供養し奉る。】
数年の間、一度も欠かさずに送って、仏と弟子たちに供養されたのです。
【これをそね〔嫉〕みとらんがために、】
提婆達多は、これを妬〔ねた〕み、奪い取ろうとし、
【未生怨〔みしょうおん〕太子をかたらって】
涅槃経〔ねはんぎょう〕に説かれる所の未生怨〔みしょうおん〕の阿闍世太子を
【父〔ちち〕頻婆舍羅王を殺させ、】
仲間に引き入れて、父の頻婆舎羅王〔びんばしゃらおう〕を殺させ、
【我は仏を殺さんとして或は石をも〔以〕て仏を打ちたてまつるは】
自分は、仏を殺そうとして、あるいは、石でもって仏を打ったのです。
【身業なり。】
これは、身口意の中の身の悪業です。
【仏は誑惑〔おうわく〕の者と】
また、仏は、人を誑〔たぶら〕かし、惑〔まど〕わす者であると
【罵詈〔めり〕せしは口業なり。】
悪口罵詈〔あっくめり〕したのです。これは、身口意の中の口の悪業です。
【内心より宿世の怨〔あだ〕とをもいしは意業なり。】
さらに、内心から宿世の怨〔あだ〕と思ったのは、身口意の中の意の悪業です。
【三業相応の大悪此にはすぐべからず。】
三業相応の大悪は、これに過ぎたものは、ありませんでした。
【此の提婆達多ほどの大悪人、三業相応して一中劫が間、】
この提婆達多ほどの大悪人が、三業相応して一中劫の間、
【釈迦仏を罵詈打擲〔ちょうちゃく〕し】
釈迦仏を罵倒〔ばとう〕し、打ち据え、
【嫉妬〔しっと〕し候はん大罪はいくらほどか重く候べきや。】
嫉妬〔しっと〕した大罪は、どのように重いことでしょう。
【此の大地は厚さは十六万八千由旬〔ゆじゅん〕なり。】
この大地は、厚さ十六万八千由旬です。
【されば四大海の水をも、九山の土石をも、三千の草木をも、】
それ故に四大海の水も、九山の土石も、三千の草木も、
【一切衆生をも頂戴して候へども、落ちもせずかたぶ〔傾〕かず、】
一切衆生も戴せているけれども、落ちもしないし、傾〔かたむ〕かないし、
【破れずして候ぞかし。しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なり。】
破れることもないのです。しかしながら、提婆達多の身は、五尺の人身ですが、
【わづかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ。】
わずかに三逆罪を犯して、大地が破れて地獄に堕ちたのです。
【此の穴〔あな〕天竺にいまだ候。】
この穴は、インドに今も、なお存在します。
【玄奘〔げんじょう〕三蔵漢土より月支に修行して此をみる。】
玄奘三蔵が中国からインドに修行に行った時、
【西域記と申す文〔ふみ〕に載せられたり。】
これを見たと西域記と言う書に記されているのです。
【而るに法華経の末代の行者を心にもをもはず、】
ところが、末代の法華経の行者を、心に悪く思わず、
【色にもそねまず、只たわ〔戯〕ぶれての〔罵〕りて候が、】
顔に出して嫉〔そね〕む事もなく、ただ戯〔たわむ〕れに罵〔ののし〕るだけでも、
【上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、】
上に述べた提婆達多のように三業相応して、一中劫の間、
【仏を罵詈し奉るにすぎて候ととかれて候。】
仏を罵倒〔ばとう〕した罪よりも、はるかに重いと説かれているのです。
【何に況〔いわ〕んや当世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、】
まして今日の人で、提婆達多のように三業相応して大悪心をもって、
【多年が間法華経の行者を罵詈・毀辱〔きにく〕・嫉妬・打擲・】
多年の間、法華経の行者を罵倒〔ばとう〕し、侮辱し、嫉妬し、打ち据え、
【讒死〔ざんし〕・歿死〔ぼっし〕に当てんをや。】
処刑し、病没〔びょうぼつ〕させようとした者の罪は、言うまでもありません。
【問うて云はく、末代の法華経の行者を怨〔あだ〕める者は】
それでは、末代の法華経の行者を怨〔うら〕んだ者は
【何〔いか〕なる地獄に堕つるや。】
どのような地獄に堕ちるのでしょうか。
【答へて云はく、法華経の第二に云はく】
それは、法華経第二巻の譬喩品に
【「経を読誦し書持すること有らん者を見て】
「法華経を読誦し、書写し、受持している者を見て、
【軽賎〔きょうせん〕憎嫉〔ぞうしつ〕して結恨を懐かん。】
軽んじ、賎〔いやし〕み、憎み、妬〔ねた〕んで恨みを懐くならば
【乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん。】
その人は、命終して、阿鼻地獄に入る。
【一劫を具足して劫尽〔つ〕きなば復〔また〕死し展転して】
一劫の間、苦しんで、劫が尽きなば、また死して繰り返し
【無数劫〔むしゅこう〕に至らん」等云云。】
無数劫に至る」と説かれています。
【此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。】
この大地の下、五百由旬を過ぎた所に炎魔王の住む宮殿があります。
【其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、】
その炎魔王宮より下、千五百由旬の間に、
【八大地獄並びに一百三十六の地獄あり。】
八大地獄など136の地獄があるのです。
【其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。】
その中の128の地獄は、罪の軽い者の住処で、八大地獄は、重罪の者の住処です。
【八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。】
八大地獄の中の七大地獄は、十悪の者の住処であり、
【第八の無間〔むけん〕地獄は五逆と不孝と誹謗〔ひぼう〕との三人の住処なり。】
第八の無間地獄は、五逆罪の者と不孝の者と誹謗正法の者の三人の住処なのです。
【今法華経の末代の行者を戯論〔けろん〕にも罵詈〔めり〕誹謗せん人々は】
今、末代の法華経の行者を戯〔たわむ〕れにも、悪口罵詈、誹謗する人々は、
【おつべしと説き給へる文なり。】
無間地獄に堕ちると説き明かされた文章なのです。
【法華経の第四法師品に云はく「人有って仏道を求めて一劫の中に於て乃至】
法華経の第四巻の法師品に「人有って仏道を求め、一劫の間、(中略)
【持経者を歎美せんは其の福復〔また〕彼に過ぎん」等云云。】
法華経を持つ者を賛嘆する事は、その福徳は、彼に優れる」と説かれています。
【妙楽大師云はく「若し悩乱する者は頭〔こうべ〕七分に破〔わ〕れ、】
妙楽大師は「もし法華経を持〔たも〕つ者を悩乱する者は、頭が七分に破〔わ〕れ、
【供養すること有らん者は福十号に過ぐ」等云云。】
供養する者は、その福徳は、十号の仏よりも優れる」と述べられています。