御書研鑚の集い 御書研鑽資料
諫暁八幡抄 第二章 伝教以前は法華の実義なし
【今日本国を案ずるに代始まりて已に久しく成りぬ。】
今、日本国を考えてみるに、代が始まってから、まさに長い時間が経ちました。
【旧〔ふる〕き守護の善神は定めて福も尽き寿も減じ、】
過去の守護の善神は、きっと福運も尽き、寿命も減り、
【威光勢力〔せいりき〕も衰へぬらん。】
威光、勢力も衰えているのでしょう。
【仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに、】
仏法の教えが正しければこそ、守護の善神の威光、勢力も増すのに、
【仏法の味は皆たが〔違〕ひぬ、齢〔よわい〕はた〔長〕けぬ。】
仏法の教えが、すべて間違ったものとなって、善神は、歳を取ってしまいました。
【争〔いか〕でか国の災ひを払ひ、氏子をも守護すべき。】
それで、どうして国の災いをはらい、氏子を守護することができるでしょうか。
【其の上謗法の国にて候を、氏神なればとて】
その上、謗法の国であるのに、国を守護する氏神だからと言って、
【大科をいましめずして守護し候へば、】
大罪を戒〔いまし〕めずに謗法の者を守護したので、
【仏前の起請〔きしょう〕を毀〔こぼ〕つ神なり。しかれども氏子なれば、】
仏前の誓いを破る悪神となったのです。それでも、氏子なので
【愛子の失のやうにす〔捨〕てずして守護し給ひぬる程に、】
愛しい子の過ちのように見捨てずに謗法の者を守護して来たので、
【法華経の行者をあだむ国主・国人等を、対治を加へずして守護する失に依りて、】
法華経の行者を憎む国主や国民などに、罰を与えず守護した罪によって、
【梵釈〔ぼんしゃく〕等のためには八幡等は罰せられ給ひぬるか。】
梵天や帝釈などから八幡大菩薩などは、罰せられたのでしょう。
【此の事は一大事なり。秘すべし秘すべし。】
このことは、一大事であり、ほんとうに秘すべきことなのです。
【有る経の中に、仏此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を】
ある経の中に「仏は、この世界と他の世界の諸天善神を
【集めて、我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を】
すべて集めた。そこで、我が正法、像法、末法の持戒や破戒や無戒などの弟子を、
【第六天の魔王・悪鬼神等が、人王・人民等の身に入りて悩乱せんを、】
第六天の魔王や悪鬼神などが、王や民の身に入って悩まし乱すのを、
【見乍〔なが〕ら聞き乍ら治罰〔じばつ〕せずして】
見聞きしながら、罰せずに、
【須臾〔しゅゆ〕もすごすならば、】
しばらくの間でも放置したならば、
【必ず梵釈等の使ひをして四天王に仰せつけて治罰を加ふべし。】
必ず梵天、帝釈などが来て、四天王に命じて諸天善神に罰を加えよと言った。
【若し氏神治罰を加へずば、梵釈・四天等も守護神に】
もし、氏神が罰を与えないのであれば、諸天善神も氏神である守護神に
【治罰を加ふべし。梵釈又かくのごとし。梵釈等は】
罰を与えよと言われた。梵天、帝釈なども同様であり、梵天、帝釈などは、
【必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし。】
しばらくの間でも放置したならば、必ず、この世界の諸天善神を罰せよ。
【若し然らずんば三世の諸仏の出世に漏れ、】
もし、そうでなければ、梵天、帝釈は、三世の諸仏の世に生まれ出ることはなく、
【永く梵釈等の位を失ひて無間〔むけん〕大城〔だいじょう〕に沈むべしと、】
長い間、梵天、帝釈などの位を失って無間地獄に沈む」と説かれており、
【釈迦・多宝・十方の諸仏の御前にして起請を書き置かれたり。】
釈迦牟尼仏、多宝仏、十方の諸仏の御前で誓いを書き置かれたのです。
【今之を案ずるに、日本小国の王となり神となり給ふは、】
今、このことを考えてみると、八幡が日本と言う小国の王となり、神となったのは、
【小乗には三賢の菩薩、大乗には十信、】
小乗教では、三賢の位の菩薩、大乗教では、十信の位の菩薩、
【法華には名字】
法華経では、摩訶止観の名字即の位であり、
【五品の菩薩なり。】
法華文句第十巻で説かれる滅後の五品の位の菩薩なのです。
【何なる氏神有りて無尽の功徳を修すとも、】
どのような氏神がいて、尽きることのないほどの功徳を行ったとしても、
【法華経の名字を聞かず、一念三千の観法を守護せずんば、】
法華経の名を聞かず、一念三千の観法を守護しなければ、
【退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし。】
退位の菩薩となって、永く無間地獄に沈むのです。
【故に扶桑〔ふそう〕記に云はく】
それ故に扶桑〔ふそう〕略記には、
【「又伝教大師、八幡大菩薩の奉〔おん〕為〔ため〕に、】
「また、伝教大師は、八幡大菩薩の為に、
【神宮寺〔じんぐうじ〕に於て自ら法華経を講ず。】
神宮の中にある寺で、自ら法華経を講じた。
【乃〔すなわ〕ち聞き竟〔お〕はって大神託宣すらく、】
そこで、八幡大菩薩は、聞き終わって、御告げで述べるには、
【我法音〔ほうおん〕を聞かずして久しく歳年を歴る。】
私が正法を聞かなくなって、永く歳月が経っている。
【幸ひ和尚に値遇〔ちぐう〕して正教を聞くことを得たり。】
幸いに伝教大師に会って、久しぶりに正教を聞くことができた。
【兼ねて我が為に種々の功徳を修す。至誠随喜す。】
以前から、私の為に種々の功徳を行じてくれて、心から喜んでいる。
【何ぞ徳を謝するに足らん。】
どのようにしたら、その徳に感謝することができようと考えて、
【兼ねて我が所持の法衣有りと。】
以前から私が所持している法衣〔ほうえ〕があると言って、
【即ち託宣の主、自ら宝殿を開いて手ずから紫の袈裟〔けさ〕一つ・】
八幡大菩薩は、自ら宝殿を開いて、自分の手で紫の袈裟一つと
【紫の衣一つを捧げ、和尚に奉上す。】
紫の衣一つを捧げ、伝教大師に差し上げたのである。
【大悲力の故に幸ひに納受を垂れたまへと。】
そして、大悲の力をもって、納めて頂ければ、幸いであると告げたのを聞いて、
【是の時に禰宜〔ねぎ〕・祝〔はふり〕等各歎異〔たんに〕して云はく、】
この時に、禰宜〔ねぎ〕や神職などは、それぞれに感嘆し、不思議に思って、
【元来是くの如きの奇事を見ず聞かざるかなと。】
今まで、このような珍しい事は、見たことも聞いたこともないと述べた。
【此の大神施したまふ所の法衣、】
この八幡大菩薩の渡した法衣〔ほうえ〕は、
【今山王院〔さんのういん〕に在るなり」云云。】
今、比叡山、延暦寺、東塔の山王院〔さんのういん〕にある」と記されています。
【今謂はく、八幡は人王第十六代応神天皇なり。】
今、思うに、八幡大菩薩は、人王第16代の応神天皇です。
【其の時は仏経無かりし。此に袈裟・衣有るべからず。】
その時代は、仏教の経文がなかったので、ここに袈裟や衣があるはずがありません。
【人王第三十欽明〔きんめい〕の治三十二年に神と顕はれ給ひ、】
人王第30代の欽明天皇の治世32年に神と顕〔あらわ〕れて、
【其れより已来弘仁五年までは】
それ以来、弘仁〔こうにん〕五年までは、
【禰宜・祝等次第に宝殿を守護す。】
禰宜〔ねぎ〕や神職などが、順番に宝殿を守護して来たのです。
【何〔いずれ〕の王の時、此の袈裟を納めけると意〔こころ〕うべし。】
どの王の時に、この袈裟〔けさ〕を納めたと理解したらよいのでしょうか。
【而して禰宜等が云はく、元来見ず聞かず等云云。】
禰宜〔ねぎ〕などは、最初から見た事もなく、聞いた事すらないと言っています。
【此の大菩薩いかにしてか此の袈裟・衣は持ち給ひけるぞ。】
この八幡大菩薩は、どのようにして、この袈裟と衣を持っていたのでしょうか。
【不思議なり不思議なり。】
まことに不思議なことです。
【又欽明より已来弘仁五年に至るまでは王は二十二代、】
また、欽明天皇以来、弘仁〔こうにん〕五年に至るまでは、王は、22代を経て、
【仏法は二百六十余年なり。】
仏法は、二百六十余年が経っています。
【其の間に三論・成実・法相〔ほっそう〕・】
その間に三論〔さんろん〕宗、成実〔じょうじつ〕宗、法相〔ほっそう〕宗、
【倶舎〔くしゃ〕・華厳〔けごん〕・律宗・禅宗等の】
倶舎〔くしゃ〕宗、華厳〔けごん〕宗、律〔りつ〕宗、禅〔ぜん〕宗などの
【六宗七宗日本国に渡りて、】
六宗、七宗が日本に渡って来ており、
【八幡大菩薩の御前にして経を講ずる人々其の数を知らず。】
八幡大菩薩の御前で経を講じた人々は、数知れません。
【又法華経を読誦する人も争でか無からん。】
また、法華経を読誦する人も、どうしていないことがあるでしょうか。
【又八幡大菩薩の御宝殿の傍〔かたわ〕らには神宮寺と号して】
また、八幡大菩薩の御宝殿のそばには、神宮内の寺と言って
【法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前に是あり。】
法華経などの一切経を講ずる堂が、伝教大師以前にあったのです。
【其の時定めて仏法を聴聞〔ちょうもん〕し給ひぬらん。】
そのとき、きっと仏法が講義され、それを聞いたことでしょう。
【何ぞ今始めて、我法音を聞かずして】
それなのに、どうして、今、しばらくは、正法を聞かず、
【久しく年歳を歴る等と託宣し給ふべきや。】
永く歳月が経っているなどと告げたのでしょうか。
【幾〔いくばく〕の人々か法華経一切経を講じ給ひけるに、】
このように多くの人々が法華経や一切経を講じられたのに、
【何ぞ此の御袈裟・衣をば進〔まい〕らさせ給はざりけるやらん。】
どうして、この袈裟と衣を贈〔おく〕られなかったのでしょうか。
【当に知るべし、伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、】
実は、伝教大師以前の人は、法華経の文字は、読んだのですが、
【其の義はいまだ顕はれざりけるか。】
その意義は、未だ顕われていなかったのです。
【去ぬる延暦〔えんりゃく〕廿年十一月の中旬の比〔ころ〕、】
去る延暦〔えんりゃく〕20年11月の中旬ごろ、
【伝教大師、比叡山にして南都七大寺の六宗の】
伝教大師が比叡山で南都七大寺の六宗の
【碩徳〔せきとく〕十余人を奉請〔ぶじょう〕して、法華経を講じ給ひしに、】
高僧十余人を招いて、法華経を講じられたところ、
【弘世〔ひろよ〕・真綱〔まつな〕等の】
平安京の貴族、和気清麻呂の子の弘世〔ひろよ〕と真綱〔まつな〕の兄弟の
【二人の臣下此の法門を聴聞してなげいて云はく「一乗の権滞を慨〔いた〕み】
二人の臣下が、この法門を聞いて嘆いて「法華一乗が権教によって、
【三諦の未顕を悲しむ」と。】
三諦円融の理が未だ顕われずと悲しむ」と言い、
【又云はく「長幼〔じょうよう〕三有〔さんぬ〕の結を摧破〔さいは〕し、】
また「年長者も年少者も、三界の束縛である煩悩を断じながら、
【猶未だ歴劫〔りゃっこう〕の轍〔てつ〕を改めず」等云云。】
いまだ権教で説く歴劫修行の先例を改めていない」などと言っています。
【其の後、延暦廿一年正月十九日に】
その後、延暦〔えんりゃく〕21年の正月19日に
【高雄寺〔たかおでら〕に主上行幸〔ぎょうこう〕ならせ給ひて、】
高雄寺に桓武〔かんむ〕天皇が出かけられて、
【六宗の碩徳と伝教大師とを召し合せられて】
六宗の高僧と伝教大師とを一同に招かれて、
【宗の勝劣を聞〔き〕こし食〔め〕しゝに、】
各宗派の優劣を尋ねられたところ、
【南都十四人皆口を閉ぢて鼻のごとくす。】
南都の14人は、皆、口を閉じて、鼻のようになってしまい、
【後に重ねて怠状を捧げたり。】
後に重ねて、詫び状を献上したのです。
【其の状に云はく「聖徳の弘化より以降今に二百余年の間、】
その詫び状には「聖徳太子が仏教を弘められて以来、今に至る二百余年の間、
【講ずる所の経論其の数多し。彼此理を争ひ其の疑未だ解けず。】
講じられた経論の数は、数多い。互いに法理を争い、未だ、その疑問は、解けず、
【而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚〔せんよう〕せず」等云云。】
しかも、この最も妙なる天台宗は、未だ明らかにならず」などとあります。
【此をもって思ふに、伝教大師已前には】
このことから思うに、伝教大師以前には
【法華経の御心いまだ顕はれざりけるか。】
法華経の御心は、未だ顕われていないと言う事であり、
【八幡大菩薩の不見不聞と御託宣有りけるは指〔さ〕すなり、】
八幡大菩薩が、これまで見た事も聞いた事もないと言ったのは、
【指すなり。白〔あきらか〕り、白なり。】
この事を指している事は、明らかなのです。