日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


諫暁八幡抄 第七章 末法の聖人出現と仏法西遷


【正直に二あり。一には世間の正直、王と申すは】
その正直にも二つあります。第一には、世間の正直です。王の文字には、

【天・人・地の三を串〔つらぬ〕くを王と名づく。】
天、人、地の三つを貫くと言う意味があり、それを王と名付けているのです。

【天・人・地の三は横なり。た〔立〕つてん〔点〕は縦なり。】
天、人、地の三は、横の線で、貫いているのは、縦の線です。

【王と申すは黄帝〔こうてい〕、中央の名なり。】
王とは、史記にある最初の君主、黄帝〔こうてい〕のことで、中央の名前なのです。

【天の主・人の主・地の主を王と申す。隠岐の法皇は】
天の主、人の主、地の主を王というのです。隠岐の法皇は、

【名は国王、身は妄語の人、横人なり。】
名前は、国王でしたが、身は、妄語の人で、邪〔よこしま〕な人でした。

【権の大夫殿は名は臣下、身は大王、】
北条義時殿は、名前は、臣下でしたが、身は、大王であり、

【不妄語の人、八幡大菩薩の願ひ給ふ頂なり。】
不妄語の人であったので、八幡大菩薩が願って住処〔すみか〕としたのです。

【二には出世の正直と申すは爾前七宗等の経論釈は妄語、】
第二には、仏教の正直です。爾前の諸経や七宗などの経論釈は、妄語であり、

【法華経天台宗は正直の経釈なり。】
法華経ならびに天台宗は、正しい経文と正しい解釈なのです。

【本地は不妄語の経の釈迦仏、】
本地は、この不妄語の経を説かれた釈迦牟尼仏で、

【迹には不妄語の八幡大菩薩なり。】
垂迹〔すいじゃく〕は、不妄語の八幡大菩薩であり、

【八葉は八幡、中台は教主釈尊なり。】
八葉の蓮華は、八幡大菩薩であり、中央の台は、教主、釈尊なのです。

【四月八日寅の日に生まれ、八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。】
四月八日に生誕され、八十年を経て、二月十五日に入滅されたことは、

【豈〔あに〕教主の日本国に生まれ給ふに有らずや。】
教主、釈尊が日本に八幡大菩薩と生まれたものではないでしょうか。

【大隅〔おおすみ〕の正八幡宮の石の文に云はく】
大隅〔おおすみ〕の正八幡宮の石碑の文章に

【「昔は霊鷲山に在って妙法華経を説き、】
「昔は、霊鷲山にあって妙法華経を説き、

【今は正宮の中に在って大菩薩と示現す」等云云。法華経に云はく】
今、正宮の中にあって大菩薩と示現す」と記されています。法華経の譬喩品には、

【「今此三界」等云云。】
「今此〔し〕三界、皆是我有、其〔ご〕中衆生、悉是〔しつぜ〕吾子」と説かれ、

【又「常在霊鷲山」等云云。】
また如来寿量品には「常在霊鷲山〔りょうじゅせん〕」などと説かれています。

【遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり。】
それゆえ、遠くは、三千大千世界の一切衆生は、釈迦如来の子であり、

【近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり。】
近くは、日本の49億9万4828人は、八幡大菩薩の子供なのです。

【今日本国の一切衆生は八幡を恃み奉るやうにもてなし、】
今、日本の一切衆生は、八幡大菩薩を頼りにして大事にしていながら、

【釈迦仏をすて奉るは、影をうやま〔敬〕って体をあなづ〔蔑〕る、】
釈迦牟尼仏を捨てているのは、影を敬って、体を侮〔あなど〕り、

【子に向いて親をの〔罵〕るがごとし。】
子供に向かって親を罵〔ののし〕っているのと同じなのです。

【本地は釈迦如来にして、月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給ひ、】
本地は、釈迦如来として、月氏国に出現されて正直捨方便の法華経を説かれ、

【垂迹〔すいじゃく〕は日本国に生まれては】
垂迹〔すじじゃく〕は、八幡大菩薩として日本に生れて、

【正直の頂にすみ給ふ。】
正直な人の頭上に住まわれるのです。

【諸の権化の人々の本地は法華経の一実相なれども、】
多くの実際に現れた仏、菩薩、二乗の本来の姿は、法華経の一実相なのですが、

【垂迹の門は無量なり。】
実際に現れた仏、菩薩、二乗の法門は、無量なのです。

【所謂〔いわゆる〕髪倶羅〔はくら〕尊者は三世に不殺生戒を示し、】
いわゆる髪倶羅〔はくら〕尊者は、三世にわたって不殺生戒を示し、

【鴦掘摩羅〔おうくつまら〕は生々に殺生を示す、】
鴦掘摩羅〔おうくつまら〕は、生々世々に殺生を示しています。

【舎利弗〔しゃりほつ〕は外道となり、是くの如く門々不同なる事は、】
舎利弗〔しゃりほつ〕は、外道となり、このように成仏する道が不同であることは、

【本〔もと〕凡夫にて有りし時の初発〔しょほつ〕得道〔とくどう〕の始を】
もともと凡夫であったとき、初めて悟りを求める心を起こした、その最初を

【成仏の後、化他門に出で給ふ時、】
成仏した後、他の人を説法教化するために、

【我が得道の門を示すなり。】
自分が成仏した道は、このようであったと示す為なのです。

【妙楽大師云はく「若し本に従って説かば、】
妙楽大師は「もし、本来の姿に従って説くならば、

【亦是くの如し。昔殺等の悪の中に於て能く出離す。】
このようであり、過去世に殺生等の悪業によって、よく生死を出離す。

【故に是の故に迹中にも】
それ故に、その過去世によって、現在の場合においても、

【亦殺を以て利他の法門と為す」等云云。】
殺生をもって、利他の法門とするのである」などと述べているのです。

【今の八幡大菩薩は本地は月氏の不妄語の法華経を、】
八幡大菩薩は、本地としては、インドにおいて不妄語の法華経を説かれ、

【迹に日本国にして正直の二字となして】
その実際の姿として、日本において彼の法華経を正直の二文字として

【賢人の頂にやどらむと云云。】
「賢人の頭上に宿らん」と誓われたのです。

【若し爾〔しか〕らば此の大菩薩は宝殿をや〔焼〕きて天にのぼり給ふとも、】
もし、そうであるならば、この大菩薩は、宝殿を焼いて天に昇られても、

【法華経の行者日本国に有るならば】
法華経の行者が日本にいれば、

【其の所に栖み給ふべし。】
その行者のいる場所を住処〔すみか〕とするべきなのです。

【法華経の第五に云はく「諸天、昼夜に常に法の為の故に、】
法華経の第五巻の安楽行品に「諸天は、昼夜に常に法の為の故に、

【而も之を衛護す」文。】
これを衛護す」と説かれています。

【経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば】
この経文のとおりであれば、南無妙法蓮華経と唱える人を、

【大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべしと見えたり。】
大梵天王、帝釈、日月、四天などが、昼夜に、これを守護すべきなのです。

【又第六の巻に云はく「或は己身を説き、】
また第六巻の如来寿量品には「あるいは、己身を説き、

【或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、】
あるいは、他身を説き、あるいは、己身を示し、あるいは、他身を示し、

【或は己事を示し、或は他事を示す」文。】
あるいは、己事を示し、あるいは、他事を示す」とあります。

【観音尚三十三身を現じ、妙音又三十四身を現じ給ふ。】
観音菩薩は、三十三身を現じ、妙音菩薩は、また、三十四身を現じられています。

【教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや。】
教主、釈尊がどうして八幡大菩薩と現じられないことがあるでしょうか。

【天台云はく「即ち是形を十界に垂れて種々の像を作す」等云云。】
天台大師は「すなわち、形を十界に垂れて、種々の像を作す」と述べられています。

【天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。】
天竺を月氏〔がっし〕国と呼ぶのは、仏が出現する国名だからなのです。

【扶桑国〔ふそうこく〕をば日本国と申す、】
扶桑国〔ふそうこく〕を日本と呼びます。

【あに聖人出で給はざらむ。】
どうして聖人が出現しないわけがあるでしょうか。

【月は西より東に向へり、】
月は、西より東へ向かうものですが、

【月氏の仏法、東へ流るべき相なり。】
それは、月氏〔がっし〕国の仏法が、東の方へ流布する姿なのです。

【日は東より出づ、日本の仏法、】
太陽は、東から出ますが、日本の仏法が、

【月氏へかへるべき瑞相〔ずいそう〕なり。】
月氏〔がっし〕国へ還〔かえ〕るという瑞相なのです。

【月は光あきらかならず、在世は但八年なり。】
月は、その光が明らかでなく、それと同じように仏の在世は、ただ八年なのです。

【日は光明月に勝〔まさ〕れり、】
太陽の光明は、月よりも優れています。

【五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり。】
これは、五の五百歳、末法の長き闇〔やみ〕を照らす瑞相なのです。

【仏は法華経謗法の者を治し給はず、】
仏は、法華経を誹謗する者を治〔なお〕されることは、ありませんでした。

【在世には無きゆへに。】
それは、在世には、謗法の者がいなかったからなのです。

【末法には一乗の強敵〔ごうてき〕充満すべし、】
末法には、必ず一乗法華経の強敵が充満するのです。

【不軽菩薩の利益此なり。】
常不軽〔じょうふきょう〕菩薩の利益とは、このことなのです。

【各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。】
このように思い、各自、私の弟子は、ますます頑張ってください。


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