日蓮正宗法華講開信寺支部より

開信寺の講員紹介


第1回 越冬ツバメさん


【インタビュアー】今回は、最初ということで「越冬ツバメ」さんにお話を聞きました。
【越冬ツバメさん】こんにちは。
【インタビュアー】それでは、最初に入信の動機から、お訊ねしたいと思います。
【越冬ツバメさん】実は、私が入信したのは、まだ幼い子供の時でしたのでほとんど記憶は、ありません。両親が創価学会に入ってそのまま日蓮正宗の寺院、立正寺に行き御受戒を受けました。ですから入信の動機というのは、ありません。
【インタビュアー】なるほど。俗にいう学会二世なのですね。
【越冬ツバメさん】そうです。その頃は、創価学会も日蓮正宗の外護団体でしたので当然、大石寺にも登山していました。ですから私自身も小学生で登山して大御本尊に御目通りしています。
【インタビュアー】そうですか。その頃は、正本堂の頃ですか?
【越冬ツバメさん】いいえ、最初は、奉安殿でしたね。それから正本堂が建ってからも行きました。
【インタビュアー】なるほど、つまり創価学会員として登山していた時代ですね。
【越冬ツバメさん】そうです。実は、私が中学、高校の頃は、創価学会も第二代戸田城聖会長の指導が色濃く残っていましたから、教学や折伏も非常に盛んで特に青年部は、厳しく薫陶をされていました。私も当然、その中で指導を受けましたのでそれが今でも人生の大事な基礎となっていますね。
【インタビュアー】しかし、その後、創価学会は、日蓮正宗から離れて行きましたね。
【越冬ツバメさん】その通りです。私が成人する頃には、創価学会は、まったく変わってしまっていましたね。教学と言っても第三代会長の話ばかりで折伏も友好活動という名の選挙目当ての集票活動になってしまいました。
【インタビュアー】それでも創価学会を辞めなかったのは、なぜですか。
【越冬ツバメさん】まず、両親や親せきが創価学会員であって座談会などに参加して地域の創価学会員とも親しくなります。また結婚した妻も家族全員が創価学会員でしたから、そういうことから、辞めようという意志はありませんでした。
【インタビュアー】その創価学会から日蓮正宗に来られた理由はなんでしょうか?
【越冬ツバメさん】それは、創価学会が聖教新聞紙上で総本山大石寺に御安置の本門戒壇の御本尊を受持の対象にしないと言い出したからです。これには、ほんとうにびっくりしてしまいました。まさか、ここまで創価学会が狂ってしまっていたとは、まったく思っていませんでしたから。それですぐに日蓮正宗の開信寺の御住職をお訪ねしました。
【インタビュアー】それでどうでしたか?
【越冬ツバメさん】はい、御住職は、非常に丁寧に対応してくださり、再入信の為には、勧誡が必要だと教えて頂きました。
【インタビュアー】そのときの御家族の方の反応は、どうでしたでしょうか?
【越冬ツバメさん】もちろん、妻や両親、親戚にこの話をしました。その結果、妻を始め多くの家族が理解してくれ開信寺で一緒に勧誡して頂くことができました。
【インタビュアー】それからの生活に、なにか変化がありましたか?
【越冬ツバメさん】ほんとに変わりました。妻の母も高齢では、ありますが、見違えるほど元気になり総本山に何度も登山させて頂きました。私自身も創価学会にいた時は、いろいろな意味でやはり相当おかしかったと思いますね。それがほんとうに変わりました。これも開信寺の御住職、そして講員の皆さんのおかげだと感謝しております。
【インタビュアー】それは、良かったですね。本日は、たいへん、ありがとう御座いました。

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