日蓮正宗法華講開信寺支部より

開信寺の講員紹介


第6回 ラッキーさん


【インタビュアー】本日は、お忙しいところ、御邪魔して申し訳ありません。
【ラッキーさん】遠いところ、よく来てくださいました。
【インタビュアー】ところでラッキーさんの入信動機というのは、どういうものだったのでしょうか。
【ラッキーさん】入信動機と言っても、とくにはありませんが、祖父の代から法華講であったようです。しかし、日蓮正宗の御本尊様を念仏の阿弥陀如来や真言の大日如来と一緒に安置していましたから、とても信心があったとは、言えませんね。
【インタビュアー】それは、大変ですね。それは、謗法ですものねえ。
【ラッキーさん】そうです。念仏に真言ですからねえ。日蓮正宗のお寺にその御本尊様を持って行ったら、大変、怒られまして取り上げられてしまいました。
【インタビュアー】そうですか。それは、残念でしたねえ。
【ラッキーさん】それから、私は、開信寺の講員、第一号でもあるんですよ。他の人は、みんな学会員でしたからね。
【インタビュアー】そうですか。講員、第一号と云うのも、すごい事ですよね。
【ラッキーさん】とにかく、そういう事で、ほんとに山あり谷あり、上がったり、下がったりの人生でしたね。
【インタビュアー】そうですか。それを、どう乗り越えられて来たんですか。
【ラッキーさん】時には、10時間の題目を唱えて来ました。3時間ずつに区切って最後に1時間で10時間ですね。
【インタビュアー】それで何か変わりましたか?
【ラッキーさん】変わった時もあるし、変わらなかった時もありました。でも、どんな悩みでも、どんな大問題でも、題目を唱えた後は、ちっぽけなことに思えましたね。
【インタビュアー】そうですか。それが10時間の題目の成果なんですねえ。久留米の霑妙寺にも縁が御有りだそうですね。
【ラッキーさん】そうです。久留米の霑妙寺は、二人の猊下を出されている名刹です。59世、日亨上人と62世、日恭上人ですね。
【インタビュアー】そう言えば創価学会版の御書の監修をされているのが日亨上人ですね。霑妙寺にも書庫と五輪が有りますよね。
【ラッキーさん】はい、そうです。日亨猊下は、霑妙寺の妙寿(日成貴)尼の得度ですね。
【インタビュアー】そう言えば、日如上人猊下が霑妙寺に来られて妙寿日成貴尼、第百回遠忌、及び、九州開教百五十年記念の法要をされましたね。
【ラッキーさん】はい、妙寿尼は、大石寺批判を繰り返していた師匠の臨終のあまりにひどい姿を見て、大石寺の日霑上人にお詫びし、許されました。そして長年にわたり大石寺を誹謗した事を悔い改め、九州の異流義信徒のすべてを破折し、救う事を決意され、単身で久留米に入られて霑妙寺を建立されたのです。
【インタビュアー】それが久留米の霑妙寺なのですね。
【ラッキーさん】そうです。さらに妙寿尼は、九州北部の十一ヵ寺の礎を作られました。それが妙寿尼が「九州開導の師」と言われる所以です。
【インタビュアー】そうですか。本日は、大変、貴重な御話を御伺い出来ました。ほんとに有難う御座いました。
【ラッキーさん】いいえ、また、いつでも来て下さい。

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