日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


如説修行抄 5 如説修行の相


第四章 如説修行の相

【問うて云はく、如説修行の行者と申し候は】
それでは、如説修行の行者と云うのは、

【何様〔いかよう〕に信ずるを申し候べきや。】
どのように信ずる人を言うのでしょうか。

【答へて云はく、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、】
それは、今の世の日本国の人々がみんな、如説修行の人と言っているのは、

【諸乗一仏乗と開会しぬれば、】
「爾前に説かれた権教も、すべて究極では、一仏乗を説いているのであって、

【何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし。】
どの法でも、すべて法華経と同じであって、それにもはや勝劣や浅深はないのです。

【念仏を申すも、真言を持つも、禅を修行するも、】
したがって、念仏を称えるのも、真言を持〔たも〕つことも、禅を修行するのも、

【総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名〔みな〕を持ちて唱ふるも、】
総じて一切の諸経、ならびに仏菩薩の名号を持〔たも〕って唱えることも、

【皆法華経なりと信ずるが】
すべて、法華経を持〔たも〕つことになるのだ」と信ずることが

【如説修行の人とは云はれ候なり等云云。】
如説修行の人であると言っているのです。

【予が云はく、然らず。】
しかし、私〔わたくし〕は、それをまったく間違っていると思います。

【所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、】
所詮〔しょせん〕、仏法を修行する時は、人の言葉を信じるべきではないのです。

【只仰いで仏の金言をまぼ〔守〕るべきなり。】
ただ、仰いで仏の言葉だけを信じるべきなのです。

【我等が本師釈迦如来、初成道の始めより】
我々が根本の師と仰ぐ釈迦如来は、初めて成道した時から

【法華を説かんと思〔おぼ〕し食〔め〕ししかども、】
衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられましたが、

【衆生の機根未熟なりしかば、】
衆生の理解が、まだそこまで及ばなかったので、

【先づ権教たる方便を四十余年が間説きて、】
まず権〔かり〕の教えである方便の経を四十余年間、説法して、

【後に真実たる法華経を説かせ給ひしなり。】
それから後に、真実である法華経を説かれたのです。

【此の経の序分無量義経にして、権実二教のはうじ〔榜示〕を指して】
だから、この法華経の序文である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、

【方便と真実を分け給へり。所謂】
法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのです。いわゆる無量義経の

【「以方便力、四十余年、未顕真実」是なり。】
「方便力をもって四十余年未だ真実を顕わさず」と云うのが、これなのです。

【大荘厳等の八万の大士、】
これで、無量義経にあるように、大荘厳などの八万の菩薩たちが、

【施権・】
釈尊が法華経を説く準備として権教を説き(為実施権)、

【開権・】
権教を開いて実経を顕わし(開権顕実)、

【廃権等のいはれを得意〔こころえ〕分け給ひて、】
そして、権教を廃し、実経を立てた(廃権立実)ことの由来を知って

【領解〔りょうげ〕して言はく、法華已前の歴劫修行等の諸経をば】
領解の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行の諸経では、

【「終不得成、無上菩提」と申しきり給ひぬ。】
終〔つい〕に無上菩提を成ずることができなかった」と断言されたのです。

【然して後、正宗の法華に至って】
その後〔のち〕に、正宗分である法華経方便品に至って

【「世尊法久後、要当説真実」と】
「世尊は、法、久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と

【説き給ひしを始めとして】
説いたのをはじめ、

【「無二亦無三、除仏方便説」「正直捨方便」】
「二無く亦〔また〕三無し、仏の方便の説をば除く」、「正直に方便を捨て」、

【「乃至不受余経一偈」といまし〔禁〕め給へり。】
譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒められたのです。

【是より已後は】
このように、仏が定められた後は、

【「唯有一仏乗」の妙法のみ一切衆生を仏に成す大法にて、】
「唯有一仏乗」の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、

【法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきを、】
法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、

【末代の学者、何れも如来の説教なれば】
末法の現在の学者たちは、どの経文でも仏の説経なのだから、

【皆得道あるべしと思ひて、】
すべて成仏できるのだと思って、

【或は真言、或は念仏、或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の】
あるいは真言、あるいは念仏、あるいは禅宗、三論、法相、俱舎、成実、律等の

【諸宗諸経を取り取りに信ずるなり。是くの如き人をば】
諸宗、諸経を勝手に信仰しているのです。このような人をば、譬喩品で

【「若人不信毀謗〔きぼう〕此経、即断一切世間仏種、】
「もし人は信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。

【乃至其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。】
ないし、その人は命終して阿鼻獄に入らん」と決められているのです。

【此等の明鏡を本として一分もたがえず、】
このように説かれた経文の明鏡を根本として、仏説と少しもたがうことなく、

【唯有一乗法と信ずるを】
一乗の法以外に成仏する道はないと確信して進むのが、

【如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。】
如説修行の行者であると、仏は、定められているのです。

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