御書研鑚の集い 御書研鑽資料
如説修行抄 8 誡勧
第七章 誡勧
【哀れなるかな、今日本国の万人、】
哀〔あわ〕れなことに今、日本国のあらゆる人々が、
【日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められて】
日蓮と弟子、檀那が三類の強敵に責められて、
【大苦に値ふを見て悦び咲〔わら〕ふとも、】
大苦にあっている有様を見て、悦んで嘲笑していても、
【昨日は人の上、今日は身の上なれば、】
昨日は、人の上、今日は、我が身の上とは、世の常の習いなのです。
【日蓮並びに弟子檀那共に】
いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、
【霜露の命の日影を待つ計〔ばか〕りぞかし。】
霜や露が朝日によって、すぐに消えてしまうようなものなのです。
【只今仏果に叶ひて寂光の本土に居住して自受法楽せむ時、】
そして、ついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、
【汝等が阿鼻大城の底に沈み大苦に値はん時、】
今まで笑ってきた謗法の者たちが、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのです。
【我等何〔いか〕計〔ばか〕りむざん〔無慚〕と思はんずらん。】
そのとき我々は、その姿をどんなに無残に思うことでしょう。
【汝等何計りうらやましく思はんずらん。】
また、彼らは、我々をどんなに、うらやましく思うことでしょうか。
【一期過ぎなむ事は程〔ほど〕無ければ、】
一生は、束〔つか〕の間に過ぎ去ってしまうのです。
【いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、】
いかに三類の強敵が重なろうとも決して退転することなく、
【恐るゝ心なかれ。】
恐れる心をもつようなことがあってはならないのです。
【縦〔たと〕ひ頸をばのこぎり〔鋸〕にて引き切り、】
迫害を受けて、たとえ頸〔くび〕をノコギリで引き切られようとも、
【どう〔胴〕をばひしほこ〔菱鉾〕を以てつゝき、】
胴体を鉾〔ほこ〕で突き刺され、
【足にはほだし〔絆〕を打ってきり〔錐〕を以てもむとも、】
足を動かないようにして、そのうえに錐〔きり〕で揉〔も〕まれたとしても、
【命のかよ〔通〕はんきは〔際〕ゝ】
命が続く限りは、
【南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にゝしぬるならば、】
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えに唱えて、死んでいくならば、
【釈迦・多宝・十方の諸仏、霊山会上にして御契〔ちぎ〕りの約束なれば、】
釈迦、多宝、十方の諸仏が霊山会〔りょうざんえ〕で約束されたように、
【須臾〔しゅゆ〕の程に飛び来たりて】
ただちに飛んで来て、
【手を取りてかた〔肩〕に引き懸けて霊山へはし〔走〕り給はゞ、】
手を取って、肩にかけ、霊山にすぐに連れて行って下さるのであり、
【二聖・二天・】
薬王菩薩と勇勢菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、
【十羅刹女・受持者をうご〔擁護〕の諸天善神は、】
十羅刹女が死の直前まで大難と戦った者を擁護し、
【天蓋を指し幡を上げて】
諸天善神は、天蓋をさし、旗をかかげて、
【我等を守護して慥〔たし〕かに寂光の宝刹〔ほうせつ〕へ送り給ふべきなり。】
我々を守護して、たしかに常寂光の仏国土に送りとどけて下さるのです。
【あらうれしや、あらうれしや。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。】
なんと嬉しいことではないでしょうか。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
【文永十年(癸酉)五月 日 日蓮花押】
文永十年(癸酉)五月 日 日蓮花押
【此の書御身〔おんみ〕を離さず常に御覧有るべく候】
この御書を常に身辺から離さずに御覧になってください。