日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


如説修行抄 7 如説修行の人


第六章 如説修行の人

【されば末法今の時、】
そうであるならば、末法である現在、

【法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。】
法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文どおりに実践しているのでしょうか。

【誰人にても坐〔おわ〕せ、諸経は無得道堕地獄の根源、】
誰でも良いので「諸経は、無得道であり、堕地獄の根本原因であり、

【法華経独り成仏の法なりと】
ただ法華経だけが成仏の教えである」と

【音〔こえ〕も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。】
声を大にして主張し、諸宗の人々にその教義を折伏してみなさい。

【三類の強敵〔ごうてき〕来たらん事は疑ひ無し。】
三類の強敵が、間違いなく競い起こってくるのです。

【本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、】
我々の本師である釈迦如来は、法華経を説いた在世八年の間、折伏をされ、

【天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年。】
天台大師は、三十余年、伝教大師は、二十余年の間、折伏されました。

【今日蓮は二十余年の間権理を破るに】
今また日蓮は、二十余年の間、権教の邪義を折破してきたのです。

【其の間の大難数を知らず。】
その間に受けた大難は、数を知らず。

【仏の九横の大難に及ぶか及ばざるかは知らず、】
これは、釈尊の九横の大難におよぶかおよばないかは論じられませんが、

【恐らくは天台・伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。】
像法時代の天台や伝教でさえも、日蓮ほどの大難には、あっていないのです。

【彼は只悪口〔あっく〕怨嫉〔おんしつ〕計〔ばか〕りなり。】
ただ悪口を言われたり、怨嫉されたりしただけなのです。

【是は両度の御勘気、遠国の流罪、】
日蓮は、二度、幕府の御勘気を受け、遠国に流罪され、

【竜口の頸の座、頭〔こうべ〕の疵〔きず〕等、】
竜の口の法難では、首の座にすえられ、小松原では、頭に刀傷を受けたのです。

【其の外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、】
その他、悪口を言われ、弟子を流罪にされ、

【籠に入れられ、檀那の所領を取られ、】
牢に入れられ、また日蓮門下の人々は、その所領をとりあげられて、

【御内を出だされし。】
領内から追放されたりしたのです。

【是等の大難には竜樹・天台・伝教も争〔いか〕でか及び給ふべき。】
こうした大難は、竜樹、天台、伝教の難といえども及ぶことがあるでしょうか。

【されば如説修行の法華経の行者には】
したがって、如説修行の法華経の行者には、

【三類の強敵の杖〔つえ〕定んで有るべしと知り給へ。】
三類の強敵が必ず競い起こると知って、覚悟を決めることです。

【されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、】
釈尊の滅後から二千年の間に、

【如説修行の行人は釈尊・天台・伝教の三人はさてを〔置〕きぬ。】
如説修行の行者は、釈尊、天台、伝教の三人はさておき、

【末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり。】
末法に入ってからは、日蓮とその門下の弟子檀那等以外には、いないのです。

【我等を如説修行の者といはずば、】
この我々を如説修行の者と言わなければ、

【釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。】
釈尊、天台、伝教などの三人も如説修行の行者ではなくなってしまうのです。

【提婆・瞿伽利〔くがり〕・善星〔ぜんしょう〕・弘法・慈覚・】
反対に、謗法の提婆達多、提婆達多の弟子の瞿伽利、善星、弘法、慈覚、

【智証・善導・法然・良観房等は即ち法華経の行者と云はれ候べきか、】
智証、善導、法然、良観房などが法華経の行者と言われ、

【釈迦如来・天台・伝教・日蓮並びに弟子檀那は】
釈尊、天台、伝教、日蓮とその弟子檀那などは、

【念仏・真言・禅・律等の行者なるべきか。】
逆に、念仏、真言、禅、律などの行者と言うことになってしまうのです。

【法華経は方便権教と云はれ、】
そして、法華経が方便権教の教えであり、

【念仏等の諸経は還って法華経となるべきか。】
念仏などの多くの経々が、かえって成仏の教えである法華経となるのです。

【東は西となり、西は東となるとも、】
こうしたことは、たとえ東と西が逆になることがあっても、

【大地所持の草木共に飛び上りて天となり、】
大地がその上の草木と共に、飛び上がって天となり、

【天の日月星宿〔せいしゅく〕は共に落ち下りて】
天空の太陽や月や星々がすべて落ちて

【大地となるためしはありと云ふとも、いかでか此の理あるべき。】
地面となるなどのことがあったとしても、絶対にあるはずがないのです。

ページのトップへ戻る