日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


曾谷入道殿許御書 01 背景と大意

曾谷入道殿許〔もと〕御書 背景と大意

本抄は、文永12年(西暦1275年)3月10日、日蓮大聖人が54歳の時に身延で著わされ、下総〔しもふさ〕の曾谷〔そや〕教信〔きょうしん〕と大田乗明〔じょうみょう〕の二人に与えられた御書です。
御真筆は、中山法華経寺に現存しています。
別に大田禅門許御書、五綱抄、大田抄、曾谷抄などとも呼ばれています。
曾谷教信と大田乗明は、ともに下総国〔しもふさのくに〕葛飾〔かつしか〕郡八幡荘中山郷(千葉県市川市)に住み、同じく千葉氏に仕える同輩の富木常忍の折伏によって入信し、大聖人門下となったものと思われます。
入信後も、この三人が一緒に行動し、大聖人の外護に努め、房総方面の信徒の中心的存在でした。本抄を二人の連名で頂いている事でも、その密接な関係が、よく現れています。 また、本抄が漢文体で記述されているのは、二人に相当な学識があったからなのでしょう。
本抄の冒頭に「夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば重病を療治〔りょうじ〕するには良薬〔ろうやく〕を構索〔こうさく〕し、逆〔ぎゃく〕・謗〔ぼう〕を救助〔くじょ〕するには要法〔ようぼう〕には如かず」(御書777頁)とあり、重病の者を治療する為には、大良薬〔ろうやく〕を探し求めなければならないとされ、末法の五逆罪や正法誹謗の極悪の者を救って成仏させる為には、究極の要〔かなめ〕となる法門の要法でなければならないと本抄の全体を貫く主題、意義を示されています。
さらに、まず「時を論ずれば正・像・末、教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、国を論ずれば中辺の両国、機を論ずれば已逆〔いぎゃく〕と未逆〔みぎゃく〕と、已謗〔いぼう〕と未謗〔みぼう〕と」(御書777頁)と最初に述べられ、教、機、時、国、教法流布の先後の宗教の五網によって弘めるべき法が違うことを明かされ、その要法の実体については「法華経の中にも広を捨てゝ略を取り、略を捨てゝ要を取る。所謂〔いわゆる〕妙法蓮華経の五字、名〔みょう〕体〔たい〕宗〔しゅう〕用〔ゆう〕教〔きょう〕の五重玄〔ごじゅうげん〕なり」(御書783頁)と御教示されています。
このように本抄の初めに「時を論ずれは、正・像・末」と述べられ、時に適った要法を知る為には、まず仏法上の時である正法、像法、末法の時代の違いを知らなければ、ならないと述べられています。
高橋入道殿御返事に「末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂〔いわゆる〕病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提〔えんぶだい〕の一切衆生にさづくべし」(御書887頁)とあり、さらに撰時抄の冒頭にも「夫〔それ〕仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(御書834頁)とあり、さらに撰時抄では、釈迦、滅後、五百年を解脱堅固、次の五百年を禅定堅固、次の五百年を読誦多聞堅固、次の五百年を多造塔寺堅固、そして仏滅後二千年の次の五百年には、闘諍言訟して白法隠没とあり、この白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法が一閻浮提の内、広宣流布する(御書836頁の主意)と断言されています。
このように仏滅後二千年の末法においては、釈尊の白法は、ことごとく隠没して、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経が広宣流布する時なのです。
また、教においては、教機時国抄には「教とは、釈迦如来所説の一切の経律論(中略)此の一切の経律論の中に小乗・大乗・権経・実経・顕経・密経あり」(御書269頁)と述べられ、顕謗法抄には、「教とは、如来一代五十年の説教は大小・権実〔ごんじつ〕・顕密〔けんみつ〕の差別あり」(御書285頁)とあり、また日寛上人は、依義判文抄に「教を知るとは、即ち一代諸経の浅深勝劣を知るなり」と御示しになっています。
つまり、諸経に説かれる教えの浅深勝劣を定める基準が、小乗と大乗、偏教と円教、権教と実教、顕教と密教などの違いなのです。
小乗と大乗の「乗」とは、仏の教法が衆生を乗せて悟りに至らせることを乗り物に譬えたもので、小乗とは、小さな乗り物、大乗とは、大きな乗り物の事です。
小乗教とは、声聞、縁覚が自らの得道の為に戒律を教え、歴劫修行を行じて煩悩を断じ尽くし、灰身滅智し無余涅槃に入る事を教えた阿含部の教えを言います。
大乗教とは、数多くの衆生の大苦を滅して大利益を得させる為の教えで、成仏の為に利他の菩薩道を説いた華厳、方等、般若、法華等の経文を言います。
しかしながら、小乗大乗分別抄には「倶舎〔くしゃ〕宗・成実〔じょうじつ〕宗・律宗を小乗と云ふのみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として、唯天台宗一宗計り実大乗宗なるべし。彼々の大乗宗の所依〔しょえ〕の経々には絶えて二乗作仏・久遠実成の最大の法をとかせ給はず」(御書704頁)とあり、さらに、観心本尊抄には「一品二半よりの外は小乗教・邪教〔じゃきょう〕・未得道教〔みとくどうきょう〕・覆相教〔ふそうきょう〕と名づく」(御書655頁)と述べられ、法華経の湧出品の後半、如来寿量品、分別功徳品の前半の一品二半以外は、すべて小乗教であり、邪教であり、未得道の教であり、さらに同じ観心本尊抄に「彼は一品二半、此は但題目の五字なり」(御書656頁)とあるように、この一品二半とは、末法に於いては、釈迦牟尼仏が法華経で説いた一品二半の事ではなく、ただ、日蓮大聖人が唱えられる題目の事であると結論を述べられています。さらに日蓮大聖人が御入滅された現在に於いては、その題目とは、弘安二年に日蓮大聖人が御図顕〔ごずげん〕された本門戒壇の御本尊のことなのです。
また、偏教と円教の偏とは、偏頗〔へんぱ〕な教えの事であり、法華経が欠けるところのない円に対して権教を方便の教えとして偏と言うのです。
蒙古使御書に「外典の外道、内典の小乗、権大乗等は皆己心の法を片端〔かたはし〕片端説きて候なり。然りといへども法華経の如く説かず。然れば経々に勝劣あり」(御書910頁)と述べられているように、爾前、権教は、己心の法の部分に過ぎず、偏であり、法華経は、己心の法、全体を説いたものなので円と言うのです。また権実の権とは、仮の意で方便を顕わし、実は、真実義の意味で、人々の理解力に合わせて方便として説かれた教文を権教と言い、究極普変の真実を明かした一仏乗の理を示した法華経を実教と言います。
さらに顕密とは、顕教と密教の事で、真言宗は、釈尊を教主とする法華経を顕教であるとし、大日如来を教主とする金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅の両部の法門を密教であるとしていますが、本抄において日蓮大聖人は、「天台の釈を見聞して、智発〔ほっ〕して釈を作って大日経と法華経とを一経と為〔な〕し、其の上、印・真言を加へて密教と号し之に勝るの由をいひ、結句は権経を以て実経を下〔くだ〕す」(御書781頁)と述べられ、もともと、印、真言は、天台の注釈にあったものを、インドから中国に伝えた者が大日経に書き加え、密教などと言って、権教である大日経が実教である法華経より優れているように見せかけたのであると御教示されています。
真言見聞の中で「此等の経・論・釈は、分明〔ふんみょう〕に法華経を諸仏は最第一と説き、秘密教と定め給へるを、経論に文証も無き妄語を吐き、法華を顕教と名づけて之を下し之を謗〔ぼう〕ず」(御書612頁)と破折され、法華経法師品に「薬王、此の経は是諸仏秘要の蔵〔ぞう〕なり」(御書611頁)、法華経安楽行品に「文殊師利〔もんじゅしり〕、此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり」(御書611頁)法華経如来寿量品に云く「如来秘密神通之力」(御書611頁)、法華経如来神力品に云く「如来一切秘要之蔵」(御書611頁)とあり、開目抄に「此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり」(御書548頁)と仰せの通り、十界互具の南無妙法蓮華経である本門戒壇の大御本尊こそ一切衆生の成仏の直道を示した真の密教なのです。
次に国を論ずれば中辺の両国と述べられ、中辺の両国とは、中心の国と辺境の国の意味で、古来、仏教においては、インドが発祥の地であるから、これを中心の国と言い、日本は、最も遠い辺境になるのです。
そして顕仏未来記に「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法も又以て是くの如し。正像には西より東に向かひ末法には東より西に往く」(御書677頁)とあるように末法では、東の端の日本において日蓮大聖人の三大秘法が建立され、世界に広宣流布していくのです。したがって、依義判文抄には「国を知るとは、通じて之を論ずれば法華有縁の国なり、別して之を論ずれば本門の三大秘法・広宣流布の根本の妙国なり(中略)此の如く知るを則ち之れ国を知ると謂うなり」と述べられています。
機においては、本抄に於いて、末法の衆生は、貧、瞋、癡の三毒が強盛であり、五逆罪を犯し、正法を聞いても、まったく信じない誹謗の逆縁の衆生であり、このような重病の者を救うには、釈尊の月の光のような仏法ではなく、日蓮大聖人が建立され、弘通されるところの太陽の光のような三大秘法こそ、この逆縁の衆生を救って一切衆生を成仏させる功力が具わっているのです。
そのことを、法華取要抄には「答へて曰く、末法に於ては大小・権実・顕密、共に教のみ有って得道無し。一閻浮提皆謗法と為〔な〕り了〔おわ〕んぬ。逆縁の為には但〔ただ〕妙法蓮華経の五字に限る」(御書736頁)と御教示されています。
そして本抄には「予、倩〔つらつら〕事の情〔こころ〕を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍〔じ〕して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねて之を記〔き〕したまふ故に粗〔ほぼ〕之を喩〔さと〕すか。而るに予、地涌の一分には非ざれども、兼ねて此の事を知る」(御書790頁)「今此の亀鏡〔ききょう〕を以て日本国を浮かべ見るに、必ず法華経の大行者有らんか」(御書791頁)と述べられて、自らが、末法の御本仏である法華経の大行者、上行菩薩の再誕であることを明かされた上で、令法久住(法をして久しく住せしめん)の為に大聖人が度重なる大難の為に消失した経文、仏典の為に曾谷教信と大田乗明の両名に領内にある聖教を集めて身延山に送るよう依頼されて本抄を終わられています。


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