御書研鑚の集い 御書研鑽資料
曾谷入道殿許御書 07 第6章 後五百歳中に広宣流布
第6章 後五百歳中に広宣流布
【夫〔それ〕、斉〔せい〕の始めより梁〔りょう〕の末に至るまで二百余年の間、】
中国の斉の初めから梁の終わりまでの二百余年の間、
【南北の碩徳〔せきとく〕・光宅〔こうたく〕・智誕〔ちたん〕等の二百余人、】
南三北七の高徳の僧である光宅寺法雲、智誕〔ちたん〕などの二百余人は、
【涅槃経の「我等を悉く邪見の人と名づく」の文を引いて、】
涅槃経の「我等を悉〔ことご〕く邪見の人と名づく」の文章を引いて、
【法華経を以て邪見の経と定め、】
法華経を「邪見の経」と定め、
【一国の僧尼〔そうに〕並びに王臣等を迷惑せしむ。】
一国の僧侶、尼僧、王臣などを迷わせていました。
【陳〔ちん〕・隋〔ずい〕の比〔ころ〕、智者大師、之を糺明せし時、】
陳、隋の時代に天台智者大師が、この事を明確にされた時、
【始めて南北の僻見〔びゃっけん〕を破り了んぬ。】
初めて、この南三北七の僻見〔びゃっけん〕を破ったのです。
【唐の始め太宗〔たいそう〕の御〔ぎょ〕宇〔う〕に、基法師〔きほっし〕、】
唐の初めには、太宗〔たいそう〕皇帝の治世に慈恩大師基〔き〕が、
【勝鬘〔しょうまん〕経の「若し如来、彼の所欲に随って】
勝鬘〔しょうまん〕経の「もし、如来、彼の所欲に随って
【方便して説くに即ち是大乗にして二乗有ること無し」の文を引いて、】
方便して説くに、即ち、これ大乗にして二乗有ること無し」の文章を引いて、
【一乗方便・三乗真実の義を立つ。此の邪義震旦に流布するのみに非ず。】
一乗方便、三乗真実の義を立てました。この邪義は、中国に流布しただけでなく、
【日本の得一〔とくいち〕、称徳〔しょうとく〕天皇の御時】
日本の得一〔とくいち〕が称徳〔しょうとく〕天皇の時代に
【盛んに非義を談ず。爰〔ここ〕に伝教〔でんぎょう〕大師、】
盛んに、この邪義を弘めました。これを伝教大師が、
【悉〔ことごと〕く彼の邪見を破し了んぬ。】
ことごとく破折されたのです。
【後鳥羽院〔ごとばいん〕の御代に、源空〔げんくう〕法然〔ほうねん〕、】
後鳥羽院〔ごとばいん〕の時代には、源空〔げんくう〕法然〔ほうねん〕が、
【観無量寿〔かんむりょうじゅ〕経の「読誦〔どくじゅ〕大乗〔だいじょう〕」の】
観無量寿〔かんむりょうじゅ〕経の「読誦大乗」の
【一句を以て法華経を摂入〔しょうにゅう〕し、】
一句にわざと法華経を入れて「選択本願念仏集」で
【還って称名〔しょうみょう〕念仏に対すれば雑行〔ぞうぎょう〕方便なれば】
法華経について「還って称名念仏に対すれば、雑行〔ぞうぎょう〕方便なれば
【捨閉閣抛〔しゃへいかくほう〕せよ等云云。】
捨てよ、閉じよ、閣〔さしお〕け、抛〔なげう〕て」などと言ったのです。
【然りと雖も、五十余年の間、南都〔なんと〕・北京〔ほっきょう〕・】
ところが、五十余年の間、奈良、京都、
【五畿〔ごき〕・七道〔しちどう〕の諸寺・諸山の衆僧等、】
五畿七道の諸寺、諸山の僧などは、
【此の悪義を破〔やぶ〕ること能〔あた〕はざりき。】
この悪義を破折する事ができなかったのです。
【予が難破〔なんぱ〕分明〔ふんみょう〕たるの間、一国の諸人、】
今、日蓮が破折して、その間違いを明らかにしたので、日本国の人々は、
【忽〔たちま〕ちに彼の選択集〔せんちゃくしゅう〕を捨て了んぬ。】
たちまちに、この法然の「選択本願念仏集」を捨ててしまったのです。
【「根露〔あらわ〕るれば枝枯〔か〕れ、源乾〔かわ〕けば流れ竭〔つ〕く」とは】
「根、現れぬれば、枝枯れ、源、渇けば、流れ尽〔つ〕きる」とは、
【蓋〔けだ〕し此の謂〔いい〕なるか。】
あるいは、この事を言うのでしょうか。
【加之〔しかのみならず〕、唐の半〔なか〕ば、玄宗皇帝の御代に、】
そのうえ、唐の中頃、玄宗皇帝の時代に、
【善無畏・不空等、大日経の住心品〔じゅうしんぼん〕の】
善無畏〔ぜんむい〕三蔵、不空三蔵などが大日経の住心品〔じゅうしんぼん〕の
【「如実〔にょじつ〕一道心〔いちどうしん〕」の一句に於て法華経を摂入し、】
「如実一道心」の一句にわざと法華経を取り入れて、
【返って権経と下す。】
かえって権経と下したのです。
【日本の弘法〔こうぼう〕大師は六波羅蜜経の五蔵の中に、】
日本の弘法大師は、六波羅蜜経に説かれている五蔵の中の
【第四の熟蘇〔じゅくそ〕味の般若〔はんにゃ〕波羅蜜蔵〔はらみつぞう〕に於て】
第四の熟蘇味にあたる般若波羅蜜蔵に
【法華経・涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼〔だらに〕蔵に相対して争って】
わざと法華経と涅槃経などを入れ込み、第五の陀羅尼蔵に比べて、
【醍醐〔だいご〕を盗む等云云。此等の禍咎〔かぐ〕は】
醍醐を盗むなどと言ったのです。これらの過誤〔かご〕は、
【日本一州の内四百余年、今に未だ之を糺明せし人あらず。】
日本一国において、四百余年の間、今に至るまで糾弾した人は、いないのです。
【予が所存の難勢、遍〔あまね〕く一国に満つ。】
日蓮が、このように道理をもって追いつめている事が広く日本に広まり、満ちて
【必ず彼の邪義は破られんか。此等は且〔しばら〕く之を止む。】
必ずや、弘法の邪義が破られる事でしょう。これらの事は、しばらく置きます。
【迦葉〔かしょう〕・阿難〔あなん〕等、竜樹〔りゅうじゅ〕・】
迦葉尊者、阿難尊者など、竜樹菩薩、
【天親〔てんじん〕等、天台〔てんだい〕・伝教等の諸大聖人、知って】
天親菩薩など、天台大師、伝教大師などの偉大な聖人が、知って
【而も未だ弘宣〔ぐせん〕せざる所の肝要の秘法は】
未だ弘めなかった肝要の秘法は、
【法華経の文に赫々〔かくかく〕たり。論釈等に載せざること明々たり。】
法華経の文章に明白であり、論釈などに載っていない事も、また明らかなのです。
【生知〔しょうち〕は自ら知るべし。】
聖人は、自ら知り、
【賢人は明師に値遇〔ちぐう〕して之を信ぜよ。】
賢人は、明師に会って、これを信じるべきです。
【罪根〔ざいこん〕深重〔じんじゅう〕の輩は邪推を以て】
罪の根本が深く重い者は、これに邪推を加え、
【人を軽しめ之を信ぜず。】
人を軽んじ、これを信じようとしませんが、
【且く耳に停〔とど〕め本意に付かば之を喩〔さと〕さん。】
しばらく耳に留め、経文の本意にもとずこうとするならば、これを教えましょう。
【大集経の五十一に、大覚世尊、月蔵〔がつぞう〕菩薩に語って云はく】
大集経の五十一に大覚世尊である釈尊が月蔵〔がつぞう〕菩薩に言うのには
【「我が滅後に於て五百年の中は解脱〔げだつ〕堅固〔けんご〕、】
「我が滅後に於いて、五百年の中は、解脱〔げだつ〕堅固〔けんご〕、
【次の五百年は禅定堅固已上一千年。】
次の五百年は、禅定〔えんじょう〕堅固〔けんご〕、(已上一千年)
【次の五百年は読誦〔どくじゅ〕多聞〔たもん〕堅固、】
次の五百年は、読誦〔どくじゅ〕多聞〔たもん〕堅固〔けんご〕、
【次の五百年は多造〔たぞう〕塔寺〔とうじ〕堅固已上二千年。】
次の五百年は、多造〔たぞう〕塔寺〔とうじ〕堅固〔けんご〕(已上二千年)、
【次の五百年は我が法の中に於て闘諍〔とうじょう〕言訟〔ごんしょう〕して】
次の五百年は、我が法の中に於いて、闘諍〔とうじょう〕言訟〔ごんしょう〕して、
【白法〔びゃくほう〕隠没〔おんもつ〕せん」等云云。】
白法〔びゃくほう〕隠没〔おんもつ〕す」などと説いているのです。
【今末法に入って二百二十余年】
今、末法に入って、仏滅後二百二十余年は、
【「於我〔おが〕法中〔ほうちゅう〕闘諍言訟、白法隠没」の時に相当たれり。】
「闘諍言訟、白法隠没」の時にあたっているのです。
【法華経の第七薬王品に、教主釈尊、】
法華経の第七巻の薬王菩薩本事品に教主、釈尊が、
【多宝仏と共に宿王華〔しゅくおうけ〕菩薩に語って云はく】
多宝仏とともに宿王華〔しゅくおうけ〕菩薩に語って
【「我が滅度の後、後五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て、断絶して】
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、
【悪魔・魔民・諸の天・竜・夜叉〔やしゃ〕・鳩槃荼〔くはんだ〕等に】
悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、鳩槃荼〔くはんだ〕などに、
【其の便〔たよ〕りを得せしむること無かれ」と。】
その便を得せしむこと無かれ」と説かれています。
【大集経の文を以て之を案ずるに、】
大集経の文章をもって、これを考えると
【前四箇度の五百年は仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ。】
前の四つの五百年は、仏の未来記文の通りに符合しています。
【第五の五百歳の一事、豈〔あに〕唐捐〔とうえん〕ならんや。】
第五の五百歳の未来記が、また、符合しないと言う事は、ないでしょう。
【随って当世の為体〔ていたらく〕、大日本国と大蒙古〔もうこ〕国と】
したがって、今の大日本国と大蒙古国と
【闘諍合戦〔かっせん〕す。第五の五百に相当たれるか。】
闘争合戦している有様は、第五の五百歳に相当しているからなのでしょう。
【彼の大集経の文を以て此の法華経の文を推するに】
この大集経の文章をもって、この法華経の文章を考えてみると
【「後五百歳中広宣流布、於閻浮提」の鳳詔〔ほうしょう〕、】
「後五百歳中、広宣流布、於閻浮提」の、この鳳凰〔ほうおう〕の言葉は、
【豈扶桑〔ふそう〕国に非ずや。】
まさに扶桑〔ふそう〕国の現実では、ないでしょうか。
【弥勒〔みろく〕菩薩の瑜伽論〔ゆがろん〕に云はく】
弥勒菩薩の瑜伽論〔ゆがろん〕に
【「東方〔とうほう〕に小国有り。】
「東方に小国有り。
【其の中に唯〔ただ〕大乗の種姓〔しゅしょう〕のみ有り」云云。】
その中に、ただ大乗の種姓〔しゅしょう〕のみ有り」とあります。
【慈氏〔じし〕菩薩、仏の滅後九百年に相当たって、】
弥勒菩薩は、仏滅後九百年にあたって、
【無著〔むじゃく〕菩薩の請〔しょう〕に赴いて】
無著〔むじゃく〕菩薩の請願にしたがって
【中〔ちゅう〕印度〔いんど〕に来下して瑜伽論を演説す。】
中インドに下って瑜伽論〔ゆがろん〕を説いたのです。
【是〔これ〕或は権機に随ひ、或は付嘱に順ひ、或は時に依って権経を弘通す。】
これは、または、権教の機根に随い、または、時によって権教を弘通したのです。
【然りと雖も法華経の涌出品の時、】
しかし、法華経の従地涌出品の時、
【地涌〔じゆ〕の菩薩を見て近成〔ごんじょう〕を疑ふの間、】
地涌〔じゆ〕の菩薩を見て、釈尊の始成正覚について疑いを起こしたので、
【仏、請に赴いて寿量品を演説し、】
釈尊は、請願に応じて如来寿量品を説き、
【分別功徳品に至って地涌の菩薩を勧奨〔かんじょう〕して云はく】
分別功徳品に至って地涌〔じゆ〕の菩薩に勧めたのです。
【「悪世〔あくせ〕末法〔まっぽう〕の時、能〔よ〕く是の経を持つ者」と。】
「悪世末法の時、よく、この経を持〔たも〕つ者」と説き、
【弥勒菩薩、自身の付嘱に非ざれば之を弘めずと雖も、】
弥勒菩薩は、自身に付嘱がなかったので、これを弘めなかったのですが、
【親〔まのあた〕り霊山〔りょうぜん〕会上〔えじょう〕に於て「悪世末法時」の】
まのあたり霊鷲山の会上において「悪世、末法の時」の
【金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説くの時、】
金言を聴聞したので、瑜伽論〔ゆがろん〕を説くの時に、
【末法に日本国に於て地涌の菩薩、】
末法に、日本国において地涌の菩薩が、
【法華経の肝心を流布せしむべきの由、兼ねて之を示すなり。】
法華経の肝心の南無妙法蓮華経を流布されることを、あらかじめ示したのです。
【肇公〔じょうこう〕の翻経〔ほんぎょう〕の記に云はく】
鳩摩羅什〔くまらじゅう〕 の門下、僧肇〔じょうこう〕の法華翻経の後記に
【「大師須梨耶蘇摩〔しゅりやそま〕、左の手に法華経を持ち、】
「大師須梨耶蘇摩〔しゅりやそま〕、左の手に法華経を持ち、
【右の手に鳩摩羅什〔くまらじゅう〕の頂を摩〔な〕でて授与して云はく、】
右の手に鳩摩羅什〔くまらじゅう〕の頭をなで授与して云く、
【仏日〔ぶつにち〕西入って遺耀〔いよう〕将〔まさ〕に東に及ばんとす。】
仏日〔ぶつにち〕、西に入って遺耀〔いよう〕、まさに東北に及ばんとす、
【此の経典、東北に縁有り。汝慎〔つつし〕んで伝弘〔でんぐ〕せよ」云云。】
この経典、東北に縁有り。汝、慎〔つつし〕んで伝弘せよ」と記しています。
【予、此の記文を拝見して両眼〔りょうげん〕滝の如く、】
日蓮は、この未来記を拝見して、両眼から涙が滝のごとくに落ち、
【一身悦びを遍〔あまね〕くす。「此の経典東北に縁有り」云云。】
喜びが体に溢れるのです。「この経典、東北に縁有り」とあるのは、
【西天の月支〔がっし〕国は未申〔ひつじさる〕の方〔かた〕、】
西天のインドは、西南の方角にあり、
【東方の日本国は丑寅〔うしとら〕の方なり。】
東方の日本は、丑寅〔うしとら〕つまり東北の方角なのです。
【天竺〔てんじく〕に於て東北に縁有りとは、豈日本国に非ずや。】
インドにおいて「東北に縁有り」とは、日本の事では、ないでしょうか。
【遵式〔じゅんしき〕の筆〔ふで〕に云はく「始め西より伝ふ、】
遵式〔じゅんしき〕の著作、天竺別集に「始め西より伝う、
【猶〔なお〕月の生ずるが如し。】
なお月の生ずるが如し、
【今復〔また〕東より返る、猶日の昇るが如し」云云。】
今また東より返る、なお日の昇るが如し」と書かれています。
【正像二千年には西より東に流る、】
正像二千年には、仏法が西から東へ移動して来ました。
【暮月〔ぼげつ〕の西空より始むるが如し。】
ちょうど暮れる月が西の空から、始まるようなものです。
【末法五百年には東より西に入る、】
末法五百年には、また、仏法が東から西へと返るのです。
【朝日の東天より出づるに似たり。】
ちょうど朝日が東の空から出るようなものです。
【根本大師の記に云はく「代を語れば則ち像の終はり末の初め、】
伝教大師は、法華秀句に「代を語れば、則ち像法の終り、末法の初め、
【地を尋ぬれば唐の東羯〔かつ〕の西、】
地を尋ねれば、中国の東、カムチャッカの西、
【人を原〔たず〕ぬれば則ち五濁〔ごじょく〕の生、闘諍の時なり。】
人を尋ねれば、すなわち五濁の生、闘諍の時なり、
【経に云はく、猶多〔ゆた〕怨嫉〔おんしつ〕況滅度後〔きょうめつどご〕と。】
経に云く、猶多怨嫉〔ゆたおんしつ〕、況滅度後〔きょうめつどご〕と。
【此の言良〔まこと〕に以〔ゆえ〕有るが故に」云云。】
この言葉、まことに、ゆえ有るが故に」と言っています。
【又云はく「正像稍〔やや〕過ぎ已〔お〕はって末法】
また、守護国界章に「正像、やや、過ぎおわって、
【太〔はなは〕だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是〔これ〕其の時なり。】
末法、はなはだ近きに有り、法華一乗の機、今、正しく、これ、その時なり。
【何を以て知ることを得ん、安楽行品に末世法滅の時なり」云云。】
何をもって知る事を得る。安楽行品に云く、末世、法滅の時なり」と言っています。
【此の釈は語美〔うるわ〕しく心隠れたり。】
この解釈の言葉は、美しく、その心は、隠されています。
【読む人之〔これ〕を解〔げ〕し難きか。】
この文章を読む人は、これを理解し難いでしょう。
【伝教大師の語は我が時に似て】
伝教大師の法華秀句の言葉は、自分自身の時代の事を言われたようですが、
【心は末法を示したまふなり。】
心は、末法を恋い慕われているのです。
【大師出現の時は仏の滅後一千八百余年なり。】
伝教大師出現の時は、仏滅後、一千八百余年です。
【大集経の文を以て之を勘〔かんが〕ふるに、】
大集経の文章をもって、これを考えると、
【大師存生の時は第四の多造塔寺堅固の時に相当たる、】
伝教大師が生きておられた時は、第四の多造塔寺堅固の時代に相当するのです。
【全く第五の闘諍堅固の時に非ず。而るに余処〔よしょ〕の釈に】
全く第五の闘諍堅固の時では、ありません。ところが、他の解釈のところに
【「末法〔まっぽう〕太有近〔たうごん〕」の言有り。】
「末法、はなはだ近きにあり」との言葉があるのです。
【定んで知んぬ、闘諍堅固の筆は】
これは、第五の闘諍堅固の文章は、
【我が時を指すに非ざることを。】
自分の時代を指していない事を知っておられたと思われるのです。