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曾谷入道殿許御書 04 第3章 末法弘通の一大秘法
第3章 末法弘通の一大秘法
【大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知〔かんち〕し、】
大覚世尊つまり釈迦牟尼仏は、仏眼によって末法を詳しく見通され、
【此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。】
この五逆罪と謗法の二つの罪を対治される為に、一大秘法を留め置かれたのです。
【所謂法華経本門の久成〔くじょう〕の釈尊、】
いわゆる法華経本門の久遠実成の釈尊と
【宝浄〔ほうじょう〕世界の多宝仏〔たほうぶつ〕、高さ五百由旬〔ゆじゅん〕、】
宝浄世界の多宝仏が、高さ五百由旬〔ゆじゅん〕、
【広さ二百五十由旬の大宝塔〔ほうとう〕の中に於て、】
広さ二百五十由旬〔ゆじゅん〕の大宝塔の中で、
【二仏座を並ぶること宛〔あたか〕も日月〔にちがつ〕の如く、】
釈迦、多宝が並んで座った事は、ちょうど日月〔にちがつ〕のようなものであり、
【十方分身〔ふんじん〕の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下〔もと〕に】
十方分身の諸仏は、高さ五百由旬〔ゆじゅん〕の宝樹のもとに
【五由旬の師子〔しし〕の座を並べて敷き、】
五由旬〔ゆじゅん〕の師子の座を並べ敷き、
【衆星〔しゅしょう〕の如く列坐したまひ、】
空の星のように数多く並んで座られたのです。
【四百万億那由他〔なゆた〕の大地に三仏、】
四百万億那由佗〔なゆた〕の大地に釈迦牟尼仏、多宝仏、十方分身の諸仏が
【二会に充満したまふの儀式は、】
虚空と霊鷲山の二つの会座に満ち溢れた儀式は、
【華厳寂場〔じゃくじょう〕の華蔵〔けぞう〕世界にも勝れ、】
華厳経の寂滅道場の華蔵〔けぞう〕世界よりも優れ、
【真言両界の千二百余尊にも超えたり。】
真言の胎蔵界、金剛界の千二百余尊をも超えて、素晴らしいものであったのです。
【一切世間の眼なり。】
それは、一切世間の眼目であり、
【此の大会に於て六難〔ろくなん〕九易〔くい〕を挙げて】
この大会において、法華経宝塔品の六難九易の譬えを拳げて
【法華経を流通せんと諸の大菩薩を諫暁〔かんぎょう〕せしむ。】
法華経を流布せよと諸々の大菩薩たちに勧〔すす〕められたのです。
【金色〔こんじき〕世界の文殊師利〔もんじゅしり〕・】
金色〔こんじき〕世界の文殊師利〔もんじゅしり〕菩薩、
【兜史多宮〔としたぐう〕の弥勒〔みろく〕菩薩・】
兜史多宮〔としたぐう〕の弥勒菩薩、
【宝浄世界の智積〔ちしゃく〕菩薩・】
宝浄世界の智積〔ちしゃく〕菩薩、
【補陀落山〔ふだらくせん〕の観世音〔かんぜおん〕菩薩等、】
補陀落山〔ふだらくせん〕の観世音菩薩など、
【頭陀〔ずだ〕第一の大迦葉・智慧第一の舍利弗等、】
また、頭陀〔ずだ〕第一の大迦葉、智慧第一の舎利弗など、
【三千世界を統領する無量の梵天、】
さらに、三千世界を領地とする無量の梵天、
【須弥山〔しゅみせん〕の頂に居住する無辺の帝釈〔たいしゃく〕、】
須弥山〔しゅみせん〕の頂〔いただき〕に住む無量無辺の帝釈天、
【一四天下を照耀〔しょうよう〕せる阿僧祇〔あそうぎ〕の日月、】
一四天下〔いちしてんげ〕を照らす阿僧祇〔あそうぎ〕の日月〔にちがつ〕、
【十方の仏法を護持する恒沙〔ごうじゃ〕の四天王、大地微塵の諸の竜王等、】
十方の仏法を護持する恒河沙〔ごうがしゃ〕の四天王、大地微塵の竜王など、
【我にも我にも此の経を付嘱せられよと競望〔きょうもう〕せしかども】
私も私もと争って、この法華経の付嘱を競い願ったのですが、
【世尊は都〔すべ〕て之を許したまはず。】
世尊は、すべての者に、これを許されなかったのです。
【爾〔そ〕の時に下方の大地より未見〔みけん〕】
その時に下方の大地から、今まで見た事などなかった、
【今見〔こんけん〕の四大菩薩を召し出だす。】
この会座で初めて見る四大菩薩を召し出されたのです。
【所謂上行〔じょうぎょう〕菩薩・無辺行〔むへんぎょう〕菩薩・】
いわゆる上行〔じょうぎょう〕菩薩、無辺行〔むへんぎょう〕菩薩、
【浄行〔じょうぎょう〕菩薩・安立行〔あんりゅうぎょう〕菩薩なり。】
浄行〔じょうぎょう〕菩薩、安立行〔あんりゅうぎょう〕菩薩です。
【此の大菩薩に各々六万恒河沙の眷属〔けんぞく〕を具足〔ぐそく〕す。】
これらの大菩薩は、それぞれに六万恒河沙〔ごうがしゃ〕の眷属を連れていました。
【形貌〔ぎょうみょう〕威儀〔いぎ〕、言を以て宣〔の〕べ難く、】
その姿と威容は、言葉では、言い尽くせず、
【心を以て量〔はか〕るべからず。】
心で推し量ることも出来ないものでした。
【初成道の法慧〔ほうえ〕・功徳林〔くどくりん〕・】
釈尊が初成道で華厳経を説法した時の法慧〔ほうえ〕、功徳林〔くどくりん〕、
【金剛幢〔こんごうどう〕・金剛蔵〔こんごうぞう〕等の四菩薩に】
金剛幢〔こんごうどう〕、金剛蔵などの四菩薩が、
【各々十恒河沙の眷属を具足し、】
それぞれ十恒河沙〔ごうがしゃ〕の眷属を率〔ひき〕いて
【仏会〔ぶつえ〕を荘厳〔しょうごん〕せしも、】
仏の会座を荘厳にした事も、
【大集経の欲〔よく〕・色〔しき〕二界の中間〔ちゅうげん〕の】
大集経の欲界、色界の中間〔ちゅうげん〕の
【大宝坊〔だいほうぼう〕に於て来臨せし十方の諸大菩薩も、乃至】
大宝坊に来た十方の諸大菩薩、及び
【大日経の八葉の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の】
大日経の八葉の蓮華の中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊の中の
【十六菩薩等も、此の四大菩薩に比校〔ひきょう〕すれば、】
十六大菩薩なども、この本化の四大菩薩に比べれば、
【猶〔なお〕帝釈と猿猴〔えんこう〕と、】
なお、帝釈天と猿公〔えてこう〕、
【華山〔かざん〕と妙高〔みょうこう〕との如し。】
中国の山と須弥山のように比較する事も出来ないほどの違いがあったのです。
【弥勒菩薩、衆の疑ひを挙げて云はく、】
この時、弥勒菩薩は、その会座の大衆の疑いを代表して、
【「乃〔いま〕し一人をも識〔し〕らず」等云云。】
「いままで誰一人識らず」などと述べたのです。
【天台大師云はく「寂場より已降〔このかた〕】
天台大師は、法華文句で「寂滅道場における最初の説法以来、
【今座より已往〔さき〕十方の大士来会〔らいえ〕絶えず。】
法華経の座に至るまで、十方の大菩薩が絶えず来訪して、その数は
【限るべからずと雖も我補処〔ふしょ〕の智力〔ちりき〕を以て】
限りがないとはいえ、自分は、仏を助ける役目であり、その縁覚の智力をもって
【悉〔ことごと〕く見、悉く知る。】
ことごとく見、ことごとく知っている。
【而も此の衆に於ては一人をも識らず」等云云。】
しかも、この衆においては、一人も識らず」と解説しています。
【妙楽云はく「今見るに皆識らざる所以〔ゆえん〕は、乃至】
また、妙楽大師は「今見るに皆、知らざる所以は(中略)
【智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云。】
智人は、起を知り、蛇は、自ら蛇を知る」などと述べ、
【天台又云はく「雨の猛〔たけ〕きを見て竜の大なるを知り、】
天台大師は「雨の猛〔たけ〕きを見て竜の大なることを知り、
【華の盛んなるを見て池の深きを知る」云云。】
華の盛〔さかん〕なるを見て池の深きを知る」と述べています。
【例せば漢王の四将の張良〔ちょうりょう〕・樊噲〔はんかい〕・】
例えば、漢王の四将である張良〔ちょうりょう〕、樊噲〔はんかい〕、
【陳平〔ちんぺい〕・周勃〔しゅうぼつ〕の四人を、商山〔しょうざん〕の】
陳平〔ちんぺい〕、周勃〔しゅうぼつ〕の四人を、商山〔しょうざん〕の
【四晧〔しこう〕・季里枳〔きりき〕・角里〔ろくり〕先生・】
四晧〔しこう〕、季里枳〔きりき〕、角里〔ろくり〕先生、
【園公〔えんこう〕・夏黄公〔かこうこう〕等の四賢に比するが如し。】
東園公、夏黄公〔かこうこう〕などの四賢人に比べるようなものなのです。
【天地雲泥なり。】
そこには、天地雲泥の差があるのです。
【四晧が為体〔ていたらく〕、頭〔こうべ〕には白雪を頂き、】
この賢人の姿は、髪が白雪のように真っ白であったので四皓〔しこう〕と称され、
【額には四海の波を畳〔たた〕み、眉には半月を移し、】
額には、四海の波を畳み、眉には、半月を描き、
【腰には多羅枝〔たらし〕を張り、】
腰には、梓弓〔あずさゆみ〕を張ったようであり、
【恵帝〔けいてい〕の左右に侍〔じ〕して世を治められたる事、】
前漢第二代の皇帝、恵帝の左右に侍して世を治めた姿は、
【尭〔ぎょう〕・舜〔しゅん〕の古〔いにしえ〕を移し】
尭〔ぎょう〕、舜〔しゅん〕の平和な時代を現在に移し、
【一天安穏なりし事、神農〔しんのう〕の昔に異ならず。】
天下が安穏であるのは、中国の神話に出て来る神農〔しんのう〕の昔にも異ならず、
【此の四大菩薩も亦復〔またまた〕是くの如し。】
この四大菩薩も、また、このようであったのです。
【法華の会〔え〕に出現し三仏を荘厳す。】
法華経の会座に出現し、釈迦仏、多宝仏、十方分身の三仏を荘厳にし、
【謗人〔ぼうにん〕の慢幢〔まんどう〕を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く、】
謗法の人々の慢心を倒す姿は、まるで大風が小枝を吹き飛ばすのと同様であり、
【衆会〔しゅえ〕の敬心〔きょうしん〕を致すこと諸天の帝釈に従ふが如し。】
法華経の会座で大衆が尊敬する姿は、まるで諸天が帝釈に従うようであって、
【提婆の仏を打ちしも舌を出だし掌〔たなごころ〕を合はせ、】
釈尊に大石を落した提婆達多でさえ、それを証明する姿を現わして合掌し、
【瞿伽梨〔くがり〕の無実を構へしも地に臥〔ふ〕して】
虚偽を構えて舎利弗を陥れようとした瞿伽梨〔くがり〕も大地に伏して、
【失〔とが〕を悔〔く〕ゆ。文殊等の大聖は身を慙〔は〕ぢて言を出ださず。】
その科〔とが〕を悔〔く〕い、文殊などの大菩薩も自分自身を恥じて口を閉ざし、
【舍利弗等の小聖は】
舎利弗などの小乗経の聖者たちは、
【智を失ひ頭を低〔た〕る。】
頭が真っ白になり、その頭を垂れるのみであったのです。
【爾の時に大覚世尊寿量品を演説し、】
その時に大覚世尊は、法華経の如来寿量品を説法して、
【然して後に十神力を示現〔じげん〕して四大菩薩に付嘱したまふ。】
その後に如来神力品に十神力を示し現わして、妙法を四大菩薩に付嘱したのです。
【其の所属の法は何物ぞや。】
その付嘱した法とは、どのようなものだったのでしょうか。
【法華経の中にも広を捨てゝ略を取り、略を捨てゝ要を取る。】
その法は、法華経の中でも、広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取るところの、
【所謂〔いわゆる〕妙法蓮華経の五字、】
いわゆる妙法蓮華経の五字、
【名体宗用教〔みょうたいしゅうゆうきょう〕の五重玄〔ごじゅうげん〕なり。】
すなわち、名、体、宗、用、教の五重玄なのです。
【例せば九包淵〔きゅうほうえん〕が】
例えば、中国の春秋時代の馬の鑑定家、九苞淵〔きゅうほうえん〕が
【相馬〔そうば〕の法には玄黄〔げんこう〕を略して駿逸〔しゅんいつ〕を取り、】
馬を鑑定する時に、黒と黄などの色に関わらず駿馬を選び、
【史陶林〔しとうりん〕が講経の法には細科を捨てゝ】
史陶林〔しとうりん〕が経書を講義する時に、どうでも良い細かい事を捨てて
【元意〔がんい〕を取るが如し等なり。】
主意を取ったようなものなのです。
【此の四大菩薩は釈尊成道の始め、】
この四大菩薩は、釈尊成道の始めの説法である、
【寂滅〔じゃくめつ〕道場の砌〔みぎり〕にも来たらず、】
寂滅道場の時にも居〔お〕らず、
【如来入滅の終はり抜提河〔ばつだいが〕の辺〔ほとり〕にも至らず。】
また、如来の入滅の抜提河〔ばつだいが〕の辺〔ほとり〕にも居〔お〕らず、
【加之〔しかのみならず〕、霊山八年の間に、】
それだけではなく、霊山八年の間、
【進んでは迹門の序正の儀式に文殊・弥勒等の】
進んでは、迹門の序品、正宗分の儀式に文殊菩薩、弥勒菩薩などの
【発起〔ほっき〕影向〔ようごう〕の諸の聖衆にも列〔つら〕ならず、】
発起〔ほっき〕衆、影響〔ようごう〕衆の名前にも列〔つら〕なることもなく、
【退いては本門流通の座席に観音・妙音〔みょうおん〕等の】
退いては、本門流通の座席に観音菩薩、妙音菩薩などが
【発誓〔ほっせい〕弘経〔ぐきょう〕の大士にも交はらず。】
滅後の弘経を誓う諸菩薩にも交わる事は、なかったのです。
【但此の一大秘法を持して本処〔ほんじょ〕に隠居するの後、】
ひたすら、この一大秘法を持って元の場所に隠居しているばかりでは、なく、
【仏の滅後、正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず。】
釈尊滅後、正像二千年において、未だ一度も出現していないのです。
【所詮仏専ら末世の時に限って】
結局、それは、仏が、もっぱら末法の時に限って、この法を弘めるように、
【此等の大士に付嘱せし故なり。】
これらの大菩薩に付嘱したからなのです。
【法華経の分別〔ふんべつ〕功徳品〔くどくほん〕に云はく】
法華経の分別功徳品に、
【「悪世末法の時、能〔よ〕く是の経を持つ者」云云。】
「悪世、末法の時、よく、この経を持〔たも〕つ者」と説き、
【涅槃〔ねはん〕経に云はく「譬〔たと〕へば七子の父母平等ならざるに】
涅槃経には「譬〔たと〕えば、七子の父母、平等ならざるに
【非ざれども、然も病者に於て心則ち偏〔ひとえ〕に重きが如し」云云。】
非ず、しかも病者に於いて心すなわち、ひとえに重きが如し」と説き、
【法華経の薬王品に云はく「此の経は則ち為〔こ〕れ】
法華経薬王菩薩本事品には、「この経は、すなわち、これ、
【閻浮提〔えんぶだい〕の人の病の良薬〔ろうやく〕なり」云云。】
閻浮提〔えんぶだい〕の人の病の良薬なり」と説かれているのです。
【七子の中に上の六子は且く之を置く。】
七子の中の上の六子は、これを置くとして、
【第七の病子は一闡提〔いっせんだい〕の人、五逆謗法の者、】
第七の病子は、一闡提〔いっせんだい〕の人々であり、五逆罪、謗法の者であり、
【末代悪世の日本国の一切衆生なり。】
これは、末代悪世の日本の一切衆生の事なのです。
【正法一千年の前五百年には一切の声聞〔しょうもん〕、涅槃し了んぬ。】
正法千年の間、前半の五百年間に一切の声聞は、涅槃してしまいました。
【後の五百年には他方より来たれる菩薩、大体本土に還り向かひ了んぬ。】
後半の五百年間に他方から来た菩薩の大半が、その本土に帰ってしまいました。
【像法に入っての一千年には、文殊・観音・薬王・弥勒等、】
像法に入ってからの千年に文殊菩薩、観音菩薩、薬王菩薩、弥勒菩薩などが
【南岳・天台と誕生し、傅大士〔ふだいし〕・】
南岳大師、天台大師として誕生し、あるいは、中国の双林寺の傅大士〔ふだいし〕、
【行基〔ぎょうき〕・伝教〔でんぎょう〕等と示現して衆生を利益〔りやく〕す。】
薬師寺の行基〔ぎょうき〕、伝教大師などとして現われ、衆生に利益したのです。