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曾谷入道殿許御書 02 第1章 雖脱在現・具騰本種
第1章 雖脱在現・具騰本種
【曾谷入道殿許御書 文永一二年三月一〇日 五四歳】
曾谷入道殿許御書 文永12年3月10日 54歳御作
【夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば重病を療治〔りょうじ〕するには】
よく考えてみれば、重病を治療しようと思うならば、
【良薬〔ろうやく〕を構索〔こうさく〕し、逆〔ぎゃく〕・謗〔ぼう〕を】
その病気に良く効く薬を与え、また、五逆罪や誹謗〔ひぼう〕正法の衆生を
【救助〔くじょ〕するには要法〔ようぼう〕には如〔し〕かず。】
救済するには、妙法の要法を与えて信じさせる以外にないのです。
【所謂〔いわゆる〕時を論ずれば正・像・末、】
時を論じれば、正法、像法、末法と言う時代の相違があり、
【教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密、】
教を論じれば、小乗と大乗、偏教と円教、権教と実教、顕教と密教の相違があり、
【国を論ずれば中辺の両国、】
国を論じれば、仏教の中心であるインドと、その東の辺境な日本の両国があり、
【機を論ずれば已逆〔いぎゃく〕と未逆〔みぎゃく〕と、】
機根を論ずれば、過去世に五逆罪を犯した者と過去世に五逆罪を犯していない者、
【已謗〔いぼう〕と未謗〔みぼう〕と、】
過去世に謗法を犯した者と過去世に謗法を犯していない者の相違があり、
【師を論ずれば凡師と聖師〔しょうし〕と、二乗と菩薩と、】
師を論ずれば、凡師と聖師、声聞、縁覚の二乗と菩薩と、
【他方〔たほう〕と此土〔しど〕と、迹化〔しゃっけ〕と本化〔ほんげ〕となり。】
他方国土の菩薩と娑婆世界の菩薩、迹化の菩薩と本化の菩薩との相違があるのです。
【故に四依〔しえ〕の菩薩等、】
それ故に蔵教、通教、別教、円教の四依の菩薩などは、
【滅後に出現し、】
釈迦滅後に出現して前述の教機時国の違いに依り、
【仏の付嘱〔ふぞく〕に随って妄〔みだ〕りには経法を演説したまはず。】
仏の付嘱に従って法を弘めたのであり、みだりに経法を説く事は、なかったのです。
【所詮〔しょせん〕無智の者、】
ようするに、仏法に無智であって、
【未だ大法を謗ぜざるには忽〔たちま〕ちに大法を与へざれ。】
未だ法華経を誹謗していない者には、直ちに法華経を説いては、ならず、
【悪人たる上已〔すで〕に実大〔じつだい〕を謗ずる者には】
悪人で、すでに実大乗を誹謗している者には、
【強〔し〕ひて之を説くべし。】
強いて法華経を説くべきなのです。
【法華経第二の巻に、仏、舎利弗〔しゃりほつ〕に対して云はく】
法華経第二巻の譬喩品では、釈尊は、舎利弗に対して、
【「無智の人の中にして此の経を説くこと莫〔なか〕れ」と。】
「無智の人の中で、この経を説くことなかれ」と説き、
【又第四の巻に薬王〔やくおう〕菩薩等の八万の大士に告げたまはく】
また、第四巻の法師品では、薬王菩薩などの八万の菩薩に告げて
【「此の経は是〔これ〕諸仏秘〔ひ〕要〔よう〕の蔵なり、】
「この経は、これ諸仏秘要の蔵なり。
【分布して妄りに人に授与すべからず」等云云。】
分け広げ、みだりに人に授与するべからず」と説いています。
【文の心は無智の者の而〔しか〕も未だ正法を謗〔そし〕らざれば、】
この経文の意味は、無智の人で、未だ正法である法華経を誹謗していない人には、
【左右無く此の経を説くこと莫れ。】
むやみに法華経を説いては、ならないと言う事なのです。
【法華経第七の巻不軽品〔ふきょうほん〕に云はく】
しかしながら、法華経第七巻の常不軽菩薩品には、それに反して、
【「乃至〔ないし〕遠く四衆〔ししゅ〕を見ても】
「遠くに僧侶、信者の男女を見ても、
【亦復〔またまた〕故〔ことさら〕に往〔ゆ〕いて」等云云。】
わざと、そこに行って礼拝、讃歎し」などと説かれ、
【又云はく「四衆の中に瞋恚〔しんに〕を生じ、】
また「僧侶、信者の男女の中に怒りを生じ、
【心不浄なる者有り。悪口〔あっく〕罵詈〔めり〕して言はく、是の無智の比丘、】
心が不浄なる者がおり、悪口、罵詈して言わく、この無智の僧侶は、
【何〔いず〕れの所より来たりて」等云云。】
何れより来たって、我、汝を軽しめずと言って」などと説き、
【又云はく「或は杖木〔じょうもく〕・瓦石〔がしゃく〕を以て】
また、あるいは、杖木〔じょうもく〕、瓦石〔がしゃく〕を以って、
【之を打擲〔ちょうちゃく〕す」等云云。】
これを打ち叩く」などと説かれています。
【第二・第四の巻の経文と第七の巻の経文と天地水火せり。】
この法華経の第二巻と第四巻と第七巻とでは、天地、水火ほどの相違があります。
【問うて曰く、一経二説、何れの義に就いてか此の経を弘通すべき。】
このように一経に二説があり、どちらによって法華経を弘めるべきなのでしょうか。
【答へて云はく、私に会通〔えつう〕すべからず。】
それは、自分勝手な解釈によっては、これを考えては、ならないのです。
【霊山〔りょうぜん〕の聴衆たる天台〔てんだい〕大師〔だいし〕】
霊鷲山の法華経の会座に聴衆として参加した薬王菩薩たる天台大師、
【並びに妙楽〔みょうらく〕大師等処々に多くの釈有り。】
並びに妙楽大師などが、いたるところに多くの解釈書を残しています。
【先づ一両の文を出ださん。文句〔もんぐ〕の十に云はく】
ここでは、まず、その一、二を出しましょう。天台大師は、法華文句第十巻に
【「問うて曰く、釈迦は出世して踟蹰〔ちちゅう〕して説かず。】
「問うていわく、釈迦は、出世して躊躇〔ちゅうちょ〕して説かず、
【今は此〔これ〕何の意ぞ、造次〔ぞうじ〕にして説くは何ぞや。】
不軽菩薩は、ひとたび見て、即座に言うのは、何故か、
【答へて曰く、本〔もと〕已に善有るには釈迦小を以て之を将護〔しょうご〕し、】
答えて曰く、本已〔ほんい〕有善には、釈迦は、小乗経を以って之を援護し、
【本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒〔ごうどく〕す」等云云。】
本未有善には、不軽菩薩は、法華経を以って之を解毒す」と述べられています。
【釈の心は寂滅〔じゃくめつ〕・鹿野〔ろくや〕・大宝〔だいほう〕・】
この解釈の意味は、寂滅道場の華厳経、鹿野苑の阿含経、大宝坊の方等経、
【白鷺〔びゃくろ〕等の前四味〔ぜんしみ〕の小大・】
白鷺〔びゃくろ〕池の般若経などの前四味の小乗経、大乗経、
【権実の諸経、四教・八教の所被の機縁、彼等の過去を尋ね見れば、】
権教、実教の諸経、四教八教を聞いた衆生は、彼らの過去世を尋ねてみると、
【久遠・大通〔だいつう〕の時に於て純円の種〔しゅ〕を下〔くだ〕せしも、】
久遠の過去の大通智勝仏の時代において純円の法華経の仏種に巡り合いながら、
【諸衆、一乗経を謗ぜしかば三・五の塵点〔じんでん〕を】
一仏乗の法華経を誹謗した為に、三千塵点劫、五百塵点劫と言う長い間、
【経歴〔きょうりゃく〕す。】
地獄に堕ちていましたが、
【然りと雖も下せし所の下種〔げしゅ〕、純熟の故に時至って自〔おの〕づから】
しかし、その時、巡り合った仏種が、時が来て成長し、時が経って自ずから、
【繋珠〔けじゅ〕を顕はす。】
法華経の譬喩のように、我が身の衣の裏にあった宝珠が顕われ出て来たのです。
【但四十余年の間、過去に已に結縁〔けちえん〕の者も】
ただし、法華経以前の四十余年の間は、過去世に法華経に出会った衆生であっても
【猶〔なお〕謗の義有るべきの故に、】
法華経を謗〔そし〕る怖れがあるので、
【且〔しばら〕く権小の諸経を演説して根機を練〔ね〕らしむ。】
しばらく小乗経や権教を説いて法華経を理解する能力を整えたのです。
【問うて曰く、華厳〔けごん〕の時の別・円の大菩薩、】
それでは、華厳経の説法の時、別教、円教の大菩薩が得道した事や、
【乃至観経〔かんぎょう〕等の諸の凡夫の得道は如何〔いかん〕。】
あるいは、観無量寿経などの凡夫が得道したのは、どういう事なのでしょうか。
【答へて曰く、彼等の衆は時を以て之を論ずれば】
それは、彼らの成仏は、時をもって論ずるならば
【其の経の得道に似たれども、実を以て之を勘〔かんが〕ふるに】
一往は、その経文によって得道したように見えるのですが、現実に即して考えれば
【三・五下種の輩なり。】
過去、三千塵点劫、五百塵点劫の時に法華経に出会った衆生なのです。
【問うて曰く、其の証拠如何。】
それでは、その証拠は、どこにあるのでしょうか。
【答へて曰く、法華経第五の巻涌出品〔ゆじゅっぽん〕に云はく】
それは、法華経の第五巻の従地涌出品に
【「是の諸の衆生は世々より已来〔このかた〕、我が化〔け〕を成就せり。】
「この諸々の衆生は、世々より、このかた、常に我が教化を受けたり、
【乃至此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞いて、】
(中略)この諸々の衆生は、始め我が身を見、我が所説〔しょせつ〕を聞いて、
【即ち皆信受して如来の慧に入りにき」等云云。】
即〔すなわ〕ち、皆、信受して如来の智慧に入り」などと説かれています。
【天台釈して云はく「衆生〔しゅじょう〕久遠〔くおん〕」等云云。】
この文章を天台大師は、説明して法華文句に「衆生久遠」と述べています。
【妙楽大師の云はく「脱〔だつ〕は現に在りと雖も】
妙楽大師は、法華文句記に「解脱が現実の世界で起こったと言っても(雖脱在現)、
【具〔つぶさ〕に本種を騰〔あ〕ぐ」と。】
それをつぶさに観れば、久遠元初の本因によって起こる(具騰本種)と解説され、
【又云はく「故に知んぬ、今日〔こんにち〕の逗会〔とうえ〕は】
また法華文句記に「故に知るぬ、今日〔こんにち〕、法華経の会座に連なるのは、
【昔成熟するの機に赴〔おもむ〕く」等云云。】
久遠の昔に下種された仏種が成長する時を得た」などと解釈されています。
【経釈顕然〔けんねん〕の上は私の料簡〔りょうけん〕を待たず。】
この経文の解釈で明らかなように、私が説明を待つ必要は、ありません。
【例せば王女〔おうにょ〕と下女〔げにょ〕と天子の種子を下さゞれば】
たとえば、高貴な女性でも、また下劣な女性でも、天皇の子種がなければ、
【国主と為〔な〕らざるが如し。】
子供を産んで皇太子にする事が出来ないのと同じなのです。
【問うて曰く、大日経等の得道の者は如何。】
それでは、大日経などで得道する者は、どうでしょうか。
【答へて曰く、種々の異義有りと雖も繁きが故に之を載せず。】
それは、様々な意義がありますが、繁雑になるので、ここでは、述べません。
【但し所詮は彼々の経々に種・熟・脱を説かざれば】
ただし、それらの経々には、下種、調熟、得脱の三益を説いていないので、
【還〔かえ〕って灰断〔けだん〕に同じ、】
結局、小乗経の灰身滅智と同じで無意味であり、
【化に始終無きの経なり。】
釈迦牟尼仏の教化の始めと終わりが明らかでない権大乗の経文なのです。
【而るに真言師等が所談の即身成仏は、】
そうであるのに、真言師などが言うところの即身成仏などは、
【譬へば窮人〔ぐうにん〕の妄〔みだ〕りに帝王と号して】
例えば、貧しい者が、みだりに自分を皇帝と名乗って、
【自ら誅滅〔ちゅうめつ〕を取るが如し。王莽〔おうもう〕・】
自ら滅亡していくようなものでなのです。帝を騙〔かた〕った王莽〔おうもう〕や
【趙高〔ちょうこう〕の輩は外に求むべからず、今の真言家なり。】
趙高〔ちょうこう〕のような輩を他に求めずとも、今の真言宗がそうであるのです。
【此等に因〔よ〕って論ぜば、仏の滅後に於て三時有り。】
これらによって論ずるならば、釈尊滅後に正法、像法、末法の三つの時代があり、
【正・像二千余年には猶下種の者有り。】
そのうち、正法、像法の二千余年には、まだ、過去に下種された者がいました。
【例せば在世四十余年の如し。根機を知らずんば】
例えば、釈迦在世の四十余年のようなものです。その衆生の理解力を知らずに、
【左右無く実経を与ふべからず。】
むやみに実経である法華経を与えてはならないのです。
【今は既に末法に入って、在世の結縁の者は漸々〔ぜんぜん〕に衰微して、】
今は、既に末法に入って、釈迦在世に関係した者は、次第に少なくなり、
【権実の二機皆悉〔ことごと〕く尽きぬ。】
権教と実教で成仏する理解力の人は、すべて尽きてしまったのです。
【彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓〔どっく〕を撃〔う〕たしむるの時なり。】
今こそ、あの不軽菩薩が末法に出現して、毒鼓〔どっく〕を打つべき時なのです。
【而るに今時の学者、時・機に迷惑して或は小乗を弘通〔ぐづう〕し、】
しかるに、今の学者は、時と衆生の理解力に迷って、あるいは、小乗経を弘め、
【或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、】
または、権大乗を授与し、あるいは、一乗を説法しても、
【題目の五字を以て下種と為すべきの由来を知らざるか。】
題目の五字をもって一切衆生を下種すべきことを知らないのです。
【殊〔こと〕に真言宗の学者は迷惑を懐〔いだ〕いて】
ことに真言宗の学者は、このことに迷って
【三部経に依憑〔えひょう〕し、】
真言の大日経、金剛頂経、蘇悉地〔そしっじ〕経の三部経を根拠にして、
【単に会二〔えに〕・破二〔はに〕の義を宣〔の〕べて】
単に、二乗を合わせ、二乗を破して、一仏乗を現わす邪義を述べているだけで、
【猶〔なお〕三一相対を説かず。】
彼らは、開三顕一どころか、声聞、縁覚、菩薩の三乗と一仏乗の相違すら説かず、
【即身〔そくしん〕頓悟〔とんご〕の道跡〔あと〕を削〔けず〕り、】
即身成仏の速〔すみ〕やかな悟りを開かせる道を削り、
【草木成仏は名をも聞かざるのみ。】
草木成仏は、その名前すら聞かないのです。
【而るに善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・不空〔ふくう〕等の僧侶、】
そうであるのに、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空〔ふくう〕三蔵などの僧侶が
【月氏〔がっし〕より漢土に来臨〔らいりん〕せしの時、】
インドから中国に来た時に、真言の大日経、金剛頂経、蘇悉地経など三部経を
【本国に於て未だ存せざる】
持って来ましたが、その時代にインドになかった
【天台の大法、盛んに此の国に流布せしむるの間、】
天台大師の一念三千の大法が中国で大いに流布されており、
【自愛所持の経弘〔ひろ〕め難きに依り、】
インドから所持した自分の経文にそれがなく、見劣りがして中国に弘め難いので、
【一行〔いちぎょう〕阿闍梨〔あじゃり〕を語らひ得て天台の智慧を盗み取り、】
一行〔いちぎょう〕阿闍梨〔あじゃり〕をあざむいて天台大師の智慧を盗み取り、
【大日経等に摂入〔しょうにゅう〕して】
その一念三千の法門を大日経などに取り入れ、
【天竺〔てんじく〕より有るの由之〔これ〕を偽〔いつわ〕る。】
これは、インドに、もともとあった法門だと偽って中国で弘めたのです。
【然るに震旦一国の王臣等、並びに日本国の弘法〔こうぼう〕・慈覚〔じかく〕の】
その為に中国一国の王臣、日本の弘法〔こうぼう〕大師、慈覚〔じかく〕大師の
【両大師、之を弁〔わきま〕へずして信を加ふ。】
二人の大師は、この事を理解せずに信じきってしまったのです。
【已下の諸学は言ふに足らず。】
それ以下の仏法を学んでいる人々は、言うまでもなく信じてしまったのです。
【但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまへり。】
ただ中国と日本の中で伝教大師一人が、この事を理解していましたが、
【然れども未だ分明ならず。】
それでも、まだ明確では、ありませんでした。
【所詮〔しょせん〕善無畏三蔵、閻魔王〔えんまおう〕の責めを蒙〔こうむ〕って】
結局、善無畏〔ぜんむい〕三蔵は、地獄で閻魔王の責めをこうむり、
【此の過罪〔かざい〕を悔〔く〕ひ、】
法華経誹謗の罪を悔い、金剛智三蔵や善無畏〔ぜんむい〕三蔵の死後、
【不空三蔵の天竺に還り渡って真言を捨てゝ】
不空〔ふくう〕三蔵は、中国からインドに帰って真言を捨て、
【漢土に来臨し、天台の戒壇〔かいだん〕を建立して】
再び中国に渡って密教を弘めましたが、最後には、天台の戒壇を建立し、
【両界の中央の本尊に法華経を置きし等是なり。】
胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅の両曼荼羅の中央に法華経を置いたのです。
【問うて曰く、今時の真言宗の学者等、何ぞ此の義を存せざるや。】
それでは、なぜ、現在の真言宗の学者は、この義を知らないのでしょうか。
【答へて曰く、眉〔まゆ〕は近けれども見えず、】
それは、眉は、目に近いけれども、目には、見えないのです。
【自らの禍〔わざわい〕を知らずとは是の謂〔いい〕か。】
自らの科〔とが〕を知らないと言うことは、こういう事なのでしょうか。
【嘉祥〔かじょう〕大師は三論宗を捨てゝ】
三論〔さんろん〕宗の祖、嘉祥〔かじょう〕大師は、三論宗を捨てて
【天台の弟子と為〔な〕る。今の末学等之を知らず。】
天台大師の弟子となりましたが、今の三論宗の学者たちは、この事を知りません。
【法蔵〔ほうぞう〕・澄観〔ちょうかん〕は華厳〔けごん〕宗を置いて】
また、中国華厳宗の法蔵〔ほうぞう〕、澄観〔ちょうかん〕は、華厳宗を捨てて、
【智者に帰す。彼の宗の学者之を存せず。】
天台智者に帰依したのですが、この宗派の学者も、また、この事を知りません。
【玄奘〔げんじょう〕三蔵・慈恩〔じおん〕大師は】
法相宗の開祖である玄奘〔げんじょう〕三蔵、慈恩〔じおん〕大師は、
【五性〔ごしょう〕の】
この法相宗の深密経で説かれる五性は、各別であり、三乗、五乗の教えが
【邪義を廃し一乗の法に移る。】
真実であると言う邪義を廃して、法華一乗の法に移ったのですが、
【法相〔ほっそう〕の学者堅く之を諍〔あらそ〕ふ。】
法相の学者は、堅く自分の意見に固執して、今も争っているのです。
【問うて曰く、其の証如何。】
それでは、その証拠は、どこにあるのでしょうか。
【答へて曰く、或は心を移して身を移さず、】
それは、これらの人々は、あるいは、心を移して身を移さず、
【或は身を移して心を移さず。或は身心共に移し、】
または、身を移して心を移さず、または、身心ともに移し、または、様々であり、
【其の証文は別紙に之を出だすべし。】
その証拠となる文証は、別紙に、これを認〔したた〕めましょう。
【此の消息の詮に非ざれば之を出ださず。】
この手紙の主旨では、ないので、ここでは、省略します。