日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


曾谷入道殿許御書 05 第4章 末法に地涌菩薩の出現


第4章 末法に地涌菩薩の出現

【今末法に入って此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。】
今、末法に入って、これらの諸菩薩も、もとの場所に帰ってしまったのです。

【其の外の閻浮守護の天神・地祇〔ちぎ〕も、或は他方に去り、】
その他、閻浮提を守護する天神や地神も、あるいは、他方に去り、

【或は此土〔しど〕に住すれども悪国を守護せず、】
あるいは、この国土にいたとしても、悪国は、守護をせず、

【或は法味〔ほうみ〕を嘗〔な〕めざれば守護の力無し。】
また、法味に飢えているので守護する力がないのです。

【例せば法身〔ほっしん〕の大士に非ざれば、】
例えば、無生忍と言う境地を得た維摩詰のような法身の大士でなければ、

【三悪道に入られざるが如し。大苦忍び難きが故なり。】
大苦を忍びがたいので、三悪道に入る事が出来ないようなものなのです。

【而るに地涌〔じゆ〕千界〔せんがい〕の大菩薩、】
しかるに地涌千界の大菩薩は、

【一には娑婆〔しゃば〕世界に住すること多塵劫〔たじんごう〕なり。】
一には、娑婆世界に住むこと、多塵劫であり、

【二には釈尊に随って久遠より已来〔このかた〕】
二には、釈尊の久遠の初発心以来、

【初発心〔しょほっしん〕の弟子なり。】
釈尊に付き従った弟子であり、

【三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり。】
三には、釈尊がこの娑婆世界において初めて下種した菩薩なのです。

【是くの如き等の宿縁の方便、諸大菩薩に超過せり。】
このような、過去世からの因縁の深さは、他の諸大菩薩を超えているのです。

【問うて曰く、其の証拠如何。法華第五涌出品に云はく】
それでは、その証拠は、あるのでしょうか。それは、法華経第五巻の涌出品には

【「爾〔そ〕の時に他方の国土より諸の来たれる菩薩摩訶薩〔まかさつ〕の】
「その時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩〔まかさつ〕の、

【八恒河沙の数に過ぎたる、乃至】
八恒河沙〔ごうがしゃ〕の数に過ぎたるが(中略)

【爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまはく、】
その時に仏、諸の菩薩摩訶薩〔まかさつ〕の衆に告げたまわく、

【止〔や〕みね善男子〔ぜんなんし〕、汝等〔なんだち〕が】
止〔や〕みね善男子、汝等が

【此の経を護持せんことを須〔もち〕ひじ」等云云。】
この経を護持せんことを須〔もち〕いじ」と説かれています。

【天台云はく「他方は此の土結縁〔けちえん〕の事浅し。】
天台大師は、これを「他方は、この国土と関係する事、浅〔あさ〕し、

【宣授〔せんじゅ〕せんと欲すと雖も必ず巨益〔こやく〕無けん」云云。】
宣授〔せんじゅ〕せんと欲すと雖〔いえど〕も必ず巨益無し」と解釈し、

【妙楽云はく「尚偏〔ひとえ〕に他方の菩薩に付せず。】
妙楽大師は「なお、偏〔ひとえ〕に他方の菩薩に付せず、

【豈〔あに〕独り身子〔しんし〕のみならんや」云云。】
独り舎利弗のみならんや」と著わされ、

【又天台云はく「告〔ごう〕八万大士とは、乃至】
また天台大師は「告〔ごう〕八万大士とは、(中略)

【今の下の文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ。験〔あき〕らけし。】
今の下の文に下方を召すが如く、なお本眷属を待つこと明らかである。

【余は未だ堪〔た〕へず」云云。】
余は、未だ堪えざることを」と解釈されています。

【経釈の心は迦葉〔かしょう〕・舍利弗〔しゃりほつ〕等の一切の声聞、】
経釈の心は、迦葉尊者、舍利弗尊者などのすべての声聞、

【文殊〔もんじゅ〕・薬王〔やくおう〕・観音〔かんのん〕・】
文殊〔もんじゅ〕菩薩、薬王〔やくおう〕菩薩、観音〔かんのん〕菩薩、

【弥勒〔みろく〕等の迹化〔しゃっけ〕・他方〔たほう〕の諸大士、】
弥勒〔みろく〕菩薩などの迹化、他方の諸菩薩は、

【末世の弘経に堪へじと云ふなり。】
末法の世の弘経に堪えられないと言うことです。

【経に云はく「我が娑婆世界に、自〔おの〕づから六万恒河沙等の】
法華経に「我が娑婆世界に、自ら六万恒河沙〔ごうがしゃ〕などの

【菩薩摩訶薩有り。一々の菩薩に各〔おのおの〕六万恒河沙の眷属有り。】
菩薩摩訶薩〔まかさつ〕有り。一々の菩薩に六万恒河沙〔ごうがしゃ〕の眷属有り。

【是の諸人等、能〔よ〕く我が滅後に於て、】
この諸人など、よく、我が滅後において、

【護持し、読誦し、広く此の経を説かん。】
護持し、読誦し、広く、この経を説く。

【仏、是〔これ〕を説きたまふ時、娑婆世界の三千大千の国土、】
仏、これを説いた時、娑婆世界の三千大千の国土、

【地皆〔みな〕震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有って】
地、皆、震裂して、その中より無量千万億の菩薩摩訶薩〔まかさつ〕有って、

【同時に涌出〔ゆじゅつ〕せり。乃至是の菩薩衆の中に四導師有り。】
同時に涌出〔ゆじゅつ〕せり。(中略)この菩薩衆の中に四導師有り。

【一をば上行と名づけ、二をば無辺行と名づけ、】
一を上行菩薩と名づけ、二を無辺行菩薩と名づけ、

【三をば浄行と名づけ、四をば安立行と名づく。】
三を浄行菩薩と名づけ、四を安立行〔あんりゅうぎょう〕菩薩と名づく、

【其の衆の中に於て】
その衆の中に於いて、

【最も為〔こ〕れ上首〔じょうしゅ〕唱導〔しょうどう〕の師なり」等云云。】
最もこれ、上首唱導の師なり」などと説かれています。

【天台云はく「是〔これ〕我が弟子、応〔まさ〕に我が法を弘むべし」云云。】
天台大師は、これを「これ我が弟子なり。応に我が法を弘むべし」と解釈し、

【妙楽云はく「子、父の法を弘む」云云。】
更に妙楽大師は「子、父の法を弘む」と解釈し、

【道暹〔どうせん〕云はく「付嘱とは、此の経は】
道暹〔どうせん〕は「付属とは、この経は、

【唯〔ただ〕下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾〔しか〕る。】
唯、下方、涌出〔ゆじゅつ〕の菩薩に付す、何が故に爾〔しか〕る、

【法是〔これ〕久成の法なるに由〔よ〕るが故に久成の人に付す」等云云。】
法、これ久成の法なるによるが故に久成の人に付す」などと解釈しています。

【此等の大菩薩、末法の衆生を利益したまふこと、】
これらの大菩薩が末法の衆生を利益する事は、

【猶〔なお〕魚の水に練〔な〕れ、鳥の天に自在なるが如し。】
魚が水に慣れ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものです。

【濁悪〔じょくあく〕の衆生、此の大士に遇〔あ〕って仏種を殖〔う〕うること、】
濁悪の末法の衆生が、この菩薩に会って仏種を殖えることは、

【例せば水精〔すいしょう〕の月に向かって水を生じ、】
例えば、水晶が夜、月に向かったときに水滴が付いて曇るように、

【孔雀〔くじゃく〕の雷〔いかずち〕の声を聞いて懐妊〔かいにん〕するが如し。】
孔雀が雷の音を聞いて懐妊するようなものなのです。

【天台云はく「猶〔なお〕百川の海に潮〔ちょう〕すべきが如し。】
天台大師は「なお、百の川が、すべて海に注いでいるが如し。

【縁に牽〔ひ〕かれて応生〔おうしょう〕するも】
縁によって応生する事も、

【亦復〔またまた〕是くの如し」云云。】
またまた、かくの如し」と解釈しています。

【慧日〔えにち〕大聖尊〔だいしょうそん〕、仏眼〔ぶつげん〕を以て】
慧日大聖尊〔えにちだいしょうそん〕である釈迦牟尼仏は、仏眼をもって、

【兼ねて之を鑑〔かんが〕みたまふ。】
兼ねてから、この事を知っておられたので、

【故に諸の大聖を捨棄〔しゃき〕し、此の四聖を召し出だして】
諸々の菩薩を止められ、本化の四大菩薩を召し出されて

【要法〔ようぼう〕を伝へ、末法の弘通と定めたまふなり。】
要法を伝え、末法の弘通を四大菩薩に行うように定められたのです。

【問うて曰く、要法の経文如何。】
それでは、その要法の経文とは、どのようなものなのでしょうか。

【答へて曰く、口伝を以て之を伝へん。】
それは、口伝をもって、これを伝えましょう。 

【釈尊、然後〔そののち〕】
釈尊は、如来神力品で要法を付嘱してから、嘱累品第二十二出。

【正像二千年の衆生の為に、】
滅後正像二千年の衆生の為に法華経の儀式の時に

【宝塔より出でて虚空〔こくう〕に住立〔じゅうりゅう〕し、】
宝塔から出て虚空に住し、

【右の手を以て文殊・観音・梵〔ぼん〕・帝〔たい〕・日〔にち〕月〔がつ〕・】
右の手で文殊菩薩、観音菩薩、梵天、帝釈、日月、

【四天等の頂を摩〔な〕でて、是くの如く三反〔べん〕して】
四天王などの頭を、三回、なでられて、

【法華経の要よりの外の広略〔こうりゃく〕二門、】
法華経の要法とは、別に広と略との二門や、

【並びに前後一代の一切経を此等の大士に付嘱す。】
法華経の前後の一代の経教を、これらの大菩薩に付嘱されたのです。

【正像二千年の機の為なり。】
それは、正像二千年の衆生の為なのです。

【其の後涅槃経の会に至って、重ねて法華経並びに】
その後、涅槃経の会座に至り、重ねて法華経と

【前四味〔ぜんしみ〕の諸経を説いて、文殊等の諸大菩薩に授与したまふ。】
爾前経の諸経文を説いて、文殊菩薩など諸大菩薩に授与されたのです。

【此等は捃拾〔くんじゅう〕遺嘱〔いぞく〕なり。】
これらは、総別の付属の後、それから漏れた衆生の為に重ねて説いた付属なのです。

【爰〔ここ〕を以て滅後の弘経に於ても、】
このように、釈迦滅後の弘経にも、

【仏の所属に随って弘法〔ぐほう〕の限り有り。】
仏の所嘱に従って、それぞれ弘法に限界があったのです。

【然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して】
それ故に迦葉尊者や阿難尊者などは、小乗経ばかりを弘めて

【大乗経を申〔の〕べず。竜樹〔りゅうじゅ〕・無著〔むじゃく〕等は】
大乗経を説かなかったのです。竜樹菩薩や無著〔むじゃく〕菩薩などは、

【権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。】
権大乗経を述べて一仏乗の法華経を弘通しなかったのです。

【設ひ之を申べしかども、纔〔わず〕かに以て之を指示し、】
たとえ、これを述べたと言っても、わずかに、これを指し示し、

【或は迹門の一分のみ之を宣〔の〕べて全く化導〔けどう〕の始終を談ぜず。】
または、迹門の一分のみを述べて、まったく教化の道筋を論じていないのです。

【南岳〔なんがく〕・天台等は観音・薬王等の化身として】
南岳〔なんがく〕大師や天台大師などは、観音菩薩、薬王菩薩などの化身として、

【小大・権実・迹本二門・】
小乗と大乗、権経と実経、迹門と本門の二門、

【化道の始終・師弟の遠近〔おんごん〕等悉〔ことごと〕く之を宣べ、】
教化の道筋の始終と不始終、師弟の遠近と不遠近などを、すべて述べ、

【其の上に已今当〔いこんとう〕の三説を立てゝ】
その上に過去、現在、未来の三説を立てて、

【一代超過の由を判ぜること、天竺〔てんじく〕の諸論にも勝れ】
釈尊一代聖教を超過する理由を説明した事は、インドの諸論文よりも優れており、

【真丹〔しんだん〕の衆釈〔しゅしゃく〕にも過ぎたり。】
中国の他の解説書よりも優れているのです。

【旧訳〔くやく〕、新訳の三蔵、宛〔あたか〕も此の師には及ばず、】
旧訳、新訳の三蔵法師も、この南岳〔なんがく〕大師や天台大師には、及ばず、

【顕・密二道の元祖、敢〔あ〕へて敵対に非ず。】
顕密二教の元祖も敵対できなかったのです。

【然りと雖も広略を以て本と為して】
しかし、法華経の広略二門を根本としたのであって、

【未だ肝要に能〔あた〕はず。】
いまだ肝要の五字は、弘められなかったのです。

【自身に之を存すと雖も敢へて他伝に及ばず。】
自分自身は、知っていたけれども、他には伝えなかったのです。

【此偏〔ひとえ〕に付嘱を重んぜしが故なり。】
これは、ひとえに、釈尊の付嘱を重んじたからなのです。


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