日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


法華初心成仏抄 03 第二章 諸宗の法華経誹謗の邪義を破す


【問うて云はく、華厳宗には五教を立て、余の一切の経は劣れり、】
それでは、華厳宗では、五教を立てて、他の一切の経文は、華厳経に劣り、

【華厳経は勝ると云ひ、真言宗には十住心を立て、】
華厳経は、それに優ると言い、真言宗では、十住心を立てて、

【余の一切経は顕教なれば劣るなり、】
他の一切経は、顕経であるから劣り、

【真言宗は密教なれば勝れたりと云ふ。】
真言宗は、密教であるから優れていると言っています。

【禅宗には余の一切経をば教内と簡〔きら〕ひて、】
禅宗は、釈尊一代の一切教を教内であると嫌って、

【教外〔きょうげ〕別伝〔べつでん〕不立〔ふりゅう〕文字〔もんじ〕と立て、】
教外〔きょうげ〕別伝〔べつでん〕不立〔ふりゅう〕文字〔もんじ〕と言って、

【壁に向かひて悟れば禅宗独り勝れたりと云ふ。】
壁に向かって悟りを得るので、禅宗がもっとも優れていると言っています。

【浄土宗には正雑〔しょうぞう〕二行を立て、】
浄土宗は、正雑〔しょうぞう〕の二行を立て、

【法華経等の一切の経をば捨閉〔しゃへい〕閣抛〔かくほう〕し】
法華経などの一切教を、捨て、閉じ、閣〔さしお〕き、抛〔なげう〕てと言い、

【雑行〔ぞうぎょう〕と簡ひ、】
雑行〔ぞうぎょう〕と言って嫌い、

【浄土の三部経を機に叶ひめでたき正行なりと云ふ。】
浄土の三部経が機にかなった優れた経文であり、正行であると言っています。

【各々我慢を立て、互ひに偏執〔へんしゅう〕を作〔な〕す。】
このように各宗派が、こぞって我慢偏執を為しているのです。

【何れか釈迦仏の御本意なるや。】
いずれが釈迦牟尼仏の本意に適う宗派であるのでしょうか。

【答へて云はく、宗々各別に我が経こそすぐれたれ、】
それは、各宗派が、それぞれに我が経文こそが優れており、

【余経は劣れりと云ひて、我が宗吉〔よ〕しと云ふ事は】
別の経文は、劣っていると言って自分の宗派を讃嘆することは、

【唯是〔これ〕人師の言にて仏説にあらず。】
ただ、これは、人師の言葉であって、仏説では、ないのです。

【但し法華経計〔ばか〕りこそ、仏五味の譬へを説きて五時の教に当てゝ、】
法華経だけは、仏、自らが五味の譬えによって、五時の教法にあてて、

【此の経の勝れたる由を説き、或は又已今当の三説の中に、】
この経文が最も優れていると説かれ、あるいは、過去、現在、未来の三説の中で

【仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云ふ事は】
仏になる道は、法華経に並ぶ経文は、ないと説かれているのです。

【正しき仏の金言なり。】
これは、正しく仏の金言より出た言葉なのです。

【然るに我が経は法華経に勝れたり、】
しかし、我が経文は、法華経よりも優れている。

【我が宗は法華宗に勝れたりと云はん人は、】
我が宗派は、法華宗よりも優れていると言う人は、

【下臈〔げろう〕が上臈〔じょうろう〕を凡下と下し、】
あたかも、下が上を下の者と下〔くだ〕し、

【相伝の従者〔ずさ〕が主に敵対して我が下人なりと云はんが如し。】
代々の家臣が主人と敵対し、主人を我が家臣であると主張するようなものなのです。

【何ぞ大罪に行なはれざらんや。】
どうして大罪を免れることができるでしょうか。

【法華経より余経を下す事は人師の言にあらず、】
法華経から余経を下すことは、人師の言葉ではなく、

【経文分明なり。】
経文に明らかに説かれているところです。

【譬へば国王の万人に勝れたりと名乗り、】
例えて言えば、国王が万人に優れていると宣言し、

【侍の凡下を下臈と云はんに、何の禍〔とが〕かあるべきや。】
侍が従者を目下の者と言って、なんの罪があるでしょうか。

【此の経は是仏の御本意なり。】
法華経は、このように仏の本意であり、

【天台・妙楽の正意なり。】
天台大師や妙楽大師が正意とされたところなのです。

【問うて云はく、釈迦一期の説法は皆衆生のためなり。】
それでは、釈尊一期の説法は、皆、衆生の理解度に従って説かれたものであり、

【衆生の根性万差なれば説法も種々なり。】
衆生の性質が千差万別であるので、それに応じて種々の法が説かれたのです。

【何れも皆得道なるを本意とす。】
いずれも、皆、成仏を目指したものなのです。

【然れば我が有縁の経は人の為には無縁なり。】
そこで自分にとって有用の経文は、他人には、無用であり、

【人の有縁の経は我が為には無縁なり。】
したがって他人にとって有用な経文であっても、自分にとっては無縁である。

【故に余経の念仏によりて得道なるべき者の為には、観経等はめでたし、】
念仏によって成仏得道すべき者の為には、観経等が有難い経文であって、

【法華経等は無用なり。】
法華経などは、無用である。

【法華によりて成仏得道なるべき者の為には、余経は無用なり、】
法華経によって成仏得道すべき者の為には、他の経文は、無用であり、

【法華経はめでたし。】
法華経が有難い経文である。

【「四十余年未顕〔みけん〕真実」と説くも】
「四十余年には、未だ真実を顕〔あらわ〕さず」と説かれたり、

【「雖示種々道〔すいじしゅじゅどう〕、】
「種々の道を示すといえども、

【其実為〔ごじっち〕仏乗〔ぶつじょう〕」と云ふも】
それ真実には、仏乗の為なり」と説かれたり、

【「正直捨方便、但説無上道」と云ふも、】
あるいは「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説く」と説かれているのは、

【法華得道の機の前の事なりと云ふ事、】
法華経によって得道すべき機根の人達の為であると言う考え方を、

【世こぞってあはれ然るべき道理かななんど思へり。】
世間の人々も、皆、もっともな話であると思っています。

【如何〔いかが〕心うべきや。】
これを、どう考えるべきでしょうか。

【若〔も〕し爾〔しか〕らば大乗小乗の差別もなく、】
もし、そうであれば、大乗経、小乗経の差別もなく、

【権教実教の不同もなきなり。何れをか仏の本意と説き、】
権教、実教の違いもないことになり、いずれの経文が仏の本意として説かれたのか、

【何れをか成仏の法と説き給へるや。】
いずれの経文を成仏の法門と説かれたのか、分からなくなり、

【甚だいぶかし、いぶかし。】
非常におかしな事になるのではないでしょうか。

【答へて云はく、凡〔およ〕そ仏の出世は始めより】
それは、おそらく仏は出世されて、始めから

【妙法を説かんと思〔おぼ〕し食〔め〕ししかども、】
法華経を説こうと思ったのですが、

【衆生の機縁万差にしてとゝの〔調〕をらざりしかば、】
衆生の理解力が千差万別で整っていない為に、

【三七日の間思惟〔しゆい〕し、四十余年の程こしらへおゝせて、】
三週間、思索されて、四十余年間、方便の諸経を説き、衆生の理解力を整えて、

【最後に此の妙法を説き給ふ。】
最後に、この法華経を説かれたのです。

【故に「若し但〔ただ〕仏乗を讃〔さん〕せば】
それ故に法華経方便品に「もし、ただ仏乗を讃嘆するならば、

【衆生苦に没在〔もつざい〕し、是の法を信ずること能〔あた〕はず。】
衆生は、苦悩に埋没し、この法を信ずる事ができない。

【法を破して信ぜざるが故に三悪道に堕〔お〕ちん」と説き、】
法を破って信じない故に三悪道に堕ちてしまうであろう」と説かれ、

【「世尊の法は久しくして後に】
更に「世尊の法は、久しく時が経った後に、

【要〔かなら〕ず当〔まさ〕に真実を説きたまふべし」とも云へり。】
かならず、まさに真実を説かれるであろう」とも説かれているのです。

【此の文の意は始めより此の仏乗を説かんと思し食ししかども、】
この文章の意味は、仏は、最初から法華経を説こうと思われたが、

【仏法の気分もなき衆生は、】
仏法を求める理解力さえない衆生は、

【信ぜずして定んで謗〔そし〕りを致さん。】
これを信じないのみならず、返って謗るであろうから、

【故に機をひとしなに誘〔いざな〕へ給ふほどに、初めに華厳・阿含・】
理解力を一様に整える為に、初めに華厳、阿含、

【方等・般若等の経を四十余年の間と〔説〕き、最後に法華経をとき給ふ時、】
方等、般若などの経文を四十余年の間、説き続け、最後に法華経を説かれた時、

【四十余年の座席にありし身子〔しんし〕・目連等の万二千の声聞、】
四十余年の間、仏の説法の座に連なった身子、目連などの一万二千の声聞や、

【文殊・弥勒〔みろく〕等の八万の菩薩、万億の輪王〔りんのう〕等、】
文殊、弥勒などの八万の菩薩、万億の輪王など、

【梵王・帝釈等の無量の天人、各〔おのおの〕爾前に聞きし処の法をば】
梵天、帝釈などの無量の天人は、爾前に聞いた経法では、

【「如来の無量の知見を失へりと」云云。法華経を聞いては】
「如来の無量の知見を得る事ができない」と言い、法華経を聞いた所感を述べて

【「無上の宝聚〔ほうじゅ〕求めざるに自〔おの〕づから得たり」と悦び給ふ。】
「無上の宝聚〔ほうじゅ〕求めざるに自〔おの〕づから得たり」と喜ばれたのです。

【されば「我等昔〔いにしえ〕より来〔このかた〕】
その故に「我ら、昔から、このかた、

【数〔しばしば〕世尊の説を聞きたてまつるに、】
しばしば世尊の説を聞いてきたが、

【未だ曾〔かつ〕て是くの如き深妙の上法を聞かず」とも、】
いまだかつて、このような、深妙の上法を聞いたことがない」とも、

【「仏希有〔けう〕の法を説きたまふ、】
「仏は、稀有〔けう〕の法を説かれた。

【昔より未だ曾て聞かざる所なり」とも説き給ふ。】
このような法は、いまだかつて聞いたことがない」とも言っています。

【此等の文の心は四十余年の程、若干の説法を聴聞せしかども、】
これらの文章の意味は、四十余年の間、多くの説法を聴聞したが、

【法華経の様なる法をば総てきかず、】
法華経のような法を全く聞いたことがなく、

【又仏も終に説かせ給はずと法華経を讃〔ほ〕めたる文なり。】
また、仏もいまだかつて説かれる事がなかったと法華経を讃歎した経文です。

【四十二年の聴きと】
このように、四十二年の間に聞いた爾前の法門と、

【今経の聴きとをば、わけ〔分〕たくら〔比〕ぶべからず。】
法華経の法門とを同じように考えて、分けて比較すべきものでは、ありません。

【然るにそれ今経を法華経得道の人の為にして、】
そうである故に法華経は、法華経に依って成仏を目指す人の為のものであり、

【爾前得道の者の為には無用なりと云ふ事、大なる誤りなり。】
爾前で成仏を目指す者には、無用であると言う考えは、大きな誤りなのです。

【をの〔自〕ずから四十二年の経の内には、】
当然のことながら、四十二年の経文は、

【一機一縁の為にしつらう処の方便なれば、】
一機一縁の為に説かれた方便の教えであるから、その中には、

【設〔たと〕ひ有縁無縁の沙汰はありとも、】
衆生にとって有用であったり無用であったりする事もありますが、

【法華経は爾前の経々の座にして得益しつる機どもを、】
法華経は、爾前の経々の会座において当分の得益を受けた理解力を、

【押しふさね〔聚束〕て一純に調〔ととの〕へて説き給ひし間、】
純一に整えて説かれたものであるので、

【有縁無縁の沙汰あるべからざるなり。】
有用とか無用とか有縁とか無縁とか言う事があるはずがないのです。

【悲しいかな大小権実みだりがはしく、仏の本懐を失ひて、】
大小、権実を混乱して、仏の本懐を失うことは、悲しいことであり、

【爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を。】
爾前で成仏を目指す者にとっては、法華経は、無用であるなどと言うことは、

【能〔よ〕く能く慎むべし恐るべし。】
よくよく慎むべきであり、また恐れるべきなのです。

【古〔いにしえ〕の徳一〔とくいち〕大師と云ふ人、此の義を人にも教へ、】
過去に徳一大師と言う人が、この邪義を人に教え、

【我が心にも存じて、さて法華経を読み給ひしを、伝教大師此の人を破し給ふ言に】
自らもそれを信じて、法華経を読んだのですが、伝教大師が、この徳一を破折して

【「法華経を讃むと雖〔いえど〕も還って法華の心を死〔ころ〕す」と】
「法華経を讃〔ほ〕むといえども返って法華の心を死〔ころ〕す」と

【責め給ひしかば、徳一大師は舌八つにさけて失せ給ひき。】
責められたので、徳一大師は、舌が八つに裂けて死んだと言います。


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