御書研鑚の集い 御書研鑽資料
法華初心成仏抄 06 第五章 強いて法華経を説くべし
【問うて云はく、無智の人来たりて生死を離るべき道を問はん時は】
それでは、無智の人が来て、生死を離れる道を質問した時には、
【何れの経の意をか説くべき、】
どの経文の内容を説くべきでしょうか。
【仏如何〔いか〕が教へ給へるや。】
仏は、それを、どのように教えられているのでしょうか。
【答へて云はく、法華経を説くべきなり。所以〔ゆえ〕に法師品に云はく】
それは、法華経を説くべきです。その理由は、法華経法師品に
【「若し人有って何等の衆生か未来世に於て当〔まさ〕に】
「もし人が、どのような衆生が未来世において
【作仏することを得べきと問はゞ応〔まさ〕に示すべし、】
成仏することができるかと問うならば、まさに示すべきである。
【是の諸人等未来世に於て必ず作仏することを得ん」云云。】
法華経を受持する、この諸人などが未来世において必ず成仏する」と説かれ、
【安楽行品に云はく「難問する所有らば小乗の法を以て答へざれ、】
安楽行品には「難じて問うならば、小乗の法を以って答えてはならない。
【但大乗を以て而も為に解説〔げせつ〕せよ」云云。】
ただ、大乗の法をもって答えよ」と説かれています。
【此等の文の心は、何なる衆生か仏になるべきと問はゞ、】
これらの文章の意味は、どのような衆生が仏になるべきかと問われたならば、
【法華経を受持し奉らん人必ず仏になるべしと答ふべきなり。】
法華経を受持した人が、必ず仏になると答えよと言うことなのです。
【是仏の御本意なり。】
これが仏の本意なのです。
【之に付て不審あり。】
しかし、これについて不審があります。
【衆生の根性区〔まちまち〕にして、念仏を聞かんと願ふ人もあり、】
衆生の性質は、それぞれであり、念仏を聞きたいと願う人もいます。
【法華経を聞かんと願ふ人もあり。】
法華経を聞きたいと願う人もいます。
【念仏を聞かんと願ふ人に、法華経を説いて聞かせんは何の得益かあるべき。】
念仏を聞きたいと願う人に法華経を説いて聞かせても何の得益があるでしょうか。
【又念仏を聞かんが為に請〔しょう〕じたらん時にも、】
また、念仏を聞きたいと思う衆生に対した時でも、
【強〔し〕ひて法華経を説くべきか。仏の説法も機に随ひて】
強いて法華経を説くべきでしょうか。仏の説法も聞き手の理解力によって
【得益有るをこそ本意とし給ふらんと】
利益があるかどうかを本意としているのでは、ないでしょうか。
【不審する人あらば云ふべし。】
このように不審に思って尋ねる人がいれば、次のように言うべきです。
【元より末法の世には、】
もとより末法の世にあっては、
【無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず、】
無智の人には、その理解力に合うか合わないかを顧〔かえり〕みず、
【但〔ただ〕強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。】
ただ強いて、法華経の五字の名号を説いて受持させるべきなのです。
【其の故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、】
その理由は、釈迦牟尼仏が、昔、不軽菩薩と言われて法華経を弘められた時には、
【男・女・尼・法師がおしなべて用ひざりき。】
周りの男女や尼僧や僧侶が、一人も漏れなく法華経を信じず、
【或は罵〔ののし〕られ毀〔そし〕られ、或は打たれ追はれ、】
あるいは、罵〔ののし〕られ、毀〔そし〕られ、杖で叩〔たた〕かれ、所を追われ、
【一しなならず、或は怨〔あだ〕まれ嫉〔ねた〕まれ給ひしかども、】
それは、一度ならず、あるいは、怨〔うら〕まれ、嫉〔そね〕まれたけれども、
【少しもこ〔懲〕りもなくして強ひて法華経を説き給ひし故に】
少しも懲〔こ〕りることなく、強いて法華経を説かれたので、
【今の釈迦仏となり給ひしなり。】
今の釈迦牟尼仏となったのです。
【不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず、】
しかし、不軽菩薩を罵〔ののし〕った人は、口も歪(ゆが)まず、
【打ち奉りしかいな〔腕〕もすく〔竦〕まず。】
杖で叩〔たた〕いた腕も竦〔すく〕まなかったのです。
【付法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ、】
付法蔵の師子尊者も外道に殺されました。
【又法道三蔵も火印〔かなやき〕を面〔かお〕にあてられて】
また、法道三蔵も火印〔かなやき〕を顔に押し当てられて、
【江南〔こうなん〕に流され給ひしぞかし。】
江南〔こうなん〕の道州に流されたのです。
【まして末法にかひ〔甲斐〕なき僧の法華経を弘めんには、】
まして、末法において、力がない僧侶が法華経を弘めると、
【かゝる難あるべしと経文に正しく見えたり。】
必ず、このような難があると経文に確かに説かれているのです。
【されば人是を用ひず、機に叶はずと云へども、】
したがって人が、これを信じなくても、理解力に合わないと言っても、
【強ひて法華経の五字の題名を聞かすべきなり。】
強いて法華経の五字の題名を聞かせるべきであると答えるべきなのです。
【是ならでは仏になる道はなきが故なり。】
これ以外には、仏になる道は、ないからなのです。
【又或〔ある〕人不審して云はく、】
また、ある人が、なおも不審に思って言いました。
【機に叶はざる法華経を強ひて説いて謗ぜさせて悪道に人を堕とさんよりは、】
理解力に合わない法華経を強いて説いて、謗〔そし〕らせて悪道に堕とすよりは、
【機に叶へる念仏を説いて発心せしむべし。】
その理解力に合った念仏を説いて、発心させる方が良いのではないでしょうか。
【利益もなく謗ぜさせて返って地獄に堕とさんは、】
利益もなく、謗〔そし〕らせて、返って地獄に堕とすのは、
【法華経の行者にもあらず、邪見の人にてこそ有るらめと】
法華経の行者などではなく、邪見の者ではないかと、
【不審せば云ふべし、】
これに対しては、次のように言うべきです。
【経文には何〔いか〕体〔てい〕にもあれ末法には強ひて法華経を説くべしと】
経文には、理解力の如何に関わらず、末法には、強いて法華経を説くべきであると
【仏の説き給へるをば、さていかゞ心うべく候や。】
仏が説かれているのを、どのように心得たら良いのでしょうか。
【釈迦仏・不軽菩薩・天台・妙楽・伝教等は、さて邪見の人・】
釈迦牟尼仏、不軽菩薩、天台大師、妙楽大師、伝教大師などは、邪見の人であり、
【外道にておはしまし候べきか。】
外道の者とでも言うのかと答えるべきです。
【又悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗と云ふ者をば仏のの給はく、】
また、悪道にも堕ちず、三界の生を離れた二乗と言う者について、仏は、
【設ひ犬野干〔やかん〕の心をば発〔お〕こすとも、二乗の心をもつべからず、】
たとえ、犬や野干の心を起こしても、二乗の心を持ってはならない。
【五逆十悪を作りて地獄には堕つとも、】
五逆罪や十悪を犯して、たとえ地獄に堕ちたとしても、
【二乗の心をばもつべからずなんどと禁〔いまし〕められしぞかし。】
二乗の心だけは、持っては、ならないなどと禁〔いまし〕められています。
【悪道におちざる程の利益は】
悪道に堕ちないと言う利益は、
【争〔いか〕でか有るべきなれども、】
どうして、そのような事があるのかと思われるほどなのですが、
【其をば仏の御本意とも思〔おぼ〕し食〔め〕さず、】
それでも、それを仏の本意とされなかったのです。
【地獄には堕つるとも、仏になる法華経を耳にふれぬれば、】
そして、たとえ地獄に堕ちても、仏になる法華経を聞くことが出来たならば、
【是を種として必ず仏になるなり。】
これを仏種として、必ず仏になると説かれたのです。
【されば天台・妙楽も此の心を以て、】
それ故に天台大師や妙楽大師も、この心によって、
【強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。】
強いて法華経を説くべきであると解釈されているのです。
【譬へば人の地に依りて倒れたる者の、】
たとえば、地面につまずいて倒れた者が、
【返って地をおさへて起〔た〕つが如し。】
返って、地面に手を着いて起き上がるようなものなのです。
【地獄には堕つれども、疾〔と〕く浮かんで仏になるなり。】
地獄には、堕ちるけれども、速やかに浮かんで仏になるのです。
【当世の人何となくとも法華経に背く失〔とが〕に依りて、】
現在の人は、何は、なくても、法華経に背く罪に依って、
【地獄に堕ちん事疑ひなき故に、】
地獄に堕ちることは、疑いないのですから、
【とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、】
ともかくも、法華経を強いて説き聞かせるべきなのです。信ずる人は、仏になり、
【謗ぜん者は毒鼓〔どっく〕の縁となって仏になるべきなり。】
誹謗する者は、毒鼓〔どっく〕の縁となって仏になるのです。
【何〔いか〕にとしても仏の種は法華経より外になきなり。】
どちらにしても、仏の種は、法華経より外にないのです。
【権教をもて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強ひて法華経を説きて、】
もし権教をもって仏になれるのであれば、どうして仏は、強いて法華経を説いて、
【謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き、】
謗〔そし〕る者にも、信じる者にも、利益があると説き、
【我不愛身命とは仰せらるべきや。】
我、身命を愛せずと言われるのでしょうか。
【よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり。】
求道心がある人は、よくよく、このことを心得なければなりません。
【問うて云はく、無智の人も法華経を信じたらば】
それでは、無智の人でも法華経を信じたならば、
【即身成仏すべきか。】
即身成仏することができるのでしょうか。
【又何れの浄土に往生すべきぞや。】
また、どの浄土に往生することができるのでしょうか。
【答へて云はく、法華経を持つにおいては、深く法華経の心を知り、】
それは、法華経を持〔たも〕つにあたっては、深く法華経の心を知り、
【止観の坐禅をし一念三千・十境・十乗の観法をこらさん人は、】
止観の坐禅をし、一念三千、十境、十乗の観法を一心に行う人は、
【実に即身成仏し解〔さと〕りを開く事も有るべし。】
すぐに即身成仏し、悟りを開くこともあるでしょう。
【其の外に法華経の心をもしらず、無智にしてひら〔平〕信心の人は、】
その他に、法華経の心も知らず、無智であっても、信心が一途の人は、
【浄土に必ず生まるべしと見えたり。】
浄土に必ず生まれると思われます。
【されば生十方仏前と説き、】
それ故に法華経の提婆達多品には、十方諸仏の前に生まれと説き、
【或は即往安楽世界と説きき。】
薬王菩薩本事品には、即往安楽世界と説いてあります。
【是の法華経を信ずる者の往生すと云ふ明文なり。】
これは、法華経を信ずる者が仏国土に往生すると言う明らかな文章なのです。
【之に付いて不審あり。其の故は我が身は一にして、】
これについては、不審があります。その理由は、我が身は、一つなのに
【十方の仏前に生まるべしと云ふ事心得られず。】
十方諸仏の前に生まれると言うことは、納得できません。
【何れにてもあれ一方に限るべし。】
どこであったにしても、一ヶ所に限るべきです。
【正に何れの方をか信じて往生すべきや。】
まさに、どの方向を信じて往生すべきなのでしょうか。
【答へて云はく、一方にさだめずして十方と説くは】
それに答えると、一方に定めずに十方と説いているのは、
【最もいはれあるなり。】
もっともな理由があるのです。
【所以〔ゆえ〕に法華経を信ずる人の一期〔ご〕終はる時には、】
その理由は、法華経を信ずる人が一生を終える時には、
【十方世界の中に法華経を説かん仏のみもと〔御許〕に生まるべきなり。】
十方世界の中で法華経を説く仏のもとに生まれるのであり、
【余の華厳・阿含・方等・般若経を説く浄土へは生まるべからず。】
他の華厳、阿含、方等、般若経を説く浄土へは、生まれないのです。
【浄土十方に多くして、声聞の法を説く浄土もあり、】
浄土は、十方に多くあって、声聞の法を説く浄土もあり、
【辟支仏〔びゃくしぶつ〕の法を説く浄土もあり、】
辟支仏〔びゃくしぶつ〕の法を説く浄土もあり、
【或は菩薩の法を説く浄土もあり。】
あるいは、菩薩の法を説く浄土もあるのです。
【法華経を信ずる者は此等の浄土には一向に生まれずして、】
法華経を信ずる者は、これらの浄土には、全く生まれずに、
【法華経を説き給ふ浄土へ直ちに往生して】
法華経を説かれる浄土へ、直ちに往生して、
【座席に列〔つらな〕りて法華経を聴聞して、やがてに仏になるべきなり。】
その会座に列なって法華経を聞き、すぐさま仏になるのです。
【然るに今世にして法華経は機に叶はずと云ひうと〔疎〕めて、】
ところが、今生で法華経は、理解力に適わないと言って疎〔うと〕んじ、
【西方浄土にて法華経をさとるべしと云はん者は、】
西方浄土で法華経を悟ろうと言う者は、
【阿弥陀の浄土にても法華経をさとるべからず、】
阿弥陀仏の浄土に往生して法華経を悟るのでもなく、
【十方の浄土にも生まるべからず。】
十方諸仏の浄土にも生まれないのです。
【法華経に背く咎〔とが〕重きが故に、永く地獄に堕つべしと見えたり。】
法華経に背く罪が重いので、永く地獄に堕ちなければならないのです。
【其人〔ごにん〕命終】
法華経譬喩品に、その人、命終して、
【入阿鼻獄と云へる是なり。】
阿鼻獄〔あびごく〕に入らんと説かれているのがこれなのです。