日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


法華初心成仏抄 04 第三章 法華経の肝心たる南無妙法蓮華経


【問うて云はく、天台の釈の中に】
それでは、天台大師の解釈の中に、

【菩薩処々〔しょしょ〕得入〔とくにゅう〕と云ふ文は、】
菩薩は、処々に入ることを得るとありますが、この文章は、

【法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならず、】
法華経は、ただ声聞、縁覚の二乗の為の経であって菩薩の為の経文ではなく、

【菩薩は爾前の経の中にしても得道なると見えたり。】
菩薩は、爾前の経々において成仏したと言う意味と思われますが、

【若し爾らば未顕真実も】
もし、そうであれば無量義経に未だ真実を顕さずと説かれていることも、

【正直捨方便等も、】
また、法華経方便品に正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くとあることも、

【総じて法華経八巻の内、皆以て二乗の為にして、】
おおむね、法華経八巻の中に説かれていることは、皆、二乗の為であって、

【菩薩は一人も有るまじきと意〔こころ〕うべきか如何〔いかん〕。】
菩薩には、一切、関係のないものと思いますが、いかがでしょうか。

【答へて云はく、法華経は但二乗の為にして】
それは、法華経は、ただ二乗の為の経文であって、

【菩薩の為ならずと云ふ事は、】
菩薩の為のものではないと言う主張は、

【天台より已前唐土に南三北七と申して】
天台大師が出世する以前、中国に南三北七と言って十の流派があり、

【十人の学匠の義なり。】
その十人の学者が立てた主張なのです。

【天台は其の義を破し失〔う〕せて今は弘まらず。】
天台大師は、その義をことごとく破折して、今は、全く弘まっていません。

【若し菩薩なしと云はゞ、】
もし、法華経に菩薩の成仏の意義がないと言うのなら、法華経方便品に、

【菩薩是の法を聞いて疑網〔ぎもう〕皆已〔すで〕に除こると云へる、】
菩薩は、この法を聞いて疑いを、皆、すでに除いたと説かれており、

【豈〔あに〕是菩薩の得益なしと云はんや。】
どうして菩薩に成仏の得益がないなどと言えるでしょうか。

【それに尚鈍根の菩薩は二乗とつ〔連〕れて得益あれども、】
それでもなお、理解力が乏しい菩薩には、二乗とともに得益があるが、

【利根の菩薩は爾前の経にて得益すと云はゞ】
上位の菩薩は、爾前経において成仏すると言うのならば、法華経薬草喩品の中に

【「利根鈍根等しく法雨を雨〔ふ〕らす」と説き、】
「理解力があってもなくても等しく法雨をふらす」と説かれ、さらに法華経法師品に

【「一切の菩薩の阿耨多羅〔あのくたら〕三藐三菩提〔さんみゃくさんぼだい〕は】
「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提〔あのくたらさんみゃくさんぼだい〕の悟りは、

【皆此の経に属せり」と説くは何〔いか〕に。】
皆、この経に属している」とあるのは、どのように解釈すれば良いのでしょうか。

【此等の文の心は、利根にてもあれ鈍根にてもあれ、】
そもそも、これらの経文の意味は、理解力があってもなくても、

【持戒にてもあれ破戒にてもあれ、貴きもあれ賤しきもあれ、】
持戒であれ破戒であれ、貴きも賤しきも、

【一切の菩薩・凡夫・二乗は法華経にて成仏得道なるべしと云ふ文なるをや。】
すべての菩薩、凡夫、二乗は、法華経が成仏の道であると言うことなのです。

【又法華得益の菩薩は皆鈍根なりと云はゞ、】
また、法華経で得益した菩薩は、皆、理解力がない菩薩であると言うのなら、

【普賢・文殊・弥勒・薬王等の八万の菩薩をば鈍根なりと云ふべきか。】
普賢、文殊、弥勒、薬王などの八万の菩薩を愚かな菩薩と言うのでしょうか。

【其の外に爾前の経にて得道する利根の菩薩と云ふは】
これらの菩薩の他に、爾前の諸経によって成仏する理解力が優れた菩薩とは、

【何様なる菩薩ぞや。】
どのような菩薩を指すのでしょうか。

【抑〔そもそも〕爾前に菩薩の得道と云ふは】
そもそも、爾前経にある菩薩の成仏の道と言うのは、

【法華経の如き得道にて候か。】
法華経で説くような成仏の道を指して、言っているのでしょうか。

【其れならば法華経の得道にて、】
もし、法華経のような成仏の道であれば、それは、法華経の道であって、

【爾前の得分にあらず。又法華経より外の得道ならば、】
爾前の成仏の道とは違うのです。また、法華経とは、別の成仏の道ならば、

【已今当の中には何れぞや。】
過去、現在、未来の三説の中では、いずれに属するのでしょうか。

【いかさまにも法華経ならぬ得道は当分の得道にて】
どう考えても、法華経以外の成仏の道と言うのは、一応の成仏の道であって、

【真実の得道にあらず。】
真実の成仏の道では、ないのです。

【故に無量義経には「是の故に衆生の得道差別せり」と云ひ、】
それ故に無量義経には「この故に衆生の成仏の道に差別がある」と説かれ、

【又「終〔つい〕に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり。】
また「ついに真実の成仏をすることができず」と説かれています。

【文の心は爾前の経々には】
文章の意味するところは、爾前の諸経においては、

【得道の差別を説くと云へども、】
権〔かり〕の一応の成仏の道であるから、成仏の道に差別があると説くが、

【終に無上菩提の法華経の得道はなしとこそ仏は説き給ひて候へ。】
結局は、法華経のような真実の成仏の道ではないと仏は、説かれているのです。

【問うて云はく、当時は釈尊入滅の後今に二千二百三十余年なり。】
それでは、現在は、釈迦牟尼仏が入滅して後、二千二百三十余年にあたります。

【一切経の中に何れの経か時に相応して弘まり利生も有るべきや。】
すべての経文の中で、どの経文が時に応じて弘まり、利益もあるのでしょうか。

【大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり。】
現在は、大集経に説かれている五の五百歳の中の第五の五百歳にあたっています。

【其の第五の五百歳をば闘諍〔とうじょう〕堅固〔けんご〕・】
その第五の五百歳は「闘諍堅固〔とうじょうけんご〕、

【白法〔びゃくほう〕隠没〔おんもつ〕と云ひて、人の心たけく】
白法隠没〔びゃくほうおんもつ〕」と言って、人の心は猛々しく、

【腹あしく貪欲〔とんよく〕瞋恚〔しんに〕強盛なれば】
腹黒く、貪欲で怒りの心が強いので、

【軍〔いくさ〕合戦のみ盛んにして、仏法の中に先々弘まりし所の】
戦争や内戦が盛んになり、仏法の中の以前より弘まっていた、

【真言・禅宗・念仏・持戒等の白法は隠没すべしと仏説き給へり。】
真言宗、禅宗、念仏宗、持戒などの白法は、消滅すると仏は説かれました。

【第一の五百歳、第二の五百歳、第三の五百歳、第四の五百歳を見るに、】
第一の五百歳、第二の五百歳、第三の五百歳、第四の五百歳を見ると、

【成仏の道こそ未顕真実なれ、】
成仏の道については、未だ真実を顕していなくても、

【世間の事法〔じほう〕は仏の御言一分も違はず。】
世間の事柄については、仏の言葉は、少しも相違がなかったのです。

【是を以て之を思ふに、】
その事を以って思うに、大集経に説かれている第五の五百歳の

【当時の闘諍堅固・白法隠没の金言も違ふ事あらじ。】
現在が「闘諍堅固、白法隠没」であることは、疑う事もないでしょう。

【若し爾らば末法には何れの法も得益あるべからず、】
もしそうであれば、末法にいずれの法も成仏の道であるはずはなく、

【何れの仏菩薩も利生あるべからずと見えたり、如何〔いかん〕。】
いずれの仏、菩薩も成仏の道の模範とも思えず、

【さてもだ〔黙止〕して、何れの仏菩薩にもつかへ奉らず、何れの法をも行ぜず、】
いずれの仏、菩薩にも仕えず、いずれの法をも修行せずに、ただ、黙って、

【憑〔たの〕む方〔かた〕なくして候べきか。】
頼むべき成仏への道がないのは、どうしようもないのでしょうか。

【後世をば如何〔いか〕が思ひ定め候べきや。】
このような状態で後世については、どのように思い定めたら良いのでしょうか。

【答へて云はく、末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・】
それは、末法の今は、久遠実成の釈迦牟尼仏、上行菩薩、

【無辺行菩薩等の弘めさせ給ふべき法華経二十八品の肝心たる】
無辺行菩薩などが弘められている、法華経二十八品の肝心である

【南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり、】
南無妙法蓮華経の七字だけが、この国に弘まって、衆生の利益もあり、

【上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり。】
上行菩薩の衆生の利益が盛んになるべき時なのです。

【其の故は経文明白なり。】
その理由は、経文に明白です。

【道心堅固にして志あらん人は委〔くわ〕しく是を尋ね聞くべきなり。】
求道心が強く志がある人は、詳しく、これを知るべきです。

【浄土宗の人々は、末法万年には余経悉〔ことごと〕く滅し、】
しかし、浄土宗の人々は、末法の一万年には、余経は、ことごとく消滅し、

【弥陀一教のみと云ひ、】
ただ阿弥陀仏の一教のみが残ると言い、

【又、当今末法は是五濁悪世、】
また、末法の現在は、これ五濁の悪世であり、

【唯浄土の一門のみ有って通入すべき路なりと云ひて、】
ただ浄土の一門のみが成仏へ入るべき道であると言い、

【虚言〔そらごと〕して大集経に云はくと引けども、】
嘘をついて、それが大集経にあると言っているけれども、

【彼の経に都〔すべ〕て此の文なし。】
この経文には、そのような文章など何処にもなく、

【其の上あるべき様もなし。仏の在世の御言に、】
その上に有るべき様子もなく、釈迦牟尼仏が生存中の言葉に、

【当今末法五濁悪世には但浄土の一門のみ入るべき道なりとは、】
現在の末法の五濁悪世に、ただ浄土の一門だけが入るべき道であると、

【説き給ふべからざる道理顕然〔けんねん〕なり。】
説かれていないことは、道理であり、明らかなのです。

【本経には「当来の世〔よ〕経道滅尽し、】
無量寿経には「きたるべき世には、経道滅尽するけれども、

【特〔ひと〕り此の経を留めて止住すること百歳ならん」と説けり。】
ひとり、この経を留めて止住すること百歳である」と説かれています。

【末法一万年の百歳とは全く見えず。】
このように、末法一万年の中の百歳とは、全く見えず、

【然るに平等覚経・大阿弥陀経を見るに、】
平等覚経や大阿弥陀経を見ると、

【仏滅後一千年の後の百歳とこそ意〔こころ〕えられたれ。】
仏滅後一千年の後の百歳という意味なのです。

【然るに善導が惑〔まど〕へる釈をば尤〔もっと〕も道理と】
そうであるのに、善導の間違った解釈を、もっともな道理であると、

【人皆思へり。是は諸〔これ〕僻案〔びゃくあん〕の者なり。】
人は、皆、思っていますが、これは、間違った考えなのです。

【但し心あらん人は世間のこと〔理〕はりをもって推察せよ。】
心ある人は、世間の道理をもって推察してください。

【大旱魃〔かんばつ〕のあらん時は大海が先にひ〔干〕るべきか、】
大旱魃のある時は、大海が先に干上がるか、

【小河〔しょうが〕が先にひ〔干〕るべきか。】
小川が先に干上がるか、

【仏是を説き給ふには法華経は大海なり、】
仏は、このことを説かれて、法華経は、大海であり、

【観経・阿弥陀経等は小河なり。】
観経、阿弥陀経などは、小川であると例えられているのです。

【されば念仏等の小河の白法こそ先にひるべしと経文にも説き給ひて候ひぬれ。】
したがって、念仏などの小川の白法が先に干上がると経文にも説かれているのです。

【大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳白法隠没と云へると、】
大集経に五の五百歳の中の第五の五百歳は、白法隠没と説いているのと、

【双観〔そうかん〕経に経道滅尽と云へるとは但一つ心なり。】
無量寿経に経道が消滅すると説かれているのは、同じことなのです。

【されば末法には始めより双観経等の】
したがって末法では、始めから無量寿経などの

【経道滅尽すと聞こえたり。】
経道が消滅している事は、明らかなのです。

【経道滅尽と云へるは経の利生の滅すと云ふ事なり。】
経道が消滅すると言うのは、経文の衆生への利益が滅すると言う意味なのです。

【色の経巻あるにはよるべからず。】
実際の経巻に意味がないと言う事とは、違うのです。

【されば当時は経道滅尽の時に至って二百歳に余れり。】
したがって、現在は、経道の消滅の時になってから、すでに二百年が過ぎています。

【此の時は但法華経のみ利生得益あるべし。】
この時は、ただ法華経のみが衆生に利益があるのです。


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