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法華初心成仏抄 08 第七章 一切衆生皆成仏道の妙法
【問うて云はく、経文に「四十余年未だ真実を顕はさず」と云ひ、】
それでは、無量義経に「四十余年の間は、未だ真実を顕わさず」と説き、
【又「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも】
また「無量無辺不可思議阿僧祇劫〔あそうぎこう〕を過ぎるとも、
【終に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり。】
ついに無上菩提を成ずることを得られない」と説かれています。
【此の文は何〔いか〕体〔てい〕の事にて候や。】
この文章は、どう言う意味なのでしょうか。
【答へて云はく、此の文の心は釈迦仏一期五十年の説法の中に】
それは、この文章の意味は、釈迦牟尼仏が一代五十年の説法の中で、
【始めの華厳経にも真実をとかず、】
始めの華厳経にも真実を説かず、
【中の方等般若にも真実をとかず。】
中間の方等経や般若経にも真実を説いていないのです。
【此の故に禅宗・念仏・戒等を行ずる人は】
したがって、禅宗、念仏宗、戒律などを修行する人は、
【無量無辺劫をば過ぐとも仏にならじと云ふ文なり。】
無量無辺劫を経過しても仏に成れないと言うことなのです。
【仏四十二年の歳月を経て後、法華経を説き給ふ文には】
仏が四十二年の歳月を経た後、法華経を説かれた文章には、
【「世尊の法は久しくして後に】
「世尊の法は、久しく、時が経った後に
【要〔かなら〕ず当〔まさ〕に真実を説きたまふべし」と仰せられしかば、】
必ず真実が説かれるであろう」と予言されて、
【舍利弗等の千二百の羅漢、万二千の声聞、】
舎利弗などの千二百の阿羅漢、一万二千人の声聞、
【弥勒等の八万人の菩薩、梵王・帝釈等の万億の天人、】
弥勒などの八万人の菩薩、梵王、帝釈などの万億の天人、
【阿闍世〔あじゃせ〕王等の無量無辺の国王、仏の御言を領解する文には】
阿闍世王などの無量無辺の国王は、仏の言葉を理解して
【「我等昔より来〔このかた〕数〔しばしば〕世尊の説を聞きたてまつるに、】
「我ら、過去より、しばしば、世尊の説を聞きたてまつるに、
【未だ曾て是くの如き深妙の上法を聞かず」と云ひて、】
未だかつて、是くの如き深妙の素晴らしい法を聞かず」と述べて、
【我等仏に離れ奉らずして四十二年若干の説法を聴聞しつれども、】
我らは、仏に離れることなく四十二年の間、多くの説法を聞いて来たが、
【いまだ是くの如く貴き法華経をばき〔聴〕かずと云へる。】
末だ、このように貴〔とうと〕い法華経を聞かずと言ったのです。
【此等の明文をばいかゞ心えて、世間の人は法華経と余経と等しく思ひ、】
このように明らかな文章があるのに、どうして、法華経と余経とを等しいと思い、
【剰〔あまつさ〕へ機に叶はねば闇の夜の錦、こぞ〔去年〕の暦なんど云ひて、】
理解力に合わないので、闇夜の錦であるとか、去年の暦であるなどと言って、
【適〔たまたま〕持〔たも〕つ人を見ては】
たまたま、法華経を持〔たも〕つ人を見ては、
【賤しみ軽しめ悪〔にく〕み嫉〔ねた〕み】
賤〔いや〕しみ、軽〔かろ〕んじ、憎〔にく〕み、嫉〔そね〕み、
【口をすく〔疎〕めなんどする、】
口を閉ざすなどをしている世間の人々は、
【是併〔しかしなが〕ら謗法なり。】
この明らかな文章の意味を、どのように心得ているのでしょうか。
【争〔いか〕でか往生成仏もあるべきや。】
これこそ謗法であり、どうして往生成仏ができるのでしょうか。
【必ず無間地獄に堕〔お〕つべき者と見えたり。】
必ずや無間地獄に堕ちると思われるのです。
【問うて云はく、凡〔およ〕そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば、】
それでは、およそ仏法を良く心得て、仏の本意に適った人を、
【世間に是を重んじ一切是を貴む。】
世間では、これを重んじ、一切の人は、これを貴〔とうと〕びます。
【然るに当世法華経を持つ人々をば、】
ところが現在の世は、法華経を持〔たも〕つ人々を、
【世こぞって悪〔にく〕み嫉〔ねた〕み軽しめ賤しみ、】
世間は、そろって憎〔にく〕み、嫉〔そね〕み、軽〔かろ〕んじ、賤〔いや〕しみ、
【或は所を追ひ出だし、或は流罪し、】
あるいは、追放し、あるいは、流罪にして、
【供養をなすまでは思ひもよらず、怨敵の様ににくまるゝは、】
まして供養するなどとは、思いもよらない状態で、怨敵のように憎まれているのは、
【いかさまにも心わろ〔悪〕くして、仏意にもかなはず、】
どう考えてみても、心がけが悪く、仏の本意にも敵わず、
【ひが〔僻〕さまに法を心得たるなるべし。】
間違って法を心得ているからでしょう。
【経文には如何が説きたるや。】
このような状態を経文では、どのように説かれているのでしょうか。
【答へて云はく、経文の如くならば、末法の法華経の行者は人に悪まるゝ程に】
それは、経文では、末法の法華経の行者については、人に憎まれるほど、
【持つを実の大乗の僧とす。】
受持する者を真実の大乗の僧とするのです。
【又経を弘めて人を利益する法師なり。】
また、法華経を弘めて人を利益する法師であるとしています。
【人に吉しと思はれ、人の心に随ひて貴しと思はれん僧をば、】
人に良く思われ、人の心に従って、貴〔とうと〕いと思われる僧侶は、
【法華経のかたき世間の悪知識なりと思ふべし。】
法華経の敵〔かたき〕であり、世間の悪知識と思ってください。
【此の人を経文には、猟師の目を細めにして鹿をねらひ、】
この人を経文には、猟師が目を細めにして、鹿を狙〔ねら〕い、
【猫の爪を隠して鼠をねらふが如くして、在家の俗男俗女の檀那を】
猫が爪を隠して鼠を狙うようにして、在家の男女の檀那に
【へつらひ、いつわ〔偽〕りたぼらかすべしと説き給へり。】
諂〔へつら〕い、偽〔いつわ〕り、たぶらかすであろうと説かれています。
【其の上勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、】
その上、法華経勧持品には、法華経の敵人として三種類を挙げられていますが、
【一には在家の俗男俗女なり。】
一つには、在家の男女なのです。
【此の俗男俗女は法華経の行者を憎み罵〔ののし〕り、】
この男女は、法華経の行者を、憎〔にく〕み、罵〔ののし〕り、
【打ちはり、きり殺し、所を追ひ出だし、】
殴〔なぐ〕りつけ、切り殺し、追放し、
【或は上へ讒奏〔ざんそう〕して遠流〔おんる〕し、】
あるいは、権力者に嘘を報告し、遠流し、
【なさけなくあだむ者なり。二には出家の人なり。】
情け容赦なく怨〔うら〕む者のことです。二には、出家の人です。
【此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども、】
この人は、慢心が高く、内心は、無智であるけれども、
【智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて、法華経の行者を見ては】
智者のように見せかけて、世間の人に学匠と思われ、法華経の行者を見ては、
【怨〔あだ〕み嫉〔ねた〕み軽しめ賤しみ、】
怨〔うら〕み、嫉〔そね〕み、軽〔かろ〕んじ、賤〔いや〕しみ、
【犬野干よりもわろ〔悪〕きやう〔様〕を人に云ひうとめ、】
犬や野干よりも始末が悪いと人に言って、
【法華経をば我一人心得たりと思ふ者なり。】
法華経を自分一人が心得ていると思う者です。
【三には阿練若〔あれんにゃ〕の僧なり。】
三つは、阿練若〔あれんにゃ〕の僧侶です。
【此の僧は極めて貴き相を形に顕はし、】
この僧侶は、極めて貴い姿を形に顕わし、
【三衣〔さんね〕一鉢〔いっぱち〕を帯して】
戒律を守って、三衣〔さんね〕一鉢〔いっぱち〕しか持たないほど清貧であり、
【山林の閑〔しず〕かなる所に籠〔こも〕り居て、】
山林の静かな所に住んで、
【在世の羅漢の如く諸人に貴まれ、】
釈尊在世の阿羅漢のように諸人に貴〔とうと〕ばれ、
【仏の如く万人に仰がれて、法華経を説の如くに】
仏のように万人に尊敬されており、法華経を説かれた通りに、
【読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云はく、】
読み持〔たも〕つ僧を見ては、憎〔にく〕み、嫉〔そね〕んで、
【大愚癡の者大邪見の者なり、】
大愚癡〔ぐち〕の者であり、大邪見の者である、
【総て慈悲なき者の外道の法を説くなんど云はん。】
全く慈悲のない者で、外道の法を説いているなどと言うのです。
【上一人より仰いで信を取らせ給はゞ】
上一人から尊敬され、信じられているから、
【其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし。】
その以下の万人も、仏に対するように供養をするのです。
【法華経を説の如くよみ持たん人は】
法華経を説の通りに読み持〔たも〕つ人は、
【必ず此の三類の敵人に怨まるべきなりと仏説き給へり。】
必ず、この三種類の敵人に怨〔うら〕まれるであろうと仏は説かれています。
【問うて云はく、仏の名号を持つ様に、法華経の名号を】
それでは、仏の名号を持つように、法華経の名号を
【取り分けて持つべき証拠ありや、如何。】
特別なものとして持〔たも〕つべきであるとする証拠は、あるのでしょうか。
【答へて云はく、経に云はく「仏諸の羅刹女に告げたまはく、】
それは、法華経陀羅尼品に「仏、諸の羅刹〔らせつ〕女に告げたまわく、
【善きかな善きかな、汝等但能く法華の名を受持する者を擁護〔おうご〕せん】
素晴らしい、素晴らしい、汝ら、よく法華の名を受持する者を擁護する、
【福量〔はか〕るべからず」云云。此の文の意は、】
その福、量〔はか〕るべからず」と説かれています。この文章の意味は、
【十羅刹〔じゅうらせつ〕の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給へるを、】
十羅刹〔じゅうらせつ〕女が法華経の名号を持つ人を護ろうと誓いを立てたのを、
【大覚世尊讃めて言〔のたま〕はく、善きかな善きかな、】
大覚世尊が讃嘆されて「素晴らしい、素晴らしい、
【汝等〔なんだち〕南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳、】
あなた方が南無妙法蓮華経と受け持〔たも〕つ人を守る功徳は、
【いくら程とも計りがたくめでたき功徳なり、】
どれくらいかわからないほどの素晴らしい功徳であり、
【神妙なり、と仰せられたる文なり。】
立派な志〔こころざし〕である」と述べられたのです。
【是我等衆生の行住〔ぎょうじゅう〕坐臥〔ざが〕に】
これは、我ら衆生の日常の立ち居振る舞いの中で常に
【南無妙法蓮華経と唱ふべしと云ふ文なり。】
南無妙法蓮華経と唱えるべきであると言う文章です。
【凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と】
そもそも妙法蓮華経とは、我ら衆生の仏性と、梵王や帝釈などの仏性と、
【舍利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、】
舎利弗や目連などの仏性と、文殊や弥勒などの仏性と、
【三世諸仏の解りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。】
三世の諸仏の悟りの妙法とが、一体不二である理を妙法蓮華経と名づけたのです。
【故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・】
それ故に、ひとたび、妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏、一切の法、一切の菩薩、
【一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・】
一切の声聞、一切の梵王、帝釈、閻魔〔えんま〕、日月、星々、天神、地神、
【乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を】
及び、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の一切衆生の心の中の仏性を、
【唯〔ただ〕一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。】
ただ、一声で呼び現わすのであって、その功徳は、無量無辺なのです。
【我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、】
日蓮己心の妙法蓮華経を本尊と崇〔あが〕めて、日蓮己心の中の仏性を、
【南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。】
南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて、顕われるところを仏と言うのです。
【譬へば籠〔かご〕の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。】
たとえば、籠の中の鳥が鳴けば、空をとぶ鳥が呼ばれて集まるようなものなのです。
【空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し。】
空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も外に出ようとします。
【口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。】
口に妙法を唱え呼べば、日蓮の身の仏性も呼ばれ来て、必ず顕われるのです。
【梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。】
梵王や帝釈の仏性は、呼ばれ来て、我らを守ります。
【仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。】
仏や菩薩の仏性は、呼ばれて来て、讃嘆されます。それ故に法華経の見宝搭品には
【されば「若〔も〕し暫〔しばら〕くも持つ者は我れ則ち歓喜す】
「もし、少しの間でも、持〔たも〕つ者がいれば、我れ即〔すなわ〕ち歓喜す。
【諸仏も亦然なり」と説き給ふは此の心なり。】
諸仏も、また同じである」と説かれているのは、この意味なのです。
【されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給ひしなり。】
したがって、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏に成られたのです。
【三世の諸仏の出世の本懐、】
三世の諸仏の出世の本懐であり、
【一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。】
一切衆生が、皆、仏道を成ずる妙法と言うのは、これなのです。
【是等の趣〔おもむき〕を能く能く心得て、】
これらの趣旨を、よくよく心得て、
【仏になる道には我慢〔がまん〕偏執〔へんしゅう〕の心なく、】
仏になる道には、我慢〔がまん〕偏執〔へんしゅう〕の心なく、
【南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。】
南無妙法蓮華経と唱えるべきなのです。