日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


法華初心成仏抄 07 第六章 題目を唱える女性は、やすやすと成仏


【問うて云はく、即往安楽世界阿弥陀仏と云云。】
それでは、即往、安楽世界、阿弥陀仏とありますが、

【此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は、】
この文章の意味は、法華経を受持する女性は、

【阿弥陀仏の浄土に生まるべしと説き給へり。】
阿弥陀仏の浄土に生まれると言うことであり、

【念仏を申しても阿弥陀の浄土に生まるべしと云ふ。】
念仏を称〔とな〕えても、阿弥陀仏の浄土に生れるであろうと言っています。

【浄土既に同じ、念仏も法華経も等しと心え〔得〕候べきか如何〔いかん〕。】
浄土は、全く同じなのです。念仏も法華経も等しいと心得てよいでしょうか。

【答へて云はく、観経は権教なり。】
それは、観経は、権教なのです。

【法華経は実教なり、全く等しかるべからず。】
法華経は、実教であり、全く等しくは、ありません。

【其の故は仏世に出でさせ給ひて、四十余年の間多くの法を説き給ひしかども、】
その理由は、仏が世に出現されて四十余年の間、多くの法を説かれたけれども、

【二乗と悪人と女人とをば簡〔きら〕ひはてられて、】
二乗と悪人と女人とを嫌われて、

【成仏すべしとは一言も仰せられざりしに、】
成仏することができるとは、一言も説かれなかったのですが、

【此の経にこそ敗種〔はいしゅ〕の二乗も三逆の調達〔ちょうだつ〕も】
この法華経には、芽が出ない仏種の二乗も、三逆罪を犯した提婆達多も、

【五障の女人も仏になるとは説き給ひ候ひつれ。】
五つの障りがあるとされた女性も、仏になると説かれたのです。

【其の旨経文に見えたり。華厳経には「女人は地獄の使ひなり】
その趣旨は、経文に記されています。華厳経には「女性は、地獄の使いである。

【能く仏の種子を断ず外面は菩薩に似て】
よく仏の種子を断ず。外面は、菩薩に似て、

【内心は夜叉の如し」と云へり。】
内心は、夜叉の如し」と説かれています。

【銀色女〔ごんじきにょ〕経には「三世の諸仏の眼は抜けて大地に落つるとも、】
銀色女経には「三世の諸仏の眼が取れて、大地に落ちたとしても、

【法界の女人は永く仏になるべからず」と見えたり。】
法界の女性は、永く仏になるべからず」とあります。

【又経に云はく「女人は大鬼神なり、能く一切の人を喰らふ」と。】
また、ある経には「女性は、大鬼神なり。一切の人を食う」と説かれています。

【竜樹菩薩の大論には】
竜樹菩薩の大智度論には

【「一度女人を見れば永く地獄の業を結ぶ」と見えたり。】
「一度、女性を見れば、永く地獄の業因を積む」とあります。

【されば実〔まこと〕にてや有りけん、善導和尚は謗法なれども】
これらは、真実でしょうか、善導和尚は、謗法の者であるけれども、

【女人をみずして一期生と云はれたり。】
女性を見ずに一生を過ごしたと言われています。

【又業平〔なりひら〕が歌にも、】
また、在原業平〔ありわらのなりひら〕が歌にも、

【葎〔むぐら〕を〔生〕いてあれ〔荒〕たるやど〔宿〕のうれ〔憂〕たきは】
葎〔むぐら〕生〔お〕いて、荒たる宿の憂〔うれ〕たきは、

【か〔仮〕りにも鬼のすだく〔集〕なりけりと云ふも、】
仮りにも、鬼のすだく也〔なり〕けりと言う詩がありますが、

【女人をば鬼とよめるにこそ侍〔はべ〕れ。】
女性を鬼と詠んでいるのです。

【又女人には五障三従と云ふ事有るが故に罪深しと見えたり。】
また、女性には、五障三従と言う事がある為に罪深いとされています。

【五障とは、一には梵天王、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、】
五障とは、一には、梵天王、二には、帝釈、三には、魔王、四には、転輪聖王、

【五には仏にならずと見えたり。】
五には、仏、これらには、成れないと言うことです。

【又三従とは、女人は幼き時は親に従ひて心にまかせず、】
また、三従とは、女人は、幼い時には、親に従って思うようにならず、

【人となりては男に従ひて心にまかせず、】
成人となってからは、夫に従って思うようにならず、

【年よりぬれば子に従ひて心にまかせず。】
年老いたときには、子に従って思うようにならない。

【加様に幼き時より老耄〔ろうもう〕に至るまで三人に従ひて心にまかせず、】
このように幼い時から老年に至るまで、この三人に従って思うようにならず、

【思ふ事もいはず、見たき事をもみず、聴聞したき事もきかず、】
思ったことも言えず、見たいことも見ることができず、聞きたいことも聞けない。

【是を三従とは説くなり。】
これを三従というのです。

【されば栄啓期〔えいけいき〕が三楽〔さんらく〕を立てたるにも、】
それ故に中国の春秋時代の栄啓期〔えいけいき〕が三つの楽しみを立てた中にも、

【女人の身と生まれざるを一の楽しみといへり。】
女性の身と生まれなかったのを、一つの楽しみと言っているのです。

【加様〔かよう〕に内典外典にも嫌はれたる女人の身なれども、】
このように、内典にも外典にも嫌われた女性の身ですが、

【此の経を読まねどもか〔書〕ゝねども身と口と意とにうけ持ちて、】
この法華経を読まないでも、書かないでも、身と口と意とに受け持〔たも〕って、

【殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は、在世の竜女・】
特に口に南無妙法蓮華経と唱える女性は、釈尊在世の竜女や

【憍曇弥〔きょうどんみ〕・耶輸陀羅女〔やしゅだらにょ〕の如くに】
憍曇弥〔きょうどんみ〕や耶輸陀羅女〔やしゅだらにょ〕のように、

【やすやすと仏になるべしと云ふ経文なり。】
簡単に、仏に成ることができると言う経文なのです。

【又安楽世界と云ふは】
また、法華経で安楽世界と言うのは、

【一切の浄土をば皆安楽と説くなり。】
すべての浄土を、皆、安楽世界と説いているのです。

【又阿弥陀と云ふも観経の阿弥陀にはあらず。】
また、阿弥陀仏と言うのも、観経で説く阿弥陀仏では、ありません。

【所以に観経の阿弥陀仏は法蔵〔ほうぞう〕比丘〔びく〕の阿弥陀、】
理由は、観経で説かれる阿弥陀仏は、法蔵比丘が成った阿弥陀仏であり、

【四十八願の主〔あるじ〕、十劫成道の仏なり。】
四十八願を立てた主で、十劫の昔に成道した仏なのです。

【法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の】
法華経でも迹門で説かれる阿弥陀仏は、大通智勝仏の

【十六王子の中の第九の阿弥陀にて、法華経大願の主の仏なり。】
十六の王子の中の第九の阿弥陀仏で、法華経を説く大願を発した願主なのです。

【本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり。】
法華経本門で説かれる阿弥陀仏は、釈迦牟尼仏の分身の阿弥陀仏です。

【随って釈にも「須〔すべから〕く更に観経等を】
したがって、法華文句記でも「あたりまえのことながら、観経等で説くものを

【指すべからざるなり」と釈し給へり。】
指すのではない」と解釈されているのです。

【問うて云はく、経に「難解〔なんげ〕難入〔なんにゅう〕」と云へり。】
それでは、法華経に「難解〔なんげ〕難入〔なんにゅう〕」と説かれていますが、

【世間の人此の文を引きて、】
世間の人が、この文章を読んで、

【法華経は機に叶はずと申し候は、】
法華経は、自分の理解力に合わないと言っているのは、

【道理と覚え候は如何。】
当然の道理であると思われますが、どうでしょうか。

【答へて云はく、謂〔いわ〕れなき事なり。】
それは、まったく根拠のないことです。

【其の故は此の経を能〔よ〕くも心えぬ人の云ふ事なり。】
その理由は、この法華経をよく分かっていない人の言うことなのです。

【法華より已前の経は解〔さと〕り難く入り難し、】
法華経以前の経文は、理解し難〔がた〕く、入り難〔にく〕く、

【法華の座に来たりては解り易く入り易しと云ふ事なり。】
法華経の会座に来れば、理解し易〔やす〕く、入り易いと言うことなのです。

【されば妙楽大師の御釈に云はく】
それ故に、妙楽大師の法華文句記には

【「法華已前は不了義なるが故に、故に難解と云ふ。】
「法華経以前は、不完全な教えであるので、難解と言う。

【即ち今の教には咸〔ことごと〕く皆実に入るを指す。】
法華経は、皆、ことごとく真実に入るので、

【故に易知〔いち〕と云ふ」文。】
知り易〔やす〕いのである」と解釈されているのです。

【此の文の心は、法華より已前の経にては】
この文章の意味は、法華経より以前の経文では、

【機つたなくして解り難く入り難し、】
理解力が劣っているので理解し難〔がた〕くて入り難〔がた〕いが、

【今の経に来たりては機賢く成りて】
法華経に来れば、理解力が上がり賢〔かしこ〕くなって、

【解り易く入り易しと釈し給へり。】
理解し易〔やす〕く、入り易いと言うことなのです。

【其の上難解難入と説かれたる経が機に叶はずば、】
その上で難解難入と説かれた経文が、理解力に合わないと言うのであれば、

【先づ念仏を捨てさせ給ふべきなり。】
まず、念仏を捨てるべきです。

【其の故は双観経に「難〔がた〕きが中の難き、】
その理由は、無量寿経に「難事のなかの難事で、

【此の難きに過ぎたるは無し」と説き、】
これ以上の難事はない」と説かれ、

【阿弥陀経には「難信の法」と云へり。】
阿弥陀経には「難信の法である」と説かれているからです。

【文の心は、此の経を受け持たん事は難きが中の難きなり、】
この文章の意味は、この経を受け持〔たも〕つことは、難事の中の難事で、

【此に過ぎたる難きはなし、難信の法なりと見えたり。】
これ以上の難事はない、信じ難い法であると言う事なのです。


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