日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


善無畏三蔵抄 第二章 真言・念仏の邪義を破す


【日蓮八宗を】
日蓮が奈良の俱舎、成実、律、法相、三論、華厳の六宗と平安の天台、真言の八宗を

【勘へたるに、法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依って】
考察してみるに、法相宗、華厳宗、三論宗等は権経を依経として、

【或は実経に同じ、】
あるいは、権経は、実経と同じであると主張したり、

【或は実経を下せり。】
あるいは、実経を権経より低い教えであると下しているのです。

【是〔これ〕論師人師より誤りぬと見えぬ。】
これは、論師、人師の言葉から、誤ったものと思われます。

【倶舎〔くしゃ〕・成実〔じょうじつ〕は子細ある上、】
倶舎宗、成実宗は、子細があるうえ、

【律宗なんどは小乗〔しょうじょう〕最下〔さいげ〕の宗なり。】
律宗などは、小乗教の中でも最も低い教えの宗派なのです。

【人師より権大乗、実大乗にもなれり。】
人師より論師が優れ、権大乗経より、実大乗経が優れているのですから、

【真言宗・大日経等は未だ華厳経等にも及ばず、】
真言宗とその依経である大日経などは、いまだ華厳経などにも及ばないのです。

【何〔いか〕に況〔いわ〕んや涅槃・法華経等に及ぶべしや。】
まして、涅槃経や法華経に及ぶはずがないのです。

【而るに善無畏〔ぜんむい〕三蔵は華厳・法華・】
ところが、善無畏〔ぜんむい〕三蔵が華厳経、法華経、

【大日経等の勝劣を判ずる時、】
大日経などと、その優劣を判断した時、

【理同〔りどう〕事勝〔じしょう〕の謬釈〔みょうしゃく〕を作りしより】
理同〔りどう〕事勝〔じしょう〕という誤った理屈を作って以来、

【已来〔このかた〕、或はおご〔傲〕りをなして法華経は華厳経にも劣りなん、】
あるいは、思い上がって、法華経は、華厳経よりも劣る。

【何に況んや真言経に及ぶベしや。或は云はく、印・真言のなき事は】
まして真言経に及ぶことがあろうか、また、印と真言が

【法華経に諍〔あらそ〕ふベからず。】
法華経にないことは、争う余地もないことであると述べ、

【或は云はく、天台宗の祖師多く真言宗を勝ると云ひ、】
あるいは、天台宗の祖師の多くも、真言宗の方が優れていると言い、

【世間の思ひも真言宗勝れたるなんめりと思へり。】
世間の人々も、真言宗の方が優れていると思っているのです。

【日蓮此の事を計るに人多く迷ふ事なれば】
日蓮は、この事を考えるにあたり、多くの人々が迷うことなので、

【委細にかんがへたるなり。粗〔ほぼ〕余処〔よそ〕に註せり。見るベし。】
委細に考えてみたのですが、大枠は、他の書に記しておいたので見てください。

【又志あらん人々は存生の時習ひ伝ふべし。】
また、志がある人は、生きている間に、よく、聞いて習い、それを伝えるべきです。

【人の多くおもふにはおそるべからず、】
多くの人が、そう思っているからといって、怖れるべきでは、ありません。

【又時節の久近にも依るベからず、】
また、教義が立てられてから、古いとか、新しいとかに依るべきでは、ありません。

【専ら経文と道理とに依るべし。】
ただ、経文の内容と道理とに依るべきです。

【浄土宗は曇鸞〔どんらん〕・道綽〔どうしゃく〕・善導より】
浄土宗は、曇鸞〔どんらん〕、道綽〔どうしゃく〕、善導〔ぜんどう〕の時から、

【誤り多くして、多くの人々を邪見に入れけるを、】
誤りが多く、多くの人々を邪見に入れてしまったのですが、

【日本の法然、是をうけ取りて】
日本の法然〔ほうねん〕は、この浄土宗を受け取って、

【人ごとに念仏を信ぜしむるのみならず、】
人々に、この念仏を信じさせただけではなく、

【天下の諸宗を皆失はんとするを、叡山三千の大衆・】
国中の諸宗派を、すべて滅ぼそうとしたのです。そこで、比叡山の三千の大衆や

【南都〔なんと〕興福寺〔こうふくじ〕・東大寺の八宗より是をせ〔塞〕く故に、】
奈良の興福〔こうふく〕寺、東大寺などの八宗が、これを防いだので、

【代々の国王勅宣を下し、将軍家より御教書〔みぎょうしょ〕をなして】
代々の天皇は、勅宣〔ちょくせん〕を出して、将軍家からは、御教書を出して、

【せ〔塞〕けどもとゞまらず。弥々〔いよいよ〕繁昌して、】
これを防いだのですが、止められず、ますます、この念仏が弘まって、

【返りて主上上皇万民等にいたるまで皆信伏せり。】
かえって天皇、上皇、万民に至るまで、みんなが信じるようになったのです。

【而るに日蓮は安房国東条片海〔かたうみ〕の石〔いそ〕中〔なか〕の】
しかし、日蓮は、安房の国、東条の片海〔かたうみ〕の磯に住む

【賎民が子なり。威徳なく、有徳のものにあらず。】
賤〔いや〕しい身分の子であり、威徳もなく、有徳の者でもないのですが、

【なにゝつけてか、南都〔なんと〕北嶺〔ほくれい〕のとゞめがたき】
奈良の六宗派や叡山の天台、真言宗が、防ぎ止めることができず、

【天子虎牙〔こが〕の制止に叶はざる念仏を】
さらに天皇の力をもってしても、制止できない念仏を、

【ふせぐベきとは思へども、】
どうして、防ぐことなど、できるだろうかとは、思ったのですが、

【経文を亀鏡と定め、天台伝教の指南を手ににぎりて、】
経文を明鏡と定め、天台大師、伝教大師の指南の書を手に握りしめて、

【建長五年より今年文永七年に至るまで、十七年が間是を責めたるに、】
建長五年から、今年の文永7年に至るまでの十七年の間、念仏を責めたので、

【日本国の念仏大体留まり了んぬ。】
日本の念仏は、大体において、防ぎ止め終わったのです。

【眼前に是見えたり。】
このことは、明らかに、眼に見えることであって、

【又口にすてぬ人々はあれども、】
また、口には、念仏を捨てていない人でも、

【心計りは念仏は生死をはなるゝ道にはあらざりけると思ふ。】
心の中では、念仏は、生死を離れる道ではないと思っているのです。

【禅宗以て是くの如し。一を以て万を知れ。】
禅宗も、これと同じなのです。この一事を以って、万事を知ってください。

【真言等の諸宗の誤りをだに留めん事、手ににぎりておぼゆるなり。】
真言宗などの諸宗派の誤りを制止することなど、思うがままなのです。

【況〔いわ〕んや、当世の高僧・真言師等は其の智〔ち〕牛馬にもおとり、】
まして、当世の高僧や真言師などは、その智慧は、牛や馬にも劣り、

【蛍火〔ほたるび〕の光にもしかず。】
蛍火の光にも、及ばないのです。

【只、死せるものゝ手に弓箭〔きゅうせん〕をゆひつけ、】
まさに、死者の手に弓や矢を結びつけ、

【ねごとするものに物をとふが如し。】
寝言を言う者に、物を尋ねるようなもので、実に儚〔はかな〕いことなのです。

【手に印を結び、口に真言は誦〔じゅ〕すれども、】
手に印を結び、口で真言を唱えては、いますが、

【其の心中には義理を弁〔わきま〕へる事なし。】
その心中には、法門の義や理などは、まったく理解していないのです。

【結句〔けっく〕、慢心〔まんしん〕は山の如く高く、】
そればかりか、慢心は、山のように高く、

【欲心〔よくしん〕は海よりも深し。】
欲望の心は、海よりも深いのです。

【是は皆自ら経論の勝劣に迷ふより事起こり、】
これは、皆、自らが経論の優劣に迷うことから起こり、

【祖師の誤りをたゞさゞるによるなり。】
祖師の間違いを正さないことから起こるのです。

【所詮、智者は八万法蔵をも習ふベし、十二部経をも学すべし。】
結局、智者は、八万法蔵を習うべきであり、十二部経を学ぶべきなのです。

【末代濁悪世の愚人は、念仏等の難行易行等をば】
しかし、末代、濁〔じょく〕悪の世の愚人は、念仏などの難行道、易行道などの

【抛〔なげう〕ちて、一向に法華経の題目を】
邪義を抛〔なげう〕って、ただ、ひたすらに法華経の題目を

【南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。日輪東方の空に出でさせ給へば、】
南無妙法蓮華経と唱えるべきなのです。太陽が東方の空に昇ったならば、

【南浮〔なんぶ〕の空皆〔みな〕明らかなり。】
南閻浮提〔なんえんぶだい〕の空は、皆、明るくなるのです。

【大光を備へ給へる故なり。】
太陽は、まばゆいばかりの光を備えており、

【蛍火は未〔いま〕だ国土を照らさず。】
蛍火〔ほたるび〕は、一国土でさえ、照らすことができないからなのです。

【宝珠は懐中に持ちぬれば、万物皆ふらさずと云ふ事なし。】
また、宝珠を懐〔ふところ〕に持っていれば、どんなものでも手に入るのですが、

【瓦石〔がしゃく〕は財〔たから〕をふらさず。】
瓦や石では、財宝を手に入れることはできません。

【念仏等は法華経の題目に対すれば、瓦石と宝珠と、蛍火と日光との如し。】
念仏などは、法華経の題目に比べれば、瓦や石と宝珠、蛍火と日光と同じなのです。

【我等が昧〔くら〕き眼を以て蛍火の光を得て、物の色を弁〔わきま〕ふべしや。】
我等のように暗い眼の者が蛍火の光で、物の色を識別することができるでしょうか。

【旁〔かたがた〕凡夫の叶ひがたき法は、】
いずれにしても、凡夫が成仏できない理由は、

【念仏真言等の小乗権経なり。】
念仏や真言などの小乗、権教の為なのです。

【又、我が師釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者なり。】
また、我が師、釈迦如来は、一代聖教、八万法蔵を説かれました。

【此の裟婆無仏の世の最先に出でさせ給ひて、】
いまだ、仏がいない、この娑婆世界に、最初に仏として出現されて、

【一切衆生の眼目を開き給ふ御仏なり。】
一切衆生の眼を開かれたのであり、

【東西十方の諸仏菩薩も皆此の仏の教へなるべし。】
東西十方の諸仏、菩薩も、皆、この仏が教えられたのです。

【譬へば、皇帝已前は人、父をしらずして畜生の如し。】
たとえば、三皇五帝以前は、人間は、父を知らずに、畜生と同じであったのです。

【尭〔ぎょう〕王已前は四季を弁へず、牛馬の癡〔おろ〕かなるに同じかりき。】
堯〔ぎょう〕王以前には、四季を理解せず、愚かな牛馬と同じであったのです。

【仏世に出でさせ給はざりしには、比丘・比丘尼の二衆もなく、】
同様に、仏が、この世に出現していないときには、僧や尼僧などのように、

【只男女二人にて候ひき。】
仏教を学ぶ者は、おらず、ただ、男女の差別だけがあったのです。

【今比丘・比丘尼の真言師等、大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し、】
今、僧や尼僧の姿をした真言師などが、大日如来を本尊と定めて、釈迦如来を下し、

【念仏者等が阿弥陀仏を一向に持ちて】
念仏者などが阿弥陀仏のみを一向に持〔たも〕って、

【釈迦如来を抛ちたるも、】
釈迦如来を捨て去っていますが、

【教主釈尊の比丘・比丘尼なり。】
その者も、表向きは、仏教を学ぶ教主釈尊の僧や尼僧の姿をしているのです。

【元祖が誤りを伝へ来たるなるべし。】
それは、ただ元祖の間違った教えを無批判に、伝えて来たからなのです。


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