御書研鑚の集い 御書研鑽資料
善無畏抄 第二章 法華経への女性の報恩感謝
【伝教大師は延暦二十三年の御入唐、】
伝教大師は、延暦〔えんりゃく〕23年に唐に渡り、
【霊感寺の順暁〔じゅんぎょう〕和尚に真言三部の】
泰山霊厳〔れいがん〕寺の順暁〔じゅんぎょう〕和尚から真言三部経の
【秘法を伝はり、仏瀧〔ぶつろう〕寺の行満〔ぎょうまん〕座主〔ざす〕に】
秘法を伝授され、そして、仏瀧〔ぶつろう〕寺の行満〔ぎょうまん〕座主から
【天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨〔おうし〕を極め給ひたる人。】
天台の摩訶止観の宝珠を受け取り、顕密二教の奥義を極め尽くされた人です。
【華厳・三論・】
この伝教大師の主張を聞いて、華厳〔けごん〕宗、三論〔さんろん〕宗、
【法相・律宗の人々の】
法相〔ほっそう〕宗、律〔りつ〕宗の人々が、
【自宗我慢の辺執〔へんしゅう〕を倒して、】
自宗派の教えが最高であると慢心し、自宗派に固執する考えを翻〔ひるがえ〕して、
【天台大師に帰入せる由をかゝせ給ひて候。】
天台大師に帰伏した理由を書かれました。
【依憑集〔えひょうしゅう〕・守護章・秀句なむど申す書の中に、】
「依憑〔えひょう〕集」「守護章」「秀句」と言った書の中に、
【善無畏・金剛智〔こんごうち〕・不空等は】
善無畏〔ぜんむい〕三蔵、金剛智〔こんごうち〕三蔵、不空〔ふくう〕三蔵などが
【天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由の〔載〕せられたり。】
天台宗に帰伏し、天台智者大師を本師と仰いだと云うことが記されています。
【各々思えらく、宗を立つる法は自宗をほめて】
各々〔おのおの〕、誰でも、宗派を立てる時は、自宗派を讃〔ほ〕めて
【他宗を嫌ふは常の習ひなりと思えり。】
他宗派を嫌うのは、常であると思っています。
【法然なむどは又此の例を引きて、曇鸞〔どんらん〕の難易・】
法然などもその通りで、曇鸞〔どんらん〕の難行道と易行道〔いぎょうどう〕、
【道綽〔どうしゃく〕の聖道浄土・】
道綽〔どうしゃく〕の聖道門〔しょうどうもん〕と浄土門の二門、
【善導が正雑〔しょうぞう〕二行の】
善導〔ぜんどう〕の正行〔しょうぎょう〕と雑行〔ぞうぎょう〕 の二行の
【名目を引きて天台・真言等の大法を念仏の方便と成せり。】
名目をもって、天台、真言などの大法を念仏の方便としたのです。
【此等は牛跡〔ごしゃく〕に大海を入れ、】
これらは、牛の足跡に大海を入れようとし、
【県〔けん〕の額〔がく〕を州〔しゅう〕に打つ者なり。】
県の境を州の境とするような者なのです。
【世間の法には下剋上〔げこくじょう〕・】
世間の法では、下の者が上の者を倒したり、
【背上向下は】
上位の者に背いて、下の者に通じ親しんだりすることは、
【国土亡乱の因縁なり。仏法には権小の経々を本として】
国が乱れ、亡びる原因なのです。仏法では、権大乗教、小乗教の経々を根本として
【実経をあなづる、大謗法の因縁なり。】
実経である法華経を侮〔あなど〕ることは、大謗法の原因なのです。
【恐るべし恐るべし。】
これは、実に恐るべきことなのです。
【嘉祥〔かじょう〕寺の吉蔵大師は】
嘉祥〔かじょう〕寺の吉蔵〔きちぞう〕大師は、
【三論宗の元祖、或時は一代聖教を五時に分け、】
中国の三論〔さんろん〕宗の元祖で、ある時は、一代聖教を五時に分け、
【或時は二蔵と判ぜり。】
ある時は、声聞蔵、菩薩蔵の二蔵に分けて論じたりしました。
【然りと雖も竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩造の百論・中論・十二門論・】
しかしながら、竜樹菩薩の著作である百論、中論、十二門論、
【大論を尊みて般若〔はんにゃ〕経を依憑〔えひょう〕と定め給ひ、】
大論を尊〔とうと〕んで般若経をよりどころの経典と定め、
【天台大師を辺執〔へんしゅう〕して過ぎ給ひし程に、】
天台大師については、偏見に捉〔とら〕われて無視していました。
【智者大師の梵網〔ぼんもう〕等の疏を見て】
しかし、天台智者大師の梵網〔ぼんもう〕経などの疏〔しょ〕を見るに至り、
【少し心と〔解〕け、やうやう近づきて法門を聴聞〔ちょうもん〕せし程に、】
少し偏執の心が解け、段々に近づいて、法門を聴聞しているうちに、
【結句は一百余人の弟子を捨て、般若経並びに法華経をも講ぜず、】
遂には、百余人の弟子を捨て、般若経や法華経の講義を止めて、
【七年に至って天台大師に仕えさせ給ひき。】
七年にわたって、天台大師に仕〔つか〕えられたのです。
【高僧伝には「衆を散じ】
高僧伝には、その様子を「自らの教団を解散し、
【身を肉橋と成す」と書かれたり。】
自文の身体を肉の橋として、天台に仕えた」と書かれています。
【天台大師高座に登り給えば寄りて肩を足に備え、】
天台大師が説法の為に高座に登ろうとすれば、側に寄って肩を踏台とし、
【路を行き給えば負〔お〕ひ奉り給ふて堀を越え給ひき。】
天台大師が道を行く時には、背負って堀を越えたのです。
【吉蔵大師程の人だにも謗法ををそれてかくこそつかえ給ひしか。】
吉蔵〔きちぞう〕大師ほどの人でさえ、謗法を恐れて、このように仕えたのです。
【而るを真言・三論・法相等の宗々の人々、】
そうであるのに真言宗、三論宗、法相宗の人々が、
【今すへ〔末〕ずへ〔末〕に成りて辺執せさせ給ふは】
今、その末流と成りながら、偏見に捉〔とら〕われていると云うことは、
【自業自得果なるべし。今の世に浄土宗・禅宗なんど申す宗々は、】
自業自得の結果を見ることでしょう。現在の浄土宗、禅宗という宗派は、
【天台宗にをとされし真言・華厳等に及ぶべからず。】
天台宗によって破折された真言宗、華厳宗には及ばないのです。
【依経既に楞伽〔りょうが〕経・観経等なり。】
依経は、すでに楞伽〔りょうが〕経、観無量寿経であり、
【此等の経々は仏の出世の本意にも非ず、】
これらの経文は、仏の出世の本懐〔ほんがい〕ではなく、
【一時一会の小経なり。】
その時、その場に応じて説かれた小経なのです。
【一代聖教を判ずるに及ばず。】
一代聖教を比較して、調べるまでもない取るに足らない経文なのです。
【而も彼の経々を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・】
それにも関わらず、それらの経文によって、一代聖教を聖道、浄土、難行、易行、
【雑行〔ぞうぎょう〕正行〔しょうぎょう〕に分かちて、】
雑行〔ぞうぎょう〕正行〔しょうぎょう〕に分け、
【教外〔きょうげ〕別伝〔べつでん〕なむどのゝしる。】
また、教外〔きょうげ〕別伝などと言って、罵〔ののし〕っているのです。
【譬へば民が王をしえ〔虐〕たげ、小河の大海を納むるが如し。】
これは、例えば、民衆が王を虐〔しいた〕げ、小川に大海を納めるようなものです。
【かゝる謗法の人師共を信じて後生を願ふ人々は】
このような謗法の人師たちを信じて後生を願う人々は、
【無間地獄脱るべきや。】
無間地獄をどうして免〔まぬが〕れることができるでしょうか。
【然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば】
しかし、現在は、愚者であっても、釈迦牟尼仏を本尊とすれば、
【自然に不孝の罪脱れ、法華経を信じぬれば】
自然に不孝の罪を免〔まぬが〕れ、法華経を信じれば、
【不慮に謗法の科〔とが〕を脱れたり。】
期せずして謗法の罪を免〔まぬがれ〕れることができるのです。
【其の上女人は五障三従と申して、世間出世に嫌はれ】
そのうえに女性は、五障三従といって、世間からも、仏法からも嫌われ、
【一代の聖教に捨てられ畢んぬ。】
一代聖教にも捨てられてしまっているのです。
【唯法華経計りにこそ竜女が仏に成り、】
ただ、法華経だけは、竜女が成仏し、諸々の尼僧たちに、
【諸の尼の記莂〔きべつ〕はさづけられて候ひぬれば、】
未来の成仏を保証する記別が授けられているのです。
【一切の女人は此の経を捨てさせ給ひては】
それ故に、すべての女性は、この法華経を捨ててしまって、
【何れの経をか持たせ給ふべき。天台大師は震旦〔しんだん〕国の人、】
どの経文を持〔たも〕つと言うのでしょうか。天台大師は、中国の人で、
【仏滅後一千五百余年に仏の御使ひとして世に出でさせ給ひき。】
釈尊滅後一千五百余年に仏の使いとして、この世に出現しました。
【法華経に三十巻の文を注し給ひ、】
そして法華経について、三十巻の注釈書を著わしたのですが、
【文句と申す文の第七巻には「他経には】
その中の法華文句という書の第七の巻には「法華経以外の諸経には、
【但男に記して女に記せず」等云云。】
ただ、男性に授記して、女性には、授記せず」などと述べられています。
【男子も余経にては仏に成らざれども】
男性も法華経以外では、成仏できませんが、
【且く与へて其れをば許してむ。】
それは、さて置いて、他の経文での成仏も許してみても、
【女人に於ては一向諸経に於ては】
それでも、女性については、法華経以外の経文では、
【叶ふべからずと書かれて候。】
成仏できないと書かれているのです。
【縦令〔たとい〕千万の経々に女人仏に成るべしと許されたりと雖も】
また、たとえ千万の経文に、女性の成仏が許されたとしても、
【法華経に嫌はれなば】
もしも、法華経に嫌われてしまったならば、
【何の憑〔たの〕みか有るべきや。】
どうして、成仏を願うことができるでしょうか。
【教主釈尊、我が諸経四十余年の経々を】
教主、釈尊は、法華経以前の四十余年の経文を、
【未顕〔みけん〕真実と悔い返し、涅槃経等をば】
未〔いま〕だ真実を顕わしていないと捨て去られ、涅槃経などは、
【当説と嫌ひ給ひ、無量〔むりょう〕義経をば今説と定めを〔置〕き、】
当説〔とうせつ〕と嫌われ、無量義経を今説〔こんせつ〕と定め置かれ、
【三説にひで〔秀〕たる法華経に】
已今当〔いこんとう〕の三説の中で、最も優れている法華経に
【「正直に方便を捨てゝ但無上道〔むじょうどう〕を説く、世尊の法は】
「正直に方便の権経を捨てて、ただ無上道を説く、世尊の法は、
【久しくして後要〔かなら〕ず当に真実を説くべし」と釈尊宣べ給ひしかば、】
久しくして後〔のち〕、必ず、まさに真実を説く」と述べられたのです。
【宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給ひて】
すると、宝浄〔ほうじょう〕世界の多宝仏は、大地より出現して、
【真実なる由の証明を加へ、】
釈迦牟尼仏が説いている法華経が真実であると、証明を加え、
【十方分身の諸仏は広長舌を梵天に付け給ふ。】
十方の分身の諸仏は、広長舌〔こうちょうぜつ〕を梵天につけて証明されたのです。
【十方世界微塵数〔みじんじゅ〕の諸仏の御舌は】
また、十方世界の微塵の数の諸仏の証明の言葉は、
【不妄語〔ふもうご〕戒の力に酬〔むく〕いて】
釈迦牟尼仏の不妄語戒の力に酬〔むく〕いて
【八葉の赤蓮華にを〔生〕い〔出〕いでさせ給ひき。】
八葉の赤蓮華〔しゃくれんげ〕として顕れたのです。
【一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏、】
このように、一仏、二仏、三仏、乃至、十仏、百仏、千万、億仏が
【四百万億那由他〔なゆた〕の世界に充満せりし仏の御舌をもって】
四百万億那由佗〔なゆた〕の世界に充満した仏の口から出た言葉で
【定めを〔置〕き給える女人成仏の義なり。】
定め置かれたのは、女人成仏の義なのです。
【謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空〔こくう〕に充満せる】
謗法なく法華経を持〔たも〕つ女性は、たとえ十方の虚空に充満するほどの
【慳貪〔けんどん〕・嫉妬〔しっと〕・瞋恚〔しんに〕・十悪・五逆なりとも、】
慳貪〔けんどん〕、嫉妬〔しっと〕、瞋恚〔しんに〕、十悪、五逆罪があろうと、
【草木の露の大風にあえるなるべし。】
その罪は、草木の露が大風にあうように、簡単に消えてしまうのです。
【三冬の氷の夏の日に】
また、三か月にわたる冬の氷が、夏の日射しに溶けてしまうように、
【滅するが如し。】
その罪は、滅してしまうのです。
【但滅し難き者は法華経謗法の罪なり。】
ただ、滅し難いのは、法華経誹謗〔ひぼう〕の罪なのです。
【譬へば三千大千世界の草木を薪と為すとも、】
例えば、三千大千世界の草木を薪〔たきぎ〕として、燃やしても、
【須弥山〔しゅみせん〕は一分も損じ難し。】
須弥山〔しゅみせん〕は、少しも損〔そこ〕なわれることはないのです。
【縦令〔たとい〕七つの日出でて百千日照らすとも、】
また、七つの太陽が出て、百、千日、照らし続けても、
【大海の中をばかわ〔乾〕かしがたし。】
大海の水を乾〔かわ〕かすことが出来ないように、
【設ひ八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て、】
たとえ、仏の八万聖教を読み、大地の微塵の数ほどの塔婆を立て、
【大小乗の戒行を尽くし、】
大乗教、小乗教の、あらゆる戒律を修行し尽くし、
【十方世界の衆生を一子の如くに為すとも、】
そして、十方世界の衆生を唯一の子のように慈〔いつく〕しんだとしても、
【法華経謗法の罪はきゆべからず。】
法華経誹謗〔ひぼう〕の罪を消すことはできないのです。
【我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして】
我々が、過去、現在、未来の三世にわたって仏に成れずに
【六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗〔ひぼう〕の罪なるべし。】
六道の苦しみを受けているのは、ひとえに法華経誹謗〔ひぼう〕の罪によるのです。
【女人と生まれて百悪身に備ふるも、】
また、女性と生まれて、百悪を身に着けているのも、
【根本此の経誹謗の罪より起これり。】
根本は、この法華経誹謗〔ひぼう〕の罪から起こっているのです。
【然者〔されば〕此の経に値ひ奉らむ女人は皮をはいで紙と為し、】
それ故に、この法華経に巡り会った女性は、たとえ身の皮を剥〔は〕いで紙とし、
【血を切りてすみ〔墨〕とし、骨を折りて筆とし、血のなんだ〔涙〕を】
流れる血を墨とし、骨を折って筆とし、血の涙を
【硯の水としてか〔書〕きたてま〔奉〕つるとも】
硯〔すずり〕の水として、仏の言葉を書写したとしても、
【あ〔飽〕くご〔期〕あるべからず。】
この恩は、尽くし切れないのです。
【何に况んや衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施〔ふせ〕を以て供養せむは】
ましてや、衣服、金銀、牛馬、田畑などの布施をして、供養したとしても、
【もの〔物〕のかず〔数〕にてかずならず。】
それは、この恩を返すには、物の数には、ならないのです。