御書研鑚の集い 御書研鑽資料
善無畏三蔵抄 第三章 他仏を本尊とする誤り
【此の釈迦如来は三の故ましまして、】
この釈迦如来には、三つの理由があって、
【他仏にかはらせ給ひて裟婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ。】
他仏に代わって、娑婆世界の一切衆生の有縁〔うえん〕の仏となられたのです。
【一には、此の裟婆世界の一切衆生の世尊にておはします。】
第一には、釈迦如来は、この娑婆世界の一切衆生の世尊であるのです。
【阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず。】
阿弥陀仏は、西方浄土の仏であり、この国の大王では、ありません。
【釈迦仏は譬へば我が国の主上のごとし。】
釈迦牟尼仏は、たとえば、我が国の天皇のようなものなのです。
【先づ此の国の大王を敬ひて、後に他国の王をば敬ふべし。】
まず、この国の大王を敬〔うやま〕って、後に他国の王を敬うべきなのです。
【天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり。】
天照太神、正八幡宮などは、我が国の正当な所有者ですが、
【述化の後〔のち〕神と顕はれさせ給ふ。】
釈迦牟尼仏が、迹化の後〔のち〕に神と顕れたのです。
【此の神にそむく人、此の国の主となるべからず。】
この神に叛〔そむ〕く人は、この国の主となることは、できません。
【されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所〔ないしどころ〕と号す。】
それ故に朝廷では、天照太神を鏡に映して、内侍所〔ないしどころ〕で祭り、
【八幡大菩薩に勅使有って物申しあはさせ給ひき。】
また、八幡大菩薩へ勅使を送って、神の御告げを受けられるのです。
【大覚世尊は我等が尊主なり、先づ御本尊と定むベし。】
大覚世尊は、我等が尊主であり、まず、本尊と定むべきなのです。
【二には、釈迦如来は裟婆世界の一切衆生の父母なり。】
第二には、釈迦如来は、娑婆世界の一切衆生の父母なのです。
【先づ我が父母を孝し、後に他人の父母には及ぼすべし。】
まず、我が父母に孝行し、後に、他人の父母に孝を及ぼすべきなのです。
【例せば、周の武王は父の形を木像に造りて、】
例えば、周の武王は、父の形を木像に刻んで、
【車にのせて戦〔いくさ〕の大将と定めて天感を蒙り、】
車にのせて戦いの大将と定め、天の感応を受けて、
【殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕をうつ。】
殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕を討ったのです。
【舜〔しゅん〕王は父の眼〔まなこ〕の盲〔めしい〕たるをなげきて涙をながし、】
舜〔しゅん〕王は、父が盲目となったことを嘆いて涙を流し、
【手をもてのご〔拭〕ひしかば本〔もと〕のごとく眼あきにけり。】
手で父の目を拭ったところ、もとのように眼が開いたと言います。
【此の仏も又是くの如し、我等衆生の眼をば開仏知見とは開き給ひしか。】
この仏も、また、このように、我等衆生の眼を開仏知見と開かれたのです。
【いまだ他仏は開き給はず。】
いまだかつて、他仏が我等衆生の眼を開かれたことは、ありません。
【三には、此の仏は裟婆世界の一切衆生の本師なり。】
第三には、この仏は、娑婆世界の一切衆生の本当の師であるのです。
【此の仏は賢劫〔けんごう〕第九、人寿百歳の時、】
この仏は、賢劫〔けんごう〕第九の減、人寿百歳の時、
【中天竺〔ちゅうてんじく〕浄飯〔じょうぼん〕大王〔だいおう〕の御子、】
中天竺〔ちゅうてんじく〕の浄飯大王(じょうぼんだいおう)の子供として誕生、
【十九にして出家し、三十にして成道し、五十余年が間】
十九歳で出家し、三十で仏となり、以後五十余年の間、
【一代聖教を説き、】
一代聖教を説いて、八十歳で入滅しました。
【八十にして御入滅、舎利〔しゃり〕を留めて一切衆生を正像末に救ひ給ふ。】
そして舎利を留めて、一切衆生を正像末の三時にわたって救われたのです。
【阿弥陀如来・薬師仏・大日等は、他土の仏にして】
阿弥陀如来、薬師仏、大日如来などは、他国土の仏であって、
【此の世界の世尊にてはましまさず。】
この世界の、世尊ではないのです。
【此の裟婆世界は十方世界の中の最下の処、】
この娑婆世界は、十方世界の中の最下の場所であり、
【譬へば此の国土の中の獄門の如し。十方世界の中の十悪五逆・】
たとえば、この国土の中の獄門のような所なのです。十方世界の中の十悪、五逆、
【誹謗正法の重罪逆罪の者を諸仏如来擯出〔ひんずい〕し給ひしを、】
誹謗正法の重罪、反逆罪を犯した者を諸仏が、各々の国土から追い出されたのを、
【釈迦如来此の土にあつめ給ふ。三悪並びに無間大城に堕ちて、】
釈迦如来が、この娑婆世界に集められたのです。三悪道と無間大城に堕ちて、
【其の苦をつぐ〔償〕のひて人中天上には生まれたれども、】
罪の償〔つぐな〕いを終え、人界、天上界に生まれたのですが、
【其の罪の余残ありてやゝもすれば正法を謗じ、】
その罪の影響が残っており、ややもすれば、正法を謗〔そし〕ったり、
【智者を罵〔の〕る罪つくりやすし。】
智者を罵〔ののし〕ったりして、罪を犯しやすいのです。
【例せば身子〔しんし〕は】
たとえば、大智度論第2巻には、舎利弗〔しゃりほつ〕は、
【阿羅漢〔あらかん〕なれども瞋恚〔しんに〕のけしきあり。】
阿羅漢〔あらかん〕ですが、瞋恚〔しんに〕の気持ちが残り、
【畢陵〔ひつりょう〕は見思〔けんじ〕を断ぜしかども慢心の形みゆ。】
畢陵伽婆蹉〔ひつりょうがばしゃ〕は、見思惑を断じましたが、慢心の形が残り、
【難陀〔なんだ〕は淫欲〔いんよく〕を断じても女人に交はる心あり。】
難陀〔なんだ〕は、淫欲を断じても、まだ女性と交わる心があると説かれています。
【煩悩を断じたれども余残あり。】
これらの声聞ですら、煩悩を断じたと言っても、その名残があり、
【何に況んや凡夫にをいてをや。】
ましてや凡夫においては、なおさらのことなのです。
【されば釈迦如来の御名をば能忍〔のうにん〕と名づけて】
それ故、釈迦如来は、その名前を能忍〔のうにん〕と名付けて、
【此の土に入り給ふに、一切衆生の誹謗をとがめず】
この国土に出現されたのですが、それは、一切衆生の誹謗の罪をとがめず、
【よく忍び給ふ故なり。此等の秘術は他仏のか〔欠〕け給へるところなり。】
よく忍ばれるからであり、これらの秘術は、他の仏には、欠けているのです。
【阿弥陀仏等の諸仏世尊悲願をおこさせ給ひて、】
阿弥陀仏などの諸仏、世尊は、悲願を起こされて、
【心にははぢ〔恥〕をおぼしめして、還って此の界にかよひ、】
心の中では、恥ずかしく思われたのでしょうか、この娑婆世界に通〔かよ〕い、
【四十八願・十二大願なんどは起こさせ給ふなるベし。】
四十八願や十二大願などを起こされたのでしょう。
【観世音等の他土の菩薩も亦復是くの如し。】
観世音菩薩などの他土の菩薩も、また、同様なのです。
【仏には常平等の時は一切諸仏は差別なけれども、】
仏には、法華経を説かれる常平等の時は、一切諸仏には、差別が、ありませんが、
【常差別の時は各々に十方世界に土をしめて】
爾前教を説かれている常差別の時は、各々に仏が十方世界に自分の国土を定めて
【有縁無縁を分かち給ふ。大通智勝仏〔だいつうちしょうぶつ〕の十六王子、】
有縁、無縁を分けられるのです。大通智勝仏の十六人の王子は、
【十方に土をしめて一々に我が弟子を救ひ給ふ。】
十方世界に各自が国土を定めて、それぞれに自分の弟子を救われるのです。
【其の中に釈迦如来は此の土に当たり給ふ。】
その中で釈迦如来は、この娑婆世界において教化されることとなったのです。
【我等衆生も又生を裟婆世界に受けぬ。】
我等衆生も、また、その常差別に依って、この娑婆世界に生を受けたのです。
【いかにも釈迦如来の教化をばはなるベからず。】
なんとしても、釈迦如来の教化から離れるべきでは、ないのです。
【而りといへども人皆是を知らず。】
ところが、人は、皆、このことを知らないのです。
【委しく尋ねあき〔明〕らめば、】
詳〔くわ〕しく尋ねて、これを明らかにすれば、法華経譬喩品に、
【「唯我一人能為救護」と申して】
「ただ、我れ一人だけが、よく衆生を救護す」とあるように、
【釈迦如来の御手を離るべからず。】
我等衆生は、釈迦如来の手を離れるべきでは、ないのです。
【而れば此の土の一切衆生生死を厭〔いと〕ひ、】
そうであるから、この国土の一切衆生は、生死の苦を嫌い、
【御本尊を崇めんとおぼしめさば、必ず先づ釈尊を木画〔もくえ〕の像に顕はして】
本尊を崇〔あが〕めようと思うのであれば、必ず、まず、釈尊を木画の像に顕して、
【御本尊と定めさせ給ひて、其の後力おはしまさば、弥陀等の他仏にも及ぶべし。】
これを本尊と定め、力があれば、阿弥陀仏などの他仏にも及ぶべきなのです。
【然るを当世聖行〔しょうぎょう〕なき】
それなのに涅槃経第11巻にある菩薩が修行すべき戒定慧の三学がない、
【此の土の人々の仏をつくりかゝせ給ふに、先づ他仏をさきとするは、】
この国土の人々が仏像を造るのに、釈尊の仏像以外の他仏を先に造るのは、
【其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上、】
その仏の本意にも、また釈迦如来の本意にも、叶うはずがない上に、
【世間の礼儀にもはづれて候。】
世間の礼儀にも、外れているのです。
【されば優塡〔うてん〕大王の赤〔しゃく〕栴檀〔せんだん〕】
それ故に、優塡〔うてん〕大王が赤栴檀〔しゃくせんだん〕の木で刻んだのは、
【いまだ他仏をばきざませ給はず、千塔王の画像も釈迦如来なり。】
他仏の像では、なく、釈迦如来の像であり、千塔王の画像も釈迦如来でした。
【而るを諸大乗経による人々、我が所依の経々を諸経に】
それなのに諸大乗経を依経とする人々は、自分の拠り所とする経文が他の経文より、
【勝れたりと思ふ故に、教主釈尊をば次ざまにし給ふ。】
優れていると思う故に教主、釈尊を二の次にするのです。
【一切の真言師は大日経は諸経に勝れたりと思ふ故に、】
一切の真言師は、大日経は、諸経に優れていると思う故に、
【此の経に詮とする大日如来を我等が有縁の仏と思ひ、】
大日経で究極の仏として説く大日如来を我等の有縁の仏と思い、
【念仏者等は観経等を信ずる故に】
念仏者は、観無量寿経などを信ずる故に
【阿弥陀仏を娑婆〔しゃば〕有縁〔うえん〕の仏と思ふ。】
阿弥陀仏を娑婆世界の有縁の仏と思うのです。
【当世はことに善導〔ぜんどう〕・法然〔ほうねん〕等が邪義を正義と思ひて】
現在では、善導〔ぜんどう〕、法然〔ほうねん〕などの邪義を正義と思って
【浄土の三部経を指南とする故に、十造る寺は八九は】
浄土三部経を指南とする故に、寺を造れば、八、九割は、
【阿弥陀仏を本尊とす。】
釈迦牟尼仏ではなく、阿弥陀仏を本尊とするのです。
【在家出家一家十家百家千家にいたるまで】
在家、出家を問わず、一家、十家、百家、千家に至るまで
【持仏堂の仏は阿弥陀なり。其の外木画の像一家に千仏万仏まします。】
持仏堂の仏は、阿弥陀仏なのです。その他、木画の像は、一家に千仏、万仏の内、
【大旨は阿弥陀仏なり。而るに当世の智者とおぼしき人々、】
大部分は、阿弥陀仏なのです。それなのに現在の智者と思われる人々は、
【是を見てわざはひとは思はずして我が意に相叶ふ故に】
これをみても、禍〔わざわい〕とは、思わないで、自分の意見に叶っている故に、
【只称美〔しょうび〕讃歎〔さんだん〕の心のみあり。】
その事を深く考えもせずに、ただ、それを称え喜んでいるだけなのです。
【只、一向悪人にして因果の道理をも弁へず、一仏をも持たざる者は】
ただ、全くの悪人で因果の道理も弁〔わきま〕えず、一仏も受持しない者は、
【還って失〔とが〕なきへんもありぬべし。】
返って、こうした謗法の罪を免〔まぬがれ〕れる事があるかも知れません。