日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


阿仏房御息文 06 一谷入道女房御書

【一谷入道女房御書 建治元年五月八日 五四歳】
一谷入道女房御書 建治元年5月8日 54歳御作


【去ぬる弘長元年(太歳辛酉)五月十二日に御勘気をかをほ〔蒙〕りて、】
去る弘長元年5月12日に幕府より迫害をこうむって、

【伊豆国伊東の郷〔ごう〕というところに流罪せられたりき。】
伊豆の国、伊東の郷と言う場所へ流罪されました。そこは、

【兵衛介〔ひょうえのすけ〕頼朝のながされてありしところなり。】
兵衛介〔ひょうえのすけ〕頼朝〔よりとも〕が流されていた場所と同じです。

【さりしかどもほどもなく同じき三年(太歳癸亥)二月に召し返されぬ。】
しかし、ほどなく、弘長3年2月22日に許されて鎌倉に戻りました。

【又文永八年(太歳辛未)九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが、】
また、文永8年9月12日、ふたたび迫害をこうむり、

【忽〔たちま〕ちに頸〔くび〕を刎〔は〕ねらるべきにてありけるが、】
すぐに頚〔くび〕を、はねられるべきところを、

【子細ありけるかの故にしばらくのびて、北国佐渡の島を知行する】
何の事情があったのか、しばらく延びて、北国の佐渡の島を知行する

【武蔵前司〔むさしのぜんじ〕の預かりにて、】
武蔵前司〔むさしのぜんじ〕、北条宣時〔のぶとき〕に預けられ、

【其の内の者どもの沙汰として彼の島に行き付きてありしが、】
その家来によって、佐渡の国へ流されたのです。

【彼の島の者ども因果の理をも弁〔わきま〕へぬあら〔荒〕ゑびす〔夷〕なれば、】
この島の者達は、因果の理もわきまえぬ粗暴な人々であったので、

【あらくあたりし事は申す計りなし。】
日蓮に乱暴な態度であったことは、言うまでもありません。

【然れども一分も恨〔うら〕むる心なし。其の故は日本国の主として】
しかしながら、少しも恨む心は、ありません。その故は、日本国の主人として、

【少しも道理を知りぬべき相模〔さがみ〕殿だにも、】
少しは、道理を理解できるはずの執権である北条時宗殿でさえも、

【国をたすけんと云ふ者を子細も聞きほど〔解〕かず、】
法華経をもって国を救おうとする者を、詳しく事情を聞きもせず、

【理不尽に死罪にあてがう事なれば、】
理不尽にも死罪に処するのですから、

【いわう〔況〕やそのすへ〔末〕の者どものことはよ〔善〕きもたのまれず、】
ましてや、その下で働いている者達は、善い人でも頼りにできず、

【あ〔悪〕しきもにくからず。】
乱暴をされても憎〔にく〕くもないのです。

【此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り、】
この法門を申し始めてから、命を法華経に差し上げ、

【名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと】
名前を十方世界の諸仏の浄土に流そうと

【思ひ儲〔もう〕けしなり。】
思っていたのですから、それも当然のことなのです。

【弘演〔こうえん〕といゐし者は、主〔きみ〕衛の懿公〔いこう〕の】
弘演と言う者は、主君である衛国〔えこく〕の懿公〔いこう〕の

【肝〔きも〕を取りて我が腹を割〔さ〕きて納めて死にき。】
肝を取って、自分の腹を裂いて、その中に肝を入れて死にました。

【予譲〔よじょう〕といゐし者は主の智伯〔ちはく〕がはぢをすゝがんがために】
予譲〔よじょう〕と言う者は、主君の智伯〔ちはく〕の恥を、そそぐために、

【剣をのみて死せしぞかし。】
剣に伏して死んだのです。

【此はたゞわづかの世間の恩をほう〔報〕ぜんがためぞかし。】
これらは、ただ少しばかりの世間の恩を報ずるためなのです。

【いわう〔況〕や無量劫より已来〔このかた〕】
ましてや、仏教において無量劫の過去から、

【六道に沈淪〔ちんりん〕して仏にならざることは、】
六道に深く沈んで仏に、なれなかったのは、

【法華経の御ために身をを〔惜〕しみ命をす〔捨〕てざるゆへ〔故〕ぞかし。】
身を惜しんで、法華経のために命を捨てなかったからなのです。

【されば喜見〔きけん〕菩薩〔ぼさつ〕と申せし菩薩は、】
それゆえ、喜見〔きけん〕菩薩〔ぼさつ〕と言う人は、

【千二百歳の間身をや〔焼〕きて】
千二百歳の間、我が身を焼いて

【日月浄明徳仏〔にちがつじょうみょうとくぶつ〕を供養し、】
日月浄明徳仏〔にちがつじょうみょうとくぶつ〕を供養し、

【七万二千歳が間ひぢ〔臂〕をや〔焼〕きて】
七万二千歳の間、臂〔ひじ〕を焼いて

【法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王菩薩ぞかし。】
法華経を供養申し上げたのです。その人が今の薬王菩薩なのです。

【不軽菩薩は法華経の御ために多劫〔こう〕が間罵詈毀辱〔めりきにく〕・】
不軽菩薩は、法華経のために長い時間、罵倒され、辱〔はずかし〕められ、

【杖木瓦礫〔じょうもくがりゃく〕にせめられき。】
杖木で打たれ、瓦石を投げられたりして、責められたのです。

【今の釈迦仏に有らずや。】
その人こそ、今の釈迦牟尼仏ではありませんか。

【されば仏になる道は時によりてしなじな〔品品〕にかわりて行ずべきにや。】
それゆえ、仏になる道は、その時々によって様々に修行すべきであり、

【今の世には法華経はさる事にてをはすれども、】
今の時代は、法華経が最高であるのは、当然ですが、

【時によ〔依〕て事こと〔異〕なるなら〔習〕ひなれば、】
修行のあり方が時によって異なるので、

【山林にまじ〔交〕わりて読誦すとも、】
山林に入って読誦〔どくじゅ〕しても、

【将又〔はたまた〕里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、】
あるいは、また、人里に住んで演説しても、戒を持って修行したとしても、

【臂〔ひじ〕をや〔焼〕ひてくやう〔供養〕すとも仏にはなるべからず。】
臂〔ひじ〕を焼いて供養したとしても、仏になることはできないのです。

【日本国は仏法盛んなるやうなれども】
日本国は、仏法が盛んなようですが、

【仏法について不思議あり。】
この仏法について実に不思議なことがあります。

【人是を知らず。】
人は、これを、まだ知らずにいるのです。

【譬へば虫の火に入り鳥の蛇の口に入るが如し。】
譬えば、虫が飛んで火に入り、鳥が蛇の口に入るようなものです。

【真言師・華厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人々は】
真言師、華厳宗、法相、三論、禅宗、浄土宗、律宗などの人々は、

【我も法をえ〔得〕たり、我も生死をはな〔離〕れなんとはをも〔思〕へども、】
私も法を悟ることができた、私も生死の苦しみから離れたと思っていますが、

【立てはじめし本師等依経〔えきょう〕の心をわきま〔弁〕へず、】
その宗派を立てた本師達は、依経の意義さえ理解できず、

【但我が心のをも〔思〕ひつ〔付〕きてありしまゝに、】
ただ、自分の心の思いついたままに、

【その経をとりたてんとをもうはかな〔儚〕き心ばかりにて、】
その経文を取り立てようと思うだけの浅はかな心ばかりで、

【法華経にそむけば仏意〔ぶっち〕に叶〔かな〕はざる事をば】
法華経に背いているので、まったく仏の本意にかなっていないのです。

【し〔知〕らずしてひろ〔弘〕めゆくほどに、】
それを知らずに自分の宗派を弘めていくうちに、

【国主万民これを信じぬ。】
国主も万民も、これを信ずるようになってしまったのです。

【又他国へわた〔渡〕りぬ。又年もひさ〔久〕しくなりぬ。】
そうやっている内に、それが他国へ渡り、また年月もたってしまったのです。

【末々の学者等は本師のあやま〔誤〕りをばし〔知〕らずして、】
末代の学者達は、こうした本師の誤りを知らずに、

【師のごとくひろ〔弘〕めなら〔習〕う人々を智者とはをも〔思〕へり。】
師匠のように、それを弘めて修行する人々を智者であると思っているのです。

【源にご〔濁〕りぬればなが〔流〕れきよ〔浄〕からず。】
源が濁っていれば、その流れは、清くはないのです。

【身まが〔曲〕ればかげ〔影〕なを〔直〕からず。】
身体が曲がれば、その影も真っすぐではないのです。

【真言の元祖善無畏〔ぜんむい〕等は】
真言の元祖、善無畏〔ぜんむい〕などは、

【すでに地獄に堕〔お〕ちぬべかりしが、】
すでに地獄に堕ちるべきところでしたが、

【或は改悔〔かいげ〕して地獄を脱〔のが〕れたる者もあり。】
あるいは、後悔して地獄をまぬかれた者もおり、

【或は只〔ただ〕依経計りをひろめて法華経の讃歎〔さんだん〕をもせざれば、】
あるいは、ただ依経だけを弘めて、法華経を讃嘆も謗〔そし〕りもしなかったので、

【生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり。】
生死の苦は、離れられませんでしたが、悪道に堕ちなかった者もいました。

【而〔しか〕るを末々の者此の事を知らずして】
ところが末々の者は、こうしたことを知らないで、

【諸人一同に信をなしぬ。】
多数の人々が一同にその教えを信じているのです。

【譬へば破〔やぶ〕れたる船に乗りて大海に浮かび、】
譬えば、壊れた船に乗って大海に浮かび、

【酒に酔〔よ〕へる者の火の中に臥〔ふ〕せるが如し。】
酒に酔った者が火の中で寝ているようなものなのです。

【日蓮是を見し故に忽〔たちま〕ちに菩提心〔ぼだいしん〕を発〔お〕こして】
日蓮は、このありさまを見たゆえに、すぐに菩提心を起こして、

【此の事を申し始めしなり。世間の人々いかに申すとも】
この法門を言い始めたのです。しかし、世間の人々は、どのように言って聞かせても

【信ずることはあるべからず。かへりて死罪流罪となるべしとは】
日蓮の法門を信ずることは、ないでしょう。返って死罪、流罪となるであろうとは、

【かね〔兼〕て知りてありしかども、】
かねてより承知していたことなのです。

【今の日本国は法華経にそむ〔背〕き、釈迦仏をす〔捨〕つるゆへに、】
今の日本国は、法華経に背き、釈迦仏を捨てたゆえに、

【後生に阿鼻大城〔あびだいじょう〕に堕〔お〕つることはさてをきぬ。】
後生には、阿鼻〔あび〕地獄に堕ちることは、言うまでもないこととして、

【今生に必ず大難に値〔あ〕ふべし。】
今生にも、必ず、大難にあう事でしょう。

【所謂〔いわゆる〕他国よりせ〔責〕めき〔来〕たりて、】
ようするに他国から攻められて、

【上一人より下万民に至るまで一同の歎〔なげ〕きあるべし。】
上一人から下万民にいたるまで、一同に嘆くことが起こることでしょう。

【譬へば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに、】
譬えば、千人の兄弟が一人の親を殺した場合、

【此の罪を千に分けては受くべからず。】
けっして、この罪を千人に分けて受けると言うことでは、ありません。

【一々に皆無間大城〔むけんだいじょう〕に堕ちて】
一人一人、皆、無間〔むけん〕地獄に堕ちて

【同じく一劫〔こう〕を経〔ふ〕べし。】
同じように一劫の間、苦しむことでしょう。

【此の国も又々是くの如し。】
この日本国も、また、これと同じなのです。

【娑婆世界は五百塵点劫〔じんでんごう〕より已来〔このかた〕】
娑婆世界は、五百塵点劫〔じんでんごう〕以来、

【教主釈尊の御所領なり。】
教主、釈尊の御所領なのです。

【大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有〔もの〕ならず。】
大地、虚空、山海、草木の極僅〔ごくわず〕かでも、他の仏のものではないのです。

【又一切衆生は釈尊の御子なり。】
また、一切衆生は、みな釈尊の子供なのです。

【譬へば成劫〔じょうこう〕の始め一人の梵王〔ぼんのう〕下りて】
譬えば、成劫〔じょうこう〕の始めに、一人の大梵天王が天から下ってきて、

【六道の衆生をば生みて候ひしぞかし。梵王の一切衆生の親たるが如く、】
六道の衆生を生んだと言います。ゆえに大梵天王が一切衆生の親であるように、

【釈迦仏も又一切衆生の親なり。】
釈迦牟尼仏も、また、一切衆生の親であるのです。

【又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。】
また、この国の一切衆生のためには、教主、釈尊は、優れた師匠であるのです。

【父母を知るも師の恩なり。】
父母を知ることができるのも、この師匠の御陰なのです。

【黒白〔こくびゃく〕を弁〔わきま〕ふるも釈尊の恩なり。】
物の白黒を理解できるのも、釈尊の御陰なのです。

【而るを天魔の身に入りて候】
ところが、天魔が身に入った

【善導〔ぜんどう〕・法然〔ほうねん〕なんどが申すに付けて、】
善導〔ぜんどう〕や法然〔ほうねん〕などが言うことに従って、

【国土に阿弥陀堂を造り、或は一郡・一郷・一村等に阿弥陀堂を造り、】
国土に阿弥陀堂を造り、あるいは、一郡、一郷、一村などに阿弥陀堂を造り、

【或は百姓〔ひゃくせい〕万民の宅〔いえ〕ごとに阿弥陀堂を造り、】
あるいは、百姓万民の家ごとに阿弥陀堂を造り、

【或は宅々人々ごとに阿弥陀仏を書き造り、】
あるいは、家々、人々ごとに、阿弥陀仏を書き造り、

【或は人ごとに口々に或は高声に唱へ、】
あるいは、人ごとに口々に、あるいは、高声に念仏を唱へ、

【或は一万遍或は六万遍なんど唱ふるに、】
あるいは、一万遍、あるいは、六万遍など唱えているところに、

【少しも智慧ある者は、いよいよこれをすゝ〔勧〕む。】
少しばかり智慧のある者が、ますます、念仏を勧めているのです。

【譬へば火にか〔枯〕れたる草をくわ〔加〕へ、】
譬えば、火の中に枯れ草を加え、

【水に風を合はせたるに似たり。】
水に風を吹きかけ、波立たせることに似ています。

【此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子〔みでし〕御民ぞかし。】
この国の人々は、一人の例外もなく、教主、釈尊の弟子、子供なのです。

【而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつく〔造〕らず、か〔画〕ゝず、】
したがって釈迦牟尼仏以外の阿弥陀などの他仏を一仏も造らず、書かず、

【念仏も申さずある者は悪人なれども】
また、念仏も唱えずにいる者は、たとえ悪人であっても、

【釈迦仏を捨て奉る色は未だ顕はれず。】
釈迦牟尼仏を捨てると言う謗法の姿は、顕れないのです。

【一向に阿弥陀仏を念ずる人々は】
ただ、ひたすらに阿弥陀仏を念ずる人々は、

【既〔すで〕に釈迦仏を捨て奉る色顕然〔けんねん〕なり。】
すでに釈尊牟尼仏を捨てた謗法の姿が、明らかに顕れているのです。

【彼の人々の墓無〔はかな〕き念仏を申す者は悪人にてあるぞかし。】
このように意味のない念仏を唱える者こそ、ほんとうの悪人なのです。

【父母にもあらず主君・師匠にてもおはせぬ仏をば、】
父母でもなく主君でも師匠でもない、まったく意味のない仏を、

【いとを〔愛〕しき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨て、】
愛おしい妻のように大切に扱い、現に国主、父母、師匠である釈迦牟尼仏を捨てて、

【乳母〔めのと〕の如くなる法華経をば口にも誦〔じゅ〕し奉らず。】
乳母〔うば〕のような法華経を、口に唱えることもせずに、

【是豈〔あに〕不孝の者にあらずや。】
これがどうして、不孝の者でないなどと言うことが、あるでしょうか。

【此の不孝の人々、一人二人、百人千人ならず、】
この不孝の人々が、一人、二人、百人、千人ではないのです。

【一国二国ならず、上一人より下万民にいたるまで、】
一国、二国では、ないのです。上一人から下万民にいたるまで、

【日本国皆こぞ〔挙〕て一人もなく三逆罪のものなり。】
日本国の人々は、皆、こぞって一人残らず、三逆罪の者であるのです。

【されば日月色を変じて此をにらみ、】
それゆえ、日月は、色を変えて、これを睨〔にら〕み、

【大地もいか〔瞋〕りてをど〔震〕りあ〔動〕がり、】
大地も怒って振動し、

【大せいせい〔彗星〕天にはびこり、】
大彗星は、天に一杯に広がり、

【大火国に充満すれども僻事〔ひがごと〕ありともおも〔思〕はず、】
大火が国に充満しても、自らに間違いがあるとも思わず、

【我等は念仏にひまなし、其の上念仏堂を造り、】
我らは、暇〔ひま〕なく念仏を唱えているのです。そのうえ、念仏堂を造り、

【阿弥陀仏を持ち奉るなんど自讃〔じさん〕するなり。】
阿弥陀仏を受持し奉っているなどと自慢しているのです。

【是は賢き様にて墓無し。】
これは、賢いようでいて、実に、はかないことなのです。

【譬へば若き夫妻等が夫は女を愛し、女は夫をいとおしむ程に、】
譬えば、若い夫婦がいて、夫は、妻を愛し、妻は、夫を愛〔いと〕おしみ、

【父母のゆくへ〔行方〕をし〔知〕らず。】
父母の行方も知らずに、

【父母は衣薄〔うす〕けれども我はねや〔閨〕熱し。】
父母は、薄い着物で震えているけれども、自分たちの寝床は、温かく、

【父母は食せざれども我は腹に飽〔あ〕きぬ。】
父母は、食べていないけれども、自分達は、食に飽きているようなものなのです。

【是は第一の不孝なれども彼等は失〔とが〕ともしらず。】
これは、大変な不孝であるのですが、彼等は、それを気にもしないのです。

【況んや母に背く妻、父にさか〔逆〕へる夫、逆重罪にあらずや。】
まして母に背く妻や、父に逆らう夫は、重い罪を犯しているでは、ありませんか。

【阿弥陀仏は十万億のあなた〔彼方〕に有りて、此の娑婆世界には一分も縁なし。】
阿弥陀仏は、十万億の彼方にいて、この娑婆世界には、少しの縁もないのです。

【なにと云ふとも故もなきなり。】
なんと言おうと、その根拠は、ないのです。

【馬に牛を合はせ、犬に猿をかた〔語〕らひたるが如し。】
馬に牛を、かけ合わせ、犬に猿を、めあわすような理不尽なものなのです。

【但日蓮一人計り此の事を知りぬ。】
ただ、日蓮一人だけが、この事を知っているのです。

【命を惜〔お〕しみて云はずば】
日蓮が自分の生命を惜しんで、このことを言わないならば、

【国恩を報ぜぬ上教主釈尊の御敵となるべし。】
国恩を報じないうえに、教主、釈尊の敵〔かたき〕となるでしょう。

【是を恐れずして有りのまゝに申すならば死罪となるべし。】
これを恐れずに、ありのままに言うならば、必ず、死罪となるでしょう。

【設〔たと〕ひ死罪は免〔まぬか〕るとも】
たとえ、死罪は、免〔まぬが〕れても、

【流罪は疑ひなかるべしとは兼ねて知りてありしかども、】
流罪は、疑いないと、かねてから知っていましたが、

【仏恩〔ぶっとん〕重きが故に人をはゞからず申しぬ。】
仏の御恩が重い故に、人をはばかることなく、それを言ったのです。

【案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、】
案に違わず、二度まで流罪された中で、

【文永九年の夏の比〔ころ〕、佐渡国石田郷一谷〔いちのさわ〕と云ひし】
文永9年の夏の頃、佐渡の国、石田郷の一谷〔いちのさわ〕と言う

【処に有りしに、預かりたる名主〔みょうしゅ〕等は、公と云ひ私と云ひ、】
所に居たときに、預〔あず〕かった名主達は、公にも、私事にも、

【父母の敵よりも宿世の敵よりも悪〔にく〕げにありしに、】
父母の敵〔かたき〕よりも、また、宿敵よりも、憎しみをもって取り扱ったのに、

【宿の入道といゐ、め〔妻〕といゐ、つかうもの〔者〕と云ひ、】
宿の入道と言い、その妻と言い、使用人と言い、

【始めはお〔怖〕ぢをそ〔恐〕れしかども先世の事にやありけん、】
初めは、恐れていましたが、前世からの縁なのでしょうか、

【内々不便〔ふびん〕と思ふ心付きぬ。】
内々に不便と思う心が生じてきたからでしょうか。

【預かりよりあづかる食は少なし。】
預〔あず〕かりの名主から、渡される食糧は、少ないのに、

【付ける弟子は多くありしに、僅〔わず〕かの飯の二口三口ありしを、】
付き添っている弟子が多かったので、二口、三口の僅かの飯を、

【或はお〔折〕しき〔敷〕に分け、或は手に入れて食せしに、】
敷物に分け、手のひらに置いて食べていたところ、

【宅主〔あるじ〕内々心あ〔有〕て、】
家の主人が、内々に心を配り、

【外にはをそるゝ様なれども内には不便げにありし事】
外には、恐れる態度でしたが、内々では、不便の気持ちを、持たれていたことは、

【何〔いつ〕の世にかわす〔忘〕れん。】
いつの世に忘れることがあるでしょうか。

【我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。】
私を生んで下さった父母よりも、この時は、大切な人と思ったほどです。

【何〔いか〕なる恩をもはげむべし。】
どのようにしても、この恩には、報いなければなりません。

【まして約束せし事たがうべしや。】
まして、約束した事を違えて良いはずは、ありません。

【然れども入道の心は後世を深く思ひてある者なれば、】
しかしながら、入道は、心で後世を深く思っている人であったので、

【久しく念仏を申しつもりぬ。】
長い間、謗法の念仏を唱え続けております。

【其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物なり。】
そのうえ、阿弥陀堂を造り、田畠も、その仏に供養しています。

【地頭も又をそ〔恐〕ろしなんど思ひて】
また、地頭を恐ろしく思い、

【直ちに法華経にはならず。】
すぐには、法華経の信者には、なりませんでした。

【是は彼の身には第一の道理ぞかし。】
これは、この人の身の上としては、第一の道理でもありました。

【然れども又無間大城〔むけんだいじょう〕は疑ひ無し。】
しかしながら、また、阿鼻〔あび〕地獄に堕ちることも疑いありません。

【設〔たと〕ひ是より法華経を遺〔つか〕はしたりとも、】
たとえ、こちらから法華経を差し上げたとしても、

【世間もをそ〔怖〕ろしければ念仏すつべからずなんど思はゞ、】
世間が恐ろしいので、念仏を捨てることは、できないと思うならば、

【火に水を合はせたるが如し。】
火に水を合わせたようなものなのです。

【謗法の大水、法華経を信ずる小火をけ〔消〕さん事】
謗法の大水が、法華経を信ずる小さな火を消してしまうことは、

【疑ひなかるべし。】
疑いのないことなのです。

【入道地獄に堕〔お〕つるならば還って日蓮が失〔とが〕になるべし。】
入道が地獄に堕ちるならば、かえって日蓮の罪になってしまうでしょう。

【如何〔いかん〕がせん如何がせんと思ひわづらひて】
どうすれば良いものかと思い悩んで

【今まで法華経を渡し奉らず。】
今まで、法華経を御渡しせずにいたのです。

【渡し進〔まい〕らせんが為にまう〔設〕けまいらせて有りつる法華経をば、】
御渡ししようと思って用意しておいた法華経は、

【鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。】
鎌倉の火事の時に、失ってしまったと知らせがありました。

【旁〔かたがた〕入道の法華経の縁はなかりけり。】
いずれにせよ入道は、法華経に縁がなかったのです。

【約束申しける我が心も不思議なり。】
約束した私の心も不思議です。

【又我とはすゝまざりしを、鎌倉の尼の還りの用途〔ようど〕に歎きし故に、】
また自分からは、気が進まなかったのを鎌倉の尼僧が帰りの路銀に困っていたので、

【口入〔くにゅう〕有りし事なげかし。】
用立ててもらうよう口添えをしたことを後悔しております。

【本銭〔もとせん〕に利分を添へて返さんとすれば、】
本銭に利息をつけて返して、それで済まそうとすれば、

【又弟子が云はく、御約束違ひなんど申す。】
また弟子が、それでは、御約束が違いますなどと言います。

【旁進退極〔きわ〕まりて候へども、】
あれやこれや、進退極まりましたが、

【人の思はん様は誑惑〔おうわく〕の様なるべし。】
人は、私が偽りを言ったと思うでしょう。

【力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。】
やむをえず、法華経一部十巻をお渡しすることにしました。

【入道よりもうば〔姥〕にてありし者は内々心よせなりしかば、】
入道よりも、祖母の方が、内々、心を法華経に寄せていたようなので、

【是を持ち給へ。】
これを持ち帰ってください。

【日蓮が申す事は愚〔おろ〕かなる者の申す事なれば用ひず。】
日蓮の言う事は、愚かな者の言うことであるから、世間は、用いようとしません。

【されども去ぬる文永十一年(太歳甲戌)十月に】
しかし、去る文永11年10月に、

【蒙古〔もうこ〕国より筑紫〔つくし〕によせて有りしに、】
蒙古国が筑紫に攻め寄せて来た時に、

【対馬〔つしま〕の者かた〔固〕めて有りしに】
対馬の人々は、固く国を守っていましたが、

【宗〔そう〕の総馬尉〔そうまのじょう〕逃げければ、】
宗〔そう〕の総馬尉〔そうまのじょう〕が逃げたので、

【百姓等は男をば或は殺し、或は生け取りにし、】
蒙古軍は、百姓である男たちを殺し、あるいは、生け取りにし、

【女をば或は取り集めて手をとを〔通〕して船に結〔ゆ〕ひ付け、】
女たちを、一箇所に集めて手に縄を通して船に結び付け、

【或は生け取りにす。一人も助かる者なし。】
あるいは、生け取りにしたのです。一人として助かった者は、いません。

【壱岐〔いき〕によせても又是くの如し。】
壱岐に攻め寄せて来た時も、また、これと同じでした。

【船おしよせて有りけるには、】
蒙古の船が筑紫へ押し寄せてきた時には、

【奉行入道・豊前〔ぶぜん〕の前司〔ぜんじ〕は逃げて落ちぬ。】
奉行の入道、豊前の前司は、逃げ落ちてしまいました。

【松浦党〔まつらとう〕は数百人打たれ、或は生け取りにせられしかば、】
松浦党は、数百人も打たれ、あるいは、生け取りにされたので、

【寄せたりける浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し。】
攻め寄せられた浦々の百姓達は、壱岐や対馬のようになりました。

【又今度は如何が有るらん。彼の国の百千万億の兵〔つわもの〕、】
また今後は、どうなるのでしょうか。蒙古の百千万億の兵が、

【日本国を引き回〔めぐ〕らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ。】
日本国を取り巻いて押し寄せて来るならば、どうなっていくのでしょうか。

【北の手は先づ佐渡の島に付きて、】
北方の軍勢は、まず佐渡の島に押し寄せて来て、

【地頭・守護をば須臾〔しゅゆ〕に打ち殺し、】
地頭、守護をたちまちに打ち殺し、

【百姓等は北山へに〔逃〕げん程に、或は殺され、】
百姓達は、北山へ逃げるうちに、あるいは、殺され、

【或は生け取られ、或は山にして死ぬべし。】
あるいは、生け取られ、あるいは、山で死ぬことでしょう。

【抑〔そもそも〕是程の事は如何として起こるべきぞと推すべし。】
そもそも、これほどの事が、どうして起こるのかを考えてみるべきです。

【前に申しつるが如く、】
前に言ったように、

【此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり。】
この国の者は、一人として三逆罪を犯していない者はいないのです。

【是は梵王〔ぼんのう〕・帝釈〔たいしゃく〕・日月・四天の、】
これは、梵天王、帝釈天、日月、四天王が、

【彼の蒙古〔もうこ〕国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふなり。】
蒙古国の大王の身に入られて、この国を責められているのです。

【日蓮は愚〔おろ〕かなれども、】
日蓮は、愚かな者ですが、

【釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なりとなのり候を、】
釈迦牟尼仏の使いであり、法華経の行者であると名乗っているのに、

【用ひざらんだにも不思議なるべし。】
それを問いただそうとしないことでさえ、まったく不思議なことなのです。

【其の失〔とが〕に依って国破れなんとす。】
その過ちによって、国が破れようとしているのです。

【況〔いわ〕んや或は国々を追ひ、或は引っぱり、或は打擲〔ちょうちゃく〕し、】
ましてや、あるいは、所を追い払い、あるいは、引き回し、あるいは、打ちすえ、

【或は流罪し、或は弟子を殺し、】
あるいは、流罪にし、あるいは、弟子を殺し、

【或は所領を取る。】
あるいは、その所領を取り上げたりしたのです。

【現の父母の使ひをかくせん人々よ〔善〕かるべしや。】
眼前の父母の使いを、このようにした人々に、なにか良いことがあるでしょうか。

【日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。】
日蓮は、日本国の人々の父母であり、主君であり、明師なのです。

【是を背かん事よ。】
これに背いて、良いわけがありません。

【念仏を申さん人々は無間〔むけん〕地獄に堕〔お〕ちん事】
念仏を称える人々が無間地獄に堕ちる事は、

【決定〔けつじょう〕なるべし。たのもしたのもし。】
決定的なのです。仏法の厳然たる法理は、まことに頼もしいものです。

【抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。】
そもそも、彼らは、蒙古国から攻めてきた時には、どうするつもりなのでしょうか。

【此の法華経をいたゞ〔戴〕き、】
この法華経を頭〔こうべ〕にいただき、

【頸〔くび〕にか〔懸〕けさせ給ひて北山へ登らせ給ふとも、】
頚〔くび〕にかけて、北山へ登られようとも、

【年比〔としごろ〕念仏者を養ひ念仏を申して、】
彼らは、数年の間、念仏者を供養し、念仏を称えて、

【釈迦仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しゝ。】
釈迦牟尼仏と法華経の敵〔かたき〕となった期間は、とても長いのです。

【又若〔も〕し命ともなるならば法華経ばし恨〔うら〕みさせ給ふなよ。】
また、もし命を失うことになったとしても、決して法華経を恨んではなりません。

【又閻魔〔えんま〕王宮にしては何とか仰せあるべき。】
また、閻魔王の王宮に行ったときには、何と仰せになるでしょうか。

【をこがましき事とはおぼすとも、】
おこがましいことと御思いになるでしょうが、

【其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ。】
その時には、おそらく日蓮の檀那であると仰せになることでしょう。

【又是はさてをきぬ。】
また、この事はさておくとして、

【此の法華経をば学乗房〔がくじょうぼう〕に常に開かさせ給ふべし。】
この法華経を、学乗房に常に開かせられるがよいでしょう。

【人如何に云ふとも、】
人がどのように言おうとも、

【念仏者・真言師・持斎〔じさい〕なんどにばし開かさせ給ふべからず。】
念仏者、真言師、持斎〔じさい〕などには、決して開かせては、なりません。

【又日蓮が弟子となのるとも、】
また、日蓮の弟子と名乗るとも、

【日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐々謹言。】
日蓮の判を持たない者を、信用されてはなりません。恐恐謹言。

【五月八日   日蓮花押】
五月八日   日蓮花押

【一谷入道女房】
一谷入道女房へ



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