日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


阿仏房御息文 13 中興入道御消息

【中興入道御消息 弘安二年一一月三〇日 五八歳】
中興入道御消息 弘安2年11月30日 58歳御作


【鵞目〔がもく〕一貫文送り給〔た〕び候ひ了んぬ。】
鵞目一貫文、御送り頂きました。

【妙法蓮華経の御宝前に申し上げ候ひ了んぬ。】
あなたの御供養の御志を妙法蓮華経の御宝前に申し上げました。

【抑〔そもそも〕日本国と申す国は須弥山〔しゅみせん〕よりは南、】
そもそも、この日本と言う国は、須弥山の南方、

【一閻浮提〔えんぶだい〕の内縦広〔じゅうこう〕七千由旬〔ゆじゅん〕なり。】
一閻浮提の中にあります。一閻浮提は、その広さが縦横七千由旬であり、

【其の内に八万四千の国あり。】
その中には、八万四千の国があります。

【所謂〔いわゆる〕五天竺〔てんじく〕十六の大国、五百の中国、十千の小国、】
それらは、いわゆる五天竺、16の大国、五百の中国、十千の小国、

【無量の粟散〔ぞくさん〕国、微塵〔みじん〕の島々あり。】
更には、無量の粟粒を散散らしたような小国や微塵の島々があります。

【此等の国々は皆大海の中にあり。たとへば】
これらの国々は、皆、大海の中にあって、その様子をたとえて言えば、

【池にこ〔木〕のは〔葉〕のち〔散〕れるが如し。】
池に木の葉が散って水面に浮かんでいるようなものなのです。

【此の日本国は大海の中の小島なり。しほ〔潮〕み〔満〕てば見へず、】
この日本国は、大海の中の小島です。それも潮が満ちてくれば、見えなくなり、

【ひ〔干〕ればすこ〔少〕しみゆるかの程にて候ひしを、】
潮がひいた時に、ようやく少し姿が見えると言った程度の小さな島であったのを

【神のつ〔築〕き出ださせ給ひて後、】
神が築き出された国土であったのです。その後、

【人王のはじめ神武天皇と申せし大王をはしましき。】
人王の初めに神武天皇と言う大王がおられました。

【それよりこのかた三十余代は仏と経と僧とはましまさず。】
この王より以降三十数代にわたる王の間には、仏と経と僧の三宝はなく、

【たゞ人と神とばかりなり。】
ただ、人と神ばかりの世の中だったのです。

【仏法をはしまさねば地獄もしらず、浄土もねがはず。】
仏法がなかったので、人々は、地獄も知らず、死後に浄土を願うこともなく、

【父母兄弟のわか〔別〕れありしかども、いかんがなるらん。】
父母兄弟などと死別しても、どうしようもなく、

【たゞ露のき〔消〕ゆるやうに、】
露が消えるのと同じように、

【日月のかくれさせ給ふやうに、うちをもいてありけるか。】
また太陽や月が隠れるのと同じように、考えていたのでしょう。

【然るに人王第三十代欽明天皇と申す大王の御〔ぎょ〕宇〔う〕に、】
ところが、人王第30代、欽明天皇と言う大王の時代に、

【此の国より戌亥〔いぬい〕の角〔すみ〕に当たりて】
日本の北西の方角に

【百済〔くだら〕国と申す国あり。】
百済〔くだら〕と言う国がありますが、

【彼の国よりせいめい〔聖明〕王と申せし王、金銅〔こんどう〕の釈迦仏と、】
その百済国の聖明王と言う王が金銅〔こんどう〕の釈迦仏像と、

【此の仏の説かせ給へる一切経と申すふみ〔文書〕と、】
この仏が説かれた一切経と言う経典と、

【此をよむ僧をわたしてありしかば、】
この経文を読誦する僧侶とを送ってきたのです。

【仏と申す物もい〔生〕きたる物にもあらず、】
しかし仏と言っても生きているものではないし、

【経と申す物も外典〔げてん〕の文にもに〔似〕ず、】
経文と言うものも外典の書物とは、内容がまったく違っており、

【僧と申す物も物はいへども道理もきこへず、】
僧侶と言うものも、物は言いますが、その道理は、まったく理解できず、

【形も男女にもに〔似〕ざりしかば、】
姿や服装も男とも女ともつかず異様であったのです。

【かたがたあや〔怪〕しみをどろきて、左右の大臣、】
こうしたことから人々は、怪〔あや〕しみ驚いて左右の大臣が

【大王の御前にしてとかう〔兎角〕僉議〔せんぎ〕ありしかども、】
天皇の御前において、あれやこれやと論議しましたが、

【多分はもち〔用〕うまじきにてありしかば、】
仏は、尊崇すべきではないとの意見が大勢を占めました。

【仏はす〔捨〕てられ、僧はいま〔禁〕しめられて候ひしほどに、】
その結果、仏像は、捨てられ、僧侶は、拘禁されたのです。

【用明天皇の御子〔みこ〕聖徳太子と申せし人、】
そのような折りに、用明天王の皇子で聖徳太子と申し上げる方が、

【びだつ〔敏達〕の三年二月十五日、東に向かひて南無釈迦牟尼仏と唱へて】
敏達〔びだつ〕三年の2月15日に東方に向かって南無釈迦牟尼仏と唱え、

【御舎利を御手より出だし給ひて、】
仏舎利を手より出されました。

【同六年に法華経を読誦し給ふ。それよりこのかた七百余年、】
そして同6年には、法華経を読誦されたのです。それ以来現在に至る七百余年、

【王は六十余代に及ぶまで、やうや〔漸〕く仏法ひろまり候ひて、日本六十六箇国】
天皇も六十数代に及ぶ間に、、仏法は、次第に弘まっていき、日本の六十六箇国、

【二つの島にいたらぬ国もなし。】
二つの島に至るまで、仏法のいきわたらぬ所はないまでになりました。

【国々・郡々・郷々・里々・村々に堂塔と申し、寺々と申し、】
国々、郡々、郷々、里々、村々とあらゆる所に堂や塔、寺院が建立され、

【仏法の住所すでに十七万一千三十七所なり。】
仏法の住所は、すでに十七万一千三十七か所にのぼっています。

【日月の如くあき〔明〕らかなる智者代々に仏法をひろめ、】
さらに日月のように明らかな智者が何代にもわたって仏法を弘め、

【衆星のごとくかゞやくけんじん〔賢人〕国々に充満せり。】
きら星のように輝く賢人が、数多く出現して諸国に満ちあふれています。

【かの人々は自行には或は真言を行じ、】
これらの智者、賢人たちは、自行としては、ある者は、真言を行じ、

【或は般若、或は仁王、或は阿弥陀仏の名号、】
あるいは、般若経、仁王経を行じ、あるいは、阿弥陀仏の名号を称え、

【或は観音、或は地蔵、或は三千仏、】
あるいは、観世音菩薩、地蔵菩薩、三千仏などを信仰し、

【或は法華経読誦しをるとは申せども、】
または、法華経を読誦しているのです。

【無智の道俗をすゝ〔勧〕むるには、】
しかし、無知な僧俗に仏教を勧める時には、

【たゞ南無阿弥陀仏と申すべし。】
ただ、ひたすら南無阿弥陀仏と称えなさいと言い、

【譬へば女人の幼子〔おさなご〕をまうけたるに、或はほり〔堀〕、】
譬えば、女性に子供ができ、その子供が堀や

【或はかわ〔河〕、或はひと〔独〕りなるには、】
河に落ちておぼれかかっている時、または、独りで寂しい時に、

【母よ母よと申せば、き〔聞〕ゝつけぬれば、】
御母さん、御母さんと泣き叫ぶ声を聞きつけたならば、

【かならず他事をすてゝたす〔助〕くる習ひなり。】
必ず、他の事を捨てて子供を助けるのが、あたり前であるように、

【阿弥陀仏も又是くの如し。我等は幼子なり。】
阿弥陀仏も、これと全く同じことなのです。我ら衆生は、幼児であり、

【阿弥陀仏は母なり。地獄のあな〔穴〕、】
阿弥陀仏は、母なのです。我らが地獄の穴や

【餓鬼のほり〔堀〕なんどにを〔堕〕ち入りぬれば、】
餓鬼道の堀などに落ち込んで苦しんでいる時に、

【南無阿弥陀仏と申せば音と響〔ひび〕きとの如く、】
南無阿弥陀仏と唱えれば、ちょうど、音に響きが伴うように、

【必ず来たりてすくひ給ふなりと、】
阿弥陀仏が必ず来て我らを御救いくださるのですと、

【一切の智人ども教へ給ひしかば、】
あらゆる智者、賢人達が教えたので、

【我が日本国かく申しなら〔習〕はして年ひさしくなり候。】
日本国では、そう言い習わし、念仏が弘まって年久しくなったのです。

【然るに日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、】
ところで日蓮は、中央の都の者でもなければ、辺境の将軍などの子息でもなく、

【遠国の者、民が子にて候ひしかば、】
都から遠く離れた国の庶民の子供です。そのような身分の日蓮が、

【日本国七百余年に、一人もいまだ唱へまいらせ候はぬ】
日本国七百年以上もの間、ただ一人の智者も唱えることのなかった

【南無妙法蓮華経と唱へ候のみならず、皆人の父母のごとく、】
南無妙法蓮華経を唱えるばかりではなく、一切の人々が父母のように慕い、

【日月の如く、主君の如く、わた〔渡〕りに船の如く、】
日月のように崇め、主君のように敬い、渡りに船を得たように頼り、

【渇して水のごとく、】
渇きに水を得たように喜び、

【う〔飢〕えて飯の如く思ひて候南無阿弥陀仏を、】
飢えたときに食物を得たように思っている南無阿弥陀仏を、

【無間〔むけん〕地獄の業なりと申し候ゆへに、】
無間地獄に堕ちる業となるものだと言ったのです。

【食に石をた〔炊〕ひたる様に、】
それゆえ、食物に石を混ぜて炊いたように、

【がんせき〔巌石〕に馬のは〔跳〕ねたるやうに、】
岩石につまずいて馬が跳びはねたように、

【渡りに大風の吹き来たるやうに、】
渡航中に大風が吹いてきたように、

【じゆらく〔聚落〕に大火のつきたるやうに、】
集落に大火事が起こったように、

【俄〔にわ〕かにかたきのよせたるやうに、】
急に敵軍が攻め寄せてきたように、

【とわり〔遊女〕のきさき〔后〕になるやうに、】
遊女が貴人の妻となったように、

【をどろきそね〔嫉〕みねた〔妬〕み候ゆへに、】
人々は、日蓮の言葉に驚き、うらみ、憎んだのです。

【去ぬる建長五年四月二十八日より】
しかし去る建長5年4月28日の立宗以来、

【今弘安二年十一月まで二十七年が間、】
今日の弘安2年11月に至る27年間と言うもの、

【退転なく申しつより候事、】
退転なく、年を経るごとに、より強く題目の弘通に努めてきたことは、

【月のみ〔満〕つるがごとく、しほ〔潮〕のさすがごとく、】
月が夜毎に満月に近くなり、潮が次第に満ちていくことと同じでした。

【はじめは日蓮只一人唱へ候ひしほどに、】
はじめは、日蓮ただ一人、題目を唱えていましたが、

【見る人、値ふ人、聞く人耳をふさぎ、】
見る人、会う人、聞く人、いずれも耳をふさぎ、

【眼をいか〔怒〕らかし、口をひそめ、手をにぎり、は〔歯〕をか〔噛〕み、】
眼を怒〔いか〕らし、口をひそめ、手を強く握り、歯がみするなどして、

【父母・兄弟・師匠・ぜんう〔善友〕もかたき〔敵〕となる。】
父母、兄弟、師匠、善友など、近しい人達までもが敵対したのです。

【後には所の地頭・領家かたきとなる。】
後には、生まれた国の地頭や領家も日蓮を敵〔かたき〕として、

【後には一国さはぎ、後には万人をどろくほどに、】
ついには、一国をあげて騒ぎ、万民が驚くような状況になったのです。

【或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ、】
そうした中で、人の口まねをして南無妙法蓮華経と唱える者が出たり、

【或は悪口のためにとなへ、或は信ずるに似て唱へ、】
あるいは、悪口のために唱えたり、信ずるように見せかけて唱えたり、

【或はそし〔謗〕るに似て唱へなんどする程に、】
あるいは、誹謗しようと試みて唱える者がいたりして、

【すでに日本国十分が一分は】
すでに日本国の民衆の十分の一は、

【一向南無妙法蓮華経、】
一向に南無妙法蓮華経と唱えるようになったのです。

【のこりの九分は或は両方、】
残りの九分のうちには、あるいは、念仏と題目の両方を行じ、

【或はうたがひ、】
あるいは、どちらにつくべきか迷い、

【或は一向念仏者なる者は、父母のかたき、】
あるいは、一途に念仏を行ずる者は、日蓮をまるで父母のかたき、

【主君のかたき、宿世のかたきのやうにのゝ〔罵〕しる。】
主君のかたき、宿世のかたきでもあるかのようにして罵〔ののし〕るのです。

【村主・郷主・国主等は謀叛〔むほん〕の者のごとくあだ〔仇〕まれたり。】
村主、郷主、国主などは、日蓮を謀叛人のように怨んでいるのです。

【かくの如く申す程に、】
このように言っている内に、

【大海の浮木の風に随ひて定めなきが如く、】
大海の浮木が風の吹くまま、どこへともなく流されていくように、

【軽毛の虚空にのぼりて上下するが如く、】
軽い毛が空中に舞い上がって上下するように、

【日本国をを〔追〕はれある〔歩〕く程に、或時はう〔打〕たれ、】
日蓮も日本国中を追われて歩いているうちに、ある時は、打たれ、

【或時はいましめられ、或時は疵〔きず〕をかほふ〔蒙〕り、】
ある時は、捕えられ、ある時は、傷つけられ、

【或時は遠流〔おんる〕、或時は弟子をころされ、】
ある時は、島流し、ある時は、弟子を殺され、

【或時はう〔打〕ちを〔追〕はれなんどする程に、】
ある時は、追放されるなど、度重なる難を受けて来ました、

【去ぬる文永八年九月十二日には御かんき〔勘気〕をかほりて、】
去る文永8年9月12日に迫害を受け、

【北国佐渡の島にうつ〔遷〕されて候ひしなり。】
北国の佐渡ヶ島に流罪人とされたのです。

【世間には一分のとが〔失〕もなかりし身なれども、】
もちろん、日蓮は、世間の上では、一点の罪もない身ですが、

【故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を地獄に墜ちたりと申す法師なれば、】
故最明寺入道殿や極楽寺入道殿を地獄に堕ちたと言うほどの法師であるから、

【謀叛の者にもすぎたりとて、】
謀叛の者にも過ぎた罪人であるとして、

【相州鎌倉竜口〔たつのくち〕と申す処にて頸〔くび〕を切らんとし候ひしが、】
相模国鎌倉の竜口と言う刑場において日蓮を斬首しようとしたのです。

【科〔とが〕は大科なれども、】
しかし、罪は、大きいが、

【法華経の行者なれば左右なくうし〔失〕なひなば、】
法華経の行者であるから、この法師を、軽々しくと殺しては、

【いかんがとやをもはれけん。】
どんなものかと思われたのでしょうか。

【又遠国の島にす〔捨〕てを〔置〕きたるならば、いかにもなれかし。】
また、直接手を下さずとも、遠国の島に放置すれば、なんとかなるであろう。

【上〔かみ〕ににく〔憎〕まれたる上〔うえ〕、】
幕府に憎まれているうえ、

【万民も父母のかたきのやうにおもひたれば、】
日本国中の人々も父母のかたきのように思っているのであるから、

【道にても又国にても、若しはころ〔殺〕すか、】
佐渡への道中にでも、佐渡の国においてでも、殺されるか

【若しはか〔餓〕つえし〔死〕ぬるかにならんずらんと】
餓死するしかないであろうと思われたのです。

【あてがはれて有りしに、法華経十羅刹の御めぐ〔恵〕みにやありけん、】
ところが、法華経、十羅刹女の御加護によるものでしょうか、

【或は天とが〔失〕なきよしを御らん〔覧〕ずるにやありけん。】
あるいは、天が日蓮に全く罪のないことを御覧になっていたからでしょうか。

【島にてあだむ者は多かりしかども、】
佐渡には日蓮を憎む者は、多かったのですが、

【中興〔なかおき〕の次郎入道と申せし老人ありき。】
中興〔なかおき〕の次郎入道と言う老人がおり、

【彼の人は年ふ〔旧〕りたる上、心かしこく身もたのしくて、】
この人は、年長であるうえに、心は、賢く、身は、壮健で、

【国の人にも人とをもはれたりし人の、】
佐渡の人々から尊敬を集めている人でした。この中興次郎入道が

【此の御房はゆへ〔故〕ある人にやと】
日蓮と言う僧侶は、何か理由のある人に間違いないと

【申しけるかのゆへ〔故〕に、】
言われたからでしょうか、

【子息等もいた〔甚〕うもにく〔憎〕まず。】
彼の子息なども日蓮をひどく憎むと言うことは、ありませんでした。

【其の已下の者どもたいし〔大旨〕彼等の人々の下人にてありしかば、】
それ以下の者達も、大体は、中興一族に仕える人々の下人であったから、

【内々あやま〔過〕つ事もなく、】
裏で密かに日蓮に危害に加えることもなく、

【唯上〔かみ〕の御計らひのまゝにてありし程に、】
ただ幕府の指示の通りにしていました。そうしているうちに、

【水は濁れども又すみ、月は雲かくせども】
水が濁っても再び澄み、月は、雲に隠れても、

【又はるゝことは〔理〕りなれば、科〔とが〕なき事すでにあらわれて、】
また晴れるのが自然の道理であるように、日蓮に罪のないことが明白となり、

【いゐし事も】
自界叛逆難、他国侵逼難など前々から言って来たことが

【むな〔虚〕しからざりけるかのゆへに、御一門諸大名は】
外れなかったからでしょうか、北条氏一門や御家人の有力者達は

【ゆる〔許〕すべからざるよし申されけれども、】
日蓮の罪を許すべきではないと強硬に主張したにもかかわらず、

【相模守〔さがみのかみ〕殿の御計らひばかりにて、】
相模守、北条時宗殿のはからいによって、

【ついにゆり〔許〕候ひてのぼ〔登〕りぬ。】
ついに流罪を許されて鎌倉にのぼったのです。

【たゞし日蓮は日本国には第一の忠の者なり。】
ただし日蓮は、日本国にあっては、第一の忠の者です。

【肩をならぶる人は先代にもあるべからず、】
日蓮に肩を並べる人は、先代にもないでしょう。

【後代にもあるべしとも覚えず。】
また、後代に現れるとも思われません。

【其の故は去ぬる正嘉年中の大地震、文永元年の大長星の時、】
その理由は、去る正嘉年間の大地震や文永元年の大長星の時に、

【内外の智人其の故をうらな〔占〕ひしかども、】
内道、外道、それぞれの智人達が、こうした変事の起きるわけを占いましたが、

【なに〔何〕のゆへ〔故〕、】
何故こうしたことが起きるのか、

【いかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、】
これから先、どのようなことになっていくのかと言うことがわかりませんでした。

【日蓮一切経蔵に入りて】
そのとき日蓮は、一切経蔵に入り、

【勘〔かんが〕へたるに、】
仏の所説の上から、この事の原因と未来を考えたところ、

【真言・禅宗・念仏・律等の権小〔ごんしょう〕の人々をもって】
今の世の人々が、真言、禅、念仏、律などの権大乗教、小乗教の僧侶を尊重し、

【法華経をかろ〔軽〕しめたてまつる故に、】
法華経を軽んじているが故に、

【梵天・帝釈の御とが〔咎〕めにて、西なる国に仰せ付けて、】
梵天、帝釈が咎〔とが〕められて、西方の国に命じて

【日本国をせ〔攻〕むべしとかんが〔考〕へて、】
日本国を攻めさせるであろうとの考えを得たのです。

【故最明寺入道殿にまいらせ候ひき。】
そこで、この主旨を記して故最明寺入道殿に進上したのです。

【此の事を諸道の者をこ〔嘲〕づきわら〔笑〕ひし程に、】
諸宗、諸道の者達は、はじめ、これを嘲笑し、無視していたのですが、

【九箇年すぎて去ぬる文永五年に、】
これから、九ヵ年を過ぎて、去る文永5年に

【大蒙古国より日本国ををそ〔襲〕うべきよし牒状〔ちょうじょう〕わたりぬ。】
大蒙古国から、日本国を襲うとの牒状が届いたのです。

【此の事のあ〔合〕ふ故に、】
この予言が的中した故に、

【念仏者・真言師等あだ〔怨〕みて失はんとせしなり。】
念仏者や真言師などは日蓮を憎み、殺害しようと企てたのです。

【例せば、漢土に玄宗〔げんそう〕皇帝と申せし】
それは、例えば、中国に玄宗皇帝と言う

【御門〔みかど〕の御后〔おきさき〕に、】
帝〔みかど〕の后〔きさき〕に、

【上陽人〔じょうようじん〕と申せし美人あり。天下第一の美人にてありしかば、】
上陽人と言う名の美人がいました。この人は、天下第一の美人であったので、

【楊貴妃〔ようきひ〕と申すきさき〔后〕の御らん〔覧〕じて、】
楊貴妃〔ようきひ〕と言う皇帝の后〔きさき〕が上陽人の美しさを見て、

【此の人、王へまいるならば我が】
この人が王のそばで仕えたならば、

【をぼ〔寵〕へをと〔劣〕りなんとて、】
きっと私への寵愛〔ちょうあい〕を奪われてしまうに違いないと考えました。

【宣旨なりと申しかす〔掠〕めて、】
そこで楊貴妃〔ようきひ〕は、皇帝の命令であると偽り、

【父母兄弟をば或はながし、或は殺し、】
上陽人〔じょうようじん〕の父母兄弟を流罪し、殺害するなどして、

【上陽人をばろう〔牢〕に入れて四十年までせ〔責〕めたりしなり。】
上陽人〔じょうようじん〕自身も四十年の長い間、幽閉したのです。

【此もそれにに〔似〕て候。】
日蓮に対する仕打ちも、この例と同じようなものなのです。

【日蓮が勘文あらわれて、】
諸宗の僧侶達は、日蓮の勘文が世に知られ、幕府に用いられて、

【大蒙古国を調伏〔じょうぶく〕し、日本国か〔勝〕つならば、】
大蒙古国を調伏し、日本国が勝つことにでもなれば、

【此の法師は日本第一の僧となりなん。】
この法師は、日本第一の僧侶として遇されるに違いない。

【我等が威徳をと〔衰〕ろうべしと思ふかのゆへ〔故〕に、】
そうなれば、我々の権威は、地に堕ちてしまうであろうと怖れたが為に、

【讒言〔ざんげん〕をなすをばし〔知〕ろしめさずして、】
日蓮を讒言〔ざんげん〕したのです。しかし執権は、それがわからずに

【彼等がことばを用ひて国を亡ぼさんとせらるゝなり。】
その言葉を信用してしまい、日本の国を滅ぼそうとされているのです。

【例せば、二世王は】
これは、例を挙げれば、秦の始皇帝の子供、胡亥〔こがい〕皇帝が

【趙高〔ちょうこう〕が讒言によりて李斯〔りし〕を失ひ、】
趙高〔ちょうこう〕の讒言〔ざんげん〕を用いて李斯〔りし〕を死なせ、

【かへりて趙高が為に身をほろ〔亡〕ぼされ、】
かえって趙高〔ちょうこう〕によって身を滅ぼされたようなものです。

【延喜〔えんぎ〕の御門〔みかど〕は】
また日本でも、延喜〔えんぎ〕時代には、醍醐天皇が

【じへい〔時平〕のをとゞ〔大臣〕の讒言によりて、】
左大臣、藤原時平の讒言〔ざんげん〕を用いて、

【菅〔かん〕丞相〔じょうしょう〕を失ひて地獄にお〔堕〕ち給ひぬ。】
丞相〔じょうそう〕、菅原道真を失い、その過ちの故に地獄に堕ちました。

【此も又かくの如し。】
今の執権の場合も、これと全く同様なのです。

【法華経のかたきたる真言師・禅宗・】
法華経のかたきである真言師、禅宗、

【律僧・持斎・念仏者等が申す事を御用ひありて、】
律僧、持斎、念仏者などの言うことを信用して、

【日蓮をあだ〔怨〕み給ふゆへに、日蓮はいや〔賎〕しけれども、】
日蓮を憎まれているのです。日蓮自身は、身分の賤しい者であっても、

【所持の法華経を釈迦・多宝・十方の諸仏・梵天・】
持つところの法華経は、釈迦、多宝、十方の諸仏、

【帝釈・日月・四天・竜神・天照太神・八幡大菩薩、】
梵天、帝釈、日月、四天、竜神、天照太神、八幡大菩薩などの諸仏、諸天善神が、

【人の眼をお〔惜〕しむがごとく、諸天の帝釈をうやま〔敬〕うがごとく、】
あたかも人が眼を最も大切にするように、諸天が帝釈を敬うように、

【母の子を愛するがごとく、まぼ〔守〕りおも〔重〕んじ給ふゆへに、】
母が我が子を愛するように守護し、重んじられる経文なのです。

【法華経の行者をあだ〔怨〕む人を罰し給ふ事、】
したがって、法華経の行者を憎み迫害を加える者に対しては、

【父母のかたきよりも、】
諸仏、諸天が父母のかたきよりも、

【朝敵よりも重く大科に行なひ給ふなり。】
朝敵よりも重い罪を科して、厳しく処罰されるのです。

【然るに貴辺は故次郎入道殿の御子〔みこ〕にてをはするなり。】
ところであなたは、今は亡き中興次郎入道殿の御子息であられます。

【御前は又よめ〔嫁〕なり。】
御前は、また、その嫁です。

【いみじく心かしこ〔賢〕かりし人の子とよめ〔嫁〕とにをはすればや、】
非常に賢明であった御方の御子息と嫁であられるからでしょうか、

【故入道殿のあと〔跡〕をつ〔継〕ぎ、】
故入道殿の御志を継いで、

【国主も御用ひなき法華経を御用ひあるのみならず、】
国主も用いられていない法華経を信仰されるのみならず、

【法華経の行者をやしな〔養〕はせ給ひて、】
法華経の行者である日蓮を養われて、

【としどし〔年年〕に千里の道をおく〔送〕りむか〔迎〕へ、】
毎年、毎年、千里の道を行き来して御供養を届けられております。

【去〔みまか〕りぬる幼子のむすめ〔娘〕御前の十三年に、】
幼くして亡くなられた娘御前の十三回忌には、

【丈六のそとば〔卒塔婆〕をたてゝ、】
一丈六尺の卒塔婆を建立し、

【其の面〔おもて〕に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、】
その表面に南無妙法蓮華経の七文字を書き顕して追善供養されました。

【北風吹けば南海のいろくづ〔魚族〕、】
北風が吹けば、その南海の魚類は、

【其の風にあたりて大海の苦をはな〔離〕れ、】
その風にあたって大海の苦悩を離れ、

【東風〔こち〕きたれば西山の鳥鹿〔ちょうろく〕、】
東風が来れば、西山の鳥や鹿は、

【其の風を身にふ〔触〕れて畜生道をまぬ〔免〕かれて】
その風を身に触れて畜生道をまぬがれて、

【都率〔とそつ〕の内院に生まれん。】
都率〔とそつ〕の内院に生まれることでしょう。

【況んやかのそとば〔卒塔婆〕に随喜をなし、】
まして、この卒塔婆の建立を喜び、

【手をふ〔触〕れ眼に見まいらせ候人類をや。】
手を触れ、眼に見る人々の功徳は、どれほどのものでしょう。

【過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、】
亡き父母も、この卒塔婆の功徳によって、

【天の日月の如く浄土をてら〔照〕し、】
天の日月のように浄土への道を明るく照らされていることでしょう。

【孝養の人並びに妻子は】
また、孝養の人である、あなた自身並びに妻子は、

【現世には寿〔いのち〕を百二十年持ちて、】
現世には、百二十歳までも長生きして、

【後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、】
後生には、父母と共に霊山浄土に行かれるであろうことは、

【水す〔澄〕めば月うつ〔映〕り、】
水が澄めば、月は明らかに映り、

【つゞみ〔鼓〕をう〔打〕てばひゞ〔響〕きのあるがごとしと】
鼓を打てば、音が響きわたるように、

【をぼしめし候へ等云云。】
間違いのないことだと確信してください。

【此より後々の御そとば〔卒塔婆〕にも法華経の題目を顕はし給へ。】
これより後々の卒塔婆にも、法華経の題目を書き顕してください。

【弘安二年(己卯)十一月卅日   身延山 日蓮花押】
弘安2年11月30日身延山にて 日蓮花押

【中興入道殿女房】
中興入道殿女房へ



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