日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


妙法比丘尼御返事 第一章 ひとつの不思議あり


【妙法比丘尼御返事 弘安元年九月六日 五七歳】
妙法比丘尼御返事 弘安1年9月6日 57歳御作


【御文〔ふみ〕に云はく、たふ〔太布〕かたび〔帷〕ら】
御手紙には、楮〔こうぞ〕で織られた裏地がない着物、

【一つ、あによ〔嫂〕めにて候女房のつたうと云云。】
一つは、兄の嫁にあたる婦人からのものとあります。

【又おはり〔尾張〕の次郎兵衛殿、六月二十二日に死なせ給ふと云云。】
また、尾張次郎兵衛〔ひょうえ〕殿が六月二十二日に亡くなられたとあります。

【付法蔵経と申す経は、仏、我が滅後に】
付法蔵経という経文には、釈迦牟尼仏の滅後に

【我が法を弘むべきやう〔様〕を説かせ給ひて候。】
仏法が弘まる姿を説かれています。

【其の中に「我が滅後正法一千年が間、次第に使ひをつかはすべし。】
その中で正法時代の一千年の間は、次々と法を弘める人が現れるとあります。

【第一は迦葉〔かしょう〕尊者二十年、】
第一の迦葉〔かしょう〕尊者は、二十年間、

【第二は阿難〔あなん〕尊者二十年、】
第二の阿難〔あなん〕尊者は、二十年間、

【第三は商那和修〔しょうなわしゅ〕二十年、】
第三の商那和修〔しょうなわしゅ〕は、二十年間、

【乃至第二十三は師子〔しし〕尊者なり」と云云。】
そして、二十三番目は、師子〔しし〕尊者とあります。

【其の第三の商那和修と申す人の御事を仏の説かせ給ひて候やうは、】
その三番目の商那和修〔しょうなわしゅ〕のことを次のように説かれています。

【商那和修と申すは衣〔ころも〕の名なり、】
この商那和修〔しょうなわしゅ〕というのは、衣〔ころも〕の名前なのです。

【此の人生まれし時〔とき〕衣をき〔着〕て生まれて候ひき、】
この人は、生まれながらに衣〔ころも〕をまとっていました。

【不思議なりし事なり。六道の中に、】
実に不思議なことですが、六道の中で、

【地獄道より人道に至るまでは何〔いか〕なる人も】
地獄界から人間界までの間で、どのような人であっても、

【始めはあかはだか〔赤裸〕にて候に、天道こそ衣をきて生まれ侯へ。】
生まれる時は、真っ裸であるのに天上界だけは、衣を着て生まれるのです。

【たとひ何なる賢人聖人も人に生まるゝならひは】
たとえ、どのような賢人や聖人であっても、

【皆あかはだかなり。】
人間に生まれてくる時は、みな真っ裸なのです。

【一生〔いっしょう〕補処〔ふしょ〕の菩薩すら】
一生を過ぎれば、仏の位を補う地位になる菩薩の最高位の弥勒ですら、

【尚〔なお〕はだか〔裸〕にて生まれ給へり。何に況んや其の外をや。】
裸で生まれたのです。まして、それ以外の者などは、なおさらなのです。

【然るに此の人は商那衣〔しょうなえ〕と申す】
そうであるのに、この人は、商那衣〔しょうなえ〕という

【いみじき衣にまとはれて生まれさせ給ひしが、】
尊い衣〔ころも〕を着て生まれたのですが、

【此の衣は血もつかず、けが〔汚〕るゝ事もなし。】
この衣は、血もつかず、汚れることもなかったのです。

【譬へば池に蓮のを〔生〕ひ、をし〔鴛〕の羽の水にぬれざるが如し。】
たとえば、池の蓮や鴛鴦〔おしどり〕の羽が水に濡れないようなものです。

【此の人次第に生長ありしかば、】
この人が次第に成長するにしたがって、

【又此の衣次第に広く長くなる。】
また、この衣〔ころも〕も身体に応じて広く長くなったのです。

【冬はあつ〔厚〕く、夏はうす〔薄〕く、春は青く、秋は白くなり候ひし程に、】
衣は、冬は、厚くなり、夏は、薄く、春は、青くなり、秋は、白くなったのです。

【長者にてをは〔在〕せしかば何事もとも〔乏〕しからず。】
長者であったので、何一つ不自由は、なかったうえに、

【後には仏の記しをき給ひし事たが〔違〕ふ事なし。】
後には、仏が予言されたとおりになったのです。

【故に阿難尊者の御弟子とならせ給ひて御出家ありしかば、】
すなわち阿難尊者の弟子となって出家されたところ、

【此の衣変じて五条・七条・九条等の】
この衣〔ころも〕は、正装の五条、礼装の七条、最上の九条の

【御袈裟〔けさ〕となり候ひき。】
袈裟〔けさ〕となったのです。

【かゝる不思議の候ひし故を仏の説かせ給ひしやうは、】
このような不思議なことの原因を仏が説かれるには、

【乃往〔むかし〕過去阿僧祇劫の当初〔そのかみ〕、此の人は商人にて有りしが、】
過去、無量劫という過去に、この人は、商人であったが、

【五百人の商人と共に大海に船を浮かべてあきなひをせし程に、】
五百人の商人とともに、大海を渡って商いに行ったところ、

【海辺に重病の者あり。】
海辺に重病の人がいました。

【しかれども辟支仏〔びゃくしぶつ〕と申して貴人なり。】
それは、辟支仏〔びゃくしぶつ〕といって貴い僧でした。

【先業にてや有りけん、病にかゝりて身やつれ】
過去世の宿業であったのか、病気にかかり、見る影もなくやつれ果て、

【心をぼ〔耄〕れ、不浄にまと〔纏〕はれてをはせしを、】
心も弱くなって、不潔な状態で倒れていたのです。

【此の商人あは〔哀〕れみ奉りてねんごろに看病して生かしまいらせ、】
この商人は、この僧を見て気の毒に思い、親しく看病して蘇生させてあげ、

【不浄をすゝぎすてゝ麁布〔そふ〕の商那衣をき〔着〕せまいらせてありしかば、】
身についている不潔な物を捨てて、粗末な布で作った衣を着せてあげました。

【此の聖人悦びて願して云はく、汝我を助けて身の恥を隠せり。】
僧は、喜んで「あなたは、私を助けて身の恥を隠してくれました。

【此の衣を今生後生の衣とせんとて、やがて涅槃〔ねはん〕に入り給ひき。】
この衣を今生、後生の衣としよう」と感謝して、やがて涅槃に入ったのです。

【此の功徳によりて過去無量劫の間、】
この功徳によって、過去、無量劫の間、

【人中天上に生まれ生まるゝ度ごとに、】
この人は、人間、または、天上界に生まれてくるごとに

【此の衣身に随ひて離るゝ事なし。】
この衣〔ころも〕は、身に随〔したが〕って離れることはなかったのです。

【乃至今生に釈迦如来の滅後第三の付嘱をうけて】
このようにして今生には、釈迦如来の滅後三番目の付嘱を受けて

【商那和修と申す聖人となり、】
商那和修〔しょうなわしゅ〕という聖人となり、

【摩突羅〔まとら〕国の優留茶山〔うるだせん〕と申す山に】
摩突羅〔まとら〕国の優留荼山〔うるだせん〕という山に

【大伽藍〔がらん〕を立てゝ、】
大寺院を建立し、二十年間、

【無量の衆生を教化して仏法を弘通し給ひし事二十年なり。】
無量の人々を導いて、仏法を弘通したのです。

【所詮商那和修比丘〔びく〕の一切のたのしみ不思議は】
つまり、商那和修〔しょうなわしゅ〕比丘の一切の因行果徳の不思議は、

【皆彼の衣より出生せりとこそ説かれて候へ。】
すべて、その衣〔ころも〕から出ていると説かれているのです。

【而〔しか〕るに日蓮は南閻浮提〔なんえんぶだい〕日本国と申す国の者なり。】
今、日蓮は、世界の中で日本という国に生まれた者です。

【此の国は仏の世に出でさせ給ひし国よりは東に当たりて二十万余里の外、】
この国は、仏が世に出現された国から、東方に、はるか二十万里余りも離れた

【遥〔はる〕かなる海中の小島なり。】
大海の中の小島です。

【而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。】
また、仏が御入滅になられて、すでに二千二百二十七年になります。

【月氏漢土の人の此の国の人々を見候へば、此の国の人の】
インドや中国の人が、この国の人々を見るならば、この国の人が

【伊豆の大島・奥州の東のえぞ〔蝦夷〕なんどを見るやうにこそ候らめ。】
伊豆の大島や奥州の東の人々を見るようなものでしょう。

【而るに日蓮は日本国安房国〔あわのくに〕と申す国に生まれて候ひしが、】
そうであるのに、日蓮は、日本の安房という国に生まれて、

【民の家より出でて頭〔こうべ〕をそり袈裟をきたり。】
民の家から出家して、頭を剃〔そ〕り袈裟を着たのです。

【此の度いかにもして仏種をもう〔植〕へ、】
この生涯に、なんとしても仏に成る種を植え、

【生死を離るゝ身とならんと思ひて候ひし程に、皆人の願はせ給ふ事なれば、】
生死を離れる身になろうと思って、あらゆる人々が願ったように

【阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱へ候ひし程に、】
阿弥陀仏をたのんで、幼少から、その名前を唱えたのですが、

【いさゝかの事ありて此の事を疑ひし故に一つの願をおこす。】
色々なことがあって、このことに疑いをいだいて、一つの願いを起こしたのです。

【日本国に渡れる処の仏経並びに菩薩の論と人師の釈を習ひ見候はゞや。】
日本に渡って来た仏の経典や菩薩の論文、人師の書いた解釈書を習い見て、

【又倶舎〔くしゃ〕宗・成実宗・律宗・法相宗・】
また、倶舎〔くしゃ〕宗、成実〔じょうじつ〕宗、律宗、法相〔ほっそう〕宗、

【三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗ども】
三論〔さんろん〕宗、華厳宗、真言宗、法華天台宗など

【あまた〔数多〕有りときく上〔うえ〕に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。】
多くの宗派があるうえに、さらに禅宗、浄土宗という宗派もあり、

【此等の宗々枝葉〔しよう〕をばこまかに習はずとも、】
これらの宗派の細かい枝葉〔しよう〕まで細かく学習しなくても、

【所詮肝要を知る身とならばやと思ひし故に、随分にはし〔走〕りまは〔回〕り、】
大体の肝要を知る身となろうと思って、随分、あらゆる場所を走り回り、

【十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、】
十二、十六の年齢から三十二歳に至るまでの二十余年の間、

【鎌倉・京・叡山〔えいざん〕・園城寺〔おんじょうじ〕・高野〔こうや〕・】
鎌倉、京都、比叡〔ひえい〕山、園城寺〔おんじょうじ〕、高野〔こうや〕山、

【天王寺等の国々寺々あらあら習ひ回り候ひし程に、一つの不思議あり。】
天王寺など、これらの寺々に遊学をしたところ、一つの不思議がありました。

【我等がはかなき心に推〔すい〕するに仏法は唯一味なるべし。】
我らの浅はかな心で推察するのに、仏法は、ただ、ひとつであるのに、

【いづれもいづれも心に入れて習ひ願はゞ、】
いずれの宗派であっても、真剣に習学するならば、

【生死を離るべしとこそ思ひて候に、】
生死を離れることができるはずだと思っていたのに、

【仏法の中に入りて悪しく習ひ候ひぬれば、謗法と申す大なる穴に堕ち入りて、】
たとえ、仏法であっても間違って習学するならば、謗法という大きな穴に堕ちて、

【十悪五逆と申して、日々夜々に殺生〔せっしょう〕・偸盗〔ちゅうとう〕・】
十悪、五逆罪といって、日々夜々に殺生〔せっしょう〕、偸盗〔ちゅうとう〕、

【邪淫〔じゃいん〕・妄語〔もうご〕等をおか〔犯〕す人よりも、】
邪淫〔じゃいん〕、妄語〔もうご〕等を犯〔おか〕す人よりも、

【五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、】
五逆罪といって父母を殺す悪人よりも、

【比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかた〔堅〕く持ち、】
僧侶、尼僧となって、身に二百五十戒を堅く持〔たも〕ち

【心には八万法蔵をう〔浮〕かべて候やうなる智者聖人の、】
心には、八万法蔵を浮かべ、

【一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、】
一生の間に一つの悪をも作らず、人からは、仏のように思われ、

【我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思ふ程に、】
我が身も、また、よもや悪道に堕ちることはあるまいと思っている智者や聖人が、

【十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕ちて、】
十悪、五逆罪の罪人以上に地獄に堕ちて、

【阿鼻大城を栖〔すみか〕として永く地獄をいでぬ事の候ひけるぞ。】
無間地獄である阿鼻大城をすみかとして、永く地獄を出られないというのです。

【譬へば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、】
たとえば、出世しようと思って、国王に仕えている者が、

【させるあやま〔過〕ちはなけれども我が心のたらぬ上、】
これといった間違いがあるわけではなくとも、自分の心が至らないところから、

【身にあや〔怪〕しきふ〔振〕るま〔舞〕ひかさなるを、】
身に怪しい行動が重なっても、

【猶〔なお〕我が身にも失〔とが〕ありともしらず、】
それでも、我が身に疑いが、かかっているとも思わず、

【又傍輩〔ほうばい〕も不思議ともをも〔思〕はざるに、】
また、同僚などからも、怪しいと思われていないにも関わらず、

【后〔きさき〕等の御事によりてあやま〔過〕つ事はなけれども、】
后などに近づくことにより、不貞などはなくとも、

【自然にふるまひあしく、王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、】
自然に振る舞いが横暴になり、王などに怪しまれるならば、

【謀叛〔むほん〕の者よりも其の失重し。】
謀反の者よりも、その罪は、重くなるようなものなのです。

【此の身とがにかゝりぬれば、父母・兄弟・】
また、その身に罪科がかかってくれば、父母や兄弟、

【所従なんども又かる〔軽〕からざる失にをこ〔行〕なはるゝ事あり。】
付き従う者なども、また、軽くない罪に問われるようなものなのです。

【謗法と申す罪をば、我もしらず人も失とも思はず。】
謗法という罪は、自分も気づかず、また人も悪いとも思わず、

【但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、】
ただ、仏法を習っているのだから、貴いとばかり思っているので、

【此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間〔むけん〕地獄に堕つる事あり。】
この人も、また、この人に従う弟子、檀那なども無間地獄に堕ちるのです。

【所謂勝意〔しょうい〕比丘・】
いわゆる勝意〔しょうい〕比丘や

【苦岸〔くがん〕比丘なんど申せし僧は二百五十戒をかたく持ち、】
苦岸〔くがん〕比丘などという僧は、二百五十戒を堅く持〔たも〕ち、

【三千の威儀を一もか〔欠〕けずありし人なれども、】
三千の威儀も一つも欠けることがない人であったのですが、

【無間大城に堕ちて出づる期〔ご〕見へず。】
無間地獄の大城に堕ちて、ついに出ることもなく、

【又彼の比丘に近づきて弟子となり檀那となる人々、】
また、彼の勝意比丘や苦岸比丘に近づいて、弟子や檀那となった人々は、

【存じの外に大地微塵〔みじん〕の数よりも多く地獄に堕ちて、】
思いのほかに大地微塵の数よりも多く、地獄に堕ちて、

【師ととも〔倶〕に苦を受けしぞかし。】
師と一緒に大苦を受けることになったのです。

【此の人後世のために衆善を修せしより外は】
この人達は、後世の為に多くの善根を修行しようという以外は、

【又心なかりしかども、かゝる不祥にあひて候ひしぞかし。】
なんの思いもなかったのですが、このような不幸な目にあってしまったのです。


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