御書研鑚の集い 御書研鑽資料
妙法比丘尼御返事 第三章 大謗法の国ゆえの大難
【此の大科次第につ〔積〕もりて、】
この大きな罪科が次第に積〔つ〕もって
【人王八十二代隠岐〔おきの〕法皇〔ほうおう〕と申せし王】
人王第八十二代の隠岐〔おきの〕法皇と呼ばれた後鳥羽天皇、
【並びに佐渡院〔さどのいん〕等は、】
佐渡〔さどの〕院と呼ばれた順徳天皇などは、
【我が相伝の家人にも及ばざりし相州鎌倉の義時〔よしとき〕と申せし人に、】
代々仕えてきた家人にも及ばない相模〔さがみの〕国の鎌倉の北条義時という人に、
【代を取られさせ給ひしのみならず島々にはなたれて】
政権を取られたのみならず、それぞれの島に追放され、
【歎〔なげ〕かせ給ひしが、終〔つい〕には彼の島々にして隠れさせ給ひぬ。】
悲嘆にくれたあげく、ついに、その島で崩御したのです。
【神〔たましい〕は悪霊となりて地獄に堕ち候ひぬ。】
そして、その魂は、悪霊となって地獄に堕ちたのです。
【其の召し仕〔つか〕はれし大臣已下は】
それらに召し使われた大臣以下の人々は、
【或は頭をは〔刎〕ねられ或は水火に入り、】
あるいは、頸〔くび〕を刎〔は〕ねられ、あるいは、水や火に入って死に、
【其の妻子等は或は思ひ死にゝ死に、】
その妻子などは、あるいは、思い死にし、
【或は民の妻となりて今に五十余年、】
あるいは、民の妻となって、もう五十余年となります。
【其の外の子孫は民のごとし。】
その他の子孫は、ただの人となってしまったのです。
【是偏〔ひとえ〕に真言と念仏等をもてなして】
これは、ひとえに真言と念仏などを尊〔とうと〕び、
【法華経・釈迦仏の大怨敵〔おんてき〕となりし故に、天照太神・】
法華経、釈迦牟尼仏の大怨敵となった故であり、
【正八幡等の天神地祇〔ちぎ〕、十方の三宝にすてられ奉りて、】
天照太神、正八幡大菩薩などの天神、地祇、十方の三宝に捨てられ、
【現身には我が所従等にせ〔攻〕められ後生には地獄に堕ち候ひぬ。】
現世には、自分の家来などに攻められ、後生には、地獄に堕ちたのです。
【而るに又代〔よ〕東〔あずま〕にうつりて年をふ〔経〕るまゝに、】
これ以後、政権が東国の鎌倉に移って、時代が変わるにつれて、
【彼の国主を失ひし真言宗等の人々鎌倉に下り、】
このように天皇を失う元凶となった真言宗などの人々が、鎌倉に下り、
【相州の足下にくゞり入りて、やうやうにたばか〔謀〕る故に、】
その鎌倉の足元でいろいろと政権に取り入って、
【本〔もと〕は上臈〔じょうろう〕なればとてすか〔賺〕されて】
もとは、高僧であるという理由で、すっかり、鎌倉の人々をたぶらかして、
【鎌倉の諸堂の別当となせり。】
鎌倉の多くの寺院の主人となったのです。
【又念仏者をば善知識とたのみて大仏・長楽寺・極楽寺等と】
また、鎌倉幕府は、念仏者を師として、大仏寺、長楽寺、極楽寺などを建てて、
【あが〔崇〕め、禅宗をば寿福寺・建長寺等とあがめをく。】
尊重し、さらに禅宗の為に寿福寺や建長寺などを建てて、崇〔あが〕めたのです。
【隠岐法皇の果報の尽き給ひし失〔とが〕より】
そういうことで、隠岐〔おきの〕法皇の命運が尽きたことよりも、
【百千万億倍すぎたる大科鎌倉に出来せり。】
百千万億倍過ぎた大科が鎌倉に出来したのです。
【かゝる大科ある故に、】
さらに大きな科〔とが〕があるので、
【天照太神・正八幡等の天神地祇、釈迦・多宝・】
天照太神、正八幡大菩薩などの天神、地祇、釈迦牟尼仏、多宝如来、
【十方の諸仏一同に大いにとが〔咎〕めさせ給ふ故に、隣国に聖人有りて、】
十方の諸仏が一同に、これを咎〔とが〕める為に、隣国に聖人がいるので、
【万国の兵〔つわもの〕をあつめたる大王に仰せ付けて、】
万国の兵を集めている大王に命令して、
【日本国の王臣万民を一同に罰せんとたく〔巧〕ませ給ふを、】
日本の王臣、万民を罰しようと計画されているのを、
【日蓮かねて経論を以て勘へ候ひし程に、】
日蓮は、経論によって、前もって推測したのです。
【此を有りのまゝに申さば国主もいかり万民も用ひざる上、】
このことを、ありのまま言えば、国主も怒〔いか〕り、万民も用いない上、
【念仏者・禅宗・律僧・真言師等定めて忿〔いか〕りをなしてあだを存し、】
念仏者、禅宗、律僧、真言師などが、必ず、怒りをなして、仇敵のように思い、
【王臣等に讒奏〔ざんそう〕して我が身に大難おこりて、】
王臣などに讒奏〔ざんそう〕して、我が身に大難が起こり、
【弟子乃至檀那までも少しも日蓮に心よせなる人あらば科〔とが〕になし、】
弟子や信者など日蓮にわずかでも心を寄せる人がいれば、それを罪とされ、
【我が身もあやうく命にも及ばんずらん。】
我が身も危険となり、身命にも及ぶことになるのです。
【いかゞ案もなく申し出だすべきとやすらひし程に、】
そういうことで良い考えもなく、安易に言い出せないでいたところ、
【外典の賢人の中にも、世のほろぶべき事を知りながら】
仏教以外の賢人でも、世の亡ぶべきことを知りながら、
【申さぬは諛臣〔ゆしん〕とて、】
諌言〔かんげん〕しないのは、諛臣〔ゆしん〕といって、
【へつらへる者不知恩の人なり。】
媚〔こ〕びへつらう者、不知恩の人であるとされています。
【されば賢なりし竜逢〔りゅうほう〕・比干〔ひかん〕なんど申せし賢人は、】
中国の竜逢〔りゅうほう〕や比干〔ひかん〕という賢人は、夏〔か〕の
【頸〔くび〕をきられ胸をさ〔割〕かれしかども、】
桀〔けつ〕王に頚〔くび〕を切られ、殷の紂〔ちゅう〕王に胸を裂かれたけれども、
【国の大事なる事をばはゞ〔憚〕からず申し候ひき。】
国にとって大事なことは、誰はばかることなく諌言〔かんげん〕したのです。
【仏法の中には仏いまし〔誡〕めて云はく、】
仏法の中では、仏が誡〔いまし〕めとして厳〔きび〕しく言われるのには、
【法華経のかたきを見て世をはゞかり恐れて】
「法華経の敵〔かたき〕を見ながら、世間をはばかり恐れて、
【申さずば釈迦仏の御敵、】
なにも言わないのは、釈迦牟尼仏の敵であり、
【いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし。】
どのような智人や善人であっても、必ず無間地獄に堕ちるであろう。
【譬へば父母を人の殺さんとせんを子の身として父母にしらせず、】
たとえば、父母を他人が殺そうとしているのを、子の身として父母に知らせず、
【王をあや〔過〕まち奉らんとする人のあらむを、】
あるいは、国王に謀反〔むほん〕を起こそうとしている者がいるのに、
【臣下の身として知りながら代をおそれて】
臣下の身であるのに、それを知りながら、巻き添えを恐れて
【申さゞらんがごとしなんど禁〔いまし〕められて候。】
報告しないのと同じである」と禁〔いさ〕められています。
【されば仏の御使ひたりし提婆〔だいば〕菩薩は外道に殺され、】
したがって、仏の御使いであった提婆〔だいば〕菩薩は、外道に殺され、
【師子尊者は檀弥羅〔だんみら〕王に頭をはねられ、】
師子尊者は、北インドの檀弥羅〔だんみら〕王に頸〔くび〕を刎〔は〕ねられ、
【竺〔じく〕の道生〔どうしょう〕は蘇山〔そざん〕へ流され、】
羅什三蔵の弟子、竺〔じく〕の道生〔どうしょう〕は、蘇山〔そざん〕に流され、
【法道〔ほうどう〕は面〔かお〕にかなやき〔火印〕をあてられき。】
中国、北宋の法道〔ほうどう〕三蔵は、顔に火印〔かなやき〕をあてられたのです。
【此等は皆仏法を重んじ、王法を恐れざりし故ぞかし。】
これらは、皆、仏法を重んじ、王法を恐れなかったゆえなのです。
【されば賢王の時は、仏法をつよく立つれば、王両方を聞きあき〔明〕らめて、】
それ故に賢王の時は、仏法を強く主張し、王が両者の言い分を平等に聞いて、
【勝れ給ふ智者を師とせしかば】
その議論に勝った者を智者として、敬〔うやま〕い師とすれば、
【国も安穏なり。】
国も安穏となるのです。
【所謂陳・隋の大王、桓武・嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召し合はせ、】
いわゆる陳、隋の大王は、天台智者大師を南三北七の学者と対論させ、
【最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて】
桓武天皇、嵯峨天皇などは、伝教大師を南都の十四人の高僧と対論させ、
【論じか〔勝〕ち給ひしかば、寺をたてゝ正法を弘通しき。】
議論に勝ったので、比叡山に寺院を建てて正法を弘通したのです。
【大族王・優陀延〔うだえん〕王・】
インド磔迦〔たっか〕国の大族王、同じくインドの優陀延〔うだえん〕王、
【武宗〔ぶそう〕・欽宗〔きんそう〕・】
唐十八代武宗〔ぶそう〕皇帝、北宋九代欽宗〔きんそう〕皇帝、
【欽明・用明、或は鬼神外道を崇重〔そうじゅう〕し】
日本の欽明〔きんめい〕天皇、用明〔ようめい〕天皇は、鬼神や外道を崇重し、
【或は道士を帰依し或は神を崇〔あが〕めし故に、】
あるいは、道教の信者に帰依し、あるいは、神を崇めたゆえに、
【釈迦仏の大怨敵となりて身を亡し世も安穏ならず。】
釈迦牟尼仏の大怨敵となって、身を滅ぼし、世も安穏では、ありませんでした。
【其の時は聖人たりし僧侶大難にあへり。】
その時の聖人であった僧侶は、大難にあったのです。
【今日本国すでに大謗法の国となりて他国にやぶ〔破〕らるべしと見えたり。】
今、日本は、すでに大謗法の国となって、他国に侵略されようとしています。
【此を知りながら申さずば縦〔たと〕ひ現在は安穏なりとも】
これを知りながら、言わなければ、たとえ現在は、安穏であるとしても
【後生には無間大城に堕つべし。】
後生は、必ず無間地獄に堕ちることでしょう。
【後生を恐れて申すならば流罪死罪は一定〔いちじょう〕なりと思ひ定めて、】
しかし、後生を恐れて、このことを言うならば、流罪や死罪は、必定なのです。
【去ぬる文応の比〔ころ〕、故〔こ〕最明寺入道殿に申し上げぬ。】
それを知りながら、文応〔ぶんおう〕の頃に故最明寺入道殿に申し上げたのです。
【されども用ひ給ふ事なかりしかば、念仏者等此の由を聞きて、】
しかし、用いられることがなかったので、念仏者などは、このことを聞いて、
【上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に】
上下の人々を仲間にして、日蓮を襲い殺そうとしたのですが、
【かな〔叶〕はざりしかば、長時〔ながとき〕武蔵守〔むさしのかみ〕殿は】
それを果たすことが出来なかったので、執権である武蔵守の北条長時殿が、
【極楽寺殿の御子なりし故に、親の御心を知りて】
極楽寺殿の子であるゆえに、親の心をおもんばかって、
【理不尽に伊豆国〔いずのくに〕へ流し給ひぬ。】
理不尽にも、日蓮を伊豆の国へ流罪にしたのです。
【されば極楽時殿と長時と彼の一門皆ほろぶるを】
それゆえに、極楽寺殿と北条長時と彼の一門が滅んでしまったことは、
【各〔おのおの〕御覧あるべし。】
各々、御覧になったとおりです。
【其の後何程〔いかほど〕もなくして召し返されて後、】
その後、日蓮は、いくほどもなく赦〔ゆる〕されて、鎌倉に帰った後も、
【又経文の如く弥〔いよいよ〕申しつよる。】
また、経文に仰せのとおり、さらに強く申し上げました。
【又去ぬる文永八年九月十二日に佐渡国〔さどのくに〕へ流さる。】
また、文永八年(西暦1271年)9月12日に佐渡の国へ流されました。
【日蓮御勘気の時申せしが如く、どしう〔同士打〕ちはじまりぬ。】
しかし、日蓮が、その法難の際に言ったとおりに、同士打ちが始まったのです。
【それを恐るゝかの故に又召し返されて候。】
それを恐れたのでしょうか、また赦〔ゆる〕されて鎌倉に帰ってきました。
【しかれども用ふる事なければ、万民も弥々悪心盛んなり。】
しかし、諌言を用いないので、万民は、いよいよ悪心が強盛になったのです。
【縦〔たと〕ひ命を期〔ご〕として申したりとも】
たとえ、命をかけて諌言したとしても、
【国主用ひずば国やぶれん事疑ひなし。】
それを、国王が用いなければ、国が亡ぶことは、間違いありません。
【つみしらせて後用〔もち〕ひずば我が失〔とが〕にはあらずと思ひて、】
それが罪になると教えても、それを聞かないのであれば、私の罪ではないと思い、
【去ぬる文永十一年五月十二日相州鎌倉を出で、】
去る文永11年(西暦1274年)5月12日、相模国の鎌倉を出て、
【六月十七日より此の深山に居住して門〔かど〕一町を出でず、】
6月17日から、この山深い身延に居住して、そこから遠く離れることなく、
【既に五箇年をへたり。本は房州の者にて候ひしが、】
すでに五年間が経ちました。日蓮は、もとは、安房〔あわ〕の者ですが、
【地頭東条左衛門尉景信〔かげのぶ〕と申せしもの、】
地頭の東条左衛門尉景信〔かげのぶ〕という者が、
【極楽寺殿、藤次左衛門入道、一切の念仏者にかたらはれて、】
極楽寺殿、また、その家臣である藤次左衛門入道などの念仏者にそそのかされて、
【度々の問註ありて結句は合戦起こりて候上、】
たびたびの取り調べがあり、結局は、小松原の法難が起こったうえ、
【極楽寺殿の御方人〔かたうど〕理をまげられしかば、】
極楽寺殿に同調した者が、道理を曲げたので、
【東条の郡ふせ〔塞〕がれて入る事なし。】
東条の郡を塞〔ふさ〕がれて、その中に入ることができませんでした。
【父母の墓を見ずして数年なり。】
それで父母の墓を見ることなく、数年が経っています。
【又国主より御勘気二度なり。】
また、国主からの迫害は、二度におよびます。
【第二度は外〔そと〕には遠流と聞こへしかども】
二度目は、外には、遠島〔えんとう〕と言われていましたが、
【内には頸を切るべしとて、鎌倉竜口〔たつのくち〕と申す処に】
内々には、頸〔くび〕を斬るということで、鎌倉の竜の口という所に
【九月十二日の丑〔うし〕の時に頸の座に引きすへられて候ひき。】
九月十二日の午前2時に、頸〔くび〕の座に引き据えられたのです。
【いかゞして候ひけん、月の如くにをは〔在〕せし物、】
ところが、どうしたことか、月のような物が、
【江島〔えのしま〕より飛び出でて使ひの頭へかゝり候ひしかば、】
江ノ島の方角から飛び出して、頸〔くび〕を斬る役の頭にかかったので、
【使ひおそ〔怖〕れてき〔斬〕らず。とかうせし程に】
その役の者は、恐怖で斬ることができずに、そうしているうちに
【子細どもあまたありて其の夜の頸はのがれぬ。】
様々な理由があって、その夜は、斬首〔ざんしゅ〕は、免〔まぬが〕れたのです。
【又佐渡国にてきらんとせし程に、】
また、改めて、佐渡において日蓮を斬首〔ざんしゅ〕しようとしましたが、
【日蓮が申せしが如く鎌倉にどしう〔同士打〕ち始まりぬ。】
日蓮が予言したとおりに、鎌倉で北条時輔〔ときすけ〕の乱が始まったので、
【使ひはしり下りて頸をきらず、結句はゆるされぬ。】
使いの者が急ぎ佐渡に来て、最終的に赦されて、頸〔くび〕を斬ることなく、
【今は此の山に独〔ひと〕りすみ候。】
今は、この身延の山に独り住んでいるのです。
【佐渡国にありし時は、里より遥かにへだたれる野と山との中間に】
佐渡にいた時は、人里から遥かに隔たっている野と山との中間に
【つかはら〔塚原〕と申す御三昧所〔さんまいしょ〕あり。】
塚原〔つかはら〕という火葬場があり、
【彼処〔かしこ〕に一間四面の堂あり。】
そこに一間四面の堂がありました。
【そら〔天〕はいたま〔板間〕あわず、四壁はやぶ〔壊〕れたり。】
空を覆〔おお〕う屋根の板間は、隙間が多く、四方の壁は、朽ち破れて、
【雨はそと〔外〕の如し、雪は内に積もる。】
雨が降れば、それは、外にいるようであり、雪は、中に積もってしまいます。
【仏はおは〔御座〕せず、筵〔むしろ〕・畳〔たたみ〕は一枚もなし。】
仏も安置しておらず、筵〔むしろ〕さえ一枚もありません。
【然れども我が根本より持ちまいらせて候教主釈尊を立てまいらせ、】
しかし、以前から持っていた教主、釈尊を、そこに安置して、
【法華経を手ににぎり、蓑〔みの〕をき〔着〕笠をさして居たりしかども、】
法華経を手に握り、蓑〔みの〕を着て笠をさして過ごしていましたが、
【人もみへず食もあたへずして四箇年なり。】
人も来ず、食も与えられずに四年が経っていました。
【彼の蘇武〔そぶ〕が胡国〔ここく〕にとめられて十九年が間、】
あの前漢の武将である蘇武〔そぶ〕が匈奴の地で囚われの身となり十九年間、
【蓑をき、雪を食としてありしが如し。】
蓑〔みの〕を着て、雪を食としていたようなものです。