日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


妙法比丘尼御返事 第二章 念仏、真言、禅の謗法


【かゝる事を見候ひしゆへに、】
このようなことを見たうえで、

【あらあら経論を勘〔かんが〕へ候へば日本国の当世こそ其れに似て候へ。】
いろいろな経論を考えてみたところ、日本の現在は、まさにこの通りなのです。

【代〔よ〕末になり候へば、】
時代も末法となり、

【世間のまつり事のあら〔粗〕きにつけても世の中あや〔危〕うかるべき上、】
いくら政治が駄目だとしても、また、世情がいくら不安定だとしても、

【此の日本国は他国にもに〔似〕ず仏法弘まりて】
この日本は、他の国とは違って、仏法が広まっているので

【国をさ〔治〕まるべきかと思ひて候へば、】
国は、正しい政治が行われ、世も平穏であるはずだと思っていたのですが、

【中々仏法弘まりて世もいたく衰〔おとろ〕へ、】
逆に仏法が盛んになっていながら、世もひどく衰え、

【人も多く悪道に堕つべしと見へて候。】
人も悪の道に堕ちる人が多いように思えるのです。

【其の故は日本国は月氏漢土よりも】
それは、日本がインドや中国より、

【堂塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり。】
仏教の寺や塔などは、多いのですが、そのうちの大部分は、阿弥陀堂なのです。

【其の上、家ごとに阿弥陀仏を木像に造り画像〔えぞう〕に書き、】
そのうえに、家ごとに阿弥陀仏を木像として造り、また、画像に描〔えが〕き、

【人毎〔ごと〕に六万八万等の念仏を申す。】
人々がそれぞれに六万遍、八万遍と念仏を唱えているのです。

【又他方を抛〔なげう〕ちて西方を願ふ。愚者の眼にも貴しと見え候上、】
また、別の仏を打ち捨てて、西方浄土を願うことが愚者の眼にも貴いと思え、

【一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給ふ。】
すべての智者も、こぞって、すべて貴いことと誉〔ほ〕めているのです。

【又人王五十代桓武〔かんむ〕天皇の御〔ぎょ〕宇〔う〕に、】
また、人王第五十代の桓武〔かんむ〕天皇の時代に、

【弘法大師と申す聖人此の国に生まれて、】
弘法大師という聖人が、この国に生まれて、

【漢土より真言宗と申すめずらしき法を習ひ伝へ、平城〔へいぜい〕・】
中国から真言宗という目新しい法門を習い伝え、平城〔へいぜい〕天皇、

【嵯峨〔さが〕・淳和〔じゅんな〕等の王の御師となりて】
嵯峨〔さが〕天皇、淳和〔じゅんな〕天皇などの国王の師匠となって、

【東寺・高野と申す寺を建立し、又慈覚〔じかく〕大師・】
東寺、高野山という寺を建立し、また、慈覚〔じがく〕大師、

【智証〔ちしょう〕大師と申す聖人同じく此の宗を習ひ伝へて】
智証〔ちしょう〕大師という聖人も同じく、この宗派を習い伝えて、

【叡山・園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺一同に此の法を伝へ、】
比叡山、園城寺で弘めたので、日本の寺という寺は、一同に、この法門を伝え、

【今に真言を行なひ鈴〔れい〕をふりて公家武家の御祈りをし候。】
今も真言で修行を行い、鈴を振って公家や武家の祈祷をしているのです。

【所謂二階堂・大御堂〔おおみどう〕・若宮等の別当等是なり。】
いわゆる、二階堂、大御堂、鶴岡八幡宮などの別当達がそれです。

【是は古〔いにしえ〕も御たのみある上、当世の国主等、家には柱、】
これは、過去にも祈られてきましたが、現在の国主なども、家には、柱、

【天には日月、河には橋、海には船の如く御たの〔恃〕みあり。】
天には、日月、河には、橋、海には、船があるように、頼みにしているのです。

【禅宗と申すは又当世の持斎〔じさい〕等を建長寺等に】
また現在の禅宗というものは、教条的に戒律を守る僧らを建長寺などに住まわせて、

【あがめさせ給ふて、父母よりも重んじ神よりも御たのみあり。】
崇〔あが〕め、父母よりも重んじ、神よりも頼みにしています。

【されば一切の諸人頭〔こうべ〕をかたぶけ手をあざ〔叉〕ふ。】
そうであるので、すべての人々が頭を下げ、手を合わせて尊〔とうと〕んでいます。

【かゝる世にいかなればにや候らん、天変と申して彗星長く東西に渡り、】
このような世に、どういうわけか彗星が長く東西を渡るような天変が起こり、

【地〔ち〕夭〔よう〕と申して大地をくつが〔覆〕へすこと】
地夭といって大地をひっくりかえすような大地震が起こり、

【大海の船を大風の時大波のくつがへすに似たり。】
それは、あたかも大風の時に大海の船が大波でひっくり返るのに似ています。

【大風吹いて草木をか〔枯〕らし、飢饉〔ききん〕も年々にゆき、】
大風が吹いて草木を枯らし、飢饉〔ききん〕は、毎年のように起こり、

【疫病〔やくびょう〕月々におこり、】
疫病〔えきびょう〕は、毎月のように起こり、

【大旱魃〔かんばつ〕ゆきて河池・田畠皆かは〔乾〕きぬ。】
大旱魃〔かんばつ〕が起こって、河や池や田畑は、すべて乾ききってしまいます。

【此くの如く三災七難数十年起こりて民半分に減じ、】
このように、三災七難が数十年続いて起こり、民衆は、半分に減り、

【残りは或は父母、或は兄弟、或は妻子にわかれて】
残った人々が、父母、兄弟、あるいは、妻子と死に別れて、

【歎く声秋の虫にこと〔異〕ならず。】
その嘆〔なげ〕く声は、秋の虫の鳴く声に異〔こと〕ならず、

【家々のち〔散〕りう〔失〕する事、冬の草木の雪にせめられたるに似たり。】
このように家々で散り失せる姿は、冬に草や木が雪にうずまるのに似ています。

【是〔これ〕はいかなる事ぞと経論を引き見候へば、】
これは、どういうことなのかと経論を見てみると、

【仏の言〔もう〕さく、法華経と申す経を謗じ】
仏は、法華経という経文を誹謗し、

【我を用ひざる国あらばかゝる事あるべしと、】
これを用いない国があれば、このようなことが起こるであろうと

【仏の記しをかせ給ひて候御言にすこしもたがひ候はず。】
書き残されており、その言葉と少しも違いがないのです。

【日蓮疑って云はく、日本には誰か法華経と釈迦仏をば謗ずべきと疑ふ。】
そこで日蓮は、日本には、法華経と釈迦牟尼仏を謗〔そし〕る者は、あるまい。

【又たまさか謗ずる者は少々ありとも、信ずる者こそ多くあるらめと存じ候。】
たとえ謗る者が少々いても、信ずる者の方が多いであろうと考えていました。

【爰〔ここ〕に此の日本の国、人ごとに阿弥陀堂をつくり念仏を申す。】
しかし、この日本の人々は、このように阿弥陀堂を造り、念仏を唱えています。

【其の根本を尋ぬれば、道綽〔どうしゃく〕禅師・善導〔ぜんどう〕和尚・】
その根本を尋ねてみれば、中国の道綽〔どうしゃく〕禅師、善導〔ぜんどう〕和尚、

【法然〔ほうねん〕上人と申す三人の言〔ことば〕より出でて候。】
日本の法然〔ほうねん〕上人という三人の言葉から出ているのです。

【是は浄土宗の根本、今の諸人の御師なり。】
これは、浄土宗の根本、現在の人々の師匠なのです。

【此の三人の念仏を弘めさせ給ひし時にのたまはく、】
この三人が念仏を弘めた時に言われたことは

【未有一人得者、千中無一、】
「未有一人得者〔みういちにんとくしゃ〕」「千中無一〔せんちゅうむいち〕」

【捨閉〔しゃへい〕閣抛〔かくほう〕等云云。いふこゝろは、】
捨閉〔しゃへい〕閣抛〔かくほう〕ということです。その意味は、

【阿弥陀仏をたのみ奉らん人は、一切の経・一切の仏・一切の神をすてゝ】
阿弥陀仏を頼み奉る人は、一切の経、一切の仏、一切の神を捨てて、

【但阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と申すべし。】
ただ阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えよということであり、

【其の上ことに法華経と釈迦仏を捨てまいらせよとすゝ〔勧〕めしかば、】
そのうえ、とくに法華経と釈迦牟尼仏を捨てよと勧めたので、

【やす〔易〕きまゝに案もなくばらばらと付き候ひぬ。】
これは簡単なことなので人々は、深く考えず、ばらばらとその言葉に従ったのです。

【一人付き始めしかば万人皆付き候ひぬ。】
こうして一人が、その言葉に従い始めたので万人が、みな、それに従ったのです。

【万人付きしかば上〔かみ〕は国主、中〔なか〕は大臣、】
万人が従ったので、上は、国主、中は、大臣、

【下〔しも〕は万民一人も残る事なし。さる程に此の国存じの外に】
下は、万民に至るまで一人残らず従ったのです。そこで、この国は、意外にも

【釈迦仏・法華経の御〔おん〕敵人〔かたき〕となりぬ。】
釈迦牟尼仏、法華経の敵〔かたき〕となってしまったのです。

【其の故は「今此の三界は皆是〔これ〕我が有なり。】
そのわけは、法華経譬喩〔ひゆ〕品に「今、この三界は、皆、これ我が有なり。

【其の中の衆生は悉〔ことごと〕く是吾〔わ〕が子なり。】
その中の衆生は、ことごとく是れ吾が子なり。

【而も今此の処は諸〔もろもろ〕の患難〔げんなん〕多し。】
しかも今、この処は、諸の患難多し。

【唯我一人のみ能く救護〔くご〕を為す」と説いて、】
ただ、我れ一人のみ、よく救護を為す」と説いて、

【此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり、】
この日本の一切衆生においては、釈迦牟尼仏が主君であり、

【師なり、親なり。天神七代・地神五代・人王九十代の神と】
師匠であり、親なのです。天神七代、地神五代、人王九十代の神と

【王とすら猶釈迦仏の所従なり。】
王でさえも、なお釈迦牟尼仏の所従なのです。

【何〔いか〕に況んや其の神と王との眷属〔けんぞく〕等をや。】
ましてや、それらの神々や王の眷属などにおいては、なおさらなのです。

【今日本国の大地・山河・大海・草木等は】
今、日本の大地、山河、大海、草木などの財〔たから〕は、

【皆釈尊の御財〔みたから〕ぞかし。】
すべて釈迦牟尼仏のものなのです。

【全く一分も薬師仏・阿弥陀仏等の他仏の物にはあらず。】
全く、薬師仏や阿弥陀仏などといった他方の仏の物では、ないのです。

【又日本国の天神・地神・九十余代の国主並びに万民】
また、日本の天神、地神、九十余代の国主、並びに万民、

【牛馬、生きとし生ける生〔しょう〕ある者は皆教主釈尊の一子なり。】
牛馬など生きとし生ける生のある者は、すべて皆、教主、釈尊の子なのです。

【又日本国の天神・地神・諸王・万民等の天地・水火・父母・主君・】
また、日本の天神、地神、諸王、万民などが、天地、水火、父母、主君、

【男女・妻子・黒白等を弁〔わきま〕へ給ふは】
男女、妻子、黒白などを、わきまえることができたのは、

【皆〔みな〕教主釈尊御教の師なり。】
すべて教主、釈尊が師として教えてくれたからであって、

【全く薬師・阿弥陀等の御教にはあらず。】
全く薬師仏、阿弥陀仏などが教えてくれたのではありません。

【されば此の仏は我等がためには大地よりも厚く、虚空〔こくう〕よりも広く、】
したがって、この釈迦牟尼仏は、我らが為には、大地よりも厚く、虚空よりも広く、

【天よりも高き御恩まします仏ぞかし。】
天よりも高い、恩がある仏なのです。

【かゝる仏なれば王臣万民倶〔とも〕に人ごとに父母よりも重んじ、】
このような仏ですから、王臣、万民ともに、すべての人が父母よりも重んじ、

【神よりもあが〔崇〕め奉るべし。】
神よりも崇〔あが〕めるべきなのです。

【かくだにも候はゞ何なる大科有りとも】
このように崇〔あが〕めるなら、どのような大科があったとしても、

【天も守護してよもすて給はじ、】
天も守護して、よもや見捨てるようなこともなく、

【地もいかり給ふべからず。】
地も怒〔いか〕るようなこともないのです。

【然るに上一人より下万人に至るまで阿弥陀堂を立て、】
ところが上一人から、下万民に至るまで、阿弥陀堂を建て、

【阿弥陀仏を本尊ともてなす故に、天地の御いか〔怒〕りあるかと見え候。】
阿弥陀仏を本尊とする故に、天地が怒っているようにみえます。

【譬へば此の国の者が漢土・高麗等の諸国の王に心よせなりとも、】
たとえば、この日本の者が中国や高麗などの王に心を寄せて、

【此の国の王に背き候ひなば其の身はたもちがたかるべし。】
日本の国の王に背けば、その身が保ち難いことと同じなのです。

【今日本国の一切衆生も是〔か〕くの如し、】
現在の日本の一切衆生も、また同じなのです。

【西方の国主阿弥陀仏には心よせなれども、】
西方極楽世界の国主、阿弥陀仏には、心を寄せても、

【我が国主釈迦仏に背き奉る故に、】
自分の国の釈迦牟尼仏に背く故に、

【此の国の守護神いかり給ふかと愚案に勘〔かんが〕へ候。】
この国の守護神が怒〔いか〕っていると思われるのです。

【而るを此の国の人々、阿弥陀仏を或は金、或は銀、或は銅、】
そうであるのに、この国の人々は、阿弥陀仏を金や銀、あるいは、銅、

【或は木画等に志を尽くし、財を尽くし仏事をなし、】
あるいは、木像や画像として心を込めて造り、丁重に仏事をなし、

【法華経と釈迦仏をば或は墨画〔すみえ〕、】
法華経と釈迦牟尼仏を、あるいは、墨画、

【或は木像にはく〔箔〕をひかず、】
あるいは、木像といっても、金箔をひかなかったり、

【或は草堂に造りなんどす。】
あるいは、建物といっても、粗末な草の家を造っているような状態なのです。

【例せば他人をば志を重ね、妻子をばもてなして、父母におろかなるが如し。】
例えば、他人や妻子だけを大事にして、父母を疎略にするようなものなのです。

【又真言宗と申す宗は上一人より下万民に至るまで】
また、真言宗という宗派は、上一人から下万民に至るまで、

【此を仰ぐ事日月の如し。】
これを仰ぐことは、日月のようであり、

【此を重んずる事珍宝の如し。】
これを重んずる事は、まるで貴重な宝をみるようなものです。

【此の宗の義に云はく、大日経には法華経は二重三重の劣なり。】
この宗派の義には「大日経に比較すれば、法華経は、二重、三重に劣った経である。

【釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す。】
また、釈迦牟尼仏は、大日如来の眷属である」などと言っているのです。

【此の事は弘法・慈覚・智証の迎せられし故に、】
このことは、弘法大師、慈覚大師、智証大師が述べたことであり、

【今四百余年に叡山・東寺・園城・】
四百余年たった今も、比叡山、東寺、園城寺をはじめ、

【日本国の智人一同の義なり。】
日本の智者一同の義なのです。

【又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝なり。】
また、禅宗という宗派は「真実の正法は、教外別伝である。

【法華経等の経々は教内なり。】
それに対し法華経などの経々は教内である。

【譬へば月をさす指、渡りの後の船、】
たとえば、月をさす指、川を渡った後の船のようなものである。

【彼岸に到りてなにかせん。】
向こうの岸に到着すれば、船はいらず、

【月を見ては指は用事ならず等云云。】
月を見てしまえば、さす指が不要なようなものである」と言っています。

【彼の人々謗法ともをも〔思〕はず】
これらの宗派の人々は、それを謗法とも思わず、

【習ひ伝へたるまゝに存じの外に申すなり。】
習い伝えたままに、何の考えもなく、そう言っているのです。

【然れども此の言〔ことば〕は釈迦仏をあなづり、】
しかし、これらの言葉は、釈迦牟尼仏を侮〔あなど〕り、

【法華経を失ひ奉る因縁となりて、】
法華経を失う因縁となって、

【此の国の人々皆一同に五逆罪にす〔過〕ぎたる大罪を犯しながら】
この国の人々は、皆一同に五逆罪に過ぎた大罪を犯しながら、

【而も罪ともしらず。】
しかも、それで罪を犯しているとも、思っていないのです。


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