御書研鑚の集い 御書研鑽資料
妙法比丘尼御返事 第四章 身延の状況
【今又此の山に五箇年あり。】
今、また、この身延山に五年間、過ごしています。
【北は身延山と申して天にはし〔橋〕だ〔立〕て、】
北は、身延山といって、天に橋を立てたように高く、
【南はたかとり〔鷹取〕と申して鶏足〔けいそく〕山の如し。】
南は、鷹取〔たかとり〕山といって、王舎城の近くにある鶏足山のようであり、
【西はなゝ〔七〕いたがれ〔面山〕と申して】
西は、七面崩崖〔なないたがれ〕と呼ばれる七か所の絶壁がそびえる高い山があり、
【鉄門に似たり、】
それは、まるでウズベキスタンのシャフリサブスにある鉄門に似ており、
【東は天子がたけ〔岳〕と申して富士の御山にたい〔対〕したり、】
東は、天子ヶ岳といって、富士山を王とすれば、その王子のようであり、
【四つの山は屏風〔びょうぶ〕の如し。】
まるで、この四つの山は、屏風〔びょうぶ〕を立てたような有様です。
【北に大河あり、早河と名づく、早き事箭〔や〕をい〔射〕るが如し。】
北に大河があり、早河と名づけ、流れの早いことは、あたかも矢を射るようであり、
【南に河あり、波木井河と名づく、大石を木の葉の如く流す。】
南に河があり、波木井河と名づけ、大石を木の葉のように流し、
【東には富士河、北より南へ流れたり。せん〔千〕のほこ〔鉾〕をつくが如し。】
東には、富士河が北から南へ流れていて、千の鉾〔ほこ〕を突くような勢いがあり、
【内に滝あり、身延の滝と申す、白布〔はくふ〕を天〔そら〕より引くが如し。】
その中に滝があり、身延の滝と言って白い布を天から引き降ろしたようです。
【此の内に狭小〔いささか〕の地あり、日蓮が庵室なり。】
このような中に、わずかな土地があり、そこが日蓮の庵室です。
【深山なれば昼も日を見奉らず、夜も月を詠〔なが〕むる事なし。】
深い山なので昼も太陽を見ることができず、夜も月を眺めることもありません。
【峰にははかう〔巴峡〕の猿かまびすしく、】
峰には、揚子江上流の峡谷に住んでいるような悲しげな猿の声が、やかましく、
【谷には波の下〔くだ〕る音鼓〔つづみ〕を打つがごとし。】
谷には、波の下る音が、まるで鼓〔つつみ〕を打っているようです。
【地にはし〔敷〕かざれども大石多く、】
地には、誰も敷いていないのに大石が敷かれており、
【山には瓦礫〔がりゃく〕より外には物なし。国主はにくみ給ふ。】
山には、瓦礫〔がれき〕の他に何もありません。国主に憎まれており、
【万民はとぶらはず。冬は雪道を塞〔ふさ〕ぎ、夏は草を〔生〕ひしげり、】
人々が訪れることもなく、冬は、雪が道を塞〔ふさ〕ぎ、夏は、草が生い茂り、
【鹿の遠音〔とおね〕うらめしく、蝉の鳴く声かまびすし。】
鹿の遠音〔とおね〕が物悲しく、蟬〔せみ〕の鳴く声がやかましいのです。
【訪ふ人なければ命もつぎがたし。】
訪ねる人がいないので、命もつなぎ難く、
【はだ〔肌〕へをかくす衣も候はざりつるに、】
肌を隠す衣もないところに、
【かゝる衣ををくらせ給へるこそいかにとも申すばかりなく候へ。】
このような衣を頂き、どのように言いようもありません。
【見し人聞きし人だにもあはれとも申さず。年比〔としごろ〕なれし弟子、】
日ごろ見聞きしている人でも、哀れとも思わず、いつもいた弟子も、
【つかへし下人だにも皆にげ失〔う〕せとぶらはざるに、】
長年、仕えた下人でさえ、皆、逃げ失せてしまい、再び訪ねることさえないのに、
【聞きもせず見もせぬ人の】
いまだ名前を聞いたこともない見知らぬ人からの
【御志哀れなり。】
志〔こころざし〕とは、何と嬉しいことでしょうか。
【偏〔ひとえ〕に是〔これ〕別れし我が父母の生まれかはらせ給ひけるか、】
ひとえに、これは、亡き父母が生まれ変わって来られたのでしょうか。
【十羅刹の人の身に入りかはりて思ひよらせ給ふか。】
それとも十羅刹が身に入って、日蓮に思いを寄せられたのでしょうか。
【唐の代宗〔だいそう〕皇帝の代〔よ〕に、】
唐の代宗〔だいそう〕皇帝の時代に、
【蓬子〔ほうし〕将軍と申せし人の御子、李如暹〔りじょせん〕将軍と申せし人、】
蓬子〔ほうし〕将軍という人の子供で、李如暹〔りじょせん〕将軍という人が、
【勅定を蒙りて北の胡地〔こち〕を責めし程に、】
皇帝の命令を受けて、唐の北方にあった異民族の国、胡地〔こち〕を攻めたところ、
【我が勢数十万騎は打ち取られ、胡国に生け取られて四十年。】
軍勢数十万騎を討ち取られ、異民族に生け捕られて四十年を過ごしました。
【漸〔ようや〕くへ〔経〕し程に、妻をかた〔語〕らひ子をまう〔儲〕けたり。】
その間に、妻をめとり、子供が生まれました。
【胡地の習ひ、生け取りをば皮の衣を服〔き〕せ、】
しかしながら、生け捕りの身なので、異民族の習慣通り、皮の衣を着せられ、
【毛帯をかけさせて候が、】
毛でできた帯を締めさせられていましたが、
【只正月一日計り唐の衣冠をゆる〔許〕す。】
ただ、正月一日だけは、唐の衣と冠を身に着けることが許されたのです。
【一年ごとに漢土を恋ひて肝をきり涙をながす。】
李如暹〔りじょせん〕は、いつも望郷の思いで涙を流していました。
【而〔さ〕る程〔ほど〕に唐の軍おこりて唐の兵〔つわもの〕胡地をせめし時、】
そうしている間に唐の軍勢が来て、北方の異民族を攻めた時、
【ひまをえて胡地の妻子をふりすてゝに〔逃〕げしかば、】
隙をみて異民族の妻子を振り捨てて逃げましたが、
【唐の兵は胡地のえびすとて捕へて頸をきらんとせし程に、】
唐の兵士は、異民族と思い、捕らえて頸〔くび〕を斬ろうとしたのです。
【とかうして徳宗〔とくそう〕皇帝にまいらせてありしかば、】
しかし、やっとの思いで徳宗〔とくそう〕皇帝の所に送られたので、
【いかに申せども聞きもほどかせ給はずして】
その場において申し開きをしましたが、なんと言っても聞き入れられず、
【南の国呉越〔ごえつ〕と申す方へ流されぬ。】
ついに南の国の呉越〔ごえつ〕へ流されてしまったのです。
【李如暹歎いて云はく】
李如暹〔りじょせん〕が嘆〔なげ〕いて
【「進んでは涼原〔りょうげん〕の本郷〔ふるさと〕を見ることを得ず、】
「進んでは、故郷の涼原〔りょうげん〕を見ることもできず、
【退いては胡地の妻子に逢ふことを得ず」云云。】
退いては、胡地〔こち〕の妻子に逢うこともできず」と言ったのです。
【此の心は胡地の妻子をもすて、又唐の古き栖〔すみか〕をも見ず、】
この心は、胡地〔こち〕の妻子をも捨て、また中国の故郷の家も見ず、
【あらぬ国に流されたりと歎くなり。】
あらぬ国に流されたと嘆いたものです。
【我が身には大忠ありしかどもかゝる歎きあり。】
我が身に大忠があっても、このような嘆きがあるのです。
【日蓮も又此くの如し。】
日蓮も、また同じなのです。
【日本国を助けばやと思ふ心に依りて申し出だす程に、】
日本を助けようと思う一心で言っていたのに、
【我が生まれし国をもせ〔塞〕かれ、又流されし国をも離れぬ。】
我が生まれた国にも入れず、また、流された国をも離れました。
【すでに此の深山にこも〔隠〕りて候が彼の李如暹に似て候なり。】
すでに、この深い山にこもっていることは、李如暹〔りじょせん〕と同じなのです。
【但し本郷にも流されし処にも妻子なければ歎く事はよもあらじ。】
ただし、故郷にも、流された所にも、妻子がないので嘆くことは、ありませんが、
【唯父母のはか〔墓〕と、な〔馴〕れし人々のいかゞなるらんと】
ただ、父母の墓と親しくした人々は、どのようであろうかと、
【をぼつか〔覚束〕な〔無〕しとも申す計りなし。】
それのみが心にかかるのです。
【但うれしき事は武士の習ひ君の御為に】
ただ嬉しいことは、武士の習いで主君の為に
【宇治・勢多〔せた〕を渡し、前〔さき〕をか〔駆〕けなんどしてありし人は、】
承久の乱の宇治、勢多の渡しにおいて、先陣をかけた人々は、
【たとひ身は死すれども名を後代に挙げ候ぞかし。】
たとえ、その身は、滅んでも功名を後世に残したのです。
【日蓮は法華経のゆへに度々所をおはれ、】
日蓮は、法華経の故に、たびたび所を追われ、
【戦〔いくさ〕をし、身に手をお〔負〕ひ、弟子等を殺され、】
やむなく襲って来た者と戦〔たたか〕い、手傷を受け、弟子などを殺され、
【両度まで遠流せられ、既に頸に及べり。】
二度までも遠島になり、そのうえ、頸〔くび〕まで斬られようとしました。
【是偏〔ひとえ〕に法華経の御為なり。】
これは、ひとえに法華経の御為なのです。