日蓮正宗法華講開信寺支部より

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2022年(令和4年) 04月21日


1. 富士

夕日に赤く輝く美しい富士山です。百六箇抄(御書1699頁)には、「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。」とあり、三大秘法の大御本尊が安置される場所は、富士山であることが明示されています。

2. 大石寺大講堂

大石寺の大講堂は、昭和33年(西暦1958年)3月、第65世日淳上人の時代に当時の創価学会会長、戸田城聖氏の寄進により建立されました。正式名称は法華本門大講堂です。講堂とは、仏教寺院における七堂伽藍〔がらん〕の1つで教義、法門などを講義する為の建物のことです。この大講堂の広間に安置されている本尊は、日蓮大聖人御直筆の保田妙本寺蔵の万年救護本尊を模刻した常住板本尊で第30世日忠上人によって造立されたものです。本尊に向かって左脇に御開山日興上人、右側に日目上人の位牌が御安置され、日蓮大聖人、第2祖日興上人、第3祖日目上人の三師が常にこの場所に居られて説法されているという意義が込められています。鉄筋コンクリート造りで高さは約30メートル、間口55メートル、奥行きは50メートルの構造物です。昭和31年12月に起工式が行なわれ、工期には、1年2ヵ月を費やしていますが、その建設工事の最中、工事現場の地下60センチから木箱が見つかり、その中から古銭が2千余枚も発掘され吉兆として大いに話題になったそうです。この頃は、まだ近郊に高層の建造物は少なく、そのため、最上階からは富士宮の全景、はては駿河湾まで眺望できたとのことです。

3. 戸田城聖石碑

大講堂の正面玄関入り口の手前、左手には、日淳上人の御染筆によって、したためられた戸田城聖氏の「妙法の広布の旅は遠けれど、ともに励まし、ともどもに征〔ゆ〕かなむ」との詩の碑が置かれています。

4. 大石寺東之坊

古地図によりますと創建当時の東之坊は、御塔橋の西側五重塔からほぼ正面に位置する場所にあったことが判ります。当時は、五重塔を中心として、宗順坊、清光坊、東光坊、西山坊等の塔中が建立されていました。また昭和時代の日昇上人の代による復興再建は、当時総本山への参詣信徒が急激に増加したことに伴い、信徒のための施設拡充が急務となって建立されたものです。当時の建物は、千葉県勝浦市にあった旅館を移築したものであり、建坪は、330坪、二階建ての二棟で約800名の宿泊が可能であり、当時の宿坊としては最大規模のものでした。また、この当時の本堂は、昭和47年(西暦1972年)の改築の際に東之坊から富士宮市の忠正寺に移築され、現在も忠正寺の本堂として残されています。



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