日蓮正宗法華講開信寺支部より

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2023年(令和5年) 04月21日


人生の目的とは、なにか、最も幸福な人生とは、どのような人生を指すのか、この難問に明確な答えを指し示すことが、正しい宗教の役割ではないでしょうか。
私達、日蓮正宗講員が信じる末法の御本仏、日蓮大聖人は、貞応元年(西暦1222年)、今から八百年前に安房国〔あわのくに〕、現在の千葉県小湊〔こみなと〕で御生まれになりました。
十二歳で、なぜ釈迦牟尼仏の説いた仏教が、かくも多くの宗派に分かれているのかと疑問を持たれ、何が真実の仏の教えであるのかを知る為に日本第一の智者となし給へと願われました。そして、その願いを叶えるために比叡山延暦寺などに遊学され、釈迦牟尼仏の経文すべてを読まれて、法華経こそ、すべての教えの中で最高であり、すでに釈迦滅後二千年を経た末法においては、法華経の文の底に秘された未だ唱えられたことがない前代未聞の題目を唱える以外に民衆を救う方法がないことを悟られたのです。
そして建長五年(西暦1253年)に故郷の清澄寺において、初めて、その題目を唱えられ、法華経こそ釈迦牟尼仏の真実の教えで有り、経文に照らして、念仏は、無間地獄の業であり、禅宗は、天魔の所為であり、真言は、亡国の悪法であり、律宗は、国賊であり、それらの邪宗を信じ、法華経をないがしろにしている故に三災七難が競い起こると指摘されたのです。
それを聞いた地頭の東条景信は、自らが信じる宗派を否定された為に激怒し、その為に日蓮大聖人は、清澄寺を追われたのです。
それ以降、この題目の布教のための苦難の人生を歩まれたのです。
それと言うのも当時の状況は、釈迦が説いたとおりに天災が続き、飢饉、疫病などによって数多くの人々が苦難に喘いでいたからなのです。
大聖人は、この原因が正法である法華経を誹謗し、仏説に背き、邪宗教を人々が信じている所以〔ゆえん〕であると経文で確信され、この苦難に喘ぐ人々を救い助けるには、法華経の題目を人々に唱えさせる以外にないと説かれたのです。
しかし、それを聞いた人々の怒りは、凄まじく、そのために命さえ狙われ、さらには、その事を著わして幕府に提出した立正安国論のために、ついに弘長元年(西暦1261年)伊豆への流罪となってしまったのです。
二年後に伊豆流罪を赦免された大聖人に、立正安国論で予言された他国〔たこく〕侵逼難〔しんぴつなん〕が蒙古国の国書となって現実の問題となって来たのです。
そんな世情が騒然とする中で、文永八年(西暦1271年)に大事件が起こりました。
六月十八日、大旱魃に際して極楽寺良観が雨乞いの祈祷を行ったのですが、その時に日蓮大聖人が仏法に照らして邪宗、邪義の極楽寺良観が雨を降らせることは出来ない。もし、七日の内に雨が降れば、日蓮が念仏無間の主張を捨てて、良観上人の弟子と成ろうと宣言され、それがために良観は、必死になって祈雨を行ったが、結局のところ、雨は、降らなかったのです。
それに恨みを持った良観は、幕府を動かして、鎌倉の竜の口において日蓮大聖人を斬首しようとしたのですが、不思議な事に、まさに斬られようとしたその瞬間に大きな光が空に現れ大聖人を殺すことが出来なかったのです。
それでも幕府は、大聖人を極寒の佐渡に流罪に及んだのです。
本来なら、そこで凍え死ぬか、飢えて死ぬところを、人本尊〔にいほんぞん〕開顕の書である開目抄、法本尊〔ほうほんぞん〕開顕の書である観心本尊抄など数多くの重要な法門を著作され、まさに御自身が法華経勧持品の二十行の偈に書かれているところの末法の法華経の行者で有り、また、法華経如来神力品にある結要付嘱〔けっちょうふぞく〕の文によって顕されたところの末法の御本仏であることを示されたのです。
その間にも、立正安国論で予言された自界叛逆難〔じかいほんぎゃくなん〕である北条一族の争いの北条時輔の乱、いわゆる二月騒動が起こり、さらには、他国〔たこく〕侵逼難〔しんぴつなん〕の蒙古来襲が迫って来たのです。それらの国難にたまりかねた幕府の平左衛門尉頼綱〔へいのさえもんのじょうよりつな〕は、文永十一年(西暦1274年)に大聖人を赦免し、鎌倉に呼び戻すと直に会って、手の平を返したような慇懃〔いんぎん〕な態度で、蒙古来襲の時期を訊ねたのです。その場で今年の内には、必定であると答えられ、三度目の諌暁〔かんぎょう〕をされましたが、それが認められず、鎌倉を去り、弟子の育成のために身延へ入られたのです。
そして大聖人の言葉通り、いよいよ蒙古軍が同年十月に、壱岐、対馬、博多へと襲来してきたのです。そのような他国との戦争のさなかにおいて、日蓮大聖人は、富士熱原の一般信徒が死罪に及ぶ弾圧の中、法華経の題目を捨てないことに時を感じられて、弘安二年(西暦1279年)に御本懐である三大秘法の大御本尊を顕されたのです。それが日蓮正宗大石寺に建立されているところの法華経の文底〔もんてい〕独一〔どくいつ〕本門〔ほんもん〕の大御本尊様なのです。
このように尊い末法の御本仏としての人生を歩まれた日蓮大聖人は、弘安五年(西暦1282年)、すべてを日興上人に血脈〔けちみゃく〕相承〔そうじょう〕されて御入滅されたのです。
これこそ、私たちが目指すべき最高の人生であり、また、その日蓮大聖人が残された御本懐である大御本尊様に報恩、感謝する人生こそ、人間として当然のことではないでしょうか。私たちは、この大御本尊様を日蓮大聖人と拝し奉〔たてまつ〕り、日如猊下とともに南無妙法蓮華経と唱えるところに、人間として生まれて悔いのない一生を送る事が出来るのです。


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