御書研鑚の集い 御書研鑽資料
立正安国論 1 背景と大意
日蓮正宗66世日達上人は、立正安国論について、
例年の如く暴風雨に侵〔おか〕され、山は崩〔くず〕れ、谷は埋〔う〕まり、川は氾濫〔はんらん〕し、人家は、崩壊〔ほうかい〕し、民衆は常に死の恐怖の毎日を繰り返しているのである。あたかも我が国の七百年前の鎌倉時代の世相と同じようである。これをもってこれを謂〔おも〕うに、やがては第三次世界大戦が起こる可能性があると危惧〔きぐ〕するのである。しかも、この危機にあたって、これをよく回転して、日本乃至〔ないし〕世界に真の平和を実現しようと真剣に考えている人は少ない。思うに、日蓮大聖人の御生涯は、立正安国論に始まり、立正安国論に終わると申されるが、大聖人御述作〔ごじゅつさく〕の御書の全般を通じて拝〔はい〕しても、立正安国論は全御書の序論〔じょろん〕の書であると同時に、結論の書であると申すことが出来る。なぜならば、立正とは破邪〔はじゃ〕に始まり安穏なる仏国土の建立〔こんりゅう〕を目的とするからである。即〔すなわ〕ち、あらゆる謗法〔ほうぼう〕を折伏して、仏法の要中〔ようちゅう〕の要〔よう〕、正中〔しょうちゅう〕の正〔しょう〕である日蓮大聖人の久遠元初〔くおんがんじょ〕本因妙〔ほんにんみょう〕の三大秘法を顕わして、その御本尊に向かって世界の人々が南無妙法蓮華経と唱える時は、立正安国論に「三界は皆仏国なり仏国其〔そ〕れ衰〔おとろえ〕んや十方は悉〔ことごと〕く宝土なり宝土何〔なん〕ぞ壊〔こわ〕れんや、国に衰微〔すいび〕無く土〔ど〕に破壊〔はえ〕無〔なく〕んば身は是〔こ〕れ安全・心は是〔こ〕れ禅定〔ぜんじょう〕ならん」如説修行抄に「万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉〔たてまつ〕らば吹く風枝をならさず雨壌〔つちくれ〕を砕〔くだ〕かず。代〔よ〕は義農〔ぎのう〕の世になりて余生には不祥〔ふしょう〕の災難を払〔はら〕ひ長生〔ちょうせい〕の術〔じゅつ〕を得、人法共に不老不死の理〔ことわり〕顕〔あらわ〕れん時を各々御覧ぜよ現世安穏〔げんせあんのん〕の証文〔しょうもん〕疑い有る可からざる者なり」等と常寂光〔じょうじゃっこう〕の世界平和境の実現を説かれているからである。又あらゆる宗教が謗法〔ほうぼう〕である由縁〔ゆえん〕を知って、日蓮大聖人の本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える境涯〔きょうがい〕になるものと、信じるのである。
と御指南されております。
この立正安国論は、日蓮大聖人が文応元年(西暦1260年)7月16日に御歳39歳の時に鎌倉において著わされた第一回の国家諌暁の書です。この年は、大聖人が建長5年(西暦1253年)4月28日に安房国清澄寺において始めて題目を唱えられて7年目にあたり、その間に正嘉元年(西暦1257年)8月23日午後9時頃に大地震が発生し、同2年8月1日に大風、同3年に大飢饉、正元元年(西暦1259年)から同2年にかけて大疫病が発生し、まさに世の中は、地獄さながらの白法隠没(びゃくほうおんもつ)の末法の様相を示していました。ときの幕府も相次ぐ天災に成す術もなく、ただ神頼みの祈祷を繰り返すしかない状態であったのです。
日蓮大聖人は、その中でこの災いの元凶が間違った宗教にあり、それを人々が盲目的に信じている為に諸天善神がこの国を去ってしまった結果であると、ときの最高権力者である最明寺入道、北条時頼にこの書を送られました。この最明寺入道、北条時頼は、北条五代執権〔しっけん〕の地位を退いて出家はしてはいましたが、いぜん北条家を代表する得宗〔とくそう〕の地位にあり、陰の実力者であったのです。日蓮大聖人は、この立正安国論を執権である北条長時ではなく、この幕府の実質的な最高権力者である最明寺入道、北条時頼に対して送られたのは、大聖人が単に時の権力にものを申すという立場ではなく、全民衆の為にまた後世の全ての人々の為に国家諌暁をすることを目的としていたからに他なりません。それは、この立正安国論の写本を大聖人が何通も残されていることからも、うかがい知る事が出来ます。第59世堀日亨上人は、その写本の中に若き日の日興上人もたずさわられていたであろうと推察されています。それほど、この立正安国論は、大聖人にとって大事な御書であったのです。
第26世日寛上人は、立正安国論について「正を立て国を安んずる書」という意味で「立正の両字は本門の題目なり、安国の両字は本門の戒壇なり、日蓮勘〔かんが〕う等は本門の本尊なり」と言われており、この文の中に三箇の秘法を含むと御指南されています。
当時は、世に一切の仏教の経法を不要として経文を一字たりとも読まなくとも念仏さえ唱えていれば西方極楽浄土に往生〔おうじょう〕出来るという単純な法然の教えが多くの無知な衆生に受け入れられて、比叡山延暦寺を信奉する朝廷によって再三に渡って念仏が禁止されたにも関わらず、この末法の濁悪の世相とともに、この念仏の哀音がふたたび広がっていたのです。釈迦牟尼仏の経法なかんずく真実の教えである法華経を無視する事が誹謗正法の謗法にあたる事すら知らずに多くの人々がこの念仏をひたすら口にして無気力、無批判が世の中にはびこり、その哀音が国中に広がっていました。さらに既成仏教である禅宗や真言宗、律宗などもこの念仏を止めるどころか時流に乗ってともに仏教を破壊していったのです。
日蓮大聖人は、その中で敢然と仏教の道理によって法華経の題目によってすべての人々が成仏できる事をこの立正安国論によって北条時頼に対して訴えられたのです。
本抄は、全体が客人と主人の十問九答の問答の形で進められており、最後の十番目の問いには主人の答えはなく客人の問いがそのまま主人の答えも兼ねています。故に日寛上人は「文は十九段、義は二十段なり」と仰せになっております。また日寛上人は、その各段を、①災難の来由〔らいゆ〕②災難の証拠③正法を誹謗〔ひぼう〕するの由〔よし〕④正しく一凶の所帰〔しょき〕を明かす⑤和漢の例を出〔いだ〕す⑥勘状〔かんじょう〕の奏否〔そうひ〕⑦施を止〔とど〕めて命を断〔た〕つ⑧斬罪〔ざんざい〕の用否〔ゆうひ〕⑨疑いを断じて信を生ず⑩正に帰して領納〔りょうのう〕すと内容を説明されています。
まず最初の第一段で客人が相次ぐ天変地夭〔てんぺんちよう〕、飢饉〔ききん〕疫癘〔えきれい〕があまねく天下に満ち広く地上にはびこる悲惨な状況を憂いて、鎌倉幕府が当時の念仏宗、真言宗、禅宗、律宗の大寺院、各宗派に祈祷を命じているにもかかわらず、これらが納まる気配がないのは、いったい、なぜであるのかという切実な問いを発し、それに対して主人がこのような悲惨な状況の原因は、世の人々がみな正法に背き、悪法を信じている為に国土を守護すべき諸天善神がこの謗法の国を捨て去って、その後に悪鬼、魔神が住みつき、これによってすべての災難が引き起こされているのであると答えています。
次の第二段では、客人は諸天善神が去ってしまった故に災難が起こると一体どの経文に書いてあるのかと尋ね、主人は、金光明経、大集〔だいしつ〕経、仁王〔にんのう〕経、薬師経をあげて、これらに正法を失った時に三災七難が起こると書いてある事を示しました。
第三段において客人は、その答えに対して仏教伝来以来、比叡山を始め全国に多くの寺が建立され、仏教はいまもって繁栄しており、現実に多くの人々が今も神仏を崇め敬っているではないかと反論し、主人は、確かに多くの寺が有り、多くの僧侶がいるが、これらは、すべて正法を誹謗している三災七難の元凶であり、かえってこれらを人々が盲信している故に三災七難が起こっているのであり、この元凶である邪宗の僧侶をまず誡〔いまし〕めるべきであると主張しています。
第四段では、ついに、この主人の答えに客人は怒りだし、邪宗の僧侶というが、これらはすべて鎌倉幕府の要人や多くの人々が尊崇している僧侶であり、何をもってそのような批判を口にするのかと反論しましたが、主人は、その怒りに対して、浄土宗の開祖である法然を取り上げ、この法然が正法である法華経を誹謗しており、まず続発する災難を止める為には、万祈を修するよりも、最大の元凶たる法然の邪義を禁ずるべきであることを冷静に諭します。
さらに第五段では、法然を災難の元凶と指摘され客人の怒りは頂点に達し、貴賤男女を問わず、阿弥陀仏の本願を信じて、念仏を唱えれば極楽往生できると説いた法然上人を悪し様に言うとはと客人は席を蹴って立ち去ろうとしますが、主人は、笑み浮かべ帰ろうとする客人に、実際に中国の歴史においても日本の歴史において釈迦牟尼仏の経法を軽んずる念仏がはびこると無気力、無批判な雰囲気が充満し、無責任な体制となって国が亡ぶことを示し、近くは、承久の乱で朝廷が鎌倉方に負けたのは、法然の邪義が広まったからであると主張したのです。
第六段において、客人もその言葉を聞いて確かに朝廷がもろくも無気力で無責任な体制で崩壊した事を思い出して落ち着きを取り戻したが、それでも、いままで多くの高僧、名僧が世に出現したが、未だ一度として念仏を禁止された例がないと主人に反論しましたが、主人は、過去に度々、朝廷より念仏が禁止され、法然の作った法華誹謗の印板は比叡山延暦寺で焼かれ、また法然の墓さえ破壊され、さらにまた法然の弟子も流罪された事を指摘しました。
第七段において客人は、法然の法華誹謗によって三災七難が起こっていることを知り、それでは、三災七難を止めるには、どうすれば良いのかと質問しますが、その問いに対して主人は、この国の悲惨な状況を考えれば、一刻もはやくこれらの謗法を断つべきであり、正法護持の為であれば、破仏、破法、破僧の者を殺しても罪にならないと経文にある事を説明します。
第八段では、その答えに対して客人がそれでは、謗法を断つ為にそれらを斬首しなければならないのかと問いただしましたが、主人は、末法に於いては、邪宗の僧侶へのすべての布施を止めよと主張し、それによって正法が広まり三災七難から免れる事が出来ると教えます。すでに念仏宗や真言宗と言っても、末法に入っては、仏教を間違って理解しているのではなく、ただの金儲けであり、権力を握る為の手段である事を大聖人はここで示されているのです。
第九段で、ここへ来てようやく客人は、現実に念仏や真言の僧侶達が時の権力者と結びついて民衆から供養を貪〔むさぼ〕り取るだけの存在である事実に気付き、ようやく主人の言っている事を素直に聞く気持ちになりましたが、それでも主人は、このままでは、未だ起こっていない災難である内戦(自界叛逆難〔じかいほんぎゃくなん〕)と他国からの侵略(他国侵逼難〔たこくしんぴつなん〕)が起こるであろうと予言し、「汝〔なんじ〕早く信仰の寸心を改めて実乗の一善に帰せよ」と客人を諭します。結局、時の最高権力者と言っても末法の御本仏である日蓮大聖人にとっては、ただの衆生であり、日蓮大聖人の教えである「実乗の一善」に依らなければ、国を安んずる事など絶対に出来ないのです。
第十段で最後に客人は、それを理解し「唯我が信じるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」と告げて去って行きます。この「実乗の一善」こそ日蓮大聖人の教えの根本であり、弘安二年に顕された一閻浮提総与の大御本尊に他ならないのです。