日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


立正安国論 5 正しく一凶の所帰を明かす


第四問 誰人を以て悪比丘と謂ふや

【客猶〔なお〕憤〔いきどお〕りて曰く、】
客は、それでも、まだ憤慨して次のように反論しました。

【明王〔めいおう〕は天地に因〔よ〕って化を成し、】
現在も賢明な王は、天地を貫く道理に従って世を治め、

【聖人は理非を察〔つまび〕らかにして世を治む。】
聖人は、正しい事と間違っている事の、道理をわきまえて人々を導いています。

【世上の僧侶は天下の帰する所なり。】
現在の僧侶も国中の人々が深く帰依するところではないですか。

【悪侶に於ては明王信ずべからず、】
もし、悪い僧侶ばかりであるならば、賢明な王が信じるはずがありません。

【聖人に非〔あら〕ずんば賢哲〔けんてつ〕仰ぐべからず。】
また、聖人でなければ、世の学者や知識人に認められるはずもありません。

【今賢聖〔けんせい〕の尊重せるを以て】
このように賢明な世の中の指導者が心から尊敬し、

【則ち竜象の軽からざることを知んぬ。】
重んじている事からみても、今の高僧達が立派な僧侶である事を知る事が出来ます。

【何ぞ妄言〔もうげん〕を吐〔は〕きて強〔あなが〕ちに誹謗を成し、】
それなのに、なぜみだりに人を迷わす言葉を吐いて、これらの高僧を謗〔そし〕り、

【誰人〔たれびと〕を以て悪比丘〔びく〕と謂〔い〕ふや、】
いったい誰を指して悪僧だと言われるのでしょうか。

【委細に聞かんと欲す。】
詳しく聞かせてもらいたいものです。

第四答 万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜん

【主人の曰く、】
その疑問に主人は、率直に答えました。

【御鳥羽院の御宇〔ぎょう〕に法然〔ほうねん〕といふもの有り、】
後鳥羽上皇の時代に法然房源空と云う人がいました。

【選択集〔せんちゃくしゅう〕を作る。】
そして公家の九条兼実の依頼によって選択本願念仏集という書物を著わしました。

【則ち一代の聖教〔しょうぎょう〕を破し】
この選択集によって釈尊一代の教えを破壊し、

【遍〔あまね〕く十方の衆生を迷はす。其の選択に云はく】
多くの人々を迷わせてしまったのです。その選択集には、

【「道綽禅師〔どうしゃくぜんじ〕聖道〔しょうどう〕・浄土の二門を立て、】
道綽禅師の安楽集には、仏教を聖道門と浄土門の二門に分けて、

【聖道を捨てゝ正〔まさ〕しく浄土に帰するの文、】
聖道門を捨てて、浄土門に入るべきであると説かれている。

【初めに聖道門とは之に就いて二有〔にあ〕り、】
その聖道門には、大乗教と小乗教の二つがあり、

【乃至之〔これ〕に準じて之を思ふに、】
この文章から推測すれば、

【応〔まさ〕に密大及以〔および〕実大を存〔そん〕すべし。】
当然、密教も実大乗教も聖道門の中に含まれるべきなのである。

【然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・】
そう考えれば、今の世に信仰されている、真言宗、禅宗、天台宗、華厳宗、三論宗、

【法相・地論〔じろん〕・摂論〔しょうろん〕、此等の八家〔はっけ〕の意】
法相宗、地論、摂論の八宗は、

【正〔まさ〕しく此〔ここ〕に在るなり。】
すべて聖道門の中に入り、捨てられるべきなのである。

【曇鸞法師〔どんらんほっし〕の往生論〔おうじょうろん〕の】
さらに中国念仏宗の開祖の曇鸞法師の往生論の

【註〔ちゅう〕に云はく、謹んで竜樹菩薩〔りゅうじゅぼさつ〕の】
注釈には、謹んで竜樹菩薩の

【十住毘婆沙〔じゅうじゅうびばしゃ〕を案ずるに云はく、】
十住毘婆沙論の第五巻の易行品を読むと、

【菩薩阿毘跋致〔あびばっち〕を求むるに二種の道〔みち〕有り、】
菩薩が覚りを求めるのに二種類の道がある。

【一には難行道〔なんぎょうどう〕、二には易行道〔いぎょうどう〕なりと。】
一つは難行道、もう一つは易行道である。

【此の中の難行道とは即ち是〔これ〕聖道門〔しょうどうもん〕なり、】
この難行道とは、聖道門の事であり、

【易行道とは即ち是〔これ〕浄土門なり。浄土宗の学者】
易行道とは、浄土門の事である。浄土宗を学ぶ者は、

【先づ須〔すべから〕く此の旨を知るべし。】
まず何よりも先に聖道門と浄土門、難行と易行の区別を知らなければならない。

【設〔たと〕ひ先〔さき〕より聖道門を学ぶ人なりと雖も、】
たとえ以前から聖道門を学んでいる者でも、

【若〔も〕し浄土門に於て其の志〔こころざし〕有らん者は】
もし浄土往生を志すならば、

【須〔すべから〕く聖道を棄てゝ浄土に帰すべし」と。】
きっぱりと聖道門を捨てて浄土門へ入らねばならない。」と書かれています。

【又云はく「善導〔ぜんどう〕和尚は、】
また選択集の第二章には、「中国唐代の浄土宗の僧、善導和尚は、観無量寿経疏に、

【正〔しょう〕・雑〔ぞう〕の二行を立て、】
正行、雑行の二種類の修行法を立てて、

【雑行〔ぞうぎょう〕を捨てゝ正行〔しょうぎょう〕に帰するの文。】
雑行を捨てて正行に入らねばならない。

【第一に読誦〔どくじゅ〕雑行とは、】
第一の読誦雑行とは、

【上〔かみ〕の観経等の往生浄土の経を除いて已外〔いげ〕、】
往生浄土を説いた観無量寿経、大無量寿経、阿弥陀経の三部経以外の

【大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。】
大乗、小乗、顕教、密教の諸経を信じたり読んだりすることである。

【第三に礼拝〔らいはい〕雑行とは、】
第三の礼拝雑行とは、

【上の弥陀〔みだ〕を礼拝するを除いて已外〔いげ〕、】
阿弥陀如来以外の

【一切の諸仏菩薩等及び諸の世天〔せてん〕等に於て】
諸仏、菩薩、諸天などを

【礼拝し恭敬〔くぎょう〕するを悉く礼拝雑行と名づく、】
拝んだり敬ったりすることである。

【私に云はく、】
これらの事によって法然は、このように考えたのである。

【此の文を見るに須〔すべから〕く雑を捨てゝ】
善導和尚が言った事は、すべての雑行を捨てて

【専を修すべし。】
専ら念仏の正行を修行すべきであると勧められたものだ。

【豈〔あに〕百即百生の専修〔せんしゅ〕正行を捨てゝ、】
百人が百人ともに往生できるという専修念仏の正行を捨てて、

【堅〔かた〕く千中無一の雑修〔ぞうしゅう〕雑行を】
千人に一人も成仏できないという雑行に

【執〔しゅう〕せんや。】
どうして執着する必要があるだろうか。

【行者能〔よ〕く之を思量〔しりょう〕せよ」と。】
仏法を修行しようとする者は、よくこの事を考えるべきである」と記しています。

【又云はく】
また選択集の第十二章には、

【「貞元入蔵録〔じょうげんにゅうぞうろく〕の中に、】
「中国の僧、円照が唐の時代に勅命で選んだ経巻の目録の中に、

【始め大般若経〔だいはんにゃきょう〕六百巻より】
最初は、大般若経六百巻より、

【法常住経〔ほうじょうじゅうきょう〕に終はるまで、顕密の大乗経総じて】
最後の法常住経に至るまで、顕密の大乗経は

【六百三十七部・二千八百八十三巻なり、】
総じて六百三十七部二千八百八十三巻あるが、

【皆須〔すべから〕く読誦】
しかし、浄土三部経の観無量寿経には、これらは、すべて念仏を唱えよとの意味で、

【大乗の一句に摂〔しょう〕すべし」】
釈迦牟尼仏の本意は、念仏であると説かれており、

【「当に知るべし、随他〔ずいた〕の前には】
したがって、仏が随他意として、やむをえず当分の間は、

【暫く定散〔じょうさん〕の門を開くと雖も】
定善や散善の二善のさまざまな修行の法門を開かれているが、

【随自〔ずいじ〕の後には還〔かえ〕って】
仏が随自意の真実を述べられる場合には、

【定散の門を閉〔と〕づ。】
定散の二門は、閉じられ廃止されてしまうのである。

【一たび開いて以後永〔なが〕く閉ぢざるは】
末法の衆生には、一度開いて永久に閉じられる事がない

【唯是〔これ〕念仏の一門なり」と。又云はく】
この念仏の一門しかない」」と記しています。また選択集の第八章では、

【「念仏の行者必ず三心〔さんじん〕を】
「観無量寿経には、念仏の行者は、必ず至誠心、深心、回向発願心の三種類の心を

【具足〔ぐそく〕すべきの文、】
具えなければならないと説かれている。

【観無量寿経に云はく、同経の疏〔しょ〕に云はく、】
この経を善導が注釈した書物の中に、

【問うて曰く、若し解行〔げぎょう〕の】
仏法への理解が無ければ、修行は無意味であると主張し、

【不同邪雑〔じゃぞう〕の人等有〔あ〕りて外邪異見〔げじゃいけん〕の】
念仏によっては、往生出来ないと云う邪見雑行の者がいて

【難を防〔ふせ〕がん。或は行くこと一分二分にして】
念仏の修行を妨げるのである。西方浄土への正しい道を

【群賊〔ぐんぞく〕等喚〔よ〕び廻〔かえ〕すとは、】
この魔民の群が呼び返すという譬えは、

【即ち別解〔べつげ〕・別行〔べつぎょう〕・】
念仏によって往生できないと云う邪見雑行の者が

【悪見〔あっけん〕の人等に喩〔たと〕ふ。】
念仏の行者を妨げる事を譬えたものである。

【私〔わたくし〕に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学〔いがく〕・】
この注釈の中で念仏の行者と見解が分かれ、別の修行をなし、

【異見等と言ふは是〔これ〕聖道門を指すなり」已上。】
法門を異にする者と云うのは、聖道門を指すのである」と法然が言っているのです。

【又最後結句〔けっく〕の文に云はく】
また、この選択集の最後の結びの文には、次のように記されています。

【「夫〔それ〕速〔すみ〕やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に】
「はやく生死の苦しみから離れようと思うのであれば、聖道と浄土の二門うち、

【且〔しばら〕く聖道門を閣〔さしお〕きて選〔えら〕んで浄土門に入れ。】
難しい聖道門は、しばらくこれをさしおいて、浄土門を選ぶべきである。

【浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く】
浄土門に入ろうと思うならば、正行、雑行の二種の修行法のうち、

【諸の雑行を抛〔なげう〕ちて選んで応〔まさ〕に正行に帰すべし」已上。】
すべての雑行をなげうって念仏の正行に帰依するべきである」と記されています。

【之に就〔つ〕いて之を見るに、】
以上のように法然が引用した選択集の文章を見ると、

【曇鸞〔どんらん〕・道綽〔どうしゃく〕・善導〔ぜんどう〕の】
念仏の祖である中国の曇鸞、道綽、善導の

【謬釈〔みょうしゃく〕を引いて聖道浄土〔しょうどうじょうど〕。】
間違った解釈を用いて聖道と浄土、

【難行易行の旨を建て、法華・真言総じて】
難行と易行の修行をたてて、法華、真言をはじめ

【一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻、】
釈迦牟尼仏一代の大乗経、六百三十七部、二千八百八十三巻のすべて、

【一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以〔もっ〕て、】
諸仏や菩薩、諸天善神を

【皆〔みな〕聖道・難行・雑行等に摂して、】
すべて聖道門、難行、雑行に入れてしまって、

【或は捨て、或は閉ぢ、或は閣〔さしお〕き、或は抛〔なげう〕つ。】
あるいは捨てよ、あるいは閉じよ、あるいはさしおけ、あるいはなげうてと教えて、

【此の四字を以て多く一切を迷はし、】
この「捨閉閣抛」の四字のみを人々に教えて、多くの人びとを迷わしているのです。

【剰〔あまつさ〕へ三国の聖僧・十方の仏弟〔ぶってい〕を以て】
また、そればかりではなく、インド、中国、日本の聖僧や仏弟子を、

【皆群賊と号〔ごう〕し、併〔あわ〕せて罵詈〔めり〕せしむ。】
すべて魔民の群衆だと教えて、罵〔ののし〕っているのです。

【近くは所依〔しょえ〕の浄土の三部経の「唯〔ただ〕五逆と】
このような言葉は、近くは法然が依りどころとした浄土三部経の「五逆罪と

【誹謗正法〔しょうぼう〕を除く」の誓文〔せいもん〕に背き、】
正法誹謗の者は往生できない」と云う阿弥陀如来の誓願の文章に背き、

【遠くは一代五時の】
また遠くは、釈迦牟尼仏の一代の華厳、阿含、方等、般若、法華の五つの時代の

【肝心たる法華経の第二の】
肝心である法華経第二巻の譬喩品第三に説かれている

【「若し人信ぜずして此の経を毀謗〔きぼう〕せば、乃至〔ないし〕其の人】
もし、この経を信ぜずして誹謗する者は、その人、

【命終〔みょうじゅう〕して阿鼻獄に入らん」の誡文〔かいもん〕に】
臨終に際して無間地獄に入るであろう」と云う釈迦牟尼仏の誡〔いまし〕めに

【迷ふ者なり。是〔ここ〕に代末代〔よまつだい〕に及び、】
背く者なのです。さて、今の世は、末法の世であり、

【人〔ひと〕聖人〔しょうにん〕に非ず。】
人々も愚かで聖人ではないので、

【各〔おのおの〕冥衢〔みょうく〕に容〔い〕りて】
みんな、真っ暗な道に迷い込んで

【並びに直道〔じきどう〕を忘る。】
正しい道を忘れてしまっているのです。

【悲しいかな瞳矇〔どうもう〕を□〔う〕たず。】
悲しい事に誰も、その曇った目を醒〔さ〕まそうとはせずに、

【痛〔いた〕ましいかな徒〔いたずら〕に邪信を催〔もよお〕す。】
痛ましい事に、いたずらに邪教を信じ続けているのです。

【故に上〔かみ〕国王より下〔しも〕土民に至るまで、】
その理由は、上は国王から、下は一般庶民に至〔いた〕るまで、

【皆〔みな〕経は浄土三部の外〔ほか〕に経無く、】
みんな経文は、浄土三部経以外にはなく、

【仏は弥陀三尊〔さんぞん〕の】
仏は、阿弥陀三尊である阿弥陀仏とその脇士の観世音菩薩と勢至菩薩しか

【外に仏無しと謂〔おも〕へり。仍〔よ〕って伝教・義真〔ぎしん〕・】
いないと思っているのです。その昔、伝教大師や比叡山第二代座主、義真や、

【慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕等、】
比叡山第三代座主、慈覚、比叡山第四代座主、智証などの先師は、

【或は万里の波濤〔はとう〕を渉〔わた〕りて渡せし所の聖教〔しょうぎょう〕、】
万里の海を渡って唐に入って仏教を日本に伝え、

【或は一朝の山川〔さんせん〕を廻〔めぐ〕りて崇〔あが〕むる所の仏像、】
日本の各地の山川を巡りまわって本尊とする仏像を作り、

【若しくは高山の巓〔いただき〕に華界〔けかい〕を建てゝ以て安置し、】
比叡山の頂に堂宇〔どうう〕を建てて、その本尊を安置し、

【若しくは深谷の底に蓮宮〔れんぐう〕を起〔た〕てゝ以て崇重す。】
あるいは、深い谷に寺塔〔じとう〕を建てて、その仏像を崇めました。

【釈迦・薬師の光を並ぶるや、】
また比叡山の東塔には、寿量品の薬師如来を、西塔には、伝教作の釈迦像を安置し

【威を現当に施〔ほどこ〕し、】
現在だけでなく未来までも威光を及ぼし、

【虚空・地蔵〔じぞう〕の化を成すや、】
横川〔よかわ〕般若谷には、虚空蔵菩薩を、また横川戒心谷には、地蔵菩薩を祀り、

【益〔やく〕を生後〔しょうご〕に被〔こうむ〕らしむ。】
利益を今生と後生にまで民衆に施されたのです。

【故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭〔とうしょく〕を明らかにし、】
だからこそ国主は、比叡山に土地を寄進して燈明料とし、

【地頭は田園を充〔あ〕てゝ以て供養に備〔そな〕ふ。】
地頭は、田畑を寄進して供養としたのです。

【而〔しか〕るを法然の選択〔せんちゃく〕に依って、】
ところが法然の選択集が世に出てからは、

【則ち教主を忘れて西土〔さいど〕の仏駄〔ぶっだ〕を貴〔たっと〕び、】
人々は、この娑婆世界の教主釈尊を忘れ、西方極楽世界の阿弥陀如来を貴び、

【付嘱を抛〔なげう〕ちて東方の如来を閣〔さしお〕き、】
伝教大師から続いて来た薬師如来は、捨てられ、

【唯〔ただ〕四巻三部の経典を専〔もっぱ〕らにして】
ただ四巻三部だけの浄土三部経を依りどころとして、

【空〔むな〕しく一代五時の妙典を抛〔なげう〕つ。】
釈尊一代の経典は、すべて捨て去られてしまったのです。

【是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏〔くぶつ〕の志を止〔とど〕め、】
そして阿弥陀堂でなければ、供養もせず、

【念仏の者に非ざれば早く施僧〔せそう〕の懐〔おも〕ひを忘る。】
念仏僧でなければ、布施もしないようになってしまったのです。

【故に仏堂は零落〔れいらく〕して瓦松〔がしょう〕の煙老〔お〕い、】
この為に仏教の堂宇は、苔〔こけ〕が生えて落ちぶれ、

【僧房は荒廃〔こうはい〕して庭草〔ていそう〕の露深し。】
僧坊も荒廃して雑草ばかりとなってしまったのです。

【然りと雖も各護惜〔ごしゃく〕の心を捨てゝ、】
それでも惜しいと思う者はなく、

【並びに建立〔こんりゅう〕の思〔おも〕ひを廃す。】
再建しようとする思いなど誰にもありません。

【是を以て住持〔じゅうじ〕の聖僧行きて帰らず、】
このような有様なので、正しい僧侶は寺から去ってしまい、

【守護の善神去〔さ〕りて来たること無し。】
仏法を守護するはずの諸天善神も居なくなってしまいました。

【是偏〔これひとえ〕に法然〔ほうねん〕の選択〔せんちゃく〕に依るなり。】
これらは、みな、法然の選択集から起こった事なのです。

【悲しいかな数十年の間、百千万の人】
まことに悲しむべき事に法然が選択集を著わしてから数十年の間に百千万の人々が

【魔縁に蕩〔とろ〕かされて多く仏教に迷〔まよ〕へり。】
この魔説によって、仏法に迷い正法を失ってしまいました。

【謗〔ぼう〕を好んで正〔しょう〕を忘る、】
法華誹謗の念仏を好んで正法である法華経を忘れるならば、

【善神怒〔いか〕りを成さゞらんや。】
仏法守護の諸天善神も必ず怒りを成すに違いありません。

【円を捨てゝ偏〔へん〕を好む、】
このように完全である円教の法華経を捨てて偏頗な邪教である念仏を信じるならば、

【悪鬼便〔たよ〕りを得ざらんや。】
悪鬼がたよりを得て日本国中に災いをもたらす事は間違いない事なのです。

【如〔し〕かず彼〔か〕の万祈を修せんよりは】
それ故に様々な祈祷を行って災いを除こうとするよりも、

【此の一凶〔いっきょう〕を禁ぜんには。】
まず、この災いの元凶である念仏を禁止する事が第一なのです。


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