日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


立正安国論 7 和漢の例を出す


第六問 未だ勘状を進らず上奏にも及ばず

【客聊〔いささか〕和〔やわ〕らぎて曰く、】
客は、少し態度を和らげて次のように言いました。

【未だ淵底〔えんでい〕を究めざれども数〔しばしば〕其の趣を知る。】
未だその奥深い理由までは、理解出来ませんが、その趣旨は、わかりました。

【但し華洛〔からく〕より柳営〔りゅうえい〕に至るまで】
しかし、京都から鎌倉へかけて、

【釈門に枢楗〔すうけん〕在り、仏家に棟梁〔とうりょう〕在り。】
仏教界には、立派な人物が数多くいます。

【然れども未だ勘状〔かんじょう〕を進〔たてまつ〕らず、】
しかし、いまだ、この事について

【上奏〔じょうそう〕に及ばず。】
朝廷にも幕府にも進言した者はおりません。

【汝賎〔いや〕しき身を以て輙〔たやす〕く莠言〔ゆうげん〕を吐く。】
あなたが身分をわきまえず、このように軽々しく言い立てる事は、

【其の義余り有り、其の理謂〔いわ〕れ無し。】
その思いは、よくわかりますが、世間の常識に外れた行為と言うべきでしょう。

第六答 未だ勘状を進らせずと云はんや

【主人の曰く、】
主人は、その言葉にこのように答えました。

【予〔よ〕少量たりと雖も忝〔かたじけな〕くも大乗を学す。】
確かに私は、卑しい身分で力もありませんが、有難い事に法華経を学んでおります。

【蒼蠅驥尾〔そうようきび〕に附〔ふ〕して万里を渡り、】
取るに足らないハエが駿馬の尾に止まっていれば、労せず遠くに行く事ができ、

【碧蘿松頭〔へきらしょうとう〕に懸〔か〕かりて】
地面をはっている緑の蔦〔つた〕も松の大木に絡みつけば、

【千尋〔せんじん〕を延〔の〕ぶ。】
高い所まで延びる事ができます。

【弟子、一仏の子と生まれて諸経の王に事〔つか〕ふ。】
そのように、弟子は、唯一仏の弟子として生まれ、諸経の王を理解出来るのです。

【何ぞ仏法の衰微〔すいび〕を見て】
それゆえに仏法が念仏によって衰えている事に、

【心情の哀惜〔あいせき〕を起こさゞらんや。その上涅槃経に云はく】
なんとかしようと考えるのは、当然ではないでしょうか。大般涅槃経の寿命品には、

【「若し善比丘ありて法を壊〔やぶ〕る者を見て置いて呵責〔かしゃく〕し】
「たとえ、立派な僧侶であっても正法を破る者を見て、これをとがめもせず、

【駈遺〔くけん〕し挙処〔こしょ〕せずんば、】
邪宗を追求しようともせず、その罪をただそうともしないならば、

【当〔まさ〕に知るべし、是の人は仏法の中の怨〔あだ〕なり。】
まさに知るべし。この人は、仏法の中の敵〔かたき〕であり、

【若し能〔よ〕く駈遺し呵責し挙処せば】
これに対し、邪宗の者を厳しく諌めて、問いただし追求するならば、

【是〔これ〕我が弟子、真の声聞なり」と。】
これこそ真の声聞なのです」と書いてあります。

【余、善比丘の身たらずと雖も「仏法中怨〔ぶっぽうちゅうおん〕」の】
私は、決っして立派な僧侶と言われるような身分ではありませんが、

【責めを遁〔のが〕れんが為に】
ただ「仏法の中の怨〔あだ〕である」と云う仏の叱責を怖れる故に、

【唯大綱〔たいこう〕を撮〔と〕って粗〔ほぼ〕一端を示す。】
その為に、ただ仏法の概要を説いて、その一端を述べているに過ぎないのです。

【其の上〔うえ〕去ぬる元仁〔げんにん〕年中に、延暦〔えんりゃく〕・】
その上、元仁年間には、たびたび念仏を停止せよとの延暦寺と

【興福〔こうふく〕の両寺より度々奏聞〔そうもん〕を経〔へ〕、】
興福寺からの天皇への訴えがあったので、

【勅宣〔ちょくせん〕御教書〔みぎょうしょ〕を申し下して、】
嘉禄三年(西暦1227年)には、朝廷から勅宣、幕府から御教書が下って、

【法然の選択の印板〔いんばん〕を大講堂に取り上げ、】
選択集の板木を比叡山の大講堂に取りあげ、

【三世の仏恩〔ぶっとん〕を報ぜんが為に之を焼失せしめ、】
三世の諸仏の御恩を報じる為に、これを焼却させ、

【法然の墓所〔むしょ〕に於ては感神院〔かんじんいん〕の】
法然の墓所は、八坂神社の

【犬神人〔いぬじにん〕に仰せ付けて破却〔はきゃく〕せしむ。】
使用人に命じて壊させたのです。

【其の門弟隆観〔りゅうかん〕・聖光〔しょうこう〕・成覚〔じょうかく〕・】
また法然の弟子である隆観、聖光、成覚、

【薩生〔さっしょう〕等は遠国〔おんごく〕に配流せられ、】
薩生らは、遠国に流されて、

【其の後未〔いま〕だ御勘気を許されず。】
未だにその後、許されていないのですが、

【豈〔あに〕未だ勘状〔かんじょう〕を進〔まい〕らせずと云はんや。】
このような前例をもってしても、なお上奏した者などいないと言えるでしょうか。


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