日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


立正安国論 9 斬罪の用否


第八問 彼の経文の如く斬罪に行うべきか

【客の曰〔いわ〕く】
客は、言いました。

【若〔も〕し謗法の輩を断じ、若し仏禁〔ぶっきん〕の違〔い〕を絶たんには、】
もし、仏の禁止に違背する謗法の者を絶滅させる為には、

【彼の経文の如く斬罪〔ざんざい〕に行なふべきか。】
涅槃経に説かれている通りに首を切ってしまわなければならないのでしょうか。

【若し然らば殺害〔せつがい〕相加へ罪業何〔いかん〕が為〔せ〕んや。】
もし、そうならば、殺害は殺害を生み、罪業を重ねるばかりではないでしょうか。

【則ち大集経に云く「頭〔こうべ〕を剃り袈裟〔けさ〕を著〔じゃく〕せば】
なぜならば大集経の法滅尽品には「頭を剃って袈裟を着ていれば、

【持戒及び毀戒〔きかい〕をも、天人彼を供養すべし。】
持戒、破戒を問わず、諸天善神も人間も供養をしなければならない。

【則ち為〔こ〕れ我を供養するなり。】
これは、仏に供養する事と同じなのである。

【是れ我が子なり。】
なぜならば、彼らは、すべて我が弟子であり、

【若し彼を□打〔かだ〕すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。】
もし、彼らを打つならば、それは私の弟子を打つ事になるのである。

【若し彼を罵辱〔めにく〕せば則ち為れ我を毀辱〔きにく〕するなり」と。】
もし彼らを辱しめれば、それは私を辱しめる事になる」と説かれています。

【料〔はか〕り知んぬ、善悪〔ぜんなく〕を論ぜず是非を択〔えら〕ぶこと無く、】
これらの経文によれば、善悪に関係なく、持戒、破戒にかかわりなく、

【僧侶たらんに於ては供養を展〔の〕ぶべし。】
僧侶であれば、すべて供養をしなければならないでしょう。

【何ぞ其の子を打辱〔だにく〕して忝〔かたじけな〕くも】
仏の弟子を打ち、辱しめて、

【其の父を悲哀〔ひあい〕せしめん。】
その師である仏を悲しませて良いのでしょうか。

【彼の竹杖〔ちくじょう〕の目連尊者を害せしや永く無間〔むけん〕の底に沈み、】
過去世に竹杖外道が目連尊者を殺した為に無間地獄の底に沈んだ事や、

【提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久〔ひさ〕しく】
提婆達多が蓮華比丘尼を殺して

【阿鼻の焔〔ほのお〕に咽〔むせふ〕ぶ。】
無間地獄の焔に焼かれた事は、

【先証〔せんしょう〕斯〔これ〕明らかなり、】
明らかな先例であり、証拠であります。

【後昆〔こうこん〕最も恐れあり。】
後世の私達が、もっとも恐れなければ、ならない事であります。

【謗法を誡〔いまし〕むるに似て】
涅槃経の説は、一見すると謗法を禁じているように見えますが、

【既に禁言を破る。】
大集経の仏の禁止された事を破るものではないでしょうか。

【此の事信じ難し、】
謗法の者の命を奪うと云うような事は、とても信じがたく、

【如何〔いかん〕が意得〔こころえ〕んや。】
これは、どのように心得たら良いのでしょうか。

第八答 悪に施さずして皆此の善に帰せ

【主人の曰く、】
主人がそれに、このように答えました。

【客明らかに経文を見て】
あなたは、謗法を禁ずる涅槃経の明らかな文章を見ながら、

【猶〔なお〕斯〔こ〕の言〔ことば〕を成す。】
まだ、そのような事を言われるのですか。

【心の及ばざるか、理の通ぜざるか。】
仏を信じる心が未だ及ばないのか、それとも明らかな道理が通じないのでしょうか。

【全く仏子を禁〔いまし〕むるに非ず、】
この経文の意味するところは、仏の弟子を誡〔いまし〕めるという事ではなく、

【唯偏〔ひとえ〕に謗法を悪〔にく〕むなり。】
ひとえに謗法を憎むと言う事なのです。

【夫〔それ〕釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、】
釈迦以前の過去には、謗法者の命を断った事を説かれていますが、

【能仁〔のうにん〕以後の経説〔きょうせつ〕は則ち其の施を止む。】
現在においては、謗法者に対して布施を止める事なのです。

【然れば則ち四海万邦〔ばんぽう〕一切の四衆、】
そうであるならば、ただちに日本中の人々が

【其の悪に施さずして】
謗法の悪に対して布施を止める事が最も重要なのです。

【皆此〔こ〕の善に帰せば、】
このように日本中の人々が謗法への布施を止めて正法に帰依したならば、

【何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。】
どのような災難も起こるはずは、ないのです。


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