御書研鑚の集い 御書研鑽資料
本尊問答抄 7 本師伝教大師の大怨敵となる
第六章 本師伝教大師の大怨敵となる
【日本国は人王三十代欽明の御時、】
日本国では、人王第三十代欽明天皇の時代に、
【百済〔くだら〕国より仏法始めて渡りたりしかども、】
百済の国から仏法が初めて渡って来ましたが、
【始めは神と仏との諍論こわ〔強〕くして三十余年はすぎにき。】
始めは、神道と仏教の論争が激しく、三十年余りが過ぎてしまったのです。
【三十四代推古天皇の御宇に聖徳太子始めて仏法を弘通し給ふ。】
第三十四代推古天皇の時代に入って、聖徳太子が始めて仏法を弘められました。
【慧観〔えかん〕・観勒〔かんろく〕の二〔ふたり〕の上人、】
そして慧観と観勒という二人の上人が百済国より、
【百済国よりわたりて三論宗を弘め、】
日本に渡って来て、三論宗を弘め、
【孝徳の御宇に道昭、禅宗をわたす。】
孝徳天皇の時代には、道昭が禅宗を伝えたのです。
【天武〔てんむ〕の御宇に新羅〔しらぎ〕国の智凰〔ちほう〕、法相宗をわたす。】
また、天武天皇の時代には、新羅国の智凰が法相宗を伝え、
【第四十四代元正〔げんしょう〕天皇の御宇に善無畏三蔵、】
第四十四代元正天皇の時代には、
【大日経を渡す。然而〔しかるに〕弘まらず。】
善無畏三蔵が大日経を伝えましたが、それほど、弘まらなかったのです。
【聖武〔しょうむ〕の御宇に審祥〔しんじょう〕大徳・朗弁〔ろうべん〕僧正等、】
聖武天皇の時代には、審祥大徳、朗弁僧正らが
【華厳宗を渡す。人王四十六代孝謙天皇の御宇に唐代の鑑真〔がんじん〕和尚、】
華厳宗を伝え、人王四十六代孝謙天皇の時代には、唐代の鑑真和尚が
【律宗と法華宗をわたす。律をばひろめ、法華をば弘めず。】
律宗と法華経を伝え、律宗を弘めましたが、法華経は、弘められなかったのです。
【第五十代桓武天皇の御宇に延暦廿三年七月、伝教大師勅を給ひて漢土にわたり、】
第五十代桓武天皇の代になって、延暦二十三年七月に伝教大師が命令を受けて、
【妙楽大師の御弟子道邃〔どうずい〕・行満〔ぎょうまん〕に値ひ奉りて】
中国に渡り、妙楽大師の御弟子の道邃、行満に会って
【法華宗の定慧を伝へ、道宣〔どうせん〕律師に菩薩戒を伝へ、】
法華宗の定と慧を学び、道宣律師から菩薩戒を授けられ、
【順暁〔じゅんぎょう〕和尚と申せし人に真言の秘教を習ひ伝へて、】
順暁和尚と云う人からは、真言の秘教を習い伝えて
【日本国に帰り給ひて、】
日本国に帰って来られました。
【真言・法華の勝劣は漢土の師のおしへに依りては】
伝教大師は、真言、法華の優劣については、中国の諸師の説明では、
【定め難しと思〔おぼ〕し食〔め〕しければ、】
決められないと思って、
【こゝにして大日経と法華経と、彼の釈と此の釈とを】
ここにおいて、自ら大日経と法華経の文章とそれぞれの注釈書の内容を
【引き並べて勝劣を判じ給ひしに、大日経は法華に劣りたるのみならず、】
調べて優劣を判断されたところ、大日経は、法華経に劣っているのみならず、
【大日経の疏は天台の心をとりて】
それを解釈した大日経の注釈書は、天台大師の言われている事を盗み取って、
【我が宗に入れたりけりと勘へ給へり。】
それを自分達の宗派に取り入れたものである事を見抜かれたのです。
【其の後、弘法大師真言経を下〔おと〕されける事を】
その後、弘法大師は、真言が法華経に劣っていると伝教大師に言われたことを、
【遺恨〔いこん〕とや思し食しけむ。真言宗を立てんとたばか〔謀〕りて、】
恨みに思ったのか、真言宗を立てようと謀って、
【法華経は大日経に劣るのみならず華厳経に劣れりと云云。】
法華経は、大日経に劣るだけではなく、華厳経にも劣っていると主張したのです。
【あはれ慈覚・智証・叡山・園城〔おんじょう〕にこの義をゆる〔許〕さずば、】
残念なことに、もし慈覚、智証が、叡山、園城寺のこの邪義を許さなければ、
【弘法大師の僻見〔びゃっけん〕は日本国にひろ〔弘〕まるまじきに、】
弘法大師の僻見が日本国中に弘まる事は、なかったのです。
【彼の両大師〔だいし〕華厳・法華の勝劣をば】
しかし、この両大師は、華厳経と法華経との勝劣については弘法の考えを
【ゆるさねども、法華・真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば、】
許さなかったものの法華経と真言の勝劣については、弘法大師の考えに同調した為、
【存外に本師伝教大師の大怨敵〔おんてき〕となる。】
本師である伝教大師の大怨敵となってしまったのです。
【其の後日本国の諸の碩徳〔せきとく〕等各〔おのおの〕智慧高く有るなれども、】
その後、日本国に優れた学者たちが出て、それぞれ智慧も優れていたけれども、
【彼の三大師にこえざれば、今に四百年の間、】
弘法、慈覚、智証の三大師を超える事がなかったので、今に至る四百年の間、
【日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。】
日本一同に真言は、法華経よりも勝れていると決めつけていたのです。
【たまたま天台宗を習へる人々も真言は法華に及ばざるの由存すれども、】
また、たまたま天台宗を学んだ人々も、真言は、法華に及ばない事がわかっても、
【天台座主〔ざす〕・御室〔おむろ〕等の】
天台宗の座主や仁和寺の御室などの
【高貴におそれて申す事なし。】
目上の人々を恐れて、何も言い出す事が出来なかったのです。
【あるは又其の義をもわきま〔弁〕へぬかのゆへ〔故〕に、】
あるいは、また、その重要性を理解できず、
【からくして同の義をいへば、】
かろうじて、真言と法華経は、同等ではないかと言うと、
【一向真言師はさる事おも〔思〕ひもよらずとわら〔嗤〕ふなり。】
一様に真言師は、まったく思いもよらない戯言であると一笑にふしたのです。
【然れば日本国中に数十万の寺社あり。】
こうして、日本国中に数十万の寺社がありますが、
【皆真言宗なり。たまたま法華宗を並ぶとも】
すべて真言宗となってしまったのです。たまたま、真言と法華宗を並び立てても、
【真言は主の如く法華は所従なり。】
真言を主人とし、法華を家来のようにしているのです。
【若しは兼学〔けんがく〕の人も心中は一同に真言なり。】
また、真言と法華を一緒に学んだ人も心の中では、一様に真言となっているのです。
【座主・長吏〔ちょうり〕・検校〔けんぎょう〕・別当〔べっとう〕、】
宗派により、座主、長吏、検校、別当と、その名称は、異なっても、
【一向に真言たるうへ、上〔かみ〕に好むところ】
すべて真言師であり、、地位の高い人たちの意見には、
【下皆したがふ事なれば】
その下の者は、みんなが従うと云うのが世の常であるので、
【一人ももれず真言師なり。されば日本国、】
一人も漏れなく真言師となっているのです。したがって日本国においては、
【或は口には法華最第一とはよめども、心は最第二・最第三なり。】
ある者は、口では、法華経最第一と読んでいても、心の中では、第二、第三であり、
【或は身口意〔しんくい〕共に最第二・三なり。】
また、ある者は、身口意ともに第二、三と読んでいるのです。
【三業相応して最第一と読める法華経の行者は】
身口意の三業、相応して最第一と読んでいる法華経の行者は、
【四百余年が間一人もなし。】
伝教大師以後、四百余年の間、一人もいないのです。
【まして能持此経〔のうじしきょう〕の行者はあるべしともおぼへず。】
まして「能持此経」の行者がいるとは、とても思えないのです。
【「如来〔にょらい〕現在〔げんざい〕猶多〔ゆた〕怨嫉〔おんしつ〕、】
法華経法師品第十に「如来の現在すら、猶怨嫉多し。
【況滅〔きょうめつ〕度後〔どご〕」の】
況んや滅度の後をや。」とあるとおり、こうして、
【衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵〔おんてき〕なり。】
今の衆生は、上一人より下万民に至るまで法華経の大怨敵となってしまったのです