日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


本尊問答抄 9 仏法の邪正乱れしかば王法もつきぬ


第八章 仏法の邪正乱れしかば王法もつきぬ

【是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸〔ようや〕くつきぬ。】
このように仏法の邪正が乱れた為に王法も次第に崩れてしまい、

【結句は此の国他国にやぶられて亡国となるべきなり。】
ついには、この国は、他国に攻められて滅亡してしまう事を、

【此の事日蓮独〔ひと〕り勘へ知れる故に、仏法のため王法のため、】
日蓮は、ただ一人考えて知っているがゆえに仏法の為、王法の為に、

【諸経の要文を集めて一巻の書をつくる。】
諸経の要文を集め一巻の書を著わして、

【仍って故最明寺入道殿に奉る。立正安国論と名づけき。】
故最明寺入道殿に立正安国論と名づけて上奏したのです。

【其の書にくは〔委〕しく申したれども愚人は知りがたし。】
その書に詳しく述べたのですが、このことは、愚人には理解し難いので、

【所詮現証を引いて申すべし。】
ここで、現証を引いて述べる事にしようと思います。

【人王八十二代隠岐〔おきの〕法王〔ほうおう〕と申す王有〔ましま〕しき。】
人王八十二代に隠岐の法王と呼ばれる天皇がいました。

【去ぬる承久三年(太歳辛巳)五月十五日、】
そして承久三年五月十五日に、

【伊賀〔いがの〕太郎〔たろう〕判官光末〔みつすえ〕を打ち捕りまします。】
伊賀太郎判官光末を打ち取ります。

【鎌倉の義時〔よしとき〕をうち給はんとてのかどで〔門出〕なり。】
それを鎌倉の義時を打ち取る為の最初の門出として、

【やがて五畿七道の兵〔つわもの〕を召して、】
やがて五畿七道の武士を集めて、

【相州鎌倉の権大夫〔ごんのたいふ〕義時を打ち給はむとし給ふところに、】
相州鎌倉の権の太夫義時を打ち取ろうとしたところ、

【かへ〔還〕りて義時にまけ給ひぬ。結句我が身は隠岐国にながされ、】
逆に義時に負けてしまったのです。結局、自らは、隠岐の国に流罪になり、

【太子二人は佐渡国、阿波国にながされ給ふ。】
皇子二人は、佐渡と阿波に流されてしまったのです。

【公卿七人は忽〔たちま〕ちにくび〔頸〕をはねられてき。】
さらに公家七人が、すぐに首を刎〔は〕ねられました。

【これはいか〔如何〕にとしてま〔負〕け給ひけるぞ。】
このように、どうして負けてしまったのかと考えると、

【国王の身として、民の如くなる義時を打ち給はんは】
これは、権力者が力のない庶民である義時を打ち取ろうとしたのは、

【鷹の雉〔きじ〕をとり、猫の鼠を食〔は〕むにてこそ有るべきに、】
鷹が雉を襲い、猫が鼠を食べるのと同じ容易〔たやす〕い事であるのに、

【これはねこ〔猫〕のねずみ〔鼠〕にく〔食〕らはれ、】
その道理に反して逆に猫が鼠に食べられ、

【鷹の雉にとられたるやう〔様〕なり。】
鷹〔たか〕が雉〔きじ〕に襲われたようなものなのです。

【しかのみならず調伏〔じょうぶく〕の力を尽くせり。】
そればかりか、朝廷側は、幕府調伏の祈祷に大変な力を入れたのです。

【所謂天台の座主慈円僧正、真言の長者仁和〔にんな〕寺の御室〔おむろ〕、】
それを行った者は、天台の座主、慈円僧正、真言の長者、仁和寺の御室、

【園城〔おんじょう〕寺の長吏〔ちょうり〕、総じて七大寺十五大寺、】
園城寺の長吏をはじめ、奈良の七大寺、十五大寺、高僧など、

【智慧戒行は日月の如く、】
すべて智慧と戒律と修行とが日月のように備わった人々であり、

【秘法は弘法・慈覚等の三大師の】
その祈祷に使った秘法とは、弘法、慈覚などの三大師が

【心中の深密の大法・十五壇の秘法なり。】
心の中の深密の大法とした十五壇の特別な秘法なのです。

【五月十九日より六月の十四日にいたるまで、】
そして五月十九日より六月十四日に至るまで、

【あせ〔汗〕をながし、なづき〔脳〕をくだきて行なひき。】
汗を流し、脳髄を砕いて祈祷を行ったのです。

【最後には御室、紫宸殿〔ししんでん〕にして】
さらには、仁和寺の御室が紫宸殿において、

【日本国にわたりていまだ三度までも行なはぬ大法、】
日本に渡って来て三度と行われていない大法を、

【六月八日始めて之を行なふ程に、】
六月八日に始めてこれを行ったところ、

【同じき十四日に関東の兵軍、宇治勢多〔せた〕をおしわたして、】
逆に、その月の十四日に関東の軍勢は、宇治の勢多川を渡って、

【洛陽〔らくよう〕に打ち入りて三院を生け取り奉り、】
京都に打ち入り、後鳥羽、土御門、順徳の三上皇を生け捕りにし、

【九重に火を放ちて一時に焼失す、三院をば三国へ流罪し奉りぬ。】
宮中に火を放ち一気に焼き払って三上皇を隠岐、阿波、佐渡の三国へ流罪に処し、

【又公卿七人は忽ちに頸〔くび〕をきる。】
また七人の公家の頸を即座に斬ったのです。

【しかのみならず御室の御所に押し入りて、】
それのみならず御室の御所に押し入って、

【最愛の弟子の小児勢多伽〔せいたか〕と申せしをせ〔責〕めいだして、】
最愛の弟子であった勢多伽という童子を責めたて、

【終に頸をきりにき。御室堪へずして思い死に給ひ畢んぬ。】
ついには、その頸〔くび〕を斬ってしまったのです。

【母も死す、童〔わらべ〕も死す。すべて此のいのりをたの〔頼〕みし人、】
こうして勢多伽の母も勢多伽も死んでしまい、この祈祷を頼りにしていた人は、

【いく〔幾〕せんばむ〔千万〕といふ事をしらず死ににき。】
幾千万と数知れませんが全て死んでしまったのです。

【たまたまい〔生〕きたるもかひ〔甲斐〕なし。】
たまたま、生き残った人々も、その甲斐がないほど過酷な人生だったのです。

【御室祈りを始め給ひし六月八日より同じき十四日まで、】
御室が祈祷を始めた六月八日より朝廷が敗れた十四日までを数えると、

【なかをかぞふれば七日に満じける日なり。此の十五壇の法と申すは】
その間は、七日であったのです。この十五壇の秘法と云うのは、

【一宇金輪〔こんりん〕・四天王・不動・大威徳〔いとく〕・】
一字金輪法、四天王法、不動明王法、大威徳法

【転法輪〔てんぽうりん〕・如意輪〔にょいりん〕・愛染〔あいぜん〕王・】
転法輪法、如意輪法、愛染王法、

【仏眼・六字・金剛童子・尊星〔そんじょう〕王・太元〔たいげん〕・】
仏眼法、六字法、金剛童子法、尊星王法、太元法、

【守護経等の大法なり。】
守護経法などの大法なのです。

【此の法の詮は国敵・王敵となる者を降伏して、命を召し取りて】
この秘法の目的は、国敵、王敵となる者を調伏し命を奪って、

【其の魂を密厳〔みつごん〕浄土へつか〔遣〕はすと云ふ法なり。】
その魂〔たましい〕を大日如来の住する密厳浄土へ遣わすと云うものでした。

【其の行者の人々も又軽からず、天台の座主慈円・】
しかも、この秘法を行った人々は、いずれも、その地位は高く天台座主の慈円、

【東寺・御室・三井の常住院の僧正等の四十一人】
東寺、御室、三井の常住院の僧正などの四十一人、

【並びに伴僧等三百余人なり云云。法と云ひ行者と云ひ、】
さらに伴僧など三百余人であり、その法といい行者といい、

【又代も上代なり。】
また時代も天皇、上皇の権威が失われていない時代であったのに、

【いか〔如何〕にとしてま〔負〕け給ひけるぞ。】
どうして朝廷方は、破れてしまったのでしょうか。

【たとひかつ〔勝〕事こそなくとも、即時にまけおは〔畢〕りて】
たとえ、勝たないまでも、あっけなく負けてしまい、

【かゝるはぢ〔恥〕にあひたりけること、】
このような恥辱に遭うとは、いかなる理由によるのでしょうか、

【いかなるゆへといふ事を余人いまだし〔知〕らず。】
このことは、日蓮以外の人々は誰も知らない事なのです。

【国主として民を討たん事、鷹の鳥をと〔捕〕らんがごとし。】
権力者の国主が家来を討つ事は、鷹が小鳥を捕るようなものであり、

【たとひまけ給ふとも、一年二年十年二十年もさゝ〔支〕うべきぞかし。】
たとえ負けるにしても、一年、二年、十年、二十年と持ち応えるところを、

【五月十五日におこりて六月十四日にまけ給ひぬ。】
五月十五日に戦いが始まって六月十四日には、負けてしまい、

【わづかに三十余日なり。】
その間、わずか三十日あまりなのです。

【権〔ごんの〕大夫殿は此の事を兼ねてしらねば祈禱もなし、】
権の太夫義時は、この事を前もって知らなかったので祈祷もせず、

【かま〔構〕へもなし。】
その準備もしなかったのです。


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