御書研鑚の集い 御書研鑽資料
崇峻天皇御書 5 同志との団結
第四章 同志との団結
【返す返す御心へ〔得〕の上なれども、】
今までもこのような事は、常に心得ておられる事でしょうが、
【末代のありさまを仏の説かせ給ひて候には、】
末代の世情を仏が説かれるには、
【濁世〔じょくせ〕には聖人も居〔こ〕しがたし。】
「濁悪の世には、たとえ聖人と云えども世にあることは難しいのです。
【大火の中の石の如し。且くはこら〔堪〕ふるやうなれども、】
大火の中の石のようなものであり、しばらくは、堪えているようでも、
【終にはや〔焼〕けくだ〔摧〕けて灰となる。】
最終的には、焼けて砕け灰となってしまうのです。
【賢人も五常は口に説きて、】
賢人も仁・義・礼・智・信の五常を口では説いていますが、
【身には振る舞ひがたしと見へて候ぞ。】
それをわが身で行なうとなると難しいと言われています。
【かう〔甲〕の座をば去れと申すぞかし。】
世の中のことわざでも「高い地位につけば長居をするな」と言うではありませんか。
【そこばく〔若干〕の人の殿を造り落とさんとしつるに、をとされずして、】
たくさんの人々があなたを陥れようとしているのに陥れられず、
【はやか〔勝〕ちぬる身が、穏便〔おんびん〕ならずして】
もはや勝利を収めた身である、あなたが、もし短気を起こして、
【造り落とされなば、】
陥れられるようなことがあったならば、
【世間に申すこ〔漕〕ぎこ〔漕〕ひでの船こぼ〔溢〕れ、】
世間に言われるところの、頑張って漕いできた船が岸の近くで転覆し、
【又食の後に湯の無きが如し。】
また、食事の後に飲むべき水がないようなものであり、非常に残念なことなのです。
【上よりへや〔部屋〕を給ひて居〔こ〕してをはせば、其の処にては】
江馬殿の屋敷では、居場所を与えられ、そこにいるのですから、
【何事無くとも、日ぐ〔暮〕れ暁〔あかつき〕なんど、入り返りなんどに、】
何事もないでしょうが、日暮れの帰宅、早朝の出仕などの際には、
【定んでねら〔狙〕うらん。】
必ずや狙われるでしょう。
【又我が家の妻戸の脇、持仏堂、家の内の板敷〔いたじき〕の下か】
また自分の家の両扉で見えない場所や、持仏堂、家の中の板張り下、
【天井なんどをば、あながちに心えて振る舞ひ給へ。】
天井の上などには、よくよく心をくばって行動してください。
【今度はさきよりも彼等はたばかり賢〔かしこ〕かるらん。】
今後は、以前よりも彼らの謀りごとは、ずるがしこく巧みになることでしょう。
【いかに申すとも鎌倉のえがら〔荏柄〕夜廻りの殿原にはすぎじ。】
何といっても鎌倉の荏柄の夜廻りの人達ほど力になる者はいないのです。
【いかに心にあはぬ事有りとも、かた〔語〕らひ給へ。】
どんなに意に添わぬことがあっても、彼らと親しくしていきなさい。
【義経〔よしつね〕はいかにも平家をばせ〔攻〕めおとしがたかりしかども、】
源義経にとって平家を攻め落とすことは、非常に難しかったのですが、
【成良〔しげよし〕をかたらひて平家をほろぼし、】
平家方の阿波の豪族である田口成良を味方にひきいれて平家を亡ぼしました。
【大将殿はおさだ〔長田〕を親のかたきとをぼせしかども、】
また源頼朝は、長田〔おさだ〕忠致〔ただむね〕を親のかたきと思っていましたが、
【平家を落さゞりしには頸〔くび〕を切り給はず。】
平家を攻め落とすまでは、その首を切らなかったのです。
【況んや此の四人は遠くは法華経のゆへ、】
いわんやこの夜廻りの人達四人は、遠くは法華経のために、
【近くは日蓮がゆへに、命を懸けたるやしき〔屋敷〕を】
また近くは日蓮のために、命をかけて得た屋敷を、
【上へ召されたり。】
お上に召しあげられてしまったのです。
【日蓮と法華経とを信ずる人々をば、】
このように日蓮と法華経を信ずる人々に対しては、
【前々〔さきざき〕彼の人々いかなる事ありとも、かへりみ給ふべし。】
以前にその人々にどのような問題があったとしても心にかけてあげなさい。
【其の上、殿の家へ此の人々常にかよ〔通〕うならば、】
その上、あなたの屋敷へこの人々が出入りするならば、
【かたき〔敵〕はよる行きあはじとを〔怖〕ぢるべし。】
敵〔かたき〕もこの人々と出会わないように注意することでしょう。
【させる親のかたきならねば、顕はれてとは】
彼らにしても、源頼朝のように親のかたきというわけではないのですから、
【よも思はじ。】
よもや表ざたになってもよいとは思わないでしょう。
【かくれん者は是程の兵士〔つわもの〕はなきなり。】
人目をはばかる者には、この四人ほど頼りになる者達は、いないでのです。
【常にむつ〔睦〕ばせ給へ。】
常に仲良くしていきなさい。
【殿は腹悪しき人にて、よも用ひさせ給はじ。】
あなたは、短気な性質であるから、こう言ってもそれを用いないでしょうが、
【若しさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。】
もし、そうであるなら日蓮の祈りの力も及ばぬことなのです。