日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


崇峻天皇御書 9 崇峻天皇


第八章 崇峻天皇

【第一秘蔵の物語あり、書きてまいらせん。】
最も大事な秘蔵の物語があるので、ここに書いてさしあげましょう。

【日本始まって国王二人、人に殺され給ふ。】
日本国が始まって以来、二人の天皇が臣下に殺されているのです。

【其の一人は崇峻〔すしゅん〕天皇なり。】
その一人は、崇峻天皇です。

【此の王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父〔おじ〕なり。】
この崇峻天皇は、欽明天皇の太子で、聖徳太子の伯父にあたる人です。

【人王第三十三代の皇〔みかど〕にてをはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる。】
第三十三代の天皇でしたが、ある時、聖徳太子に対して、

【汝は聖智の者と聞く。朕〔ちん〕を相してまいらせよと云云。】
「あなたは、聖者であると聞く。私の相を占ってみよ」と仰せつけになりました。

【太子三度まで辞退申させ給ひしかども、】
聖徳太子は、三度、辞退されましたが、

【頻〔しき〕りの勅宣なれば止みがたくして、敬ひて相しまいらせ給ふ。】
是非にとの仰せにやむをえず、つつしんで相を占われました。

【君は人に殺され給ふべき相ましますと。】
そして「陛下は、人に殺される相がおありです」と申しあげたのです。

【王の御気色〔みけしき〕かはらせ給ひて、】
すると天皇の顔色が変わって、

【なにと云ふ証拠を以て此の事を信ずべき。】
「いかなる証拠をもって、この事を信ずべきか」と仰せになったのです。

【太子申させ給はく、御眼に赤き筋とをりて候。】
太子は「眼に赤い筋がとおっております。

【人にあだ〔仇〕まるゝ相なり。皇帝勅宣を重ねて下し、】
それは、人にあだまれる相でございます」と申されたのです。天皇は重ねて、

【いかにしてか此の難を脱れん。】
「どのようにすれば、この難をのがれることができるか」と仰せになられました。

【太子の云はく、免脱〔まぬかれ〕がたし。】
太子は「まぬがれることは困難です。

【但し五常と申すつはも〔兵〕のあり。】
ただし、仁・義・礼・智・信の五常と云う兵法があります。

【此れを身に離し給はずば害を脱れ給はん。】
それを御身から離されなければ、難をまぬがれることができるでしょう。

【此のつはものをば内典には忍波羅蜜〔はらみつ〕と申して、】
この兵法を仏典では、忍耐の波羅蜜と申して、

【六波羅蜜の其の一なりと云云。】
六種波羅蜜の修行の一つとしております」と答えられました。

【且くは此を持ち給ひてをはせしが、】
天皇は、それからしばらくは、忍耐を持っておられましたが、

【やゝもすれば腹あしき王にて是を破らせ給ひき。】
ややもすれば気が短い人であったので、ついに、これを破られてしまったのです。

【有る時、人猪〔い〕の子〔こ〕をまいらせたりしかば、】
ある時、イノシシの子を献上した人がいましたが、

【かうがい〔笄〕をぬ〔抜〕きて猪の子の眼をづぶづぶとさゝせ給ひて、】
その時、天皇は、金属の棒を抜いてイノシシの子の眼にずぶずぶと突き刺し、

【いつかにく〔憎〕しと思ふやつをかくせんと仰せありしかば、】
「いつの日か憎き奴を、このようにしてやろう」と仰せられたのです。

【太子其の座にをはせしが、あらあさましや、あさましや。】
聖徳太子は、その座におられましたが「ああ、何と言うことだ。何と言うことだ。

【君は一定〔じょう〕人にあだまれ給ひなん。】
陛下は、必ずや人に恨まれるであろう。

【此の御言〔ことば〕は身を害する剣なりとて、】
この御言葉は、自分を害する剣となろう」と言われて、

【太子多くの財を取り寄せて、御前に此の言を聞きし者に】
多くの財宝を取り寄せて、そのとき天皇の前にいた人々に、

【御ひ〔引〕きで〔出〕物ありしかども、或人〔あるひと〕】
このことを口外しないように金品を与えられたのです。しかし、ある人が

【蘇我〔そが〕の大臣〔おおおみ〕馬子〔うまこ〕と申せし人に語りしかば、】
大臣の蘇我の馬子に、この事を語ったのです。

【馬子我が事なりとて東漢直駒〔あずまのあやのあたいごま〕、】
馬子は、自分のことであると思い、直磐井〔あたいいわい〕と云う者の子、

【直磐井〔あたいいわい〕と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ。】
直駒〔あたいごま〕に命じて、天皇を殺害させてしまったのです。

【されば王位の身なれども、思ふ事をばたやすく申さぬぞ。】
つまり天皇という身分であっても、思った事をたやすく人に言わぬものなのです。

【孔子と申せし賢人は九思一言とて、】
孔子と云う賢人は、九思一言と言って、

【こゝの〔九〕たび〔度〕おもひて一度〔ひとたび〕申す。】
九回、思索をした後に一度だけ語ったと言います。

【周公旦〔しゅうこうたん〕と申せし人は沐〔もく〕する時は】
また、周公旦と云う人は、髪を洗っている時、

【三度〔みたび〕握〔にぎ〕り、】
訪問客があれば、濡れた髪をにぎってでも迎え、

【食する時は三度は〔吐〕き給ひき。】
また、食事中でも口の中の食べ物を吐いてでも訪問客を待たせずに応対したのです。

【たしかにき〔聞〕こしめ〔食〕せ。】
このことを、しっかり憶えておいてください。

【我ばし恨みさせ給ふな。】
この私の言葉を聞かずに、失敗して私を恨まないようにしなさい。

【仏法と申すは是にて候ぞ。】
仏法と云うのは、このことを言うのです。

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