御書研鑚の集い 御書研鑽資料
開目抄 3 一念三千の法門を盗んで自らの説とする
【但〔ただ〕し仏教に入って五十余年の経々、】
ただ、仏教に入って五十余年の間に説法された
【八万法蔵を勘〔かんが〕へたるに、】
八万法蔵と云われる多くの教えをひとつひとつ見れば、
【小乗あり大乗あり、】
その中には、小乗経もあり、大乗経もあり、
【権経あり実経あり、】
法華経以外の権経もあり実経である法華経もあります。
【顕教・密教、ナン語〔なんご〕・ソ語〔そご〕、】
また顕教や密教、意を尽くしているものもあれば、そうでないものもあり、
【実語・妄語、正見・邪見等の種種の差別あり。】
実語や妄語、正見や邪見などの数々の差別があるのです。
【但し法華経計り教主釈尊の正言なり。】
ただし法華経ばかりが教主釈尊の間違いのない正しい教えなのです。
【三世十方の諸仏の真言なり。】
三世十方の諸仏の真実の言葉なのです。
【大覚世尊は四十余年の年限を指して、】
釈尊は法華経以前の四十余年の教えを指して、
【其の内の恒河〔ごうが〕の諸経を未顕真実、】
その間に説いた多くの教えを「未だ真実を顕さず」と言われ、
【八年の法華は要当説真実と定め給ひしかば、】
次に説く法華経を「当に真実を説くべし」と言われているのです。
【多宝仏大地より出現して】
それに対して多宝仏が大地より出現して
【皆是真実と証明す。】
「釈迦牟尼仏の説法はみなこれ真実である」とそれを証明し、
【分身〔ふんじん〕の諸仏来集して】
また分身の諸仏は、釈迦が法華経を説かれている場所に来て、
【長舌を梵天〔ぼんてん〕に付く。】
声を上げて法華経が真実であることを証明しているのです。
【此の言赫々〔かくかく〕たり、明々たり。】
このことは、ほんとうに正しい事なのです。
【晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。】
晴天の日よりも明らかであって、夜中の満月のごとく明らかな事なのです。
【仰いで信ぜよ、伏して懐〔おも〕ふべし。】
仰いで信じるべきで、伏してそれに感謝すべきです。
【但〔ただ〕し此の経に】
ただし、この法華経には、迹門である理の一念三千と本門である事の一念三千の
【二箇〔か〕の大事あり。倶舎〔くしゃ〕宗・成実〔じょうじつ〕宗・】
二つの大事な事があります。一念三千については倶舎宗や成実宗、
【律〔りっ〕宗・法相〔ほっそう〕宗・】
律宗、法相宗、
【三論〔さんろん〕宗等は名をもしらず。】
三論宗などでは、まったく説かれていません。
【華厳〔けごん〕宗と真言宗との二宗は】
華厳宗と真言宗とでは、自宗にはもともとなかったのですが、
【偸〔ひそ〕かに盗んで自宗の骨目とせり。】
ひそかに盗んで自分の宗派の教義にしてしまっています。
【一念三千の法門は但法華経の】
この法華経の大事である一念三千の法門は、
【本門寿量品の文の底に秘してしづめたまへり。】
ただ法華経の本門の寿量品の文の底にのみ秘し沈められているのです。
【竜樹天親は知って、しかもいまだひろめたまはず、】
竜樹菩薩や天親菩薩は知っていましたが、それを弘めはしませんでした。
【但我が天台智者のみこれをいだ〔懐〕けり。】
ただ、天台智者のみが、これを内心に悟っていたのです。
【一念三千は十界互具よりことはじまれり。】
そしてその一念三千は、十界互具から始まります。
【法相と三論とは八界を立てゝ十界をしらず。】
法相宗と三論宗とは、八界を立てて十界を知りません。
【況んや互具をしるべしや。】
まして十界互具を知るよしもないのです。
【倶舎〔くしゃ〕・成実〔じょうじつ〕・律〔りっ〕宗等は】
倶舎や成実、律宗などは
【阿含〔あごん〕経によれり。】
阿含経を拠り所の教えとしているのです。
【六界を明らめて】
この阿含経は、地獄から天界までの六界までしか明らかにしていず、
【四界をしらず。】
声聞、縁覚、菩薩、仏の四界を知らないのです。
【十方唯有〔ゆいう〕一仏と云って、】
そして「十方にただ一仏のみあり」といって、
【一方有仏〔うぶつ〕だにもあかさず。】
釈尊以外には、他の仏さえも明かしていないのです。
【一切有情〔うじょう〕悉有〔しつう〕仏性とこそとかざらめ。】
すべての生命にことごとく仏性があると言う事さえ説いていません。
【一人の仏性猶〔なお〕ゆるさず。】
ひとりの仏性がある事さえも許していないのです。
【而るを律宗・成実宗等の】
そうであれば、後世の律宗や成実宗などが
【十方有仏・有仏性なんど申すは仏滅後の人師等の】
「十方に仏あり、仏性あり」などというのは、仏の滅後にそれらの宗の僧侶などが、
【大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし。】
大乗経の教えを自分の宗派に盗み入れたものなのでしょう。
【例せば外典外道等は】
例えば、仏教がない時代の外道は、
【仏前の外道は執見あさし。】
まだまだ自らの宗派に執着する心があまりありませんでした。
【仏後の外道は仏教をきゝみて自宗の非をしり、】
しかし、仏教が世に出てからは、自分の宗派の教えの無力さを知って、
【巧の心出現して仏教を盗み取り、】
つまらぬ虚栄心によって仏教の教えを盗み取り、
【自宗に入れて邪見もっともふかし。】
自分の宗派に入れて邪見が、さらに深くなったのです。
【附〔ふ〕仏教、学仏法成〔がくぶっぽうじょう〕等これなり。】
附仏教や学仏法成等と呼ばれる外道とはこれらのことなのです。
【外典も又々かくのごとし。】
外典もまたこの通りであって、
【漢土に仏法いまだわたらざりし時の儒家・道家は、】
漢土に仏法が伝来する前の儒家や道家などは、
【いういうとして嬰児〔ようじ〕のごとくはかなかりしが、】
赤ん坊のように罪のないつまらないものであったけれども、
【後漢已後に釈教わたりて対論の後、釈教漸〔ようや〕く流布する程に、】
後漢の世に仏法が伝来して、
【釈教の僧侶破戒のゆへに、或は還俗〔げんぞく〕して家にかへり、】
一度、仏教をめざして出家した者が還俗して家に戻り、
【或は俗に心をあはせ、儒道の内に釈教を盗み入れたり。】
世俗の人々に心を合わせて儒教の中に仏教の教えを盗み入れたのです。
【止観の第五に云はく】
摩訶止観の第五の巻には
【「今の世に多く悪魔の比丘〔びく〕有って、戒を退き家に還〔かえ〕り、】
「今の世には多く悪魔の比丘があって、戒を退き家にかえり、
【駈策〔くさく〕を懼畏〔くい〕して更に道士に越済〔おっさい)す。】
あるいは処刑を畏れて、一度儒教から仏教に入りながらまた道士へと逆戻りし、
【復〔また〕名利〔みょうり〕を邀〔もと〕めて荘老を誇談〔かだん〕し、】
また名誉や利益を求めて、荘老の道を誇らしげに話して、
【仏法の義を以て偸〔ぬす〕んで邪典に安〔お〕き、】
仏法の教えを盗んで外道の邪典につけ、
【高きを押して下〔ひく〕きに就〔つ〕け、尊きを摧〔くだ〕いて卑しきに入れ、】
高い仏法の教えを低い外道の教えと云い、尊い仏法を卑しき外道の教えとして、
【概〔がい〕して平等ならしむ」云云。弘〔ぐ〕に云はく】
外道と内道を平等に扱っている。」と書かれています。止観輔行伝弘決には
【「比丘の身と作って仏法を破滅す。若しは戒を退き家に還るは】
「僧侶となって仏法を破滅する者がある。もしくは戒を退き家に還るというのは、
【衛元嵩〔えいげんすう〕等が如し。】
武帝の時代に仏教を弾圧して衛の元嵩のような者である。
【即ち在家の身を以て】
つまり、いったんは仏教を志して出家したものの道士と交遊して還俗し、
【仏法を破壊〔はえ〕す。】
ふたたび在家の身になって政治家となって仏法を破壊したのである。
【此の人正教を偸竊〔ちゅうせつ〕して邪典に助添〔じょてん〕す。】
このように正しい仏教の教えを盗んでは、外道の邪典を助け、書きかえたのである。
【高きを押して等とは、】
高い教えに導くなどと言って、
【道士の心を以て二教の概〔とかき〕と為し、】
道教を説く道士の心をもって道教を仏教の骨子であるとし、
【邪正をして等しからしむ。義是の理無し。】
邪正を等しとしたのは、まったくそのいわれないことである。
【曾〔かつ〕て仏法に入って正を偸んで邪を助け、】
かえって仏法に入って正しい教えを盗み、外道の邪を助け、
【八万・十二の高きを押して五千・二篇の下〔ひく〕きに就け、】
仏教の高い教えを推奨するようなふりをして、道教の低い教えにつけ、
【用〔もっ〕て彼の典の邪鄙〔じゃひ〕の教へを釈するを】
道教の邪で卑しい教えを講釈することは、
【摧尊入卑〔さいそんにゅうひ〕と名づく」等云云。】
尊きを摧いて卑しきに入れると言うのである。」と言われているのです。
【此の釈を見るべし。次上〔つぎかみ〕の心なり。】
この妙楽大師の言葉を見れば、このような主張なのです。
【仏教】
外道が仏教の教えを盗み入れたように、仏教の各宗派も、
【又かくのごとし。】
これと同様の状態になったのです。
【後漢の永平に漢土に仏法わたりて、】
後漢の明帝の時代、永平十年に漢土へ仏法が渡って
【邪典やぶれて内典立つ。】
対論のすえ外典が破れて内典が勝ち、仏法が中国に流布しました。
【内典に南三北七の異執〔いしゅう〕をこりて】
その後、各宗派が次々と立てられ揚子江の南に三派、北に七派と乱立して、
【蘭菊〔らんぎく〕なりしかども、】
各宗派ともに自宗に執着し、理論がまちまちで仏教内が乱れましたが、
【陳隋〔ちんずい〕の智者大師にうちやぶられて、】
陳隋の時代に天台大師が出現して、間違った宗派をことごとく打ち破り、
【仏法二〔ふたた〕び群類をすくう。】
法華経を正しいと立てたので、仏法はふたたび一切衆生を救うことが出来ました。
【其の後法相宗・真言宗】
天台以後に、法相宗と真言宗が
【天竺〔てんじく〕よりわたり、華厳宗又出来せり。】
あらたにインドより伝えられ、また華厳宗が立てられました。
【此等の宗々の中に法相宗は一向天台宗に敵を成す宗、】
これらの宗の中で法相宗は、教義の全般にわたって天台宗に敵対する
【法門水火なり。】
法門を立てて水火のごとく、相容れることができない宗派なのです。
【しかれども玄奘〔げんじょう〕三蔵・慈恩大師、】
それでも玄奘三蔵も慈恩大師も、
【委細に天台の御釈を見ける程に、】
詳細に天台の解釈を調べてからは、自分の宗派が間違っている事に気付き、
【自宗の邪見ひるがへるかのゆへに、自宗をばすてねども】
自分の宗派は、捨てないけれども、
【其の心天台に帰伏すと見へたり。】
その心は天台に帰伏したと思えます。
【華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり。】
華厳宗と真言宗は、その拠りどころの経は、すべて権経であるのです。
【善無畏〔ぜんむい〕三蔵・金剛智〔こんごうち〕三蔵、】
そうであればこそ真言の善無畏三蔵や金剛智三蔵は、
【天台の一念三千の義を盗みとって自宗の肝心とし、】
天台の一念三千の義を盗み取って自分の宗派の中心となし、
【其の上に印〔いん〕と真言とを加へて超過の心ををこす。】
その上に印と真言とを加えて、法華経より大日経が勝れているとしました。
【其の子細をしらぬ学者等は、天竺〔てんじく〕より】
そのいわれを知らない真言の学者などは、インドより伝えられた時から、
【大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう。】
大日経に一念三千の法門があったのだと思っています。
【華厳宗は澄観〔ちょうかん〕が時、】
また華厳宗は、澄観の時に
【華厳経の「心如工画師〔しんにょくえし〕」の文に】
華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文に、
【天台の一念三千の法門を偸〔ぬす〕み入れたり、】
天台の一念三千の法門を盗み入れました。
【人これをしらず。】
人々はこれを知らないで、また澄観のいうことを正しいと信じているのです。
【日本我が朝には華厳等の六宗、天台真言已前にわたりけり。】
日本には、華厳などの奈良の六宗派が、天台宗や真言宗の渡る以前に伝来しました。
【華厳・三論・法相、諍論〔じょうろん〕】
華厳、三論、法相の各宗派は、互いに教義を立てて論争して、
【水火なりけり。】
その法門は、水火のごとく相容れないものでありました。
【伝教大師此の国にいでて、六宗の邪見をやぶるのみならず、】
その後に伝教大師が日本に現れて、奈良の六宗派の間違った教えを破るのみならず、
【真言宗が天台の法華経の理を盗み取って】
中国において真言宗が天台の法華経の理の一念三千を盗み取って、
【自宗の極〔ごく〕とする事あらわれをはんぬ。】
自分の宗派の究極の教えとしたことも明らかにされました。
【伝教大師宗々の人師の異執〔いしゅう〕をすてゝ】
伝教大師は、各宗派の人師の執着による邪見を捨てて、
【専ら経文を前〔さき〕として責めさせ給ひしかば、】
経文を先として邪義を責められたので、
【六宗の高徳八人・十二人・十四人・三百余人並びに】
奈良の六宗の高僧らが、みんな伝教大師に破折され、
【弘法大師等せめをとされて、】
中国から真言宗を伝えた弘法大師さえも破折され、
【日本国一人もなく天台宗に帰伏し、南都・東寺・日本一州の山寺、】
日本国中一人も残らず天台宗に帰伏し、奈良においても、東寺も含め日本中の寺は、
【皆叡山〔えいざん〕の末寺となりぬ。】
ことごとく、すべて比叡山天台宗の末寺となったのでした。
【又漢土の諸宗の元祖の】
また中国においても諸宗派の元祖が色々な宗派を立てながらも、
【天台に帰伏して謗法の失をまぬかれたる事もあらはれぬ。】
そののち天台に帰伏して謗法の罪を免れる事が現証となって現れたのです。
【又其の後やうやく世をとろへ人の智あさくなるほどに、】
その後、次第に世の勢いが衰え、人々の智慧も浅くなり、末法が近づくにつれて、
【天台の深義は習ひうしないぬ。】
天台の深い教義は失われてしまったのです。
【他宗の執心は強盛になるほどに、】
そういう事で他宗は、間違った自らの教えに対する執着心が
【やうやく六宗七宗に天台宗をとされて、】
いよいよ強盛になり、その結果、六宗、七宗に天台宗は、言いくるめられて、
【よわりゆくかのゆえに、結句〔けっく〕は】
弱まってしまい、その結果として、最後には、
【六宗七宗等にもをよばず。】
六宗、七宗の邪宗の勢いに及ばなくなってしまったのです。
【いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて、】
それのみならず、とるにたらない禅宗や浄土宗という新興宗教にまで攻められて、
【始めは檀那やうやくかの邪宗にうつる。】
はじめは檀家が次第にこれらに移って行き、
【結句は天台宗の碩徳〔せきとく〕と仰がるゝ】
最後には、天台宗の高僧と仰がれる人々でさえ、
【人々みなをちゆきて彼の邪宗をたすく。】
みんな何を信じているのかわからなくなって他の邪宗を助けてしまったのです。
【さるほどに六宗八宗の】
その間に戦争の被害に遭って、その六宗、八宗でさえ
【田畠所領みなたを〔倒〕され、正法失〔う〕せはてぬ。】
田畠や領地さえも失ってしまい、日本国には正法が消え失せてしまいました。
【天照太神・正八幡・山王等諸の守護の諸大善神も法味をなめざるか、】
天照太神や正八幡、山王などの諸々の守護の善神も食べ物さえなくなって、
【国中を去り給ふかの故に、】
この国から去ってしまった故に
【悪鬼便〔たよ〕りを得て国すでに破れなんとす。】
悪鬼はたよりを得て、国は、すでに三災七難によって滅びようとしているのです。