日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


開目抄 10 諸宗を破折し正義を示す


【真言・華厳等の経々には、種熟脱の三義、名字すら猶〔なお〕なし。】
真言や華厳などの経には下種、熟益、脱益の名前すら説かれていないのです。

【何に況んや其の義をや。】
ましてやその意味が説かれているはずはないのです。

【華厳・真言経等の一生初地の】
華厳や真言などの文章に一生初地と云う

【即身成仏等は、経は権経にして】
即身成仏の意義が説かれてあるのは、どこまでも現在だけに執着する権経であって

【過去をかくせり。】
過去を隠しているのです。

【種をしらざる脱なれば、超高〔ちょうこう〕が位にのぼり、】
下種を知らないで、ただの脱益であるから、もともと王でない叛逆者の超高や

【道鏡が王位に居〔こ〕せんとせしがごとし。】
道鏡が王位に着くのと同じなのです。

【宗々互ひに種を諍う。予此をあらそわず、】
各宗派とも自らが正しい仏の種であると争っていますが、

【但経に任すべし。法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり。】
経文を証拠とするべきで法華経の種を天親菩薩は、最上であると言っているのです。

【天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経・大日経等の】
そしてそれが天台宗の一念三千なのです。華厳経や大日経、すべての大乗経の

【諸尊の種子、皆一念三千なり。】
諸仏が成仏した種は、すべて法華経の一念三千なのです。

【天台智者大師、一人此の】
天台大師のみが、ただ一人この奥義を得られたのであって、

【法門を得給えり。】
諸宗の学者がこれを知るわけもありません。

【華厳宗の澄観、此の義を盗んで華厳経の】
華厳宗の澄観は、この天台の法門を盗んで華厳経の

【「心如工画師〔しんにょくえし〕」の文の神〔たましい〕とす。】
「心は、たくみな絵師のごとし」との文を一念三千であるとしました。

【真言・大日経等には二乗作仏〔さぶつ〕・久遠実成・一念三千の法門これなし。】
また、真言の大日経には、二乗作仏、久遠実成、一念三千の法門などありません。

【善無畏〔ぜんむい〕三蔵、震旦〔しんだん〕に来たって後、】
しかし、善無畏三蔵はインドから中国へ来てのちに、

【天台の止観を見て智発〔ちほっ〕し、】
初めて天台大師の摩訶止観を見て、一念三千を知り、

【大日経の「心実相、我一切本初」の文の神に、】
大日経の「心の実相、私はすべての本初である」などの文が

【天台の一念三千を盗み入れて】
一念三千にあたると言って、

【真言宗の肝心として、其の上、印と真言とをかざり、】
これを真言宗の肝心としました。

【法華経と大日経との勝劣を判ずる時、】
それどころか法華経と大日経とを比較して印と真言が真言宗にあるから、

【理同事勝の釈をつくれり。】
理は同じでも事相においては真言がより優れているとの邪義を作ったのです。

【両界の漫荼羅〔まんだら〕の】
金剛界、胎蔵界の漫荼羅にあらわされている

【二乗作仏・十界互具は一定、大日経にありや。】
二乗作仏、十界互具の原理が大日経にあると云うのでしょうか。

【第一の誑惑〔おうわく〕なり。】
これこそ究極の詐称といえるのです。

【故に、伝教大師云はく「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯〔ほろ〕ぼし、】
それで伝教大師は「最近中国から渡来した真言家の相承を嘘と見破り、

【旧到の華厳家は則ち影響〔ようごう〕の軌模を隠す」等云云。】
また華厳家は、天台から影響を受けた事を隠している」と言っています。

【俘囚〔ふしゅう〕の】
外国に行って「ほのぼのと、明石の浦の朝霧に、

【島なんどにわた〔渡〕って、】
島がくれゆく舟をしぞ思ふ」と言う

【ほのぼのといううた〔和歌〕は、われよみたりなんど申せば、】
有名な和歌を自分が作ったものであると言うと、

【えぞてい〔夷体〕の者はさこそとをもうべし。】
何も知らない外国の者は、それを信じるでしょう。

【漢土・日本の学者、又かくのごとし。】
中国や日本の仏教学者もまたこの通りなのです。

【良□〔りょうしょ〕和尚云はく「真言・禅門・華厳・三論、】
そうであれば天台宗九世の良□和尚は「真言などのあらゆる経々は、

【乃至若し法華等に望めば是接引門〔しょういんもん〕」等云云。】
法華経に相対すれば法華経を説く為の入門書である」と説いています。

【善無畏三蔵の閻魔〔えんま〕の責めに】
善無畏三蔵が謗法の罪によって閻魔大王の責めに

【あづからせ給ひは此の邪見による。】
あったのも、この権実相対を誤って理同事勝の邪見を説いたからなのです。

【後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそ、】
その後に、この邪見をひるがえして法華経に帰伏してこそ、

【このせめをば脱〔のが〕れさせ給ひしか。】
閻魔大王の叱責を免れる事が出来たのです。

【其の後、善無畏・不空〔ふくう〕等、】
その後、善無畏や不空などの真言宗の創始者は、金剛界、胎蔵界の曼荼羅の中心に

【法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし、】
法華経を安置して、法華経を大王のごとく、

【胎蔵〔たいぞう〕の大日経・金剛頂経をば左右の臣下のごとくせしこれなり。】
胎蔵の大日経と金剛の金剛頂経をば、左右の臣下のようにしたのもこの為なのです。

【日本の弘法も、教相の時は華厳宗に心をよせて、】
日本の弘法も、理論上は、華厳宗を上に置き、

【法華経をば第八にをきしかども、事相の時、実慧〔じって〕・】
法華経を第八番目としたけれども、実際には、その弟子の実慧や

【真雅〔しんが〕・円澄〔えんちょう〕・】
真雅、円澄、

【光定〔こうじょう〕等の人々に伝へ給ひし時、両界の中央に】
光定などに伝える時、両界の中央に

【上のごとくをかれたり。】
法華経を安置せよとあり、内心では法華に帰伏しているのではないでしょうか。

【例せば、三論の嘉祥〔かじょう〕は法華玄十巻に、】
たとえば三論宗の嘉祥は、法華玄論の十巻に、

【法華経を第四時】
法華経を般若経より劣る第四番目の時の説で

【「会二破二〔えにはに〕」と定むれども、】
しかも「二乗を破る為に一仏乗を説いた方便であると」定め、

【天台に帰伏して七年つかへ】
そののちに自説の誤りに気付き、天台に帰伏して

【「廃講散衆〔はいこうさんしゅう〕、】
「信者を放ち講を解散して、自ら天台の代わりに講義」して、

【身為肉橋〔しんいにくきょう〕」となせり。】
七年の間、仕えたとあります。

【法相の慈恩は法苑林〔ほうおんりん〕七巻十二巻に】
また法相宗の慈恩は、法苑林の七巻と十二巻に

【「一乗方便・三乗真実」等の】
「一仏乗の経は方便であり、三乗の経が真実である」と

【妄言〔もうげん〕多し。しかれども玄賛〔げんさん〕の第四には
妄言ばかりを繰り返しているのですが、その弟子は、法華玄賛要集の第四巻で

【「故亦両存〔こやくりょうぞん〕」等と】
「故にまた両存す」と

【我が宗を不定〔ふじょう〕になせり。】
一仏乗も真実だと言い出し、この法相宗の主張も好い加減なものなのです。

【言は両方なれども】
これは、言葉の上では、両方を認めた形であっても、

【心は天台に帰伏せり。華厳の澄観は華厳の疏を造りて、】
心は天台に帰伏していたのです。華厳宗の澄観は、華厳の疏をつくり、

【華厳・法華相対して、法華を方便とかけるに似たれども】
華厳と法華を相対して、法華経は方便であると書いているようでは、ありますが

【「彼の宗、之れを以て実と為す、】
「天台宗は実義であり、

【此の宗の立義〔りゅうぎ〕理通ぜざること無し」等と】
我が宗の立義とその理論が通じないところはなく同一である」などと

【かけるは悔〔く〕い還〔かえ〕すにあらずや。弘法も又かくのごとし。】
言い訳しているのは、後悔している証拠なのです。弘法もまた同じ、

【亀鏡〔ききょう〕なければ我が面〔おもて〕をみず。】
明鏡がなければ自分の顔を見る事が出来ないように、

【敵なければ我が非をしらず。】
敵がいなければ自分の謗法を知る事が出来ないのです。

【真言等の諸宗の学者等、我が非をしらざりし程に、】
真言宗の諸宗の学者などは、自分の謗法を知らなかったのですが、

【伝教大師にあひたてまつて自宗の失〔とが〕をしるなるべし。】
伝教大師に会ってから、自分の宗派の間違いを知ったのです。

【されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は、】
そうであれば、諸経の中のすべての諸仏、菩薩、人天などは、

【彼々の経々にして仏にならせ給ふやうなれども、】
それぞれの爾前経で成仏したようではあっても、

【実には法華経にして正覚なり給へり。】
真実は、法華経で成仏したのです。

【釈迦・諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す。】
釈尊など諸仏が菩薩行の時に立てた「すべての衆生を助ける」との

【今者已満足〔こんじゃいまんぞく〕の文これなり。】
誓願は「すべてこの法華経によって満足した」と言われているのです。

【予、事の由ををし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば、】
日蓮がこの道理によって考えると、華厳、観経、大日経など爾前経を修行する人を、

【その経々の仏・菩薩・天等守護し給ふらん。疑ひあるべからず。】
その経の仏も菩薩も天人も守護するのは間違いない事でしょう。

【但し大日経・観経等をよむ行者等、】
ただし、爾前経である大日経、観経を読む念仏や真言の行者が、

【法華経の行者に敵対をなさば、】
法華経の行者に敵対するならば、

【彼の行者をすてゝ法華経の行者を守護すべし。】
彼らを捨てて法華経の行者を守護すべきでしょう。

【例せば、孝子、慈父の王敵となれば、】
たとえ、孝行の者でも、父が王の敵であるならば、

【父をすてゝ王にまいる。孝の至りなり。】
父を捨てて王の元に集まるのが孝行の至極の姿であり、

【仏法も又かくのごとし。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹〔らせつ〕、】
仏法もまたこの通りなのです。法華経の諸仏、菩薩、十羅刹が、

【日蓮を守護し給ふ上、】
日蓮を守護するのは、当然の事であり、

【浄土宗の六方の諸仏、二十五の菩薩、】
なおその上に浄土宗の六方から集まってきた諸仏、二十五の菩薩、

【真言宗の千二百等、七宗の諸尊、】
真言宗の千二百など、七宗の諸尊、

【守護の善神、日蓮を守護し給ふべし。】
守護の善神がすべて日蓮を守護しなければならないのです。

【例せば、七宗の守護神、】
それは、かつて七宗の守護神が、

【伝教大師をまぼ〔守〕り給ひしがごとしとをもふ。】
伝教大師を守護したのと同じではないのかと思うのです。

【日蓮案じて云はく、法華経の二処三会〔にしょさんね〕の座に】
日蓮が思うに、法華経の二処三会の大会に

【ましましゝ日月等の諸天は、法華経の行者出来せば、】
つらなっていた大日天、大月天などの諸天は、法華経の行者が出現したならば、

【磁石の鉄を吸ふがごとく、月の水に遷〔うつ〕るがごとく、】
磁石が鉄につくように、月の影がすぐに水に映るように、

【須臾〔しゅゆ〕に来たって行者に代はり、】
ただちに現れて法華経の行者の代わりに難を受け、

【仏前の御誓ひをはたさせ給ふべしとこそをぼへ候に、】
仏前の誓いを守るべきであると思うのですが、

【いまゝで日蓮をとぶらひ給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。】
いままで日蓮を守らないのは、日蓮が法華経の行者ではないからなのでしょうか。

【されば重ねて経文を勘へて】
そうであれば、もう一度、経文を読んで、

【我が身にあてゝ身の失〔とが〕をしるべし。】
我が身にあてはめてみて日蓮が法華経の行者でない事を調べてみるしかありません。

【疑って云はく、当世の念仏宗・禅宗等をば、何〔いか〕なる智眼をもって】
疑問に思うのは、現在の念仏宗や禅宗などを、どのような理由によって

【法華経の敵人、一切衆生の悪知識とはしるべきや。】
法華経の敵とし、すべての衆生を不幸にする根源と断定できるのでしょうか。

【答へて云はく、私の言を出だすべからず。経釈の明鏡を出だして】
とりあえず私の意見は、控えるとして、経文を正しく解釈して、それを明鏡とし、

【謗法の醜面〔しゅうめん〕をうかべ、其の失をみせしめん。】
謗法者の醜い心を浮かび上がらせ、その罪状をあげてみましょう。

【生盲〔いきめくら〕は力をよばず。】
ただし、謗法に染まり、心が犯された者には、それは無理と言うものです。

【法華経の第四宝塔品に云はく「爾〔そ〕の時に多宝仏、】
法華経の第四宝塔品には「その時に多宝仏は、

【宝塔の中に於て半座を分かち、釈迦牟尼仏に与ふ〇】
宝塔の中において席を譲って釈迦牟尼仏に与えました。

【爾の時に大衆、二如来の七宝の塔中の師子の座の上に】
集会の大衆は、釈迦と多宝の二人の仏が七宝の塔の中で師子の座と云う場所に

【在〔ましま〕して、結跏趺坐〔けっかふざ〕したまふを見たてまつる〇】
並んで座っているのを見たのです。

【大音声〔おんじょう〕を以て普く四衆に告げたまはく、】
その時に釈迦は、大きな声をあげて、すべての人々にこのように告げられました。

【誰か能く此の娑婆〔しゃば〕国土に於て、広く妙法華経を説かん。】
この中で誰か娑婆国土で広く妙法華経を説く事が出来ますか。

【今正しく是〔これ〕時なり。】
今こそ、その誓いをするべき時なのです。

【如来久しからずして当に涅槃〔ねはん〕に入るべし。】
わたしは、もうすぐこの世を去ります。

【仏、此の妙法華経を以て、】
私は、この妙法蓮華経を誰かに付属して、

【付属して在ること有らしめんと欲す」等云云。】
仏滅後にこの正法の長く流布する事を求めているのです」と説かれているのです。

【第一の勅宣〔ちょくせん〕なり。】
これが、第一の仏の意志、勅命なのです。

【又云はく「爾〔そ〕の時に世尊、】
また同じく宝塔品には、「その時に、釈迦如来は、

【重ねて此の義を宣べんと欲して、偈〔げ〕を説いて言〔のたま〕はく、】
重ねてこの意義を述べようと思い詩を唱えられました。

【聖主世尊久しく滅度したまふと雖も、】
多宝如来は、遠い昔に滅度されているのに、今、釈迦如来が法華経を説かれるので、

【宝塔の中に在〔ましま〕して、尚、法の為に来りたまへり。】
わざわざ来られて宝塔の中に座っておられるのです。

【諸人云何〔いかん〕ぞ勤めて法の為にせざらん〇】
皆さんは、どうして自らすすんで名乗り出ようとしないのですか。

【又我が分身〔ふんじん〕、無量の諸仏、】
また、ここに川の砂のように多くの諸仏が来ているのも、

【恒沙〔ごうしゃ〕等の如く来たれるは、法を聴かんと欲す〇】
すべてこの妙法を聞いて、未来の弘通をすすめる為なのです。

【各妙なる土、及び弟子衆・】
これらの諸仏は、その素晴らしい国土や弟子、

【天人・竜神、諸の供養の事〔じ〕を捨てゝ、】
天人、竜神などの多くの供養を捨てて、

【法をして久しく住せしめんが故に、此に来至〔らいし〕したまへり〇】
この法華経を弘める為にこの娑婆世界に来ているのです。

【譬へば、大風の小樹の枝を吹くが如し。】
たとえば大風が小枝を揺らすように、

【是の方便を以て、法をして久しく住せしむ。】
この方便によって法華経を未来永遠に流布しようとしているのです。

【諸の大衆に告ぐ、我が滅度の後に、誰か能く】
皆さんに告げます。誰か仏の滅度に

【此の経を護持し読誦〔どくじゅ〕せん。】
この経を護持し読誦する事が出来ますか。

【今、仏前に於て自ら誓言を説け」と。】
今、この仏の前で自ら誓いの言葉を述べなさい」と言われたのです。

【第二の鳳詔〔ほうしょう〕なり。】
これが、第二の仏の意志、勅命なのです。

【「多宝如来、及び我が身、】
またこのように言われています。「多宝如来および分身の諸仏は、

【集むる所の化仏〔けぶつ〕、当に此の意を知るべし〇】
最初から仏滅後に弘通する意味を知っているのです。

【諸の善男子、各諦〔あきら〕かに思惟せよ。】
紳士諸君、それぞれ深く想像してみてください。

【此は為〔こ〕れ難事なり。宜しく大願を発〔お〕こすべし。】
これは大変に難しい事なのです。こうなったら覚悟を決めなさい。

【諸余の経典、数恒沙〔ごうしゃ〕の如し。】
法華経以外の多くの川の砂ほどある経典を

【此等を説くと雖も、未だ難〔かた〕しと為〔な〕すに足〔た〕らず。】
理解し説く事はさほど難しくはないのです。

【若し須弥〔しゅみ〕を接〔と〕って他方の無数〔むしゅ〕の】
須弥山を持ち上げて、無数の

【仏土に擲〔な〕げ置かんも、亦未だ難〔かた〕し為〔せ〕ず〇】
国土の向こう側に投げる事もそれほど難しい事ではないのです。

【若し仏の滅後に、悪世の中に於て能く】
しかし、仏の滅後の悪世の中で、

【此の経を説かん、是れ則ち難〔かた〕しとす〇】
この法華経を説く事は、非常に難しい事なのです。

【仮使〔たとい〕劫焼〔こうしょう〕に、】
たとえ、この世界が焼き尽くされるような炎の中で、

【乾ける草を担〔にな〕ひ負って、中に入って焼けざらんも、】
枯れ草を背負った人がまったく焼けない事があったとしても、

【亦未だ難〔かた〕しと為〔せ〕ず。我が滅度の後に、若し此の経を持ちて、】
それもまだ難しい事ではないのです。仏滅後に、もし法華経を理解し、

【一人の為にも説かん、是則ち難しとす〇】
一人にだけでも法華経を説く事は、難事中の難事なのです。

【諸の善男子、我が滅後に於て、誰か能く、此の経を護持し読誦せん、】
紳士諸君、誰か仏の滅度にこの経を護持し読誦する事が出来ますか。

【今仏前に於て自ら誓言を説け」等云云。】
今、この仏前で自ら誓いの言葉を述べなさい」と言われたのです。

【第三の諌勅〔かんちょく〕なり。】
これが、第三の仏の意志、勅命なのです。

【第四、第五の二箇〔か〕の諌暁〔かんぎょう〕、】
第四、第五の二箇の仏の意志、勅命は、

【提婆品にあり、下〔しも〕にか〔書〕くべし。】
提婆品にあり、次第に追って述べていきます。

【此の経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸〔か〕かれるがごとし。】
この宝塔品の心は、探し物が目の前にあるように、青空に太陽が輝いているように、

【白面に黶〔ほくろ〕のあるににたり。】
また白い顔にほくろがあるように明々白々であるのです。

【而れども生盲〔いきめくら〕の者と、邪眼の者と、】
しかし、そうであっても、まったく常識がない者、

【一眼のものと、各謂自師〔かくいじし〕の者、】
ただの自己満足の者、

【辺執家〔へんしゅうけ〕の者はみがたし。】
偏った思想に執着する者には、この明らかな事実すら見えないのです。

【万難をすてゝ】
ただ、どんなに困難な状態においても

【道心あらん者にしるしとゞめてみせん。】
真実の仏法を求める者だけにそれを教えようと思うのです。

【西王母〔せいおうぼ〕がその〔園〕ゝもゝ〔桃〕、輪王出世の】
中国の伝説上の女神西王母の桃園の三千年に一度なる実や、輪王の出世によって

【優曇華〔うどんげ)よりもあいがたく、】
三千年に一度、海中に咲くといわれる優曇華の花よりも、合い難く、

【沛公〔はいこう〕が項羽〔こうう〕と八年漢土をあらそいし、】
また沛公と項羽が八年にわたって中国で戦った時よりも、

【頼朝〔よりとも〕と宗盛〔むねもり〕が】
頼朝と宗盛が

【七年秋津島〔あきつしま)にたゝかひし、】
七年にわたって日本の国を争った時よりも、

【修羅〔しゅら〕と帝釈と、金翅鳥〔こんじちょう〕と】
修羅と帝釈の戦い、金翅鳥と

【竜王と阿耨池〔あのくち〕に諍〔あらそ〕へるも、】
竜王が阿耨池で戦った時よりも、

【此にはすぐべからずとしるべし。】
日蓮と諸宗とは、さらに激しい闘争である事を知るべきです。

【日本国に此の法顕〔あら〕はるゝこと】
日本国において、この法華経が正しくその意義を現されたのは、

【二度なり。伝教大師と日蓮となりとしれ。】
わずか二度だけであり、それが出来たのは、伝教大師と日蓮の二人だけなのです。

【無眼のものは疑ふべし、】
智慧がない者は、この事を疑うでしょうが、

【力及ぶべからず。】
それらの者の智慧の及ぶところではないのです。

【此の経文は日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を、】
この経文は、日本、中国、インド、竜宮、天上、十方世界のすべての経を、

【釈迦・多宝・十方の仏、来集して定め給うなるべし。】
釈迦、多宝、十方の仏が集まって、最高であると決められたのです。

【問うて云はく、華厳経・方等経・般若〔はんにゃ〕経・】
それでは、質問しますが、華厳経、方等経、般若経、

【深密〔じんみつ〕経・楞伽〔りょうが〕経・】
深密経、楞伽経、

【大日経・涅槃〔ねはん〕経等は、九易〔い〕の内か六難の内か。】
大日経、涅槃経などは、九易、あるいは六難に入るのでしょうか。

【答へて云はく、華厳宗の杜順〔とじゅん〕・智儼〔ちごん〕・法蔵・】
それに答えると、華厳宗の杜順、智儼、法蔵、

【澄観〔ちょうかん〕等の三蔵大師読んで云はく】
澄観などの三蔵大師たちは、法華経を読んで

【「華厳経と法華経と六難の内、】
「華厳経と法華経は、六難の内で名は別々であるが、

【名は二経なれども、所説乃至理これ同じ。四門観別、】
所説と結論は、同じなのである。例えば四つの修行うち何を極めたとしても

【見真諦同のごとし」と。】
悟りの真実は一つである」とこのように言いました。

【法相の玄奘〔げんじょう〕三蔵・慈恩大師等読んで云はく】
法相宗の玄奘三蔵や慈恩大師などは、法華経を読んで

【「深密経と法華経とは同じく唯識〔ゆいしき〕の法門にして】
「深密経と法華経とは同じ万法唯識の法門であり、

【第三時の教、六難の内なり」と。】
第三番目の時の教であって、六難の中に入る」とこのように言いました。

【三論の吉蔵〔きちぞう〕等読んで云はく】
三論宗の吉蔵等が法華経を読んで

【「般若経と法華経とは名異体同〔みょういたいどう〕、】
「般若経と法華経とは、名は異なれども中身はひとつで、

【二経一法なり」と。善無畏〔ぜんむい〕三蔵・金剛智〔こんごうち〕三蔵・】
二経が一箇の法門である」とこのように言いました。善無畏三蔵、金剛智三蔵、

【不空〔ふくう〕三蔵等読んで云はく「大日経と法華経とは理同〔りどう〕、】
不空三蔵などは、法華経を読んで、「大日経と法華経とは、理論が同じで、

【をなじく六難の内の経なり」と。】
同じく六難のうちの経文である」とこのように言いました。

【日本の弘法読んで云はく「大日経は六難九易の内にあらず。】
日本の弘法は、法華経を読んで「大日経は六難九易ではなく、

【大日経は釈迦所説の一切経の外、法身大日如来の所説なり」と。】
大日経は、釈迦の説法以外の法身仏である大日如来の説法である」と言いました。

【又或人云はく「華厳経は報身如来の所説、】
また、ある人が言うのには、「華厳経は報身如来の所説であり、

【六難九易の内にはあらず」と。】
六難九易のうちに入らない」とこのように言いました。

【此の四宗の元祖等かやうに読みければ、】
この四つの宗派の元祖がこのように法華経を読んでいるから、

【其の流れをくむ数千の学徒等も、又此の見〔けん〕をいでず。】
その流れをくむ数千の学徒もまた、すべてこの見解の範囲を出ていないのです。

【日蓮なげいて云はく、】
このような各宗派の誤まれる主張を見て、日蓮は、嘆かわしく思います。

【上の諸人の義を左右〔さう〕なく非なりといわば、】
これらの人々の主張をことごとく邪智謗法であると言ったならば、

【当世の諸人面〔おもて〕を向くべからず。】
現在の人々は、聞き入れないどころか、顔さえ合わせようとはせず、

【非に非をかさね、結句〔けっく〕は】
ますます、強盛になり、結局は、

【国王に讒奏〔ざんそう〕して命に及ぶべし。】
国主に言い付けて日蓮の首を討ち取ろうとする事でしょう。

【但し我等が慈父〔じふ〕、】
しかし、私達の父とも言える釈迦如来の遺言には、

【雙林〔そうりん〕最後の御遺言に云はく】
仏が説かれた経文の理論によって正邪を決め、

【「法に依って人に依らざれ」等云云。】
人師や論師を基準にすべきでないと説かれています。

【不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。】
人に依らざれとは、人より法、語より義、識より智、不了義経より了義経の内、

【普賢〔ふげん〕・文殊〔もんじゅ〕等の等覚〔とうがく〕の菩薩、】
「人」とは、普賢菩薩や文殊師利菩薩などの等覚の菩薩の事で、

【法門を説き給ふとも経を手ににぎらざらんをば用〔もち〕ゆべからず。】
経の内容で説明が出来ないのであれば、これを用いてはならないとの意味なのです。

【「了義経に依って不了義経に依らざれ」と定めて、】
また「了義経に依って不了義経に依ってはならない」と言うのは、

【経の中にも了義・不了義経を糾明〔きゅうめい〕して信受すべきこそ候ひぬれ。】
経文には、それぞれに相対性や対称性がある事を知って理解すべきと云う事です。

【竜樹菩薩の十住毘婆沙〔びばしゃ〕論に云はく「修多羅に依らざるは黒論なり、】
竜樹菩薩の十住毘婆沙論には、「真実の経法に依らない邪論に依ってはならない。

【修多羅に依るは白論なり」等云云。】
真実の経法を本とした正論に依るべきである」と書かれています。

【天台大師云はく「修多羅〔しゅたら〕と合ふ者は録して之を用〔もち〕ひ、】
天台大師は、「真実の経法と合致する内容のみ用いて、

【文無く義無きは信受すべからず」等云云。】
経文もなく意義もないものは信用してはならない」と説かれています。

【伝教大師云はく「仏説に依憑〔えひょう〕して】
伝教大師は、「仏説に準拠して修行し、

【口伝を信ずること莫〔なか〕れ」等云云。】
口伝を信じてはならない」と説かれています。

【円珍〔えんちん〕智証大師云はく「文に依って伝ふべし」等云云。】
円珍智証大師は、「文に依って伝えるべきである」と説かれています。

【上にあぐるところの諸師の釈、】
上にあげた華厳宗、法相宗、三論宗、真言宗の諸師は、

【皆一分一分、経論に依って勝劣を弁〔わきま〕ふやうなれども、】
みんな一分は経論に依って正邪をわきまえているようですが、

【皆、自宗を堅く信受し、】
みんな、自らの宗派を盲目的に信用して、

【先師の謬義〔みょうぎ〕をたゞさゞるゆへに】
先師の誤りをまったく認めようとしないから、

【曲会〔きょくえ〕私情〔しじょう〕の勝劣なり。】
仏法を曲解し私情で決めただけの優劣であり、

【荘厳己義〔しょうごんこぎ〕の法門なり。】
かってな理屈で自らを飾りたてるだけの法門なのです。

【仏滅後の犢子〔とくし〕・方広〔ほうこう〕、後漢已後の外典は、】
仏滅後の犢子や方広は、附仏法の外道として仏法を破り、後漢以後、

【仏法外の外道の見〔けん〕よりも、】
仏法が中国へ渡ってからの外典は、仏法外の外道の見解よりも、

【三皇五帝の儒書よりも邪見強盛なり、邪法巧〔たく〕みなり。】
三皇五帝の時の儒書よりも、邪見が強盛であり、邪法が巧みになったのです。

【華厳・法相・真言等の人師、天台宗の正義を嫉〔ねた〕むゆへに、】
これと同様に、華厳、法相、真言など人師は天台宗の正義をねたみ、

【実経の文を会〔え〕して権義に順ぜしむること強盛なり。】
法華経の文を自らの信じる経の奥義を現しているとする邪見が強盛なのです。

【しかれども道心あらん人、偏党をすて】
しかし、真実の仏法を求める人は、そのような偏頗な考えを捨てて、

【自他宗をあらそ〔諍〕わず人をあな〔蔑〕づる事なかれ。】
自宗だ他宗だと争う事なく、人を軽蔑するような事はしてはならないのです。


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