御書研鑚の集い 御書研鑽資料
開目抄 11 経文の勝劣について
【法華経に云はく「已今当〔いこんとう〕」等云云。】
法華経には「過去(すでに)、現在(今)、未来(まさに)」と説かれています。
【妙楽云はく「縦〔たと〕ひ経有って諸経の王と云ふとも、】
妙楽大師は「たとえば、ある経文に諸経の王であると書かれていたとしても、
【已今当説最為第一と云はず」等云云。】
過去、現在、未来において第一とは、書いてありません」とあります。
【又云はく「已今当の妙、□〔ここ〕に於て固く迷ふ。】
また「過去、現在、未来の中で第一は、法華経であるのに、この事を頑迷に否定し、
【謗法の罪苦長劫に流る」等云云。】
その謗法の罪によって、長く苦しむ」と書かれています。
【此の経釈におどろいて、一切経並びに人師の疏釈〔しょしゃく〕を見るに、】
この経文の解釈を肝に銘じ、経文や人師の解釈を読むと、
【狐疑〔こぎ〕の氷とけぬ。】
初めて、そのすべての疑問が解けるのです。
【今真言の愚者等、印・真言のあるをたのみて、】
現在、真言の愚か者が、手に指を組み合わせる印と梵語で唱える真言を頼りにして、
【真言宗は法華経にすぐれたりとをもひ、】
真言宗は法華経より優れていると思い、
【慈覚大師等の真言勝れたりとをほ〔仰〕せられぬれば、】
慈覚大師などが、真言は、優れていると経文に書いてあるから、
【なんどをも〔思〕えるはいうにかいなき事なり。】
間違いないだろうと思うのは、実に自分勝手な思い込みで根拠のない事なのです。
【密厳〔みつごん〕経に云はく「十地華厳等、大樹と神通・】
密厳経には「華厳経十地品、大樹緊那羅所問経、神通経、
【勝鬘〔しょうまん〕及び余経と、皆此の経より出〔い〕でたり。】
勝鬘経、及びその他の経は、すべてこの密厳経より出ている。
【是くの如きの密厳経は、一切経の中に】
この密厳経は、すべての経文の中で
【勝れたり」等云云。】
一番、優れている経である」と書いてあります。
【大雲経に云はく「是の経は即ち是諸経の転輪聖王〔てんりんじょうおう〕なり。】
大雲経には「この大雲経は、ようするに諸経の転輪聖王なのである。
【何を以ての故に。是の経典の中に衆生の実性、】
なぜならば、この大雲経の中には、衆生の真実の性質である
【仏性常住の法蔵を宣説する故なり」等云云。】
仏性の常住を説いているからなのです」と書かれています。
【六波羅蜜〔はらみつ〕経に云はく】
また六波羅蜜経には
【「所謂〔いわゆる〕、過去無量の諸仏所説の正法、】
「過去の無量の諸仏が説いた正法、
【及び我今説く所の所謂八万四千の諸の妙法蘊〔うん〕なり、】
そして今、説いている妙法の隠された八万四千の経文、そのすべての経文を、
【摂〔しょう〕して五分と為す。】
これを分けて五つにすると、
【一には素咀纜〔そたらん〕、二には毘奈耶〔びなや〕、】
一には経蔵(経文)、二には律蔵(戒律)、
【三には阿毘達磨〔あびだるま〕、】
三には論蔵〔論理)、
【四には般若波羅蜜〔はんにゃはらみつ〕、五には陀羅尼門〔だらにもん〕。】
四には慧蔵(智慧)、五には秘密蔵(密教)となります。
【此の五種の蔵をもって有情を教化す。】
この五種類の蔵によって、すべての心が有る者に仏教を教えるのです。
【若し彼の有情、】
もし、その心が有る者が仏法に疎く、
【契〔かい〕経・調伏・対法・般若を】
契経(経文)、調伏(戒律)、対法(論理)、般若(智慧)を
【受持すること能〔あた〕はず。】
受持する事が出来ないで、
【或は復有情、諸の悪業四重・八重・五無間罪・】
あるいは、また心の有る者が、悪業である四重罪、八重罪、五逆罪、
【方等経を謗ずる一闡提〔いっせんだい〕等の】
また大乗経を誹謗する
【種々の重罪を造るに、銷滅〔しょうめつ〕して】
重罪などを作ったとしても、この重罪を消滅させ、
【速疾〔そくしつ〕に解脱〔げだつ〕し、】
速やかに煩悩を解き、
【頓に涅槃〔ねはん〕を悟ることを得せしめ、】
悟らせる為に、
【而も彼が為に諸の陀羅尼〔だらに〕蔵を説く。】
陀羅尼蔵(密教)を説くのです。
【此の五の法蔵は、譬へば乳〔にゅう〕・酪〔らく〕・生蘇〔しょうそ〕・】
この五の法蔵は、たとえて言えば、乳味(経文)、酪味(戒律)、生蘇味(論理)、
【熟蘇〔じゅくそ〕・及び妙なる醍醐〔だいご〕の如し。】
熟蘇味(智慧)、そして醍醐味(密教)のようなものなのです。
【総持門とは譬へば醍醐〔だいご〕の如し。】
総持門(密教)とは、醍醐味のようなものです。
【醍醐〔だいご〕の味は乳〔にゅう〕・酪〔らく〕・蘇〔そ〕の中に】
醍醐(密教)の味(功徳)は、乳(経文)、酪(戒律)、蘇(論理)の中で
【微妙〔みみょう〕第一にして能く諸の病を除き、】
その素晴らしさは、第一であり、多くの衆生の病を除き、
【諸の有情をして身心安楽ならしむ。】
多くの衆生の身心を安楽にするのです。
【総持門とは契〔かい〕経等の中に最も第一と為す。】
総持門(密教)とは、大乗経の中で第一であり、
【能く重罪を除く」等云云。解深密〔げじんみつ〕経に云はく】
衆生の重罪を滅する事が出来るのす」と説かれています。また解深密経には
【「爾〔そ〕の時に勝義生〔しょうぎしょう〕菩薩、】
「その時に勝義生菩薩が、
【復仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、世尊、初め一時に於て、】
仏に言われました。釈迦牟尼世尊よ、世尊は、その昔、初めて成道した時に、
【波羅□斯〔はらなっし〕・仙人堕処〔せんにんだしょ〕・】
波羅奈〔はらな〕国の
【施鹿林〔せろくりん〕の中に在〔ましま〕して、】
鹿野苑〔ろくやおん〕の中で、
【唯〔ただ〕声聞乗を発趣〔ほっしゅ〕せん者の為に】
ただ、声聞の修行をする者の為に苦諦、集諦、滅諦、道諦の
【四諦の相を以て正法輪を転じたまひき。】
四諦の小乗経を説かれました。
【是甚〔はなは〕だ奇にして、甚だ希有〔けう〕と為すと。】
これは、非常に稀有な事であって、
【一切世間の諸の天人等、】
すべての天人は、
【先より能く法の如く転ずる者有ること無しと雖も、】
今まで誰も、このような素晴らしい法門を聞く者はいなかったのですが、
【而も彼の時に於て転じたまふ所の法輪は、】
しかし、その時に説かれた法門より、
【有〔う〕上なり有容〔うよう〕なり、】
さらにそれ以上の法門があり、
【是れ未了義〔みりょうぎ〕なり、】
仏の真実の法門を説き明かしたものではなかったのです。
【是諸の諍論〔じょうろん〕安足の処所〔ところ〕なり。】
それゆえに、この経文には、多くの疑問が残される結果となったのです。
【世尊、在昔〔むかし〕第二時の中に、唯発趣して大乗を修する者の為に、】
ついで世尊は、第二の時に、ただ大乗経を修行する者の為に、
【一切の法は皆無自性・無性無滅・】
すべての法は、皆、自我を認めず、生じる事も滅する事もなく、
【本来寂静〔じゃくじょう〕にして、自性涅槃なるに依り、】
本来、変化しないものであるとして、自我がそのまま涅槃である故に、仏の内証は、
【隠密〔おんみつ〕の相を以て正法輪を転じたまひき。】
隠して秘密にしている事を説き明かされているのです。
【更に甚だ奇にして、甚だこれ希有なりと雖も、】
これは、非常に稀有な事であって、
【而も彼の時に於て転じたまふ所の法輪、亦是〔これ〕有上なり、】
しかも、これもまたさらに上の法が有り、
【容受する所有り。】
まだ説くべきものが残っているのです。
【猶〔なお〕未だ了義ならず、】
未だに最終的なほんとうの意味は、説き明かされなかった為に、
【是れ諸の諍論〔じょうろん〕安足の処所〔ところ〕なり。】
疑問が多く残されていたのです。
【世尊、今第三時の中に於て、普く一切乗を発趣する者の為に、】
釈迦牟尼世尊よ、第三時の中に、仏法を求める者の為に、
【一切の法は皆無自性・無生無滅・】
すべての法は、みんな自我を認めず、生じる事も滅する事もなく、
【本来寂静〔じゃくじょう〕・自性涅槃にして、】
本来、変化しないものであるとして、自我がそのまま涅槃である故に、
【無自性の性なるに依り、顕了の相を以て正法輪を転じたまふ。】
自我そのものが無いと言う事にして、正しい法門として説き明かしたのです。
【第一甚だ奇にして、最も希有〔けう〕と為すと。】
これこそ、非常に稀有な事であって、
【今に、世尊転じたまふ所の法輪は】
いま世尊が解き明かされる法門は、
【無上無容にして是真の了義なり。】
これ以上のものがなく、これこそ真実の最終的な教義なのです。
【諸の諍論安足の処所〔ところ〕に非ず」等云云。】
これこそ、まったく疑問の余地がない教義なのです」と説かれているのです。
【大般若経に云はく「聴聞する所の世〔せ〕・出世の法に随って、】
大般若経には「聞き及んだ世間の法と仏教の法にしたがって、
【皆能く方便して般若甚深の理趣に会入〔えにゅう〕し、】
みんなが方便によって菩薩の甚深の智慧による見識を修得し、
【諸の造作する所の世間の事業も亦般若を以て法性に会入し、】
すべての行為や世間で行われる事業は、智慧によって法性の一部分であると修得し、
【一事として法性を出ずる者を見ず」等云云。大日経第一に云はく】
一つとして法性の外に出るものはない」と説かれています。大日経第一には
【「秘密主、大乗行あり、】
「真言の第二祖、金剛薩□〔こんごうさった〕よ、ここに菩薩の修行があり、
【無縁乗の心を発こす。】
法に捕われる事がない心があります。
【法に我性無し。何を以ての故に。】
すべての法は、自我が無いと説いており、なぜ自我が無いとするのかと言うと、
【彼の往昔〔むかし〕是くの如く修行せし者の如く、】
それは、過去に修行した者が、
【蘊〔うん〕の阿頼耶〔あらや〕を観察して】
凡夫の生命の阿頼耶識〔あらやしき〕の中を観察して、
【自性幻の如しと知る」等云云。】
その自我の原因が幻のようなものと知ったからです」と説かれています。
【又云はく「秘密主、彼是くの如く無我を捨て、心主自在にして自心の】
また「金剛薩□よ、このように無我を捨てて、心の主体を自由にして、自我の心は、
【本不生を覚す」等云云。】
本来、生滅しないと悟ったのです」と説かれています。
【又云はく「所謂〔いわゆる〕、空性は根境を離れ、】
また「いわゆる空性とは、自分の六根や六境などを離れて、
【無相にして境界無く、】
その実態は、無相であって境界はないなどと、
【諸の戯論〔けろん〕に越えて虚空〔こくう〕に等同なり。】
多くの間違いを重ねて、虚構に等しい。
【乃至、極無自性」等云云。】
また、法界の事象には、自分と云う概念が存在しないと言う」と説かれています。
【又云はく「大日尊、秘密主〔ひみつしゅ〕に告げて言はく、】
また「大日如来が金剛薩□に告げました。
【秘密主、云何〔いか〕なるか菩提。謂はく】
金剛薩□よ、悟りとはなにかと言えば、
【実の如く自心を知る」等云云。】
ありのまま自分の心を知る事である」と説かれています。
【華厳経に云はく「一切世界の諸の群生〔ぐんじょう〕、】
華厳経には、「すべての世界の多くの衆生の中で、仏道には入り、
【声聞道を求めんと欲すること有ること尠〔すくな〕し。】
声聞になろうする者は少ない。
【縁覚を求むる者転〔うたた〕復少なし。】
まして縁覚になろうと云う者はさらに少ない。
【大乗を求むる者甚〔はなは〕だ希有〔けう〕なり。】
大乗仏教を求める者は、はなはだ稀であり、極少数の人々である。
【大乗を求むる者、猶〔なお〕易〔やす〕しと為〔な〕し、】
しかしながら、大乗を求める事は、優しい事であって、
【能く是の法を信ずること甚だ難〔かた〕しと為す。】
この経を信ずる事は、すごく難しい事である。
【況んや能く受持し、正憶念〔しょうおくねん〕し、】
さらに、この経を受持し、正しく信仰し、
【説の如く修行し、真実に解せんをや。】
説のように修行し、真実の意義を理解する事は困難な事です。
【若〔も〕し三千大千界を以て頂戴〔ちょうだい〕すること一劫、】
もし三千大千界を頭の上に乗せて一劫もの長い間、
【身動ぜざらんも彼の所作〔しょさ〕未だ難しと為す。】
微動だにしないとしても、このような事は、優しい事であり、
【是の法を信ずる者を甚だ難しと為〔な〕す。】
この法を信ずる事は、それ以上に困難な事なのです。
【大千塵数〔じんじゅ〕の衆生の類に、】
また大千世界を微塵にしたほどの数多くの衆生に対して、
【一劫、諸の楽具〔がくぐ〕を供養するも、】
一劫の間、多くの娯楽を供養するとしても
【彼の功徳未だ勝ると為〔せ〕ず。】
その功徳は、それほど優れたものではない。
【是の法を信ずる者を殊勝と為〔な〕す。】
この法を信ずるのは、それ以上に莫大な功徳となるのである。
【若し掌〔たなごころ〕を以て十仏刹〔ぶっせつ〕を持し、】
もし、手のひらで十の仏国土を持ち上げ、
【虚空〔こくう〕の中に於て住すること一劫なるも、】
空間に一劫の間、置く事が出来たとしても、
【彼の所作未だ難〔かた〕しと為〔せ〕ず。】
それは、それほど困難な事ではないが、
【是の法を信ずる者を甚だ難しと為〔な〕す。】
この法を信ずる事は、極めて難しい事である。
【十仏刹塵の衆生の類に、一劫、】
また、十の仏国土を微塵にしたほどの沢山の衆生に一劫の間、
【諸の楽具〔がくぐ〕を供養せんも、彼の功徳未だ勝れりと為〔な〕さず。】
多くの娯楽を供養するよりも、その功徳は未だ優れているとはならない。
【是の法を信ずる者を殊勝と為す。】
この法を信ずる功徳は、まさにそれ以上なのです。
【十仏刹塵数の諸の如来を、】
また、十の仏国土を微塵にしたほどの多くの如来を、
【一劫、恭敬〔くぎょう〕して供養せん。】
一劫の間、敬い供養したとしても、
【若し、能く此の品を受持せん者の功徳、】
この品を受持する者の功徳は、
【彼於〔より〕も最勝と為す」等云云。】
それよりずっと優れた功徳なのです」と説かれているのです。
【涅槃経に云はく「是の諸の大乗方等経典、復無量の功徳を成就すと雖も、】
涅槃経には「この多くの大乗方等経典は、無量の功徳を成就するけれども、
【是の経に比せんと欲するに、喩〔たと〕へを為すを得ざること、】
涅槃経の功徳と比較するならば、まったく話にならないのです。
【百倍・千倍・百千万億】
百倍千倍百千万倍としても、
【乃至算数譬喩〔さんじゅひゆ〕も及ぶこと能〔あた〕はざる所なり。】
まだ及ぶ事が出来ないほどに涅槃経の功徳は優れているのです。
【善男子、譬へば牛より乳を出だし、】
紳士諸君、たとえば、牛より乳を出し、
【乳より酪〔らく〕を出だし、酪より生蘇〔しょうそ〕を出だし、】
乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、
【生蘇より熟蘇〔じゅくそ〕を出だし、】
生蘇より熟蘇を出し、
【熟蘇より醍醐〔だいご〕を出だす。醍醐は最上なり。】
熟蘇より醍醐を出す。その醍醐の味は最上なのです。
【若し服すること有る者は衆病皆除き、】
もし、それを飲むならば、すべての病いを除くような、すぐれた薬としての功徳が、
【所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し。善男子、仏も亦是くの如し。】
その醍醐に入っているようなものなのです。紳士諸君、仏もまたこの通りであって、
【仏より十二部経を出だし、十二部経より修多羅〔しゅたら〕を出だし、】
仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅を出し、
【修多羅より方等経を出だし、】
修多羅より方等経を出し、
【方等経より般若波羅蜜〔はんにゃはらみつ〕を出だし、般若波羅蜜より】
方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より
【大涅槃を出だす。】
大涅槃を出し、最後は、醍醐のように涅槃経こそ最上の経となるのです。
【猶〔なお〕醍醐の如し。醍醐と言ふは仏性に喩〔たと〕ふ」等云云。】
ようするに、醍醐と言うのは、仏性を例えているのです」と説かれています。
【此等の経文を法華経の已今当、】
四十余年の経それぞれに書かれた讃嘆文と法華経の「已今当説最為第一」
【六難九易に相対すれば、月に星をならべ、】
「六難九易」の文を比較すると月と星、
【九山に須弥〔しゅみ〕を合はせたるににたり。】
丘と須弥山のようなものなのです。
【しかれども華厳宗の澄観、法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥〔かじょう〕・】
しかし、華厳宗の澄観、法相、三論、真言などの慈恩、嘉祥、
【弘法等の仏眼のごとくなる人、】
弘法などは、世間から智者と仰がれていますが、
【猶此の文にまどへり。】
まだ、この文の意味がわからないのです。
【何に況んや、盲眼のごとくなる当世の学者等、】
まして、まったく仏法がわからない当世の学者どもが
【勝劣を弁〔わきま〕ふべしや。】
その優劣を知る事など出来るでしょうか。
【黒白のごとくあきらかに、須弥〔しゅみ〕、芥子〔けし〕のごとくなる】
黒と白、須弥山と芥子粒のように、
【勝劣なをまどへり。】
明らかな違いさえ比較出来ずに、諸経と法華経の優劣になお迷っているのです。
【いはんや虚空〔こくう〕のごとくなる理に迷はざるべしや。】
ましてや、それぞれ経に説かれている文章の意味さえ理解出来ず、
【教の浅深をしらざれば理の浅深弁ふものなし。】
その浅深がわからないので、その経の真実の論理もわからないのです。
【巻をへだて文前後すれば、】
法華経と爾前経とは巻物も違い、文章も前後しているので、
【教門の色弁へがたければ、】
比較して浅深を判定するのが難しく、
【文を出だして愚者を扶けんとをもう。】
それで相似の文章を出して愚者に違いを教えるのです。
【王に小王・大王、一切に少分・全分、】
王に小王と大王があり、すべてに全体と部分の区別があり、
【五乳に全喩〔ゆ〕・分喩〔ゆ〕を弁ふべし。】
また五味と言っても、釈迦一代の経文すべてとそれぞれの経文とを区別すべきです。
【六波羅蜜経は有情の成仏あって無性の成仏なし。】
六波羅蜜経は有情の成仏は説いているが、無性の成仏は説かず、
【何に況や久遠実成をあかさず。猶涅槃経の五味にをよばず、】
まして久遠実成など説いていません。この経は涅槃経の五味にすら及ばないのです。
【何に況んや法華経の迹門本門にたいすべしや。】
どうして法華経の迹門や本門に相対して論じられるでしょうか。
【而るに日本の弘法大師、此の経文にまどひ給ひて、】
しかし、日本の弘法大師は、この経文に迷って、
【法華経を第四の熟蘇味〔じゅくそみ〕に入れ給えり。】
法華経を第四の熟蘇味に入れてしまっています。
【第五の総持門の】
事実は、その経で説く第五の総持門(密教)の
【醍醐味〔だいごみ〕すら涅槃経に及ばず、いかにし給ひけるやらん。】
醍醐味でさえ、なお涅槃経の醍醐より、はるかに劣っているのです。
【而るを「震旦〔しんだん〕の人師】
まして法華経に及ぶわけがないのに、何を狂ったのか「中国の人師が
【諍って醍醐を盗む」と、天台等を盗人とかき給へり。】
醍醐を盗んだ」などと書いて天台大師を盗人であるとしているのです。
【「惜いかな古賢醍醐を嘗〔な〕めず」等と】
そして「惜しい事に、過去の賢人は未だにこの醍醐味を舐めていない」と言って
【自歎せられたり。】
自分を最高の仏教学者であるかのように言っているのです。
【此等はさてをく。我が一門の者のためにしるす。】
これらの愚論はさておき、私の門弟の為に仏法の極理を説き明かしましょう。
【他人は信ぜざれば逆縁なるべし。】
他宗の者が信じなくても、それは逆縁の衆生なのです。
【一渧〔いってい〕をなめて大海のしを〔潮〕をしり、】
一渧の水を舐めても、大海の塩味を知る事が出来ます。
【一華を見て春を推せよ。】
一つの花が咲くのを見ても春の訪れを理解出来ます。
【万里をわた〔渡〕って宋に入らずとも、】
万里の大海を渡って宋の国まで行かなくても、
【三箇年を経て霊山にいたらずとも、】
また、中国の法顕のように三年の年月を経てインドの霊鷲山に行かなくても、
【竜樹のごとく竜宮に入らずとも、】
また、竜樹のように竜宮まで行かなくても、
【無著〔むじゃく〕菩薩のごとく弥勒〔みろく〕菩薩にあはずとも、】
また無著菩薩のように毎夜、弥勒菩薩に対面しなくても、
【二所三会〔さんね〕に値はずとも、】
また、釈迦在世の二所三会の法華の集会に行かなくても、
【一代の勝劣はこれをしれるなるべし。】
一代仏教の優劣は、知る事が出来るのです。
【蛇は七日が内の洪水〔こうずい〕をしる、】
蛇は、七日の内の洪水を知る事が出来ると言われています。
【竜の眷属なるゆへ。烏は年中の吉凶をしれり、】
それは、竜の仲間であるからなのです。烏は、その年中の吉凶を知っています。
【過去に陰陽師〔おんようじ〕なりしゆへ。】
過去世に陰陽師であったからです。
【鳥は飛ぶ徳、人にすぐれたり。】
また鳥は飛ぶ事に於いては人間より優れています。
【日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観、三論の嘉祥〔かじょう〕、】
日蓮が諸経の優劣については、華厳の澄観よりも、三論の嘉祥よりも、
【法相の慈恩、真言の弘法にすぐれたり。】
法相の慈恩よりも、真言の弘法よりもはるかに優れているのです。
【天台・伝教の跡を】
それは、釈迦出世の本懐たる法華経を正しく解釈した天台大師や伝教大師の
【しのぶゆへなり。】
後をそのまま継承しているからなのです。
【彼の人々は天台・伝教に帰せさせ給はずは、】
かの澄観等は、天台、伝教に帰伏しなかったならば、
【謗法の失〔とが〕、脱れさせ給ふべしや。】
謗法罪の失から永久に脱れられなかったでしょう。
【当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。】
現在、日本国で一番、富める者は、日蓮であるのです。
【命は法華経にたてまつる。名をば後代に留〔とど〕むべし。】
なぜならば、命を法華経に奉り、名前を後世に留めるからなのです。
【大海の主となれば、諸の河神皆したがう。】
大海の主であれば、すべての河の神は、すべてこれに従うでしょう。
【須弥山〔しゅみせん〕の王に諸の山神したがわざるべしや。】
山の王である須弥山には、すべての山の神がこれに従うのは当然なのです。
【法華経の六難九易を弁〔わきま〕ふれば一切経よまざるに】
法華経の六難九易をきちっと理解するならば、すべての経文を読まなくても、
【したがうべし。】
すべての仏、菩薩は、すべてこの法華経の行者に従うのです。
【宝塔品の三箇の勅宣の上に、】
宝塔品にある滅後の弘通を勧めた三箇所の勅宣についで、
【提婆品に二箇の諌暁〔かんぎょう〕あり。】
提婆品にある二箇所の諌暁を引いて一代諸経の成仏、不定仏を明らかにしましょう。
【提婆達多は一闡提〔いっせんだい〕なり、】
提婆達多は、一貫して釈迦如来に反対した一闡提でしたが、
【天王如来と記せらる。】
法華経においては、天王如来になるとの予言がなされました。
【涅槃経四十巻の】
涅槃経四十巻には、すべての衆生に仏性が有り一闡堤の成仏を説いていますが、
【現証は此の品にあり。】
その現証は、法華経の提婆品に示されているのです。
【善星〔ぜんしょう〕・阿闍世〔あじゃせ〕等の無量の五逆謗法の者、】
善星比丘や阿闍世王などのような、釈迦在世の五逆罪の謗法の者の中から、
【一をあげ頭をあげ、万ををさめ枝をしたがふ。】
極悪の提婆をあげてその成仏を明かした事は、同類の者すべての事なのです。
【一切の五逆・七逆・謗法・闡提・】
すべての五逆罪、七逆の罪を犯した謗法、一闡提は、
【天王如来にあらはれ了んぬ。】
すべて天王如来になると言う予言によって成仏を決定されたのです。
【毒薬変じて甘露〔かんろ〕となる。衆味にすぐれたり。】
毒薬が変じて甘い良薬となる法華経こそ、優れたものなのです。
【竜女が成仏、此れ一人にはあらず、】
竜女の成仏もただ一人の女性の成仏を現したものではなく、
【一切の女人の成仏をあらわす。】
すべての女性の成仏を現したものなのです。
【法華経已前の諸の小乗経には、女人の成仏をゆるさず。】
法華経以前の小乗経では、女性の成仏は、許されませんでした。
【諸の大乗経には、成仏往生をゆるすやうなれども、】
多くの大乗経で女性の成仏往生を認めているようですが、
【或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、】
それは、男に変じての成仏であり、一念三千の即身成仏ではないので、
【有名無実の成仏往生なり。】
有名無実の成仏なのです。
【挙一例諸〔こいちれいしょ〕と申して、竜女が成仏は、】
一例をあげると言って、竜女の即身成仏は、
【末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。】
その後の女性の成仏往生の道を認めたものなのです。
【儒家の孝養は今生にかぎる。】
儒教で説く孝養は、現世のみなので父母が死んだ後には何の役にも立たないのです。
【未来の父母を扶〔たす〕けざれば、外家の聖賢は有名無実なり。】
外道の者を聖人、賢人と言った事も有名無実でありました。
【外道は過未をしれども】
婆羅門外道は、過去や未来に渡る三世の生命を知ってはいましたが、
【父母を扶くる道なし。】
父母の来世まで助ける事が出来なかったのです。
【仏道こそ父母の後世を扶くれば】
仏法こそ父母の後世を助け得るものでありますから、
【聖賢の名はあるべけれ。】
真実の聖賢と呼ばれるべきなのです。
【しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は、】
しかし、法華経以前の大乗経や小乗経を立てる諸宗は、
【自身の得道猶〔なお〕かなひがたし。】
自分自身の成仏ですら叶えられないのです。
【何に況んや父母をや。】
それで、どうして父母を成仏させる事が出来るでしょうか。
【但文のみあつて義なし。】
ただ、文章だけであっても、その意義はないのです。
【今、法華経の時こそ、女人成仏の時、】
今、法華経の時に至って、始めて女人成仏が現実に現れて
【悲母の成仏も顕はれ、達多の悪人成仏の時、慈父の成仏も顕はるれ。】
悲母も成仏し、また提婆達多の悪人が成仏する時に慈父の成仏も現実となるのです。
【此の経は内典の孝経なり。】
この経は、父母の成仏を現実に出来るように説き明かされているので、
【二箇のいさ〔諌〕め了んぬ。】
内典の中の孝行の経文と言うべきもので以上で二箇所の諌暁が終わったのです。