御書研鑚の集い 御書研鑽資料
撰時抄 17 竜樹天親未だ天台に若かず
【問うて云はく、竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給はずや。】
それでは、竜樹、世親などは、なぜ法華経の実義を述べなかったのでしょうか。
【答へて云はく、宣べ給はず。】
それは、竜樹、世親などは、法華経の実義を述べてはいません。
【問うて云はく、何〔いか〕なる教をかの〔宣〕べ給ひし。】
それでは、どんな教えを述べたのでしょうか。
【答へて云はく、華厳・方等・般若・大日経等の権大乗、】
それは、華厳、方等、般若、大日経などの権大乗、
【顕密の諸経をのべさせ給ひて、法華経の法門をば宣べさせ給はず。】
顕経、密経の教えを述べて、法華経の法門は、述べてはいないのです。
【問うて云はく、何をもってこれをしるや。】
それでは、何をもって、それを知る事が出来るでしょうか。
【答へて云はく、竜樹菩薩の所造の論三十万偈。】
それは、竜樹菩薩の考えた論文は、三十万偈におよぶと言います。
【而れども尽くして漢土日本にわたらざれば】
しかし、すべてが中国、日本に渡っていないので
【其の心しりがたしといえども、】
竜樹の本当の心を知る事は難しいのですが、
【漢土にわたれる十住毘婆沙論〔びばしゃろん〕・中論・大論等をもって】
中国に渡った十住毘婆娑論、中論、大論などをもって、
【天竺の論をも比知〔ひち〕して此を知るなり。】
インドでの竜樹、世親などの考えを推し量る事は出来るのです。
【疑って云はく、天竺に残れる論のなか〔中〕に、】
しかしながら、インドに残っている竜樹、世親などの考えの中に、
【わた〔渡〕れる論よりも勝れたる論やあるらん。】
中国へ渡った中論、大論よりも優れているものが、あるのではないでしょうか。
【答へて云はく、竜樹菩薩の事は私に申すべからず。】
それは、竜樹菩薩の事については、私が意見を述べる必要はありません。
【仏記し給ふ、我が滅後に竜樹菩薩と申す人南天竺に出づべし。】
釈尊が予言して言うには「我が滅後に竜樹菩薩と申す人が南インドに出るであろう。
【彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給ふ。】
この人の究極の法門は、中論という論文にある」と記されています。
【随って竜樹菩薩の流、】
したがって竜樹菩薩を祖師とする流派が
【天竺に七十家〔け〕あり。七十人ともに大論師なり。】
インドに七十派もあり、七十人ともに大理論家であるが、
【彼の七十家の人々は皆中論を本とす。】
その七十派の人々は、みんな中論を基本としているのです。
【中論四巻二十七品の肝心は因縁所生法〔しょしょうほう〕の四句の偈なり。】
その中でも中論四巻、二十七品の肝心は「因縁所生法」という四句の偈です。
【此の四句の偈は華厳・般若等の四教三諦の法門なり。】
この四句の偈は、華厳、般若などの爾前権教の四教、三諦の法門であり、
【いまだ法華開会〔かいえ〕の三諦〔さんたい〕をば宣べ給はず。】
未だ法華に開会された空仮中の三諦の法門は、述べてはいないのです。
【疑って云はく、汝がごとくに料簡せる人ありや。】
それでは、あなたのように、そのように考えていた者が別にいたでしょうか。
【答へて云はく、天台云はく】
それに答えると、天台は玄義に
【「中論を以て相比〔あいひ〕すること莫れ」と。】
「法華経は、中論には比較にならないほど優れている」と言い、
【又云はく「天親竜樹内鑑冷然〔ないがんれいねん〕にして】
また天台大師は、止観に「天親、竜樹は、法華の実義を内心では知っていたが、
【外〔そと〕は時の宜〔よろ〕しきに適〔かな〕ふ」等云云。】
外には、時が来ていないので述べなかった。」と書いています。
【妙楽云はく「若〔も〕し破会〔はえ〕を論ぜば】
妙楽大師は、釈籤に「権教を破り、実教に入って、権教を論ずるならば、
【未だ法華に若〔し〕かざる故に」云云。】
未だ法華経には及ばない」と書いています。
【従義の云はく「竜樹天親未だ天台に若かず」云云。】
従義の三大部補注には「竜樹、天親は、未だ天台には及ばない」と言っています。