御書研鑚の集い 御書研鑽資料
撰時抄 19 読誦多聞堅固の時を示す
【疑って云はく、】
ほんとうにそうでしょうか。
【正法一千年の論師の内心には法華経の実義の顕密の諸経に】
正法一千年の諭師が、内心では、法華経の実義が顕密のどの経々よりも
【超過してあるよし〔由〕はしろしめしながら、外には宣説せずして】
優れている事を知っていたが、外に向かって述べる事もなく、
【但権大乗計りを宣べさせ給ふことはしかるべしとわをぼ〔覚〕へねども、】
ただ権大乗ばかりを弘めていたと言う事は、どうも、そうは、思えないのですが、
【其の義はすこしきこえ候ひぬ。】
その言わんとする意味は、少しばかりわかってきました。
【像法一千年の半〔なか〕ばに天台智者大師出現して、】
像法一千年の半ば頃には、天台智者大師が出現して、
【題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、】
法華経の題目の妙法蓮華経の五字を、玄義十巻一千枚に書き尽くし、
【文句十巻には始め如是我聞より】
文句十巻には、経文の冒頭の「是の如きを我れ聞きき」から、
【終はり作礼而去〔さらいにこ〕にいたるまで、】
経文の終わりの「礼を作して去りにき」に至るまで、
【一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四つの釈を】
一字一句に因縁、約教、本迹、観心の四つの解釈を
【ならべて又一千枚に尽くし給ふ。】
並べて、また一千枚に書き尽くされました。
【已上玄義・文句の二十巻には一切経の心を江河として法華経を大海にたとえ、】
以上の玄義文句の二十巻では、一切経の心を江河にたとえ法華経を大海にたとえて、
【十方界の仏法の露一渧〔いってい〕も漏〔も〕らさず、】
十方界の仏法の露を一渧も漏らさずに、
【妙法蓮華経の大海に入れさせ給いぬ。】
妙法蓮華経の大海に入れられました。
【其の上天竺の大論〔だいろん〕の諸義一点ももらさず、】
その上にインドの大論の多くの主張の内容まで一点も漏らさず、
【漢土南北の十師の義破すべきをばこれをは〔破〕し、】
中国の南北の十師の主張も破すべきをば破し、
【取るべきをば此を用ふ。】
取るべきをば取られて用いられています。
【其の上、止観十巻を注〔しる〕して一代の観門を一念にす〔統〕べ、】
その上に摩訶止観十巻を述べて釈尊一代の観門を一念に統活し、
【十界の依正を三千につゞ〔縮〕めたり。】
十界の依報、正報を三千に収め尽くされました。
【此の書の文体は、遠くは月支一千年の間の論師にも超え、】
この文書の内容は、遠くは、インドの一千年の論師をも超え、
【近くは尸那〔しな〕五百年の人師の釈にも勝れたり。】
近くは、中国五百年の仏教の指導者の解釈よりも優れているのです。
【故に三論宗の吉蔵〔きちぞう〕大師、南北一百余人の先達と長者らをすゝめて、】
ゆえに三論宗の吉蔵大師は、南北十派の一百余人の先輩や長老達に、
【天台大師の講経を聞かんとする状に云はく】
天台大師の講義を聞く事を勧める書状には、次のように書いてあるのです。
【「千年の興〔こう〕】
「千年の間に聖人が一人出で、
【五百の実〔じつ〕復今日に在り、】
五百年の間に賢人が一人出るというのは、実に今日の事である。
【乃至南岳の叡聖〔えいせい〕天台の明哲〔めいてつ〕、】
南岳の叡聖、天台の明哲、この優れた二人は、
【昔は三業住持し、】
過去には、身、口、意の三業に法華経を受持し、
【今は二尊紹係〔しょうけい〕す。豈〔あに〕止〔ただ〕甘露〔かんろ〕を】
今は南岳、天台の二人の尊者となって中国に出現している。ただ、甘露の法の雨を
【震旦〔しんだん〕に灑〔そそ〕ぐのみならん、】
中国に注〔そそ〕ぐだけではなく、
【亦当に法鼓〔ほっく〕を天竺に震〔ふる〕ふべし。】
法の鼓をインドまで轟〔とどろ〕かせたのです。
【生知の妙悟〔みょうご〕、魏〔ぎ〕・晋〔しん〕より以来〔このかた〕、】
生まれながらに妙理を悟り、魏、晋の時代より、このかた
【典籍風謡〔ふうよう〕実〔まこと〕に連類無し。】
文章が緻密で完璧な事は、実に比類がない。
【乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を奉請す」等云云。】
それで百余人の僧侶とともに天台智者大師を招いた」とあるのです。
【終南山〔しゅうなんざん〕の道宣律師〔どうせんりっし〕、】
また、終南山の道宣律師が
【天台大師を讃歎〔さんだん〕して云はく】
天台大師を讃歎して、このように言っています。
【「法華を照了〔しょうりょう〕すること】
「法華経を太陽が
【高輝〔こうき〕の幽谷〔ゆうこく〕に臨むが若〔ごと〕く、】
暗い谷底までも照らすように、
【摩訶衍〔まかえん〕を説くこと長風の大虚〔たいこ〕に遊ぶに似たり。】
また、長風が大空を遊ぶように、
【仮令〔たとい〕文字の師千群万衆あって】
たとえ文章の専門家が一千万人いて
【数〔しばしば〕彼の妙弁を尋ぬとも能く窮〔きわ〕むる者無し、】
巧みな天台大師の弁論を研究しても、それを究める事は出来ない。
【乃至義月を指すに同じ、乃至宗一極〔いちごく〕に帰す」云云。】
その妙義は、月を指すように明らかに一極の宗に帰している」と述べているのです。
【華厳宗の法蔵法師、天台を讃して云はく】
華厳宗の法蔵大師が天台大師を讃嘆して
【「思〔し〕禅師・智者等の如きは、】
「慧思禅師(南岳大師)や智者大師〔天台大師)は、
【神異〔じんい〕に感通して迹〔しゃく〕登位に参〔まじ〕はる。】
神通力に通じており、初住の菩薩の位にあり、
【霊山の聴法憶〔おも〕ひ今に在り」等云云。】
霊鷲山の説法の記憶が今もある」と言われています。
【真言宗の不空三蔵・含光〔がんこう〕法師等、師弟共に真言宗をすてゝ】
真言宗の不空三蔵や含光法師などが、師弟ともに真言宗を捨てて、
【天台大師に帰伏する物語に云はく、高僧伝に云はく】
天台大師に帰伏する物語を、高僧伝では、次のように伝えています。
【「不空三蔵と親〔まのあた〕り天竺に遊びたるに、】
「不空三蔵とともにインドに遊学中、
【彼〔かしこ〕に僧有り、問うて曰く、】
一人の僧がいて、質問するには、
【大唐に天台の教迹有り、最も邪正を簡び偏円を暁〔あき〕らむるに堪へたり。】
中国には天台の教えがあって、もっとも正邪を選び、偏りを正す事に優れている。
【能く之を訳して将〔まさ〕に此の土に至らしむべきや」等云云。】
よく、これを翻訳してインドにも弘めるべきではないか」と言ったというのです。
【此の物語は含光が妙楽大師にかたり給ひしなり。】
この物語は、含光が妙楽大師に語ったものです。
【妙楽大師此の物語を聞いて云はく】
妙楽大師は、この物語を聞いて
【「豈中国に法を失して】
「仏教の中心地たるインドでは、正法をすでに失っており、
【之を四維〔しい〕に求むるに非ずや。】
今では、これを四方の辺地〔へきち〕に求めている。
【而も此の方識〔し〕ること】
しかも、わが国では、このように天台の教義が優れている事を
【有る者少なし。】
知っている者が少ない。それは、自国の孔子の偉大さを知らなかった
【魯人〔ろひと〕の如きのみ」等云云。】
魯国の人のようなものである」と言っているのです。
【身毒国〔けんどくこく〕の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば、】
インドの中に天台の玄義、文句、止観の三十巻のような大論があるならば、
【南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき。】
インドの僧がどうして中国の天台大師の解釈を乞い願う事が有り得るでしょうか。
【これあに像法の中に法華経の実義顕はれて、】
こうしてみると像法時代の間に法華経の実義が顕われて
【南閻浮提〔なんえんぶだい〕に広宣流布するにあらずや。】
南閻浮提に広宣流布しているのではないでしょうか。
【答へて云はく、正法一千年像法の前四百年、】
それに答えると、天台大師は、正法一千年、像法の前四百年
【已上仏滅後一千四百余年に、いまだ論師の】
以上、仏滅後千四百年の間、未だ論師の
【弘通し給はざる一代超過の円定・円慧を漢土に弘通し給ふのみならず、】
弘められた事がない一代超過の円定、円慧を中国に弘通し、
【其の声〔な〕月氏までもきこえぬ。】
その名声は、インドにまで伝わった事は明らかな事実です。
【法華経の広宣流布にはにたれども、】
それは、法華経の広宣流布に似ていますが、
【いまだ円頓の戒壇を立てられず。】
未だに法華の円頓の戒壇は建てられてはいないのです。
【小乗の威儀をもって円の慧・定に切りつけるは、】
小乗の戒をもって円の法華の慧、定に取り換えると云うのは、
【すこし便りなきににたり。例せば日輪の蝕〔しょく〕するがごとし、】
かなり無理があるのです。たとえば、日食時の太陽や、
【月輪のかけたるににたり。】
大きく欠けた月のようなもので、戒定慧の三学すら整っていないのです。
【何にいわうや天台大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあ〔当〕たて、】
ましてや、天台大師の時代は、大集経の像法時代にあたる読誦多聞堅固の時であり、
【いまだ広宣流布の時にあらず。】
未だ、法華経の実義が広宣流布する時代には、該当していないのです。